七十八話・殺戮者
「出ろ、十番」
牢の外から声が聞こえた。
俺はここでは十番と呼ばれる家畜だった。
そう呼ばれるといつも無力で惨めな気持ちになる。
「…………」
幻聴かと思って身構えた。
だがどうやら本物の声のようだ。
ここにはハインツ以外の人間もいる。
兵士や魔術師のような姿をした奴らがいる。
こいつらもいつか殺すつもりだが、今は首輪が邪魔でそれができない。
「おい、出ろ。命令だぞ」
こいつらの言葉には逆らってはならない。
こいつらはハインツと同じように扱わなければならない。
危害を加えてもならない。
耳を塞ぐことも許されない。
聴力を失えば筆談を待つ。
目も潰れたならば治療されるまで何もしてはならない。
俺は家畜だから従うしかなかった。
すぐに身を起こし、牢の外に出る。
でも手枷も足枷もない。
もっと強固で趣味の悪い拘束が俺を縛っている。
外に出ると、そこには兵士が数人と魔術師らしい男が一人いる。
いつも通り殺しの時間だ。
「今日は何人いる?」
俺はつぶやいた。
だが返事はない。
俺は決めていた殺し方を確認することにした。
小さくつぶやきながら廊下を歩く。
すると、やがて声をかけられる。
「装備は?」
広場の入り口にさしかかるとそんなことを尋ねられた。
俺は答える。
「剣と、『炎』のメダル。あとは鎖を」
「それだけか? 分かった。だが使用後は返却しろ」
そんなやり取りのあと、俺には武器と触媒が与えられる。
大規模な魔術は禁じられているので『器』のルーンはなしだ。
最初は武器だけだったからしくじったが、魔術も使えるなら負けることはない。
敵は誰も魔術を使えないからだ。
一方的に殺すだけになる。
魔術師とそうでない者の間には、大人と子どもよりも大きな差があった。
「さぁ、行ってこい」
剣を腰に吊るし、左手に鎖を巻いて余ったぶんを引きずる。
支給されたポーチには『炎』のメダルだけを入れた。
「心臓を貫く……目を潰して、体のあちこちを刺して、最後に……」
手順を繰り返し復唱しながら、俺は目的地に足を踏み入れた。
血の匂いと汚れが残る土の広場だ。
薄赤い光が照らしている。
ここは地下なのだろうかと少し思う。
周囲には、貧弱な武器を持った黒ローブたちが構えていた。
数は十二人だ。
「これだけか……」
ため息を吐いた。
日に日に少なくなっている。
これでも多い方だ。
「……『炎剣』」
剣に炎をまとわせる。
これだけで白兵戦に負けはなくなる。
炎の刃は相手の防御を通り抜ける。
刀身をガードしても手の平を焼く。
どうあがいても俺に勝つことはできない。
一瞬で二人を斬り捨てる。
だが急所をわずかに外した。
じわじわと炎に苦しんでから死ぬことになる。
「どうした? あの時の威勢はどこに行った? ニーナを叩いてただろ、お前ら……」
よってたかって網に包んだニーナを殴りつけていたのを覚えている。
こんなにも弱い奴らが、彼女にこれ以上ないほどの侮辱を与えたという事実が許せない。
適度に数を減らしながら、俺は痛めつける相手を選んでいく。
今日は三人でいい。
俺が完全に管理できるのもそのくらいだ。
一人の胸を刺し、剣に流し込む魔力を増やす。
威力を強化するルーンはつけていないが、それでもこうすると少しだけ炎の勢いが増すのを知っていた。
「―――――――――ッ!!!」
焼かれて、声にならない叫びを上げる。
こいつらは死ぬ時だけ声を出す。
腹の底が復讐の喜びに震えた。
しかし、そこで敵が飛びかかってきた。
剣を刺しているので反撃ができないと思ったのだろう。
俺は攻撃を避け、短く持った鎖の分銅を当てて武器を叩き落とす。
無防備になったところでゆっくりと剣を抜き、そいつの脇腹を切り裂いた。
さらに崩れ落ちた体の首をはねる。
返り血を浴びながら戦いを続けた。
今日は大人も少しいたが、弱かったのでさっさと殺す。
「もう、三人か……」
そしてあっという間に敵が壊滅した。
あとは苦しませる時間だ。
首輪と同じくらいの苦痛を与えるにはどうすればいいのだろう?
「…………」
周囲を見る。
広場の壁のそばには、武器が立てかけられてある場所がいくつかある。
種類としては、終わった後に隠すことのできないような大振りな装備が多い。
これは万が一武器が壊れた場合に備えてあるのだろう。
その中から選んで槍を取った。
今日は槍だ。
ほどほどに済ませるなら遊びも許容される。
「…………!」
残りの黒ローブたちが息を呑んだのがわかった。
見ていられないような酷い構えだった。
俺は構えもせずに歩み寄って、前にいた一人の右目をいきなり潰した。
「…………っ!!」
叫び声を殺しているのが分かる。
なら我慢できる程度だったということだ。
舌打ちをしてもう片方の目も穂先で突く。
しかし手元が狂って殺してしまった。
深く頭部を貫かれて、その敵はもう死んでしまった。
「二人……」
体格からして男と女が一人ずつだ。
年齢も俺より少し上だろうが、でもそうは変わらない。
まずは男の方を捕まえることにする。
剣を振り上げてきたので、右肩を貫いてそれを止める。
さらに槍を引いて膝を貫く。
崩れ落ちたところで蹴り倒し、仰向けになった顔の目を慎重に潰した。
両方の目を奪った。
「お前らはエルマの腹を刺した。腹だけじゃない。足も、腕も……指も切れて落ちてたぞ。腸が……お前らは……」
目が潰れて、ろくに抵抗もできない敵を槍で刺す。
ある時は浅く、ある時は深く。
どこから来るかわからない痛みに、敵はひたすらに怯えて暴れていた。
踏みつけて押さえて刺し続ける。
すると泣き声のような悲鳴を上げ始めた。
背筋が震える。
エルマはもっと叫んでいた、まだ足りないということだ。
心臓を貫くのはまだだ。
ひぃひぃと情けなく泣いてもがく敵を見て、俺は乾いて引きつった笑い声を上げた。
「もうやめてよ!! 殺すなら殺しなさいよ!!! あんた一体なにがしたいのよ!!!!」
だが横から誰かの叫びが聞こえて、俺はぴたりと槍を止める。
しんと静まり返った広場には血まみれの男の泣き声だけが響いていた。
声の方に目を向けると、フードを外した黒ローブの女が肩を震わせて俺を睨んでいた。
「…………」
やめてよ?
そう言ったのか、こいつは。
怒りを感じる以前に、俺は疑問に思う。
こいつらは果たしてやめてくれただろうか?
俺の仲間が怯えて逃げ回っているのを見て、少しでも手を緩めてくれただろうか?
友だちを殺さないでと、泣き叫ぶリリアナに情けをかけただろうか?
助けてと訴えるエルマを見逃してくれただろうか?
いや、そんなことはなかった。
こいつらに俺を止める資格はない。
でも俺はこいつらとは違う。
「…………」
黙ったまま、踏みつけていた男の心臓を貫く。
望み通り終わりにしてやった。
次はあの女の番だ。
一歩踏み出すと、女は恐れたように退いた。
「あ、あんたなんかに……なにが分かるのよ」
俺を睨んだまま、女はそう言った。
俺は槍を構える。
目を潰す気はなかった。
見えるのに抵抗できない、というのを次は試すつもりだった。
見せつけるように鎖を鳴らす。
「あたしはただ! 生き残りたいだけなの!!」
女が泣き始めた。
俺は無視して距離を詰める。
逃げるように後ずさりながら、なおもそいつは俺に語りかけてくる。
声は恐怖に染まって、命乞いをするように震えて、口早に話していた。
「みんな言われてた、あんたを殺したらここから解放してもらえるって。勝てないのは分かってる。それでもやるしかなかった。あたしたちもずっと捕まってるの。あんたよりもずっと前から」
脅されて、仕方がなく戦っているということか?
だから許せと俺に言いたいのだろうか?
初めて怒りを感じて、俺は女を睨みつける。
「…………」
だって、こいつらには首輪がついていない。
逆らえたはずだ。
俺ならたとえ死ぬとしても逆らって戦う。
「黙れ」
「いやだ、黙らない。あんたに死んでもらわないと自由になれないの」
それからまた言葉を続ける。
泣いて、切実な声で訴えてくる。
「ねぇ、あんたらずっと幸せに暮らしてきたんでしょ?」
「お前らが……」
「だったら、ねぇ、いいじゃない。ねぇお願い! 死んで! 死んでよ! ねぇ、死んでよ死んでよ死んでよ!!!」
懇願の途中で、女は感情を露わにして泣き叫んでいた。
こんな敵に出会うのは初めてだった。
「いいでしょちょっとくらい!! あんたらずっと幸せだったんでしょ! あたしたちにはなんにもなかった!! あんたらの生活に使っていた金がどこから来てたかなんて考えたことある?」
まさかと思う。
確かにあの孤児院はとてつもない金がかかっていた気がする。
その疑問はいつも持っていた。
答えを女が口にする。
「あたしたちが稼いでたのよ!! 人殺しとか、売春とか、尊厳切り売りして、それでも使い捨てられて……そうやってひりだした汚い金であんたらは生きてきたの!! あたしたちに文句言う資格なんてないの!!」
悲痛な叫びを前に、俺は何も言えなかった。
俺たちがもらっていた小遣いは、商売だなんだと言って無邪気に集めていたものは、全て彼らの痛みだった。
「…………」
俺は、こいつらがなんなのかといつも考えていた。
物言わぬ不気味な敵、理由もなく俺たちに悪意を向けてくる敵、それくらいにしか思っていなかった。
憎しみをぶつけていいのだと思っていた。
だが本当は違った。
彼らもまた、俺たちを巻き込んでいる何かの一部だ。
ずっと前から、手足として働かされてきただけなのだと悟る。
「死んでよ、ねぇ……お願い……最後くらい外に出たいの、出してよ……お願いだから……死んでよ、死んで、死ねって…………」
激情に駆られたように叫んだあと、女は弱々しく泣いて崩れ落ちた。
俺は、いつの間にか槍を握る手が震えていることに気がつく。
「お、俺は……首輪をつけられてる。逆らえない」
「…………」
「お前を殺す。死にたくないなら……戦ってくれ」
それだけ言うのがやっとだった。
頭の中が混乱で満たされていた。
殺されてもいいと思ったが、わざと負けることは許されていない。
俺はもうあの痛みを味わいたくない。
女が立ち上がって剣を構えた。
肩を揺らし、泣きながら、息を荒くして俺を睨んでいる。
「なんにもいいことなんてなかった……」
「…………」
「あたしたちのことが、あんたなんかに、わかるもんか……」
そう言って、憎しみに満ちた表情で斬りかかってきた。
俺は後退して剣をかわし、同時に槍の先で首を引き裂く。
失血ですぐに死ぬだろう。
「この、悪魔っ……!」
血と涙に濡れた顔で本当に悔しそうに睨み、最後にそう言って女は倒れた。
俺はしばらくその場にたたずんでいた。
周囲を見回す。
死体の中に、年下の子どもが何人かいることに気がついた。
魔術も使えない小さな子どもだ。
彼らが、たとえ首輪がなかったとしても抗うために戦えるはずがない。
そんなことにようやく思い当たる。
だから俺は、彼女が言うとおり悪魔だったのだ。
呆然としていると、今殺した少女の死体から白い煙のようなものが伸びてきた。
俺の体に吸い込まれるようにそれは消えた。
左肩に奇妙な熱が残っている。
「…………」
異教における悪魔は、人の魂を奪うらしい。
それを何故か思い出した。