八十五話・魔物化
殺すのが好きだ。
血を見ると魔物の本能が歓声を上げる。
これは、見ないフリをしていただけの事実だ。
俺は血を求めている。
自分が悪魔だと自覚する度に、感情が色あせていく。
後悔や苦しみが消え去っていく。
悪魔なのだから仕方ないと思える。
楽になれる。
つまり、強いて言うなら、俺は悪魔になりたいのだ。
だから、来る日も来る日も人を殺している。
―――
独房でひとりじっとしていた。
ベッドの上に座り込んで、身じろぎもせず俯いていた。
「…………」
体には痛みがある。
皮膚が熱くてひりつくように痛む。
前に見た時はあちこちの肌がただれていて、まるで焼けた炭のように赤熱した部分もあった。
「…………」
魔物化が進んだ結果だと、封印と検診の時にハインツは言っていた。
だがそんなことを気にする気分になれなかった。
俺は待っている。
命令されるのをただじっと待っていた。
「……出てこい、十番」
声が聞こえた。
俺は、ふらふらと引き寄せられるように歩き始める。
―――
「剣と、鎖と、『炎』と『土』のメダルを」
装備を伝え、受け取る。
奪うように手に取って歩き始める。
暗い通路から光の先へ。
殺し合いの場へと俺は立った。
「…………」
今日は俺を含めて五人だ。
かなり数が多い。
広場の円形に沿うように、壁際に全員が立っている。
左から槍の男、両手剣の男、剣と盾の男、杖のみの女だ。
「始めろ」
言われて俺は走り出す。
狙うのは槍を持った相手だ。
メダルを持ち、『構造劣化』の詠唱を唱えながら駆け寄っていく。
「…………」
いつも通り、会話はない。
槍の少年と俺は向かい合う。
離れた場所では盾の男と杖の女が戦っている。
両手剣の男も介入しようとしていた。
俺は数回刃を合わせ、槍の少年の前から走って逃げる。
「どういうつもりだ?」
槍の少年が、苛立たしげにつぶやいた。
無視して俺は走る。
走って、今度は両手剣の少年に手を出した。
背後から斬りかかる。
奇襲に音はなくタイミングも完璧だったが、避けられた。
ここまで生き残ってきたのだ、やはり並の相手ではない。
「なんだ、お前……」
両手剣の少年はすぐに状況を理解したようだ。
追いかける槍の少年と、誰彼かまわず手を出す俺。
杖の女と盾使いも、なにかを察したように戦いをやめる。
「…………」
そして、こういった状況でなにが起こるだろう?
答えは結託だ。
全員が協力して俺を排除しようとする。
最低限の秩序すらなく暴れ回る狂犬は、放置すれば予測できない死因に繋がるからだ。
「……殺すか」
盾の少年が言った。
杖の少女も杖を構えて距離を取る。
全員が俺を見ていた。
俺は剣を振りかざし、盾の少年の方へと向かう。
すると残りの三人も動き始めた。
「…………」
このままいけば俺は死ぬだろう。
しかしそれは、何も起こらなければの話だ。
俺の攻撃を盾の少年がガードする。
その瞬間、俺は左手で盾に触れて仕込んでいた魔術を使う。
「……『構造劣化』」
さらに剣でもう一撃。
少年が構えていた盾が壊れた。
同時に、槍使いの狙いが変わる。
杖の少女もだ。
両手剣の少年まで視線を向けている。
「くっ……」
盾……改め、剣の少年が息を漏らす。
結託とはいえ味方でもなんでもない。
ほんのささいな不利を背負った瞬間、かりそめの仲間は仕留めやすい標的に変わる。
盾使いの多くはその盾にルーンを刻むのだ。
だから、触媒であり武装でもある盾を失った彼は、見た目以上に無防備な状態だった。
「『雷刃』」
雷の刃を振りかざし、槍使いが剣の少年を襲う。
盾が、つまり触媒と思われる装備が消えたから、今は魔術が使えないと考えてのことだ。
その槍の彼を、杖の少女の『火矢』が撃ち抜いた。
剣の少年を狙っていたのだろうが、狙いが逸れて命中したようだ。
事故ではあるものの悪くない成果だ。
体から魂が出るのが見えたから、俺は死亡を確信する。
そして。
「二人目……」
俺はつぶやいた。
両手剣の少年も死んでいた。
少し前に、俺が剣を投げて仕留めたのだ。
なにしろ盾が壊された瞬間、そこに注目が集まるのは事前に分かっていた。
であれば、その隙をついて俺は誰かを殺すべきだった。
そして一番隙を見せたのが両手剣の彼だった。
なので死ぬことになった。
というのも、彼は盾が壊れたのに気を取られて一瞬だけ俺への警戒を怠ってしまったのだ。
また、それ以上にわずかに油断して防御を緩めてもいた。
これはきっと、俺の狙いが剣の少年だと思いこんでいたせいだろう。
さらに、敵に囲まれている俺が武器を投げるなんて思っていなかったのかもしれない。
そのせいで唐突な、意識外からの投擲に対応できず死んでしまった。
あれだけ鋭い感覚を持っていても、少し思考を誘導すれば簡単に仕留められる。
「あと二人」
またひとりごとを漏らす。
両手剣の少年の死体から剣を引き抜く。
頭部をきれいに貫いていた。
俺は彼の服で血と脂を軽く拭い、小さく鼻を鳴らした。
「…………」
それから杖の少女と剣の少年に目を向けて……わずかに驚く。
彼らは殺し合っていなかった。
あのままやり合うと思っていたが。
乗せられていることに気づいたのだろうか?
しかし杖の方が明らかに魔術で狙っていたのだから、杖の少女が止まっても剣の少年が止まるはずがない。
普通なら身を守るために戦うだろう。
そうならないことに違和感を感じる。
「……ああ」
勘づいた。
証拠はない。
だがこいつらは組んでいると直感した。
まさか、そんなことがあるとは。
同じ施設の出身?
「…………」
どう出てくるかを確かめるためにじっと見つめる。
すると、少年の方が皮肉げな笑みを浮かべた。
「バレたな、クラリス。あいつただの気狂いじゃない」
それに少女が答える。
油断なく俺を睨んでいた。
「分かってる。腕は大したことないけど……舐めてると足元すくわれるタイプね」
名前を呼んでいた。
それにあの会話の距離感からして確定だ。
もう隠す気もない。
「……なんだよ、これ」
かなりまずい状況だった。
しかも外の連中が止めに入らないということは、これも許容されている展開なのか。
ならもう逃げ場はない。
どうするかを考えるが、まとまる前に敵が仕掛けてきた。
剣の少年が先陣を切る。
「行くぞ! 俺が仕掛ける、援護を」
「うん。でも、気をつけて……」
少女が詠唱を始めた。
少年も、多分メダルを持って何らかの魔術を仕込んでいる。
魔物の聴力を利用して耳を澄ます。
するとかすかに詠唱が聞こえた。
内容は、候補は絞り込めたが正確には分からない。
偽りの詠唱を混ぜて上手く偽装している。
そんなことを考えながら、俺は普通に魔術を唱える。
「力よ、武器に宿り、その威力を……」
偽装にはあまり意味を感じないし、発動が遅くなってしまう。
選んだ魔術は『炎剣』だった。
しかし。
「クソ」
間に合わない。
剣の少年が詰めてきた。
少女の魔術も仕込みが終わったようだった。
彼女の援護を気にしながら魔術を使うのは意識配分的に難しい。
少年に鎖を投げる。
しかし完璧に回避される。
そのまま懐に潜り込んできた。
彼は何も言わない。当然ではある。
減らず口を叩くくらいなら詠唱を進めるべきだ。
でも俺にはもう魔術を使う余裕がない。
せめて状況を変えるために、その減らず口を叩いてみた。
「……お前、背中を撃たれるぞ」
あの、杖の女に。
そういうつもりで言った。
答えはなかった。
剣を交える。
魔術の準備を終えたらしく詠唱が止まる。
何を使うかは特定できていた。
雷の『剣』の魔術だ。
武器にまとわせるつもりだろう。
「…………」
不意に少年は俺のそばから離れて距離をとった。
そして鎖に触れた。
俺が自分で投げたあと、戻す余裕がなく伸びていたものだ。
「『雷剣』」
使ったのは『雷剣』の魔術だった。
ここまでは予想通りだが、まさか俺の装備に使ってくるとは思わなかった。
鎖を通じて電流が体に伝わる。
腕に巻いていた鎖を離すものの手遅れだった。
左半身……特に腕はもう使い物にならない。
「ぐっ……」
足が止まった。
そこで少女の魔術が降り注ぐ。
『火雨』の魔術だ。
『掃射』と『炎』を組み合わせた魔術だった。
小さな炎がいくつも降り注いで体を焼く。
そして体の数カ所を貫通した。
激しい痛みに倒れ込む。
「追撃! お願い!」
少女の声が聞こえた。
ちょうど離れていたのもあり、少年は巻き添えを食らっていない。
立ち上がろうとする俺の胸を、なすすべなく彼の剣が刺した。
「……背中を撃たれるって、言ってたっけな? 残念だったな。一人で死ねよ」
深く胸を貫いて、すぐそばに顔を寄せて少年が言った。
剣を抜かれる。
俺は再び倒れた。
「……ごほっ」
激痛が走る。
血を吐き散らしながら、俺は少年を睨みつけた。
そして心底くだらないと思いながら、吐き捨てるように言葉を投げた。
「馬鹿か、お前ら」
とどめを刺そうとしていた彼が手を止めた。
「…………」
少年が背後から撃たれる気配はない。
こいつらには、無性に苛立ちを感じる。
二人がかりで来たことも気に食わないが、それ以上に見ているだけで嫌な気分になる。
「今さら仲間ごっこか? どうせ殺し合うくせに」
「殺し合わない。俺が死んで、クラリスが残る」
固い決意を感じさせる口調で少年が言った。
俺は鼻で笑う。
「その意味、分かってるよな?」
おそらく、わざと殺されれば自殺の判定になる。
首を差し出した時点であの首輪の痛みに苦しむ。
いま痛みが訪れてもおかしくない。
俺の見立てでは、耐えられず戦うだろうと思う。
そして痛みのせいで上手く戦えないまま、あの女に殺されて終わるのだ。
「どうせお前らは殺し合う。首輪の言いなりだ。はははは……」
俺が笑うと、汚らわしいものを見るような目で少年が剣を振り上げた。
しかし、いつの間にか彼の隣に立っていた少女が俺に杖を向ける。
「さようなら……」
魔術が放たれて俺は火だるまになった。
剣を使おうとしていた少年が手を止める。
燃え移るのを恐れたのだろう。
だから俺は一人で、燃えながら死んでいく。
別にいつ死のうがどうでもいいが、あいつらの末路を見届けることができないのだけが残念だった。
「ああ」
焼かれる苦しみに悶えながら二人を見つめる。
炎の向こうで、最後に寄り添っているのが分かった。
早く首輪が起動しないかと願っていると声が聞こえた。
「……俺たちは、人間らしく死ぬ」
俺に言ったのか?
それ?
「は、はははははは……ははは……」
燃えながら笑った。
腸が煮えくり返るような怒りが俺を貫いていた。
こいつらをどうにかして殺したいと思う。
どうすればいいのか。
「…………」
仮に、何かの奇跡で火が消えたとしても力が足りない。
力が必要だ。
なら、どうすれば強くなれる?
『……もっと狡猾になっておいで。でないと、戦いにすらならない』
誰かの声が聞こえた。
いや、思い出したのだ。
ステラが言った言葉だ。
あの強い……強い、強い、とてつもなく強い悪魔が俺に教えてくれた。
「…………」
俺も、なろうと思う。
悪賢く、無慈悲で、一片の情けすらない……狡猾な悪魔に。
「う、うぅ……! あ、ぁぁぁ……あっ……!!」
血を吐くような声で呻く。
そして地面に爪を立てた。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!」
心の変貌に呼応するかのように、限りなく力が湧き上がってくる。
燃えながら俺は笑った。
へらへらと笑った。
「はは、は……!!」
立ち上がった。
なにか、きっかけがほしいと考える。
俺が、これまでの自分と全く違う、かけ離れた存在になれるようなきっかけが。
「なんだ、こいつ……」
少年の声が聞こえた。
恐れているように感じた。
俺はほんの少し迷って、その言葉を選ぶ。
これは、かつての俺にとっては古いおまじないだった。
心の痛みが消えるささやかなおまじないだ。
だが今は人から悪魔に変わる、羽化のための号令になった。
「…………『魔物化』」
そう口にした瞬間。
俺は、俺が望んだ通りの悪魔になれた。




