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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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八十話・魔物化実験(2)

 


 暗闇の中に俺はいた。

 一切の光がない棺の内側だ。

 どこかに穴が開いているのか空気の流れは感じる。

 息苦しさや暑さもあまりない。

 だが部屋自体が真っ暗なので、見える限りに塗りつぶされたような黒が満ちている。


「…………」


 音すらしない。

 自分の息づかいが聞こえる。

 しんとした棺の中で、俺はリリアナのことを考えていた。

 まさか離れ離れになって、そのまま知らない内に死ぬような別れ方をするとは思っていなかった。

 どう感情の整理をつけていいのか分からなかった。


「……リリアナ」


 俺はつぶやいた。

 そして目を閉じる。

 ハインツには殺してやると言った。

 でも今は復讐にすらこだわる気になれなかった。

 何もかも虚しいのだ。

 仲間の仇と口にする俺は、その仲間をも手にかけた悪魔だ。

 本当に苦しい。

 もう生きている意味を感じられない。

 ただひたすらに死を待つだけだ。


「…………」


 目を閉じていると、やがて不自然な眠気が湧き上がってくる。

 明らかに正常ではない感覚だった。

 時を置かず、引きずり込まれるように俺は眠りに落ちる。



 ―――



 夢を見た。

 悪い夢ではなかった。

 懐かしい、昔の思い出の夢だ。


 俺はリリアナと二人で歩いていた。

 ウォルターの誕生日の贈り物を探していたのだ。

 よく晴れた街で、市場の品物を見て回っている。

 あいつはにこにこ笑って、なにか楽しそうに俺に話しかけていた。



 ―――



 目が覚めた。

 やはり視界は真っ暗で、静かなのもそのままだ。


 どれくらい時間が経ったのかを考えていると、俺は体が痛むことに気がつく。

 埋め込まれた金属が原因だ。

 そこを中心にずきずきと痛みが広がる。

 手術痕が炎症を起こしているのか熱も帯びていた。


 また、ひどく喉が渇いているのにも気づく。

 俺はここからいつ出られるのだろう。


「誰かいないのか?」


 かすれた声で呼びかけた。

 返事はない。

 暗闇に一人でいると心細さを感じた。

 しかし同時に深い安心も感じる。

 ここで静かに朽ち果てていけるのなら、想像していたよりは悪くない死に方である気がする。


「…………」


 俺は、リリアナを思い出す。

 浮かぶのは別れる前の泣き顔だ。

 あの時、ちゃんと逃してやれなかったことを心の中で謝った。

 俺は結局何も守れなかった。


「また、会えるかな……?」


 つぶやいた。

 でも人が死ぬと魂は魔力に還る。

 もう会えないのはわかっていたが、それでも俺は会えると信じて死にたかった。

 そうでないのならなんの救いもない。


「…………」


 目を閉じる。

 やることはなにもないし、起きていると痛くて喉が渇く。

 苦しいことばかりだから眠りたい。


 何も考えないようにしていると、期待した通りに眠気が訪れる。

 さっきの夢の続きを見られたらいいのにと俺は思う。


 ―――



 再び眠りから目覚めた。

 今度は夢を見なかった。

 そして、もう眠気が訪れることもなかった。

 俺は起きたまま、とても長い時間を過ごした。


「…………」


 あれから何日過ぎたのだろう。

 俺はなにもせずに棺の中にいる。

 本当に長い間放置されている。


 しかしそれもどうでもいい。

 何もする気にならない。

 何も考える気力がない。

 空腹もなかった。


 だが、体の痛みはある。

 装置の周りが燃えるように熱い。

 喉の渇きも、もはや耐えがたいほどだった。


「水……」


 うなされるように呟きながら、俺は唇を噛み破る。

 すると血が出てきて少しだけ喉が湿る。

 一瞬だけ楽になる。


「喉が……渇いた……」


 小さくつぶやいたあと、止まるまで血を舐め続けた。

 しばらくこうしているが味が少し変わったように思う。

 最初より血の水分が減って、重たいような舌触りになった気がした。


「…………」


 そんな思考を打ち切って、俺はまた棺の中で長い時を過ごす。

 なにかを考えても決して現状は変わらない。

 渇きに耐えられず拘束具を壊そうとしたが、びくともせず無駄に体力を失っただけだ。


 その経験から、なにもしないのが正しいのだと痛感した。

 棺の中だけではない。

 なにかに逆らうことは無駄でしかない。

 未来が改善されることはありえない。


 俺はもうとっくに全てを諦めていた。

 暗闇の底で、死体のようにじっとして目を閉じるだけだ。



 ―――



 いつの間に眠れたのだろう。

 俺はまた夢を見ていた。


 どこでもない場所に俺はいる。

 真っ白い……いや、少しだけ黒ずんでいる白の世界だ。

 白に近い灰色と言うべきだろう。

 しかし明るく、あの黒い棺の中とは真逆に思えた。

 拘束もされていない。

 痛みも、喉の渇きもない。

 どこまでも続く空白の中に俺はいる。


「…………」


 黙って周囲を見回す。

 いつにも増して心が無力感に満たされていて、何もかもが面倒だった。

 白い実験体の服を着て立っている。

 不意に体に異変を感じて、俺は自分の手を見つめてみた。


「……?」


 するとすぐに違和感に気づいた。

 黒い汚れのようなものが、皮膚の上にいくつも現れていた。

 まるで肌の下に泥を流し込まれたような姿だった。


「魔物?」


 これは、怪物になる過程なのだろうか。

 目を細める。

 別にどうでもいいと思った。

 化け物になってこの実験場の誰かを襲おうが構わない。

 ハインツを喰い殺しでもしてくれたら、魔物に感謝してもいい。


「…………」


 ため息を吐いて俺は座り込む。

 何もやる気が起きない。

 膝を抱いて俯く。

 しばらくずっとそうしていた。

 目を閉じる。


 だが何かの気配を感じて俺は顔を上げた。

 目の前には、なんとも言い表せない……黒い影のようなものがいた。


「なんだよ、お前」


 細長い、ちょうど俺の身長くらいの高さの影だ。

 とはいえ人影には見えない。

 足も腕もその影にはなかった。

 ただぼやけた黒色が漂っているだけだ。


「…………」


 影からなにか、細長い触手のようなものが伸びてくる。

 数は五本だった。

 俺に触れようとしているらしい。

 立って身構えるが、目の前の影にはどうもそこまで危険を感じない。


 おそるおそる受け入れてみる。

 すると俺に触れた影が、体の表面に浮かび上がった泥を消し去っていく。

 全てではない。

 だが腕のあたりはもう普通に戻った。


「…………?」


 無力感が薄れて、少しだけ体が軽くなった気がした。

 また、気のせいか周囲の景色も灰色から白に近づいた気がする。

 これは何を意味するのだろう?


 俺はよくわからなくて、なんとなく頭をかこうとした。

 だがその時、動かした途端に腕がひび割れて、少し崩れてしまった。

 小さく声を上げる。


「えっ……」


 崩れたのはほんの少しだ。

 動かした腕の肉がわずかに欠けた程度。

 けがれは抜けたが、代わりに体が脆くなってしまったようだ。


「……お前、なにをしたんだ?」


 俺は語りかけた。

 だが何も答えない。

 影は最後に俺の左胸、心臓に触れた。


「失敗したのか?」


 やはり答えはない。

 そのまま、白い世界に溶けるように消えていく。

 すると、影が消えたのと同時に俺も意識を失った。



 ―――



 奇妙な夢を見た。

 目覚めた俺は、少しずつ衰弱し始めていた。


 もう時間の感覚すらない。

 気にする余裕もなかった。

 熱に浮かされ、棺の中で苦しんでいた。


「はぁっ……はぁっ……」


 荒い息を吐く。

 ひどい頭痛がする。

 汗が止まらず、埋め込まれた装置や両手、心臓を中心にしびれるような感覚が広がる。

 そして、なによりとにかく体が熱い。

 高熱に侵された体が意味もなく震える。

 頭がぼんやりして平衡感覚へいこうかんかくが狂う。

 揺れる船の中に押し込まれたような気分だ。


「なんなんだよ……」


 俺はつぶやく。

 叫びたいような気分だった。

 いつからか精神も安定を欠き始めている。


 少し前の俺の心は沈んで、なにもかもどうでもよくなっていた。

 だが今は違う。

 ハインツへの怒りやステラへの殺意、そういったものを何度も叫んだ。

 リリアナが死んだことが悲しくて泣いた。

 ケニーへの罪悪感に気が狂いそうになった。

 入れ代わり立ち代わり、なんの脈絡もなく大きな感情が湧き上がってくる。


「殺してやる!! 出せ!! 出せ!! ここから出せ!!!」


 拘束具を何度も引っ張る。

 すると脳が揺れて急激に気分が悪くなる。

 吐き気が胸までせり上がってくるが、必死に抑え込んでまた叫ぶ。


「なんで裏切った!! 信じてたのに……!! 俺はお前らにとって何なんだ!!! 俺をどうしたいんだよ!!!」


 叫びが止まらない。

 自分に痛みを与えたくなって唇を噛んだ。

 ここにいる間何度も繰り返したから、舌や唇がズタズタに引き裂かれている。

 血の味が広がった。

 俺は泣き始める。


「うっ……ううぅ……殺したくなかったんだ……殺したくなかったんだよ!!! 俺のせいじゃない!! 俺のせいじゃない!!!!」


 しばらくそのまま叫んでいた。

 元々限界まで渇いていた喉が潰れそうだった。

 いつものように唇の血で喉を湿らせる。

 一瞬だけ楽になったが、またすぐに渇く。

 かすれて、まともに声が出ない喉で俺は闇に語りかける。


「いるんだろ……誰か……そこで笑ってるんだろ……」


 睨みつけた。

 闇の中なのに不思議と物がよく見える気がした。

 棺の裏側、鉄に打たれたびょうや継ぎ目がかすかにわかる。

 異常なほど夜目が利くようになっている。


「リリアナに会わせてほしい……死体でもいい。ちゃんとお別れがしたい……」


 脈絡のない言葉が口をつく。

 今度は怒りを感じた。

 なぜ俺が、あんな奴らに頭を下げなければならないのだ。

 あいつらがリリアナを殺したのに。


「ふざけるな……殺してやる……俺は魔物になったんだ、もう……」


 そんなことを言う間もずっと感情が乱れていた。

 我を失う一方で、片隅に残った理性で自分への恐怖を感じている。

 明らかに正常ではないのがわかる。

 心がきしんでいくのがはっきりとわかる。

 体に埋め込まれた装置が熱い。


「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


 頭の中でなにかが切れた気がした。

 大声で叫ぶと喉が張り裂けるような痛みが走る。

 しかしそれ以外に感情をぶつける方法がなかった。

 体を縛る拘束具を引きちぎろうともがきながら、痛みに気を失うまで叫び続けていた。



 ―――



 気がつくと俺は星空の下に座っていた。

 孤児院の敷地の広場、小さい頃から訓練をしてきた場所だ。

 よく晴れて、星が明るい夜に俺はそこで座り込んでいた。

 風が涼しくてとてもいい日だった。


「…………」


 ふと隣を見るとリリアナがいた。

 俺のそばに座って、星明りの下で空を見上げている。

 なんとなくリボンの色を確認すると水色だった。

 俺は彼女に語りかける。


「幸せだった?」


 そんなことを聞くと、リリアナは驚いたように目を見開く。


「どうしてそんなこと聞くの?」


 答えられなくて、俺は黙って涙を流した。

 どうしてか泣けてしまって仕方がなかった。

 すると、あいつはちょっと優しい感じで笑って俺を抱き寄せた。


「幸せだよ」

「本当に?」

「うん……」


 リリアナがそっと背中を撫でてくれた。

 俺がおそるおそる背に手を回すと、触れ合った体から確かな体温を感じた。

 心の底から安堵して、俺はそのまま話を続ける。


「……嫌いだなんて言ってごめん」

「いいよ。……そんなこと言うわけないってわかってたもん」


 それも、ちゃんとわかっていたようだ。

 くすくすと微笑む様子に、俺はやっぱりかなわないと思った。


「ちゃんと逃してやれなくてごめんね」

「別に、そんなの謝ることじゃないでしょ? 銀貨はおバカね」


 しばらくそのまま寄り添っていた。

 だが急に胸が苦しくなる。

 まるで強迫観念のように、もう二度と離れたくないという気持ちがこみ上げてくる。

 だから俺は彼女に語りかけた。


「……置いていかないでほしい」


 上ずった声で、泣きながら言った。

 リリアナは優しく俺の背中を撫でている。

 何も言わない。


「俺も連れて行ってくれ」


 俺は小さな子供のように震えて、泣いて彼女にしがみつく。

 もう全てに疲れた。

 俺も一緒に死にたかった。


「…………」


 リリアナは何も言わない。

 だがそっと離れたあと、真っ直ぐに俺を見つめて笑った。


「いいよ」


 俺は、その言葉で全てを理解した。

 これが夢だとわかったのだ。

 本当のリリアナが今の言葉にうなずくはずがない。

 たとえ幻でも構わなかったが、気づいてしまえばそれはただの嘘でしかない。


「…………」


 何も言わず俺は目を閉じる。

 もうすぐ夢は終わるだろう。


 目が覚めたら、また地獄だ。



 ―――



 朦朧とした意識で俺は目覚める。

 熱がひどくなっているのがわかった。

 頭痛もますます悪化するばかりだ。

 装置の周りはもはや感覚がなくなり、心臓を中心に締め付けられるような痛みが走る。


 また、拘束を外そうともがいたせいか手足や背中の皮が剥がれているようだった。

 そのせいで痛みだけではなく強いかゆみもある。

 でも俺にはもう指一本動かすことができない。

 耐える、というよりは全て受け入れることしかできなかった。

 もう発狂しそうだった。


「はぁっ……はぁっ……」


 なんとか息を吸うと、今度は喉がひりひりと痛む。

 渇ききり、血がこびりついて、叫んだせいで裂けてしまった喉は呼吸するだけで激痛をもたらす。

 耐えられないほど痛い。

 息をしたくない。

 なのにどんどん呼吸が浅く、早くなっていく。

 まるで溺れた後のように俺は空気を求める。


「……助けて……誰か……先生……ぁ、がぁぁっ……シーナ、先生……」


 涙すらもう出てこなかった。

 弱々しい声で誰かに助けを求めたあと、俺は考えることをやめた。

 小さくうめきながら、暗闇の中にじっと横たわっていた。


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