七十二話・悪魔との邂逅
戦闘が続く。
状況は変わらない。
俺たちが圧倒的に優勢だ。
「…………」
もう火を放つように言われなくなり、俺はただ黙って敵が死んでいくのを見ていた。
しかし手が空いた他の仲間は、エルマたちから弓を取って攻撃に参加している。
何もできない俺をよそに、リリアナが次の指示を出していた。
「そろそろ敵が接近戦に切り替えてくるかも。でもちょうどいい。ウォルター、ひとり捕まえてきて。捕虜はそれで十分。ニーナちゃんは敵の死体から武器を漁ってきて。あとは……ああ、出る前に誰か二人に強化魔術を」
準備を済ませ、一切の異論なく二人が飛び出して行く。
もう敵は散々に崩れているし、彼らは俺達の中でも最強の兵士だ。
強化魔術があればナイフ一本でどうにでもなるだろう。
敵は、あの黒ローブたちは……正直大して強くない。
それは前の任務の時から薄々感じていたことだ。
「……銀貨」
ぽつりと、弱々しい声が聞こえた。
半ば呆然としていた俺は、その声に現実に引き戻される。
リリアナの声だった。
こちらに背を向けたまま、問いかけてきているのが分かった。
「ねぇ、わたしは……間違ってるかな?」
言いながらも彼女は敵を射っていた。
俺は、すぐには答えられなかった。
「…………」
仲間の矢が次々と敵を貫く。
炎の中、逃げ場すらなく倒れていく。
逃げようとすると炎の近くを通るように、つまり居場所がバレるように巧妙に仕掛けてあるのだ。
殲滅を見ていると言葉を失う。
人が死ぬのを見て歯を食いしばる。
『もしわたしやウォルターが間違えたら……助けてね』
ふと、昔そう言われたことを思い出した。
でも何も言えない。
息が震える。
黒ローブが次々と死んでいく。
かわいそうだ。
本当にかわいそうだ。
だが、皆殺しになった村の光景をぼんやりと思い出す。
俺はゆっくりと首を横に振った。
「……間違ってない」
殺さなければ殺される。
あっという間に何もかも奪われてしまう。
不幸は火のように広がって、一瞬ですべてを台無しにしてしまう。
根絶やしにしないといけないのはよく分かっていた。
だからもう一度強く言い切る。
「間違ってない」
「そっか」
リリアナが答えた。
一方で俺は、もしかしたら間違えているのかもしれないとも思った。
でも、そうだとしても殺さなければならないと思う。
故郷の末路が、死体が、まぶたの裏に焼き付いて、殺し尽くせと訴える。
多分、俺は村を追われた日に、あるいは親を殺された日に……もうどこか狂っていたのだろう。
だとすれば、リリアナはひどい見込み違いをしていた。
「……ごめんね、ひどいこと聞いて。なんだか責任を押し付けちゃったみたいだね」
泣きそうな声で彼女が謝る。
ひどいこと? 俺にはわからない。
だが今度は、明らかに泣いてしまった声で続けた。
「でも、不安になっちゃった。銀貨に……みんなに、ひどいことさせてるって……」
肩と声を震わせて泣いている。
それでようやく理解する。
リリアナは、自分がみんなに殺害を強いてしまったと思っている。
そして俺に許しを求めることで、その罪を押し付けたとも。
俺はまた何度も首を横に振った。
「リリアナ、あいつらは…………殺さないとだめだ」
声を絞り出した俺は、彼女の手が普通に動いていることに今さら気がついた。
リリアナは家族が好きなのだ。
らしくもない嘘をついて、ウォルターを引き止めてしまうほどに。
「だから間違ってない。それに、もしなにか間違えても……どんなに間違えても、それでもお前は大事な家族だ。それだけは絶対に変わらない」
目を見て言い切って、リリアナから弓を奪う。
俺があいつらを殺すつもりだった。
全てを背負わせたくなかったし、それに……いま俺は敵を殺したいと思っている。
生まれて初めて他人への殺意を感じていた。
「あ、銀貨……」
気圧されたかのように彼女は一歩退く。
涙に濡れた顔を見て、敵への殺意がさらに膨れ上がる。
平穏に生きていたいだけなのに、あいつらは俺の居場所を奪おうとした。
家族を泣かせてしまう。
許すことができないから殺そうと思った。
弓を引いて射殺す。
何人も殺した。
全員死ぬまで続けるつもりだった。
「リリアナ、いま戻った」
声がして、無心で矢を放っていた手を止める。
聞こえた方に目を向けると、ウォルターが戻ってきていた。
作戦どおり一人敵を捕獲して、どこから手に入れたのか剣まで持っている。
その彼に、一つ咳払いをしてリリアナが答えた。
「……ありがとう。テント用のロープがある。手が空いた仲間に引き渡して拘束しよう。あとでわたしが尋問する」
「ああ」
それから武器を持ってニーナも戻ってきた。
こちらは返り血に濡れている。
何人か殺してきたようだ。
「偵察も済ませました。奥にまだ敵が控えています。百人はいました」
「そんなに……」
「でも、不意をついて十二人は殺しました。武器も持ち帰っています」
こともなげに殺してきたと言って、ニーナは背負った背嚢に乱雑に収めていた武器を出した。
待機していた仲間が装備していく。
みんな夢の中にいるかのような、どこか虚ろな目をしていた。
だがそれでも、ここで弓を使う仲間が増えるのはありがたかった。
敵の本隊が出てきたら五人やそこらでは捌ききれない。
「…………」
血まみれのニーナと目が合う。
すると彼女は悲しげに、あるいは後ろめたそうに視線を逸らしてしまう。
それから背を向けて走り出す。
「もう少し、武器を集めてきます」
彼女の背を見送ったあと、俺はまたすぐに弓を引く。
百人もいるならまだまだ終わらない。
なにか考える暇はない。
ウォルターも小さくため息を吐いてどこかに歩いて行こうとする。
だが去る背中にリリアナが声をかけた。
それで彼は足を止める。
「……ごめんね」
「…………」
「手が動かないって……本当は嘘なの。ごめんね……こんなことに巻き込んで……」
消え入りそうな声だった。
ウォルターは多分、リリアナが嘘をつかなければすぐに孤児院を去っていただろう。
本来ならここで殺し合いに巻き込まれることもなかった。
だからそれを謝っている。
しかしウォルターは責めなかった。
「どうせしばらくは残るつもりだった。……少しだけ、心配で、名残惜しかったから」
振り返らず、ただ一言だけ言い残した。
そして敵の矢をかわして攻撃を仕掛けに行こうとした……その時。
彼は足を止めた。
俺もその原因に気がつく。
「……なんだ、あいつ」
小さくつぶやいた。
火に照らされた林の中に、黒ローブの敵が一人で立っているのに気づく。
まるで殺してくれと言わんばかりに、堂々と姿を晒しているのだ。
距離は五十メートルほど。矢が当らない距離じゃない。
「死ね」
低くつぶやいて矢を放つ。
他の仲間も同じように狙ったはずだ。
だが倒れなかった。
まるで悪い夢のように矢の軌道がねじ曲がってしまった。
「…………」
前に立つウォルターが剣を握り直す。
あの敵は、明らかに他とは違う存在感を放っていた。
深くフードを被っているから顔も何も見えはしないが。
「待って。ウォルター、ひとりで仕掛けちゃだめ」
リリアナが引き留める。
ウォルターが止まった。
指示を聞き入れたわけではなく、敵に威圧されて動けないように見える。
「……くすくす」
小さく、本当に小さく少女の笑い声が聞こえた気がした。
おそらく気のせいだろう。
こんな状況で誰が笑う。
「…………」
構わず再び弓を引くことにした。
今度は仲間が持ち込んだ魔道具の矢を使う。
逸らそうが意味はない。
力を込めて弓を引いたところで、今度は耳元で声が聞こえた。
「ねぇ、防御してね」
無邪気さすら感じる、美しく澄んだ声がささやいた。
反射的に振り返るが当然そばには誰もいない。
また幻聴?
俺は訝しむが、目の前の黒ローブがいつの間にか杖を握っていることに気がつく。
長く大きい、戦士ではなく純粋な魔術師が使う杖だ。
「……まずい」
血の気が引いた顔でリリアナが呟いた。
俺も同じ脅威を感じている。
魔力が膨れ上がっていくのだ。
目の前で、あの黒ローブを中心に。
これまで感じたことがないほどの規模の力が。
「全員で壁を作って。なんとかしのがないと……ここじゃ逃げられない」
崖に陣取ったことが災いした。
すぐには逃げられない。
攻撃を受けるしかない。
「『障壁』を使えない人はあいつに矢を放って。なんとか魔術を止めないと。ウォルターも退避して! 早く、こっちに!」
仲間が『障壁』の準備をする横で、俺は何度も敵に矢を放った。
中には魔術を使った者もいる。
だが一向に命中する気配がない。
魔道具の矢の爆発に巻き込まれてさえ、敵は無傷だった。
「……どういうことだ?」
俺は唇を噛む。
ありえないことだった。
防御のための魔術を使っている様子はないのに、なぜ俺たちの攻撃が当たらないのだろう。
「だめだ……来る……」
誰かが恐怖に染まった声で呟いた。
ハッとして見れば敵の頭上に大量の雷の『杭』のような魔術が形成されている。
数は十………いやもっとだ。
確実に二十以上はある。
「みんな伏せて!」
リリアナが叫んだのと同時、俺は転ぶようにして伏せていた。
それから一瞬のあとに敵の魔術が放たれる。
訪れた凄まじい地響きに歯を食いしばっていると、視界が真っ白に染まってさらに大きく地面が揺れた。
当然壁が耐えられるはずもない。
展開した『障壁』が一瞬で全て砕け散る音を聞いた。
なにが起こっているのかすらもうわからなかった。
幾度も幾度も地面が衝撃に震える。
「あら、外したかしら?」
楽しげに笑う声が耳元で聞こえた。
おそるおそる俺は視線を上げる。
すると、周囲の地面がひび割れて深くえぐられているのがわかった。
あの『杭』の数と同じくらい、たくさんの場所の地面が砕けている。
しかも単純な衝突ではなく、それぞれの地点で大きな爆発が起こったように見えた。
巻き込まれた木々はきれいに消し飛んで、炭のような残骸に成り果てている。
「……あいつ、途中で魔術を変えやがった」
誰かが……クリフが呟いた。
伏せたまま、声を震わせる彼に視線が集まる。
するとまるでひとりごとのように言葉を続けた。
「『天恵』の秘術から……別の魔術に変わった。地面に当てた瞬間だ。あいつはルーンを書き換えた」
いま口にした技術は、おとぎ話の中の伝説だ。
ルシス=テンペストという使徒、つまり『魔術師』が使えるとされる秘技の一つだ。
魔術のルーンを、別の魔術に書き換える。
たとえば氷の『杭』を放ち、杭が敵に砕かれたら破片を一瞬で『矢』に変えて敵を撃ち抜く……そんな話なら俺も知ってはいたが。
しかし目の前の敵は、『天恵』と、そう呼ばれる魔術を別の魔術に変えてみせたのだという。
おそらくはなにか、広域を爆破するような魔術に。
「よく知っている。でもまだほんのお遊びよ」
再び耳元からの声が聞こえた。
背筋が冷たくなる。
くすくすと笑いながら、黒ローブの少女は俺たちに歩み寄ってきた。
「…………」
それを誰も止めることができない。
今の攻撃を外した、というのも嘘だとわかっているからだ。
あれはわざと当てなかっただけ。
本気になれば全員を一瞬で殺せるような相手に、なにか仕掛けることなどできなかった。
「……『魔物化』」
そして、足を止めた瞬間。
黒ローブは詠唱とも違う、呪いのように耳に残る言葉を呟いた。
同時に、目の前の存在が決定的に変質するのがわかる。
泣きそうな声で誰かがうめくのが聞こえた。
あれは人間ではなく、もっと恐ろしいなにかだ。
「くすくす」
また笑う。
笑い声の数が増えて重なったような気がした。
だがすぐにまたひとりの声に戻る。
続けて少女の体から……黒い影のようなものが溢れ出す。
あれは、魔力か?
だとしたらどれだけの力を秘めている?
「…………」
生唾を飲み下す。
いつの間にか冷や汗が流れていたことに気がつく。
彼女の周囲には、薄くまとわりついた魔力が炎のように揺らめいている。
そして最後にひときわ強く、漆黒の力がほとばしった。
深くかぶったフードの奥で赤の光が二つ閃く。
「殺戮器官解放。……『飽和』」
その言葉と同時。
少女はするりとローブを脱ぎ捨てた。
白い裸体が月明かりの下に晒される。
「……!」
だが、その体は異形だった。
背格好は俺たちと同年代だろうか。
肋が浮くほどに肉が薄く、折れそうなくらいに華奢な体。
いっそ血管が透けそうなほど白い肌。
すらりと伸びた完璧な形の肢体。
彼女はおよそ衣服というものを何も身につけていない。
強いて言えば、ほっそりとした首に禍々しい気配をまとう首輪をかけているだけだ。
だからこそはっきりと異変が分かる。
一見美しくすらあるその体には、あちこちに裂け目のようなものが現れていた。
裂け目、いや。
「口……か?」
俺はつぶやく。
裂け目の大きさはそれぞれだった。
でも、一様に本物の口に比べれば大きい。
ふた回りかもう少し大きいのだが、どう見てもやはり口に見える。
裂け目の、いや真っ赤な唇の隙間には、太い舌が蠢いていた。
また、不自然なほど白い歯列も覗く。
全身に口をつけた怪物だ。
「見世物じゃないんだけど?」
少女は少し乱れた前髪を払って笑った。
敵だとわかっていても、思わず目を奪われるほど美しい仕草だった。
繊細に結われた長い青の髪。
ぞっとするような輝きを宿す赤い瞳。
顔立ちは鼻筋が通っていて、華やかな目鼻からはどこか高慢さが滲んでいるように見える。
しかしその高慢さすら、どこか人を惹きつけるような魅力に思える。
それだけの美しさが彼女にはあった。
しかしだからこそ、異形に蝕まれた体からはおぞましさと痛々しさを感じる。
「あなたは……なに?」
リリアナが問いかけた。
震える声の言葉に、少女はうっとりとした微笑みを浮かべる。
そして杖に寄りかかるように立って俺たちを見た。
「さぁ? でも、名前ならある。名乗りましょうか」
杖を握り直す。
背筋を伸ばして自信に溢れた様子で唇を吊り上げる。
さらに右手の杖の先を俺たちに向けて、少女は確かにそう名乗った。
「私は……私たちは、ステラ。ステラ=ガイスト」




