八十二話・廃棄
戦いが終わった。
だが杖の少年は強く、俺は大きな傷を負ってしまった。
氷の魔術で右腕がちぎれて、加えて左肩と腹にも穴が開いていた。
人間なら死ぬ傷だ。
だが俺は死なず、治療を受けている今も意識を保っていた。
多分これも、魔物になったからだ。
「…………」
いつもの医務室とも違う、どこか無機質な印象の石室に運び込まれる。
そして石の台の上に寝かされて、大勢の魔術師による処置を受ける。
いつまでこんなことが続くのだろう、とぼんやりした頭で考えていた。
「――――――――!」
周囲の魔術師たちはせわしなく会話を交わしながら治療を続けていた。
三人が常に治癒魔術をかけて、もう一人は腕の止血の処置を行っている。
あと四人いたはずだが、そいつらが何をしているのかは分からない。
「…………」
目を閉じると、杖の少年の死に顔が浮かんできた。
苦しそうな顔をしていた。
目を開く。
黙って天井を見つめる。
多分俺は、最後まで生き残ることはできないだろうと思った。
―――
治療により死を免れた。
食事の回数で数えた期間だが、およそ四日ほどで肩と腹の負傷は元通りになった。
腕も、手首あたりまではもう復元している。
治療に関わった魔術師たちはとても優秀だったが、それでも異常な回復速度だった。
これはおそらく、俺の生命力が人の範疇を超えていることが大きいだろう。
姿形は人のまま、俺はどんどん人間からかけ離れていっている。
……とはいえ戦いは無理なのでしばらくは独房で過ごした。
なにもせず死体のようにベッドに横たわっていた。
近頃は感情の起伏も消え、ただ静かにじっとしていることが多かった。
なにをするのも面倒に感じる。
「…………」
時々耳鳴りがする。
そして声が聞こえ始める。
ケニーは、最近よく分からないことを言うようになった。
これも俺が魔物になったせいなのかもしれない。
「■■■■■■■■■■■■■?」
言っていることが分からない。
でも怒っていたり悲しんでいたり、もしくは全く感情が消えていたりとその時々で声色は違う。
もう理解することは諦めていたが、彼の声がすると心がざわつく。
「もう許してくれよ……」
俺はもううんざりしていた。
何もかも疲れた。
いつまでこうして苦しまなければならない?
彼だって、逆の立場だったらきっと逆らえなかった。
現に俺は、俺以外に何人も首輪に屈した敵と戦っている。
「■■■■■■」
ケニーはまだなにか言っているが、それは無視して目を閉じる。
だが殺してきた人間の顔が浮かんで、俺はすぐに目を開いてしまった。
「…………」
本当にうんざりだと思った。
ため息を吐いて頭を抱える。
もうずっと眠れていない。
静かに眠りたいと、切実に俺は思う。
―――
「十番、出てこい」
声をかけられた。
ベッドに寝ていた俺は身を起こす。
そして寝不足にふらつきながら扉の前に歩く。
「…………」
見ればまたいつもの迎えが来ていた。
だが俺はまだ腕が完全に治っていない。
治療は進んだが、まだ手を復元している最中だ。
別にそれならそれで構わない。
だがこれまでは回復を待っていたことから怪訝に思う。
実験体として無用になったから処分されるのだろうか?
「今日は戦いではない。お前に処理してほしいものがある」
しかし魔術師はそう言った。
つまり、俺はまた生きながらえたということだ。
「……はい」
答えると説明が始まる。
そういえば、必要もないのに状況を説明してくるのは初めてだった。
命令のために理解させる必要があること以外、こいつらは何も話さない。
俺はいつも訳がわからないまま、命じられたことをするだけだった。
「処分してもらうのは失敗した実験体だ。殺して、そいつの魂を奪ってもらう」
「……魂」
魂、という言葉に違和感を覚える。
奪うとは言っても、見たこともないものをどう奪えばいいのだろう。
禁術を使えばできないこともない……というような話を聞いたことはあるが。
でも俺はそんな術は当然使えない。
「お前の左肩には『魂喰らい』のルーンが刻印されている。それで奪ってもらう。いや、これまでも奪ってきたはずだ。俺には見えんが、白い煙を見たことがあるだろう?」
確かにあった。
そして腑に落ちた。
こいつらが殺し合いを強いてきたのはそのためだったのだと。
また、俺が何度も見たあの煙は人の魂の姿であったのだと。
刻印されたルーンは、明確に制御しなければ勝手に機能を発揮し続ける。
だから俺は、これまで人の魂を奪ってきたはずだ。
魔物になる前から肉体が強化されていたのはそのせいなのか。
ともかく、魔術師の男は言葉を続ける。
「失敗した実験体も多くの魂を喰っている。ただ処分するのも惜しい。お前が殺して、お前が回収しろ。わかったな? どうせ次の相手だったんだ」
「はい」
つまり今回の殺しは戦いではないということだ。
多少の抵抗はあった。
だが今さら暴れて拒否しようとまでは思わない。
楽に殺してやろうとだけ思う。
戦いの中でなければそれができる。
「ついたぞ、入れ」
そうして、連れてこられたのは鉄の扉の前だった。
独房に似ているが、中にはいると俺が治療を受けた石室に近い場所だとわかる。
石の台の上には人影があった。
「…………」
照明の魔道具が部屋を照らしているものの、光が足りておらず薄暗い。
また、この実験場全体に言えることだが空気が籠もっていて居心地が悪かった。
早く解き放ってやろうと俺は台に歩み寄る。
「さぁ、やれ」
短剣を手渡された。
俺は殺す相手をじっと見つめる。
しかし思わず目を逸らしてしまう。
薄暗くても、俺の目には無惨な姿が詳らかに見えた。
「…………」
台の上に寝かされた実験体の姿は……凄惨なものだった。
肌はほとんど赤茶色の鱗に変わり、顔も骨格から変化している。
髪は抜け落ち、トカゲのような、あるいは竜のような異様な顔つきになり、鋭い牙が大きく裂けた口から覗いていた。
また手足の指も人間離れした太さに肥大し、その先からは肉食獣じみた禍々しい爪が伸びている。
目の前の人物は、明らかに化け物だった。
暴走を防ぐためか拘束され、その上で傷つけられている。
鱗の肌は散々に切り裂かれ、動けないようにするために全身の腱が断たれていた。
苦しげに息をしている。
赤く染まった瞳が、宙に視線を彷徨わせている。
「……ひどい」
思わずつぶやく。
いずれ俺もこんな姿になるのだろうか。
未来には不安ばかりが増えていく。
だが彼は……もしくは彼女はここで死ぬことができる。
「…………」
俺は短剣を振り上げたが、そこで手を止める。
魔物をどうすれば楽に死なせられるのか分からなかったのだ。
自分の体験でもあるが、魔物はかなりしぶとい。
傷ができてもそんなに勢いよく血を流さない。
流石に首なら……と思うがそれですぐに死ぬのかも分からない。
心臓を潰してさえ、長く生き残る可能性があった。
俺はどうやって送ってやればいいのだろう。
「迷ってるのか? リュート、優しいな。お前は……」
目の前の怪物……いや、少年が口を開いた。
しかも俺の名前だった。
頭が真っ白になる。
「……え?」
言葉を失う。
その直後、怪物は苦しそうに呻いた。
ガタガタと震え、必死に声を押し殺している。
尋常ではない苦しみ方だ。
もしや首輪が作動したのだろうか?
彼の首には確かに首輪がある。
話すなとでも命令されていたのか?
しかし……もしそうなら、彼は命令に逆らえたということになる。
「……お前は誰だ」
「クリ、フ……だよ。まぁ、このツラじゃ……無理も、ねぇか」
やはり苦しげに彼は言った。
俺は、なんと言っていいのか分からなかった。
だがそこで、焦った様子で魔術師が歩み寄ってくる。
「貴様、話すなと命じたはずだ! なぜ逆らえているのかは知らんが、これ以上は……」
「うるせぇな」
ぼそりと言ってクリフは拘束を引きちぎった。
さらに自分の首に装着された首輪を破壊し、素早く身を起こして魔術師の喉を掴む。
そのまま片手で軽々と持ち上げた。
鋭い爪が、首に深く食い込んでいく。
「おい、十番。俺を……!」
助けろ、とでも言うつもりだったのだろう。
だがその言葉の続きはなかった。
クリフが喉を握りつぶしたのだ。
「かはっ……こほっ……」
魔術師の男は、喉が詰まったような音だけを残して死んだ。
即死だった。
ゴミを扱うようにクリフは死体を投げ捨てる。
そして今度は同行していた兵士たちに視線を向けた。
「次はテメェらだな」
彼の動きは、速い。
今の俺と比べても別次元だ。
兵士たちの鎧は、爪の前に紙のように引き裂かれていく。
クリフはほんの数秒で六人の兵士を殺した。
だが一人、たった一人だけあえて残したようだった。
「ひっひぃぃぃ……!!」
恐怖にへたり込み、泣き叫ぶ兵士へとクリフが顔を寄せる。
そして右手の人差し指を突きつけた。
「おい、命令だ。『外で殺せる限り、お前の仲間を殺してこい。あと、死ぬまで一言もしゃべるな』」
まるで首輪を使っているかのような口ぶりだった。
だが当然、この兵士はそんなものをつけていない。
ひたすらに困惑したような表情を浮かべる。
「は、はぁ?」
しかし、それからすぐ兵士は苦しみ始めた。
まるで首輪をつけているかのように。
「……う、う、うわぁぁぁ!!! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
人間というより獣じみた叫び声だった。
首輪の命令で苦しむ人間の声を、初めて客観的な立場で聞いたかもしれない。
やがて何度か苦しんだあと、兵士は武器を持ってフラフラと部屋を出る。
「これでしばらく、俺たちのことはバレないだろうな」
クリフはぼそりとそう言った。
何かと思えば、騒ぎを隠すために謎の力を用いて命令をしたらしい。
相変わらず頭が回るやつだ。
頼もしいような、懐かしいような気分になった。
兵士への同情はない。
「……あの、クリフ」
俺は彼に呼びかける。
しかし言葉が出てこない。
首輪を外してほしかったが、外すことを他人に頼んだり首輪の存在を知らせることは命令で禁じられていたのだ。
しかし同じ立場の彼は理解してうなずいてくれた。
「ああ、分かってる。だがその前に一つ聞かせてくれ」
「なに?」
答えながらも、俺は半分は心ここにあらずといった気持ちだった。
だって、首輪から解放されるのだ。
もしかしたらまだ生き残っている仲間も救助できるかもしれない。
クリフのおかげだ。
クリフのおかげで俺たちは助かる。
しかし彼が口にしたのは、理解しがたい言葉だった。
「お前、人を殺す覚悟があるか?」
俺は固まった。
どういうつもりで彼がそんなことを言うのか分からない。
思わず聞き返す。
「え?」
「なんの罪もない人々を……何百人、いや、もしかしたら何千人、何万人と殺す覚悟はあるか?」
俺は、息を呑んだ。
それからゆっくりと首を横に振る。
本気なのかと思って思わず声が震える。
今の俺たちなら……その気になれば、おそらく可能だ。
夢物語でないからこそ怖かった。
「そんなこと……するわけないだろ」
するとクリフは少し悲しげに、しかしどこか安堵したように目を伏せる。
そして首を横に振った。
「じゃあだめだ。お前はまだ解放できない」
その言葉で心がひび割れた気がした。
助かると思ったのに直前で道を閉ざされてしまったのだ。
俺は涙を流す。
「なんで……なんでだよ……」
クリフは何も答えない。
ただふらふらと歩いて、壁に背をつけると座り込む。
「疲れたな……」
ぽつりと、俺の存在を忘れたかのようにひとりごとを漏らしている。
俺は火がついたような怒りに支配されていた。
座り込んだクリフの肩を揺さぶる。
「なんでだよ! ふざけるな!! 頼む……助けてくれ……。もう嫌なんだよ。頼む……頼むから……」
「…………」
「クリフ、お願いだから。お願いだよ。助けてくれ。俺だけじゃない。仲間が……みんな……苦しんでるかもしれないんだよ……なぁ……」
必死で訴えかけても彼は何も言わなかった。
俺は力が抜けてその場に座り込む。
クリフは何も言わず俺を抱きしめた。
その手付きの優しさから、なにか事情があるのだと俺は悟った。
しかし、それなら、せめて……。
「殺してくれ。自分じゃ、もう……死ねないんだ……」
俺はそう伝えた。
クリフは何も言わず俺を抱きしめたままだ。
その体はひんやりと冷たかった。
「……違うだろ、リュート」
彼はそう言った。
クリフから離れて表情を伺うと、静かに微笑んでいた。
長く一緒に暮らしていたからか、トカゲの顔でも分かるものなのだ。
「お前は今日、俺を殺しに来たんじゃない。殺されに来たわけでもない。……そうだな、下らない話をしにきたんだ。それだけだ」
彼の言葉はどこかちぐはぐに感じた。
だってそうだろう。
周りには死体が散らばって、ここはろくでもない実験場で、俺たちは人間をやめた化け物に変えられている。
なのに全てを忘れて世間話をしよう、なんて言っているのだ。
「……座れよ」
自分の隣、床を軽く叩いて座るように言ってきた。
俺は同じように壁に背をつけて座り込む。
そして気づいた。
クリフの息が少し乱れていることに。
「最近、どうだ?」
その問いかけに思わず笑った。
孤児院にいた頃から、クリフは急に俺のそばに来たかと思えばこんなことを言って黙り込むことが時々あった。
懐かしくて思わず噴き出す。
「最悪だよ」
「俺もだ」
言葉を交わして、今度は二人で笑った。
話は続く。
「リュート、その腕……どうした? 指がないぞ」
「戦闘で、腕ごと持っていかれたんだ。強かったよ……そいつ」
「じゃあ再生してそうなったのか? なんか、リリアナのこと思い出すな……」
腕が生えた繋がりだ。
あいつも腕が生えてものすごく喜んでいた。
任務のメンバーで小さなお祝いをしたのを覚えている。
クリフは笑って声真似をしてみせる。
「やったー、新品だ! ……なんて、言ってたよな。あいつ」
思い出が蘇ってきてなんだか嬉しかった。
毎日の苦しみを少しだけ忘れられた。
俺も言葉を返す。
「生えたところだけやたら肌が白くて……美肌だって喜んでたよ」
「そんなことも言ってたっけ?」
だがそのリリアナは死んだ。
ふと気づいて、俺は涙を流す。
目をこすっていると、何かを察したようにクリフも黙った。
「…………」
それから少しの沈黙のあと、ぽつりぽつりと会話が再開する。
話題は主に昔のことだ。
彼とはあんまり話す機会がなかったから話の種が尽きることはなかった。
それから、ほんの少しだけ実験場の話もした。
食事がまずいという話題で盛り上がった。
「アイツらも……あれ、食ってんのかな」
クリフが言った。
アイツら、つまりはここにいる魔術師や兵士やらだ。
偉そうなアイツらもまずいお粥を食っているのかという話だ。
それに俺は首を横に振る。
「いや、食ってないよ。絶対毎日チキンとか食ってる」
「あとは……ソーセージ、とか?」
「そう、ソーセージとかチキン」
「なんだ、イラつくじゃねぇか」
顔を見合わせて俺たちは笑った。
しかしふと不安になって笑みを消す。
「…………」
クリフの息がどんどん乱れている。
もう言葉も切れ切れになっていて、明らかに苦しそうなのが俺にも分かった。
「……大丈夫か?」
「うん……まぁ、あと……少しは」
クリフはそう答えた。
苦しげな息で横向きに倒れる。
俺は膝の上に彼の頭を寝かせた。
すると照れくさそうにニヤリと笑う。
「膝枕か、へへ」
「は? なんで喜んでるんだよ……」
俺も笑った。
しかしその間にもどんどんクリフの状態は悪化していく。
彼はゆっくりと目を閉じた。
そしてしばらくして開くと、その瞳は薄く光を帯びていた。
おぞましい赤の輝きだ。
ステラとも違う、もっと悪意や狂気が渦巻く光だ。
「……クリフ」
「俺はもうじき魔物になる。理性を失う。……正直な話、お前が来るまではほとんど意識もなかった」
「…………」
「だが、お前の声が聞こえて……不思議と、目が覚めた」
沈黙が流れる。
どうなるか分かってしまった。
クリフは多分……これから気が狂う。
膝の上で浅い息を繰り返す彼の、鋭い爪の手のひらを握った。
本物のトカゲのように冷たい肌だった。
「お前の手、あったかいな」
彼がぽつりと、そんな声を漏らした。
俺はさらに強く握る。
するとどこか遠くを見るような目で、言葉を続けた。
「ガキの頃、お前に……ひどいことを、した。悪いと思ってた、ずっと」
兄妹そろってそれか。
ニーナのことを思い出して、少しだけ微笑む。
「……気にしてない」
「そう、か? 優しいな、お前」
優しくなんてない。
俺は悪魔になった。
クリフは知らないだけだ。
「…………」
それからまた沈黙が続く。
何度か苦しげな息を吐いたあと、また彼が語り始める。
「俺、バカみたいでさ。いつも、何話そうかって考えながら……お前の周りをウロウロしてたよ」
クリフが度々俺のそばに近寄ってきていたのを思い出す。
何も言わずにじっと見つめてきていたことを思い出した。
そのたびにリリアナにからかわれて、何も言わず商品を買っていったことを。
彼は俺と話したがっていたのだと今気づいた。
嬉しそうにクリフは笑った。
「もっと早く、こんな風に……話せばよかった」
「俺も、そう思う」
もっとクリフと話しておけばよかったと思う。
いや、クリフだけではない。
エルマや…………ケニーもだ。
もっと、もっとたくさん話しておけばよかった。
「そろそろ……時間だ」
クリフが言った。
そして俺が捨てていた短剣に手を伸ばす。
「……クリフ」
俺は声を震わせる。
あいつはそのまま、短剣を自分の喉に近づけた。
「リュート。今、解放したら……お前もこうなる。だから、もう少し……ここにいろ。大丈夫だ。絶対に……いつか自由になれる。この、首輪には……計画には、欠陥が、ある」
確信を持った言葉だった。
俺は息をすることすらできなかった。
クリフが自分の喉を貫こうとしている。
俺は……止めようか悩んでいた。
彼が自分の望みでこうしていると分かったからだ。
俺だって死ねるなら今すぐにだって死にたいからだ。
しかしここで止めなければ永遠に後悔すると思った。
だから俺は彼の手を握って止めた。
「……だめだ」
クリフは黙り込む。
そして優しい声で語りかけてきた。
「俺は、お前と友だちになりたかった…………なれたかな?」
「……ずっと、友だちだよ」
「なら、友だちのまま、死にたい。頼む……」
「いやだ。まだ、なにか、」
方法があるはず。
と、言おうとした俺の前でクリフが無理やり腕を動かして喉を突いた。
とっさには止められなかった。
「クリフ……」
呆然とつぶやく。
傷口から黒い血が溢れだす。
「…………」
赤い瞳が、虚ろな様子で俺を見つめていた。
俺はもう何も考えられなかった。
クリフの手が弱々しく動く。
何度か自分の喉を貫く。
だが中々死ぬことができないようで、苦しんでいた。
「手は……出すな。こんなこと、お前に、やらせたく、ない……」
クリフが言った。
答えが出てこない。
やがて彼の瞳の輝きが強まって、苦しげな表情に凶暴な気配が混じり始めた。
「…………」
獣のような唸り声が聞こえた。
クリフは焦っているようだった。
傷つき、衰弱しているのもあり、堅い鱗を深く貫けないのだ。
「うっ……」
そう言ってクリフは力尽きる。
赤い瞳から理性が消えた。
多分、あと数秒もすれば魔物になっていただろう。
だがその前に、俺が刃を手にとって彼の胸に突き立てた。
「…………」
楽に、死ねただろうか。
怪物に変わろうとしていたクリフがため息を漏らす。
少しだけ悔しそうな声を漏らす。
「やらせたくないって……言っただろ。なんのために……俺が……こんな……」
そして最後に俺を見つめて、泣きそうな声でつぶやいた。
「……大馬鹿野郎が」
俺は何も答えなかった。
ただ、膝の上のクリフの死体の手を握っていた。