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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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八十三話・深みへ(1)

 


 俺はクリフを殺した。

 しかし彼は死ぬ前に首輪の支配から脱して、実験場のクズ共を何人も殺した。

 さらに、なにか奇妙な力で首輪と同じ苦痛を他人に与えていた。


 それが問題視された。

 俺も同じように首輪の支配を克服しているのではないかと思われた。

 加えて、兵士に命令を与えたのが俺なのではないかという疑念もあったようだ。


 こんな俺にそこまでの力があるはずがない。

 あればとっくにここを抜け出している。


 しかしあの場にいた人間は全員死んだから、もはや目撃者は一人もいない。

 命令を受けた兵士も結局一言も話さず大勢の味方を殺して死んだと言われた。

 ならそんな疑惑がかかるのもありうることだった。


「……目を開けろ」


 水をかけられて朦朧もうろうとしていた意識が目覚めた。

 薄暗い部屋に俺はいる。

 全身を拘束され、吊るしあげられて、その上で体の腱を切断されていた。


 クリフと似た状態だ。

 しかし、違うのはそのまま拷問を受けていることだ。

 向かい合った拷問官の男は無機質な表情を浮かべていた。


「…………」


 目覚めると、顔を何度も叩かれる。

 ハンマーのようなもので、一切の加減なく叩かれた。

 その鈍器の表面は、まるでやすりのように粗く、肌を削り取る。

 額を、頬を、何度も何度も殴られる。

 とても痛い。

 血がぼたぼたと落ちた。


 それから、語りかけてくる。


「どうやって首輪を無効化した? 言え」


 拷問官は、俺が首輪から逃れたと決めつけて言った。

 俺は首を横に振った。

 覚えているだけで、このやり取りを二十回以上は繰り返していた。


「……していません」

「命令だ。『首輪を無効化する方法を吐け』」


 知らない、だから何も言えない。

 嘘を言っても無駄なのは試した。

 痛みがやってくる。


「………っ」


 俺はあまりの苦痛に意識を失いかけていた。

 クリフは耐えて首輪を引きちぎったが、俺にとっては依然いぜんとして絶対的な支配力を保っている。

 ハンマーより、なにより恐ろしい痛みだ。


「本当に、俺は……知りません」

「嘘をつくな」

「ついていません……」


 すでに『嘘をつくな』という命令はもらっている。

 だから本当のことだ。

 痛みが訪れていないのだから明らかだった。


 しかし拷問官は無表情のまま、鋭い針のようなものを取り出した。

 小さな返しがついている。

 俺の右目に近づけてくる。


「はぁっ……はぁっ……」


 息が荒くなる。

 ここまでの恐怖を感じるのは久しぶりだった。

 体の芯が震えて止まらなくなる。


 今にも、目に触れそうな距離に針の先端がある。

 必死に首を動かして逃げようとするが、拘束されていて上手く行かない。


「本当のことを言え」

「ほ、本当に……俺は……!」

「命令だ。『右目を閉じるな』」


 そして、針が俺の右の眼球を深く深く貫いた。

 圧迫感と共に焼けるような痛みが押し寄せてくる。

 だが目を閉じようとすれば首輪の苦痛がやってくる。

 いや、閉じなくても耐えがたい苦しみが俺の中を埋め尽くしている。


 今自分が眼を閉じているのか。

 そんなことすら分からず、死んだ方がマシなほどの激痛に溺れた。


「―――――――――――ッッ!!!」


 言葉にできない叫びを上げる。

 目に、右目に奇妙な光が見えた。

 かと思えば明滅して黒い点のようなものが見えて、視界がぐちゃぐちゃになったあと眼球を引き抜かれたことに気づく。


「……うっ」


 あまりの激痛にまともに呼吸ができない。

 開いたままの口から血とも唾液ともつかないなにかが垂れる。

 強く唇を噛んで、出血していたらしい。

 失禁もしていた。

 目の周囲にしびれるような、大きな痛みが残っている。

 なぜか頭までひどく痛み始めた。


 そこで拷問官が俺の左目に手を伸ばし、視界を塞いだ。


「いま、お前の右目の前で指を見せている。命令だ。『何本あるか見て答えろ』」


 左目は塞がれている。

 右目はたった今えぐりだされた。


 見えるはずがない。

 俺は震える声で答えた。


「み、見えません……」

「だめだ、答えろ」


 命令に従えない。

 苦痛が与えられる。

 これを何度も繰り返した。

 従いようのない命令を与え、痛みにあえぐ姿を見て、俺が本当に首輪を克服こくふくしていないかを確かめているようだった。


「うっ……あ、ぁ…………」


 どれほど経っただろうか。

 まともな言葉が出てこない。

 ほとんど思考は停止していた。


「どうやって首輪を無効化した?」

「してません……」

「いや、無効化している。嘘をつくな。命令だ、『首輪を無効化した方法を言え』」 


 また痛みにさいなまれる。

 ぐったりとした俺の前から拷問官が立ち去る。

 終わったのかと思い安堵あんどしたが、今度はのこぎりを持って現れた。


 俺は笑う。

 ひとりでに笑い声が出ていた。

 頭の中心が燃えるように熱くなって涙が止まらなくなる。


「は、ははは……死ね、死ね、クソども……」


 拷問官は何も言わない。

 無表情だ。

 実験動物の観察でもしているような眼で俺を見る。


「臆病者が。お前らは……俺たちが怖いんだろ……! 首輪が外れるのを……恐れてる……そうだろ、は、はは、は……」


 特に答えは返ってこなかった。

 そしてまた質問が始まった。


「答えろ。命令だ。『クリフ=ハーリングが首輪を無効化した方法を教えろ』」


 質問が少し変わっていた。

 だが知らないものは知らないと言うしかない。

 嘘をつくことは禁じられているのだから。


 また痛みに苦しむ。

 足にのこぎりが当てられた。


「命令だ。『首輪を無効化する方法について話せ』」


 当然、俺は何も答えることができなかった。

 しかしそれでも、終わりがないのではないかと思うほど念入りに拷問は続けられた。


 ―――


 同じような拷問は三回ほど行われた。

 でも、別に終わったと言われたわけでもない。

 また呼び出されるのかもしれなかった。


 しかし俺は、ひとまず独房に戻されてしばらくは放置されていた。

 足や指を切り落とされたりもしたが、それらはご丁寧にもすぐに縫合ほうごうされ、治療を経て動くようになった。

 だが眼球は別だ。

 これが元に戻るまでは、多分……戦いはないのだろう。


「…………」


 俺はなにもせずにベッドに横たわっている。

 以前と同じだが、大きな違いもある。


 それは首輪が……心底怖いということだ。

 クリフと会った直後は希望があった。

 欠陥があるとあいつは言っていた。


 しかし拷問を終えた今は、気が狂うほど首輪が怖かった。

 俺にとってこの魔道具は絶望と苦しみの象徴だった。

 首につけられているという事実だけで、いつ命令が訪れるか分からないという恐怖だけで、俺の体は震え始める。

 ケニーの声や物音が聞こえるたびに凍りついたように動けなくなる。


「うっ……うぅ……」


 理由もなく涙が流れる。

 苦しくて仕方がないので昔のことを思い出そうとするが、それもあまり上手くいかない。

 嫌なことばかり思い出して、俺はいつも自己嫌悪におちいる。


「怖い……」


 血が出るまで爪を噛む。

 剥がされていない、残っている爪を噛む。

 そうやって痛みを与えると、不思議と安心感が湧いてくる。

 痛みを恐れる俺が、痛みにやすらぎを見出すのはおかしな話だ。

 だが事実なので仕方がない。


 肉を食いちぎる瞬間、確かな恐怖とともに俺はわずかな安心を得る。

 この体がまだ、自分のものであるような気がする。

 どんな理屈なのか俺もよく分からない。

 理由すら分からずに、自傷する。

 俺はもうまともではないのかもしれない。

 いや化け物なのは言うまでもないことだ。

 体もいつか、クリフのように変異してしまうだろう。


「……怖い、怖い」


 何度も俺はつぶやいた。

 聞いてくれる相手など誰もいないのにぶつぶつとつぶやく。

 薄暗い部屋で、暗闇に向かって語りかける。


 怖い、怖いと……繰り返し口に出して、爪を噛んで時間を過ごす。


 ―――


 以前にも増して食事が喉を通らない。

 顔はわからないが、腕を見る限りほとんど骨と皮のように痩せているのがわかる。

 食えと命令されたこともあったが、時間が経つと吐き気がして戻してしまう。


 しかしそれでも俺は生きていた。

 体も力強く動く。

 死の気配は遠かった。

 昔、魔物が魔力を喰って生きると聞いたことがある。

 同じことが俺にも起きているのかもしれない。


「…………」


 ぼんやりと寝て時間に耐える。

 拷問を受けて以来頭が……あまり働かない。

 抜け殻のようになって、涙を流すか震えるか自傷したり爪を噛む以外のことはなにもしていない。


 ただ何かを待っていた。

 救いか、あるいは死か、もしかすると命令かもしれない。


 扉の鍵が開く音がした。


「出てきて、早く」


 女の声だった。

 いつもの男は死んだから、多分人が変わったのだろう。

 俺は這うようにしてベッドから落ちる。

 そしてふらふらと歩いて出口に近づく。


 すると、ドアが開いて立っていたのは一人だった。

 シーナ先生がそこにいた。


「…………」


 俺は言葉を失う。

 もう、信用は……していなかった。

 しかしここで現れたということは、やっぱり、先生もあいつらの味方だったのだ。


 俺の人生が、思い出が、心の支えにしていたものが……全て崩れていくような気がした。

 俺の顔を見て、シーナは……いや、本名すら分からない女は……ひどく打ちひしがれたような顔で涙を流した。


「ごめんなさい。……遅くなって、ごめんなさい」


 その言葉の意味が分からなかった。

 こいつは何を言っている?

 遅くなったとはなんだ?


 なにが遅くなった?

 俺に何を命令するつもりだ?


「……あなたを、助けに来た」


 俺は目を見開く。


 なるほど。

 それなら、全てが遅かった。


 エルマは死んだし、ケニーは俺が殺した。

 リリアナも、クリフも、ここで無惨な最期を迎えた。

 なにもかも遅かったのだ。

 俺の幸せはもう、どこにもない。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」


 気がつけば叫んで、女に飛びかかっていた。

 首を締め上げる。

 血まみれの指が喉に食い込む。

 女は、顔をぐちゃぐちゃにして泣きながら俺を見ている。


「ご、ごめん、ね……」

「あぁぁぁぁぁぁっ!!!! あぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」

「ごめんね……ごめん、なさい……ごめんなさい……」


 涙を流しながら謝り続けている。

 俺は、許すことができなかった。

 このまま殺そうと思った。


 女は泣きながら俺の頬に触れた。 

 その左手にはなぜか親指がなかった。


「私は、殺されても……いい……でも、お願い。あなたを、あなたたちを……助けさせて……ほしい……。ごめんね、ごめんね……」


 ごめんね、と……何度も女は謝った。


 俺は、気がつくと泣いていた。

 震える手を喉から離した。

 そして後ずさり座り込む。


「うっ……ううぅ……」


 先生は激しく咳き込んだあと俺を抱き寄せた。

 そして、俺と同じくらい震えながら語りかけてきた。


「ご、ごめんなさい……辛かったでしょう。本当に……。私は……殺されても仕方ない……ひどいことを……」


 泣きじゃくる先生の胸に俺は顔をうずめた。

 懐しい温もりだった。

 強く抱きしめると、心に恐怖と怒り以外の感情が蘇った気がした。

 あとからあとから涙が流れる。


「先生……先生……怖い、です…………」


 まだ人生に希望があると信じていいのだろうか?

 目の前にある光に手を伸ばすことが怖かった。

 俺はもう、どうにもならないくらい壊れてしまった。


 だが、先生は俺の目を強く見据えて手を握った。


「もう大丈夫。……行きましょう。みんなを助けないと。じきに援軍えんぐんも来るわ」


 援軍?

 俺は理解できずにただ瞳を見つめ返した。

 すると深くうなずいてくれた。

 俺は、先生もひどくやつれていることに初めて気がついた。


「……仲間が……他の孤児院の教官だった人たちが、聖職者に接触している。この場所と奴らの計画の話をして、もう力を借りる手はずができた。すぐに騎士団を連れて潰しに来る」

「じゃあ……俺たちは……」


 おそるおそる続けた言葉に、先生はまたうなずく。


「解放される。この施設は王都にある。……法王の膝下に、聖職者より強い味方はいない」


 俺は……信じられないような気持ちだった。

 絶対に、なにをしても壊せないと思っていた牢獄が崩れた。

 こんなにもあっさりと。


「他のみんなの居場所はわかる?」


 道中の独房を一つ一つ覗きながら先生が聞いてくる。

 その問いかけに俺は答えた。


「……わかりません」

「そう。……でもおかしい、情報では確かに……ここに一人いるはずなんだけど」


 先生はそう言って同じ独房をまた覗いた。

 俺は少し躊躇って、俯きながら推測を伝える。


「死んだのかも……しれません」

「…………」


 それから俺たちはまた歩き始める。

 先生は情報を持っているようだったが、それでも一つ一つの独房に目を通す。

 見落としがないようにするためなのだろうか。


 俺も手伝おうと逆側の通路の一室に走る。


「…………」


 でも一向に他の実験体は見つからない。

 俺は敵の兵士の巡回があることを知っていた。

 だから少し焦りつつ部屋を覗くペースを上げる。

 俺は目も耳も人間よりいいので、先生より早く探すことができた。


「……ありがとう」


 先生が言った。

 頭を撫でられた。

 俺は、何も言わず首を横に振る。


「…………」


 しかしそうしていると足音が聞こえた。

 誰か来る。


「下がって」


 シーナ先生が剣に手をかけた。

 そして俺をかばうように前に立つ。


「ああ、来たんだね」


 薄暗い闇の向こうから声がした。

 ハインツの声だった。

 しかし俺には、声を聞くまでもなくその姿が見えていた。


 恐怖で体が震え始める。

 首輪を外してもらえるように、どうにかすべきだったと今さら思い当たる。


「……久しぶり、シーナ」


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