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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
182/250

七十三話・悪魔(1)

 


 ステラと、目の前の怪物が確かに名乗った。

 その時俺はなぜか悪寒を感じた。


「……どうしよう、増援まで来た」


 リリアナがつぶやいた。

 見ればステラの周りには黒ローブの敵が集まってきている。

 そして、それを確認した瞬間、俺の脳裏には少し前の記憶が蘇ってくる。


『ステラという女に出会ったら……逃げなさい』


 ようやく思い出せた。

 前に、黒ローブの少女から受けていた警告は、この女を示していた。

 俺は目を見開く。


「そうか、こいつが……」


 さらに記憶を手繰り寄せた。

 確か、遊んでいる内なら逃げられるというようなことを話していた気がする。

 俺はリリアナに全力で逃げるように伝えようと思った。

 明らかに、こいつは危険だ。


 だが、俺がなにか言う前にステラが語り始める。

 冷酷で、残忍さが滲む声だった。

 内容からして黒ローブたちに向けた発言だろう。


「聞こえるか? 役立たずのクソ虫ども。お前たちはこれから、私の指揮下に入る」


 言いながらもステラは味方を見もしなかった。

 ただ値踏みするように、ウォルターだけを見つめながら語りを続けた。


「もちろん返事はいらない。従わなければ射殺しゃさつするだけだ。これから……ああ、でもその前に。そういえば裏切り者がいたわね」


 そんな言葉のあと、三人の黒ローブたちが前に出てくる。

 二人が一人を拘束して、無理に連れ出しているように見えた。


「…………」


 何も言わず、ステラは連行されてきた一人の前に立つ。

 そしてひざまずいた裏切り者とやらが深く被っていたフードを払いのけた。

 するとひどく痛めつけられたその顔は……俺たちの任務についてきた、あの茶髪の少女だと分かった。


「私のことを話しただろう、お前は」


 ステラの左手が少女の頬を撫でる。

 少女は何度も首を横に振る。

 だが聞く耳すら持たずにくすくすと笑って、頬を撫でていた指先で彼女の目を抉った。

 絶叫が響く。


「報告は聞いているわ。どうして嘘をつくのかしら?」

「違い……ますっ……私は……!」

「いいえ、私は尋問ではなく執行のために呼んだの」


 なおも少女は弁解を続けようとした。

 しかしもう聞く気がないようだった。

 杖を振り上げて、微笑む。


「……おしゃべりはもう結構」


 必死に訴えかける少女の首を、ステラは杖の石突で勢いよく貫いた。

 杖の先は尖っているわけでもない。

 だから殴り破った……というような処刑だった。

 声も出せずに倒れる少女を見て、俺は思わず目を逸らす。


「ひどい……」


 リリアナがつぶやいた。

 泣きそうな顔をしている。

 俺は、我に返ってその彼女の肩を揺さぶった。


「リリアナ、逃げよう……!」


 そう言った瞬間、ステラの視線が俺に向いた気がした。

 だが構わず言葉を続ける。


「逃げよう! ここにいたら殺される!!」

「うん……」


 でも、どうやって?


 俺は内心で思う。

 リリアナも同じことを考えているだろう。

 あの怪物から逃げる方法なんてあるのか、と。


 そうして考えている内に、ステラは再び黒ローブたちへと語りかけていた。

 だがその言葉の内のいくらかは聞こえているのに意味が理解できなかった。


「さぁ、狩りを始めましょう。――――――――。聞こえる? お前たちにだけ届くようにしたわ」


 文脈からして、黒ローブの味方にだけ届くよう音に細工をしているのだろう。

 指揮のためだ。

 俺たちには作戦が伝わらないようにするためだ。


「…………」


 ステラが何かを話しているのがわかる。

 だがもう俺たちには聞こえない。

 あの化け物はこれから、部隊を手足のように動かすだろう。

 思い違わず、黒ローブたちが次々に林の木々に隠れて消えていく。

 ステラだけを残して去っていく。

 なにか準備を始めるつもりだ。


 統率が取れた動きに息を呑んだ、その時。


「おい。少し舐め過ぎだろ、お前」


 ステラの背後に誰か……フィンだ。

 次席の斥候のフィンが忍び寄っていた。

 ニーナの武器を受け取っていたのだろう。

 彼の手には曲剣が握られている。


 そしてステラの周囲にはもう誰もいない。


「魔術師の、指揮官が、一人で前線に来やがって。……クソが、殺してやるよ」


 奇襲の斬撃はかわされた。

 だが矢継ぎ早に連撃をしかける。

 リリアナが弱いから、彼は強さだけなら実質上の筆頭にあたる。


 この距離なら、そして魔術師が相手ならやれてもおかしくない。


「……一人で、私に勝つつもり?」


 ステラは次々に繰り出される刃を余裕を持ってかわしている。

 さらに幾人かの黒ローブがステラの護衛に戻ってきた。


「…………」


 だがそこで周囲から矢が飛んでくる。

 独断でさらに二人動いていたのだ。

 木々に隠れて、矢で増援を殺した。

 それを見て不敵に笑い、フィンはなおも攻撃を続ける。


「三人だ。それに、十秒あればもっと味方がくる。お前はもう終わりだ。判断を」

「……ええ、間違えたかもね」


 フィンの声を遮るように言った。

 そして微笑んだ瞬間、その姿が消える。


「なっ……」


 俺を含め、すでに援護に向かおうとしていた味方の足が止まる。

 ステラが消えた。

 だがすぐにまた現れて、俺たちは目を疑う。


「ここまで馬鹿なら……小細工はいらなかったかも。その意味で、判断を間違えたわ」


 ステラは離れた場所に移動していた。

 ほんの一瞬でだ。

 さらに、その横には頭の潰れた黒ローブの死体がある。


「…………」


 死体から武器を奪い、具合を確かめるように左手で軽く振る。

 ロングソードだった。

 フィンが語りかける。


「お前……なんでそいつを殺した」

「武器をよこせと言ったのに、二秒も待たせたもの。ねぇ、二秒ってすごく……長いと思わない?」


 やはり、笑っている。


「そんなことで仲間を殺すのか?」

「仲間なんていない。やめてよ、勘違いは」


 フィンが歯を食いしばるのが分かった。

 気にも留めずに、ステラは左手の剣に杖の先を触れさせた。


「裁きよ、御許みもとよりくだり、正敵せいてきへの道を走破したまえ。……『波』よ」


 初めて詠唱じみた言葉を口にした。

 手にした剣の前でルーンの光が走る。


「聖剣の似姿にすがたをここに。……『波』から『剣』へ」


 さらに詠唱を加える。

 すると、すでに完成していたルーンに『剣』の魔術のルーンが重なったように見えた。

 剣を構え、ステラが目を細める。


「二層魔術……『崩剣カリバー』」


 二層魔術にそうまじゅつ


 未知の技だった。

 発動の瞬間、ステラの剣から深紅の光がほとばしる。

 まるで噴火して溢れ出す溶岩のような激しさで火が暴れる。

 荒々しく、巨大な炎の奔流が刀身を飲み込んでいた。


「まずは、三人捕獲ね」


 鼻歌でも歌いそうな調子で言いながらステラが剣を振る。

 巨大な熱の刃はフィンには届かない。

 いや届かないはずだった。

 それだけの距離があった。


 だが剣が振られた軌道から炎の衝撃波が走り抜けた。

 一度振るだけで凄まじい威力の破壊が駆け巡る。

 木々を薙ぎ倒し、周囲に爆炎と地響きを撒き散らす。

 それが何度も繰り返されていた。


「なんなんだよ、これは……」


 魔術の余波から頭部を庇いながら、俺はなんとか目を開く。

 フィンの姿を確かめようとする。


 だが炎と煙に遮られて何も見えない。

 ただステラの笑い声だけが聞こえる。


「ふふふふっ……あははははは…………」


 そして全てが終わった時、そこには手足をいくつかずつ焼き切られた三人の仲間が転がっていた。

 剣から炎を消し、ステラはまるで玩具を捨てるかのように武器を投げ捨てる。

 味方を殺して奪った剣を捨てる。


 するとどこからか現れた黒ローブたちが、フィンたちの体を闇の中に引きずっていった。


「…………」


 みんな言葉を失っていた。

 何も言えなかった。

 今この瞬間理解した。


 あの化け物に、勝つことはできない。

 これまでの経験や価値観、それら全てをひっくり返すような……絶対的な力が目の前にあった。

 昨日までの俺を全て塗りつぶすような、強い絶望を纏って悪魔が立っていた。


「くすくす……」


 ステラが笑っている。

 沈黙の中で、声を絞り出したのはクリフだった。


「フィンは……俺の部隊の仲間だ」


 誰も答えられなかった。

 言葉が頭に入ってこない。

 絶望が思考を停止させていた。


「俺が助けに行く。だからあいつと戦う。その間に……お前らは逃げろ」

「だめよ! 一緒に逃げないと!!」


 リリアナが答えた。

 おそらく、クリフも諦めるしかないと頭では分かっている。

 逃げなければ全員殺されるからだ。


 しかし彼は首を横に振った。


「いや、俺はもう何度も逃げた。今度は戦う番だ」


 リリアナはなおも引き止めようとした。

 だがそこで、いつの間にか戻っていたニーナがクリフに言葉を投げる。


「兄さん、死にますよ」


 武器を持ち帰ってきていた。

 様子をうかがって隠れていたのだろうか。

 背負っていた荷物を投げ出して、まっすぐにクリフへと問いかける。


「分かってますよね? 助けるなんて無理ですよ」

「どうかな。まだ分かんねぇだろ」


 答えを聞いてニーナは悲しそうに俯いた。


 その二人の会話をよそに、俺は集めてきた武器を拾う。

 剣にした。

 どう転ぶとしても武器は必要になる。


「……私も、戦います」


 ぽつりと、ニーナがつぶやいた。

 表情からは悲壮な決意が伺える。


「…………」


 何も言えなかった。

 止めるべきなのか、一緒に行くべきなのか、自分がどうするべきなのかわからない。

 考える力が急速に消えていく。


 ただ、これまで大切にしていたものが音を立てて崩れていくのが分かった。

 不幸が今、俺の人生を壊そうとしている。

 それだけははっきりと分かった。


「兄さんを一人にはできない。それに、どちらにせよ……みんなが逃げるには……囮が必要ですから」


 悲しそうな声だった。

 ニーナはすべてを諦めたように言った。


 それを見てクリフが大きくため息を吐く。


「馬鹿。……お前は生きろ。じゃないと意味がないだろ」


 そう言って肩を抱き、ニーナの頭を撫でる。

 優しく笑って妹に触れていた。

 本当にかわいくて仕方がない、というように目を細めている。

 初めて見る表情だった。


「兄貴が妹を死なせたら、母さんにがっかりされる」

「……お兄ちゃん」


 お兄ちゃん、と呼んでニーナが泣く。

 クリフは撫でるのをやめて、その手で妹を強く突き飛ばした。

 ウォルターの方にだった。

 そして背を向ける。


「ウォルター、頼んだ。悪いがこのじゃじゃ馬を抑えられるのなんて……お前しかいない」


 彼の言葉になにかを感じたのだろう。

 ウォルターがニーナを強く抱く。

 そしてかつぎ上げて捕まえる。


 その間にクリフが走り出した。


「お兄ちゃん! 待って!!」

「…………」 

「待って! 待って!! やだ!! 離して!! ねぇ、待って!! 双子でしょ!! ちょっと先に生まれたくらいで兄貴ヅラしないでよ!! やだ! やだぁ!!」


 すさまじい勢いで暴れて、必死にニーナが兄を呼び止めようとする。

 彼は答えなかった。

 代わりに背を向けたまま、俺たちに向けて一言だけ言い残す。


「いいか? 俺は……()()を使う。逃げるなら今だぞ。さっさと走れ!!」


 奇跡。

 それを言葉通りにとるのなら、クリフはフィンを助けるつもりではなかった。

 それすら無理だと悟っていて、最初から時間を稼ぐために命を捨てるつもりだったのだ。


「逃げ……よう……」


 血の気が引いた顔でリリアナがそう言った。

 少しだけためらったあと俺はうなずく。

 そして全員が走り出す。

 クリフの決意を無駄にするわけにはいかなかった。


「…………」


 俺たちは逃げた。

 クリフを、フィンたちを、仲間を見捨てて逃げた。


 俺に奇跡は使えないから、クリフにしか足止めはできない。

 それに中位魔獣の時とは違う。

 全く勝てる希望がない敵だった。

 多分、これから何人も死ぬ。

 だから今俺たちにできることは、行くべきタイミングで一人ずつ犠牲になること。

 最後により多くの仲間を生かすことだけだ。


 そんな言い訳を必死で自分に言い聞かせる。

 でもやっぱりどうしても自分が許せないから、俺は逃げる途中、どこかで死ぬことを考え始めた。

 そうすると少しだけ楽になった。


「偉いわ。勇気を振り絞って一人で来たのね? くすくす……」


 逃げても逃げてもステラの声が聞こえる。

 耳元で聞こえ続ける。

 クリフが追い詰められていくのがわかる。


 玩具を手に入れてはしゃぐように、ステラは彼を弄んでいた。

 周囲には黒ローブの集団もいるようだった。


「へぇ、その魔術、『針』って言うの。面白いわ」


「傷つけすぎよ。まだ戦わせないと。こいつの魔術をもう少し見たい」


「事象を小規模に抑えつつも、貫通力を上げている。コンセプトは悪くない。……ルーンの形は……『縮小』の一部に『先鋭』の改変型かいへんけい……いや、他にもなにか混ぜているな」


「線の深さはこんなもの? 詠唱は……『小さく』『縮まれ』。いや、『研ぎ澄ませ』……これか」


「習得できた。これは私のにする。お前はもう使うな」


 そこで、なにかがあったのが分かった。

 クリフの叫びがかすかに聞こえた。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん!!」


 ニーナが狂ったように叫ぶ。

 俺は歯を食いしばった。

 憎しみと悔しさで頭がどうにかなりそうだった。


 さらに、声が聞こえる。


「それが奇跡ね? 見てみたい気もするけど……」




「でも今日はダメ。『キャンセル』よ。使わせないわ」




 それを最後に会話が途絶えた。

 キャンセル?

 魔術を、奇跡を消したのか?


「くすくす……」


 耳元で笑い声が聞こえた。

 その声が、明らかに一人のものではない。

 三人か、五人か……わからないが明らかに増えて重なっていく。

 不気味に重なった笑い声がずっとまとわりついて消えない。


「離して!! 離してよ!! あいつを殺してやる!!」


 ニーナが泣きながら叫んでいる。

 兄を奪われた彼女にとって、この笑い声はどのように響いているのだろうか。

 もう想像したくもなかった。


「――――殺す? いいでしょう。試してみる?」


 そして、俺たちの前にステラが現れる。

 崖沿いにずっと進んでいたはずなのに、さっきまでクリフと戦っていたあいつがどうやって先回りをしたのか。

 全く理解が追いつかない。



 だが現実として、進む先には悪魔が杖を構えて微笑んでいた。


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