七十一話・襲撃
サボっていたことを叱られたあと、俺たちは三人で食事の準備を手伝うことになった。
というよりこき使われていた。
サボっていたからそこはみんな遠慮なしだ。
忙しく仕事が割り当てられる。
しかしリリアナだけは腕がまだ動かないからと、お仕置きを逃れてゆっくりと仕事をしている。
そんな彼女を横目に見ながら、俺とウォルターは荷物の箱を積んだものを簡単な調理台にして野菜を切っていた。
「あいつ、上手くやったよなぁ……」
俺は涙目で大量の玉ねぎを刻みながらぼやく。
すると同じく山盛りのキャベツを切っているウォルターがうなずいた。
「そうだな」
玉ねぎのせいで後から後から涙が出てくる。
どうせこれなら早く戻っていればよかったと、しょぼつく目をまたたかせながら俺は思った。
「おい、お前ら。馬車馬のように働けよ」
横から大量のじゃがいもを持ってきたやつがそう言ってきた。
終わるそばから仕事が増えていく。
もうすっかり夜で、焚き火の周りで休んでる奴らもいくらかいるのに。
「わかったよ……」
答えて、今度はナイフで芋の皮を剥き始めた。
洗った野菜の水分で手が滑るので、指を切らないように気をつける。
少しすると他の作業を終えたウォルターも加わってくれた。
「…………」
そうして忙しく作業を続けたあと、今度は調理も引き継いで鍋の番を始めることになった。
ウォルターと二人で鍋を見ながら、時々スープをすすって調味料を入れていく。
火加減は鍋を吊るす紐の長さを変えて、火との距離を変えることで調整している。
「味が薄くない?」
俺の言葉にウォルターは黙って首を横に振った。
しかし無視してこしょうを足そうとすると、あいつが俺の手を握って離さない。
「いや、入れたほうがいいって」
「…………」
「お前、バカ舌なんだから言うこと聞けよ……」
そうして押し問答を続けていたが、結局折れて味付けは彼に任せることにした。
これは俺をこき使ったみんなへの復讐でもある。
あいつらには薄味のスープを飲ませてやろう。
「そろそろかな」
鍋を見ながら他の調理を手伝ったりしつつ、もう良さそうな感じがしたので鍋を火から遠ざけた。
するとふらふらとクリフがこちらに歩いてくる。
「リュート、お前が作ったのか?」
鍋の前で立ち止まり、スープの匂いを嗅ぎながらそんなことを聞く。
だから俺は首を横に振った。
「違うよ、ウォルターだよ」
「ふーん……」
相槌を打ったクリフはお玉を手にとる。
そして止める間もなくスープを少しすすった。
「つまみ食いは駄目だ」
ウォルターが、特に駄目とは思っていなさそうに言った。
一応咎めた、というくらいの雰囲気だ。
しかしクリフは気にも留めずに首を傾げている。
「ん?」
彼の様子を見て俺は笑った。
「ほら、マズいんだ」
「…………」
ちょっとムッとした感じでウォルターが黙り込む。
クリフはやはりそれに何も言わず、ただ俺たちにひとこと言い残してこの場を立ち去る。
「おい、それもう飲むなよ。ここで待ってろ」
「えっ……」
なにかかなり真剣な様子に見えた。
そんなに酷い味だったのかとお玉に手を伸ばす。
でもウォルターに止められた。
「飲むなって言われたろ」
彼も真剣な顔をしていた。
だから俺はそこで初めてなにかあったのではないかと思い当たる。
「…………」
なるべくいつも通りを装いながらクリフの姿を探す。
中々見つからない。
だが仲間たちの動きに変化があるのがわかった。
「――――」
騒がしさは変わらない。
みんな笑って楽しそうに焚き火の周りに集まっている。
だが二人ずつ、毎回二人ずつで動いて荷物の場所に向かっていく。
そして戻ってきた時には持ってきた武器や触媒を携えているのがわかる。
最大限とりつくろってみんな備えている。
「敵襲?」
俺はつぶやいた。
だが敵とはなんだ?
仮に魔獣なら、もっと素早く動いて体勢を整えているはずだ。
「……なんなんだよ」
理解が追いつかない展開に、段々と不安が膨れ上がっていく。
本当に嫌な気分だった。
「おい、お前ら」
声をかけられた。
クリフだった。
目の前に立っていて、俺とウォルターにメダルを手渡した。
荷物から持ってきてくれたらしい。
「……ありがとう」
礼を言って彼の目を見る。
すると同じく真剣な表情で見返してきていた。
「毒が入ってた」
「鍋に?」
聞き返すと、無言でうなずく。
その事実に理解が追いつかない。
なぜ毒が入っているのか。
誰がそんなことをするというのだろう。
「多分、俺たちはハメられてるな」
クリフは冷静に結論を口にする。
だが俺は否定した。
「考えすぎだ」
「そうかな? でも、用心しないと。相当まずいことになってるかも」
そんなにひどい状況なのか? 今?
俺はひたすらに混乱しながら言葉を続ける。
「兵士さんたちが……守ってくれるはずじゃ……」
仮にまずい状況だとしても、俺たちには護衛の兵士さんがついている。
大人の戦士が味方にいるのだ。
反論、というよりは自分が安心したくて俺は口にした。
だがやはり彼は首を横に振る。
「それが、いつの間にやらいねぇぞ。先生もな」
「…………」
「殺されたか、それとも別の理由かは知らねぇが。とにかく警戒すべきだ」
さらにそこで別の誰かの声もする。
「馬も殺されてた。間違いなくなにかある」
気づけばみんな俺たちのまわりに集まっていた。
不安げな表情を浮かべている。
そしてその中からリリアナが歩み出て、輪の中心に収まった。
全員黙って彼女の言葉を待っている。
「みんな、とりあえず逃げよう」
「どこに?」
誰かの質問に答える。
「順当に行けば……王都よね」
「行けるかな?」
「難しいかも。まだ徒歩じゃ遠い。馬車も動かないなら……」
みんな声をひそめて話していた。
俺も含め不安で仕方がない様子の仲間も多いが、なんとかパニックには陥らずに話し合いができている。
「崖を使おう」
少ししてリリアナがそう言った。
崖と言えば……さっき王都を見た場所あたりか。
あの場所でどうすると言うのだろう。
彼女は言葉を続ける。
「ここは場所が悪い……。林の中で囲まれたら守りきれない」
それは確かにそうだ。
林を切り開いた先の広場に俺たちはいる。
ここで敵が隠れながら攻撃してきたらどうしようもない。
敵はいくらでも隠れられるし、俺たちは開けた場所にいるからだ。
対して、崖の場所に行けば背後を襲われることは少なくともなくなる。
「それに、わたしたちは魔術が使える。いざとなれば崖を降りて逃げられる」
身体強化魔術でも風の魔術でもいい。
俺たちの中のいくらかは落下のダメージを無効化できる手段を持っている。
だから協力すれば全員で逃げ伸びることも可能だ。
そうなれば追手を少しは引き離せる。
「だからそこに向かう。みんなで武器になりそうなものを持って行こう」
誰も反対をしなかった。
全員納得したと言うよりは、反論を考えるほどみんな頭が回っていないのだろう。
そうでなければここまですんなり話はまとまらない。
中位魔獣に遭遇した時の俺たちと同じだ。
あの時の経験がなければ、リリアナだって冷静には動けなかったはずだ。
そんなことを考えながら、俺は調理台からナイフを見つけてきてウォルターに渡す。
「……ウォルター、これを」
彼は何も言わず受け取った。
もう一本あったがそれはニーナに渡すつもりだった。
俺は強くないし、魔力が多いから最悪手ぶらでもいい。
仮に彼女がナイフを持っていたら俺が持つ。
「…………」
どこかからしゃくりあげる声が聞こえた。
みんな励まし合っているが、それでも不安でどうしていいのか分からないのだ。
前の任務での経験がある分、俺がしっかりしないといけない。
そう思いつつ胸に手を当てて呼吸を整えた。
するとちょうどリリアナが声をかけてくる。
「じゃあ……行こう」
集団を二つに分けて、片方はクランツくんが率いてもう片方をリリアナが先導する。
そうして走って崖を目指していると、周囲からかすかに人の足音が聞こえてくる。
俺たちとは別のもので、取り囲むように動いているのがわかる。
「なにか来てる!」
誰かが泣きそうな声で叫んだ。
不安が広がる前に、リリアナが大声で説き伏せにかかる。
「大丈夫! 今は暗いから移動してるあいだは狙えない!!」
夜闇に包まれ、木々の遮蔽が多い林の中だ。
足を取られず移動するのは難しいものの、そのぶん敵も上手く狙えない。
一応、俺たちは移動のために光の魔術で最低限の光源を確保してはいる。
でもそれだけで狙撃はできない。
「…………」
走りながら唇を噛んだ。
武器を持ってくるべきだったと後悔していた。
俺は、王都の周りは軍が駆除を徹底するので魔獣がほぼいないと聞いていた。
加えて護衛もいるから安心だと油断しきっていた。
任務の時、俺たちを殺そうとしていた勢力があることを聞いていたのに。
俺は本当に馬鹿だ。
「『障壁』を使える人は詠唱をはじめて。ついたらすぐに展開して陣地を作る」
はっきりとした声でリリアナが指示を出す。
続けて誰がどちらに壁を出すか、というようなことを決めてさらに進む。
何人かが指示に従って魔術を仕込み始めた。
そして、ちょうど完成したであろう頃に目的地が見えてきた。
木々の先に月明かりが見える。
もうすぐ林を抜けて崖にたどり着く。
「さぁ、使って。発動したら次の手順に移る」
到着と同時、リリアナがそう指示を出した。
不安のせいか一人失敗してしまうが、周囲を囲むように空気の壁が展開された。
そのまま崖を背に、林に向き合うようにして俺たちは立った。
すると木々の影から大量の矢が飛んでくる。
狙撃ではなく、集まったところを面制圧しようとする攻撃だった。
矢の数からして敵はかなり多い。
リリアナの指示がなければ一網打尽にされていた。
「弓を持っている人は?」
壁に叩き落された矢を見ながら、リリアナがそんなことを聞いた。
それで俺は思い当たる。
弓を持っている人はいても矢の数が足りていない。
これを敵の矢を拾うことで補うつもりなのだろう。
手を上げた面々を見て、あいつは何度かうなずいた。
「わかった。なら落ちてる矢を拾って弓を持ってる人に分配して。わたしにも少し……。でも、まだ使わずに待つこと」
壁の隙間から手早く矢を集めさせて、彼女はひとまず待つように言った。
そして次に魔術師を動かし始めた。
「誰か杖を持ってない?」
淡々と冷静に命令を下すから、みんな少しずつ落ち着いてきている。
ついていけば生き残れるような予感がし始めているのだ。
こういう時に頼れる指揮官がいることはやはり大きい。
「俺は持ってる」
「私も……」
答えたのは七人だ。
これだけの数の仲間が杖を持っている。
その事実にかすかに安心したような表情を浮かべ、リリアナは次の指示を出した。
「この中で今、『障壁』を維持してる人は?」
「…………」
「二人ね。なら残りの内の三人は炎の『矢』を準備して。壁を出してる人はそのまま維持。あとの二人は待機でお願い」
まだ攻撃は来ない。
『障壁』があること、さらに俺たちが矢を集めたのを見て敵はひとまず様子を見ているようだ。
作戦を練るなら今がチャンスだろう。
それをあいつも察しているのか、少し焦った様子で俺たちに視線を向ける。
「触媒を持っていない人はいる?」
ケニーと、あと……二人ほど名乗り出た。
リリアナは唇を引き結んで、今度は弓矢を持った仲間に声をかける。
「ねぇ! 『光』のメダルとか持ってる?」
彼女の問いにまた三人が答えた。
たとえ『光』の魔術が得意でなくても、俺くらい苦手でなければ照明やら応急処置で使えるから大抵は持っているのだ。
「ある」
「なら誰かケニー以外に貸してあげて。ケニーは『障壁』の交代要員として待機ね。それで……」
そこでリリアナは言葉を止める。
俺が『光』の魔術を使えないのを知っているからだ。
「銀貨は……火の『矢』の詠唱をお願い」
「わかった」
答えるとあいつは深くうなずいた。
そうして『光』のメダルを持った仲間に次の手順を明かす。
「じゃあみんなは強めの『灯光』をわたしたちの背後で使って」
「それは……」
なにかを悟ったような一人の言葉に彼女はうなずく。
俺ももう勘づいていた。
リリアナは本当にしたたかなやつだ。
「逆光を作る。敵はわたしたちを狙えなくなる」
つまり俺達の背後から強烈な光を発することで、敵はまぶしくて矢を当てにくくなるということだ。
逆に俺たちは手元が明るくなって動きやすくなるし、敵の姿を見つけやすくなる。
「ああ、そろそろ『矢』の詠唱は終わった?」
感心しつつも詠唱は進めていたのでもちろんもう終わってある。
命じられた全員が済ませていると答えると、あいつは林の中のいくつかのポイントを指差した。
「そことそこ、それから……あそこを狙って」
「待て、人がいるのか?」
厳しい口調で一人が問い返した。
「殺すのか? 魔術で……」
指し示した場所に人影は見えない。
だが暗いから分からないだけでもしかしたら人がいるかもしれない。
殺害への抵抗でとっさに声が出たのだろう。
「…………」
リリアナは、気持ちを落ち着かせるように深く呼吸をした。
そしてやはり冷静に言葉を続ける。
「人がいるかは知らない」
「じゃあ……殺さないのか?」
「殺すに決まってるでしょ。でも『矢』は……木に火をつけて敵の位置をあぶり出すために使う」
当然のことのように殺すと言った。
その言葉に周囲の空気が凍りついた。
構わずあいつは作戦の全容を語る。
「逆光で敵の狙撃を邪魔する。壁で防御する。林に火をつけて敵をあぶり出す。殺すのは弓矢を使う。わたしは最善の方法で……敵を皆殺しにする」
「…………」
「そんな顔しないで。みんな家族を殺されたからここにいるんでしょ?」
「…………っ」
「なのに何度も同じことを繰り返すの? ……わたしは嫌だな。みんなもそうでしょ?」
有無を言わさぬ様子で言い切った。
そして焼き払うべき最初のポイントを指差して、彼女は開戦の号令を口にする。
「さぁ、始めよう」
誰かが『矢』を飛ばした。
それが始まりだった。
俺も続く。
するとあちこちで木々に火がついて、まばらに、しかし効率よく明かりが散りばめられていくのがわかる。
これまで隠れていた敵の姿が見えた。
「また詠唱を開始して。次は退路を焼く。ここから逃さない。ポイントは追って指定」
「…………」
「そろそろ敵が見えるようになった。じゃあ弓矢を使おう。多分……敵の矢には毒が塗ってあるから。手を切らないようにね」
誰も答えない。
だが思考を停止したまま指示に従う。
凍りついたような目で、リリアナはじっと燃え盛る木々を見つめていた。
そして鬼気迫る表情のまま彼女は矢をつがえる。
だが。
「だめだ……できない。人を殺すなんて……」
弓を構えた誰かが泣きそうな声で叫ぶ。
同じようにエルマがすすり泣いているのがわかる。
「…………」
無視してリリアナは矢を放った。
命中して、燃え盛る炎のそばで敵が倒れるのがわかった。
続くように次席の斥候であるフィンが矢を放つ。
するとまた敵が倒れた。
それを見届けてリリアナが淡々と報告をする。
「北西、木の影に一人。フィン、お願い」
「ああ」
「わたしは東側を見る。矢が足りなくなったら他から借りて」
やがてもう一人、泣いていた仲間が立ち直って矢を放った。
だがリリアナはできないと言う者に無理強いはしなかった。
「そろそろ壁の枚数を減らして密集しよう。魔力を節約しないと。それから、次の『矢』が着火したら……」
ただ三人で報告を交わし、矢を放って、時折燃やすポイントなどを指示する。
そうして攻撃を繰り返していると敵は少しずつ倒れていく。
彼女の作戦の力だ。
まず逆光と壁で圧倒的に有利な状態を作った。
さらに炎を使い敵を分断して退路を断つ。
闇の中から姿もあぶり出す。
加えて、とどめが弓矢による攻撃だ。
これは接近戦を一切行わず、徹底的に優位に立って射殺するための戦術だった。
リソースの節約も考えているだろう。
『杭』などの殺すための魔術は消費が多い。
俺たちの何倍もいるかもしれない敵に対して使うのは効率が悪い。
だから魔力はあくまで有利な領域を作るのに使う。
さらに殺すのには魔力の消費がない弓矢を使い、消耗を最低限に抑えて敵を殲滅する。
彼女は非情に徹し、みんなで生きて逃げ切るための作戦を選んだのだ。
「…………」
矢が放たれるたび、敵が倒れていく。
明らかに死んだと分かる者もいれば、生死が分からない者もいた。
そして敵は……俺たちが出会ったあの黒ローブの少女に似た衣服をまとっていた。
「あいつら……やっぱり敵だったんだ」
ぼそりと、リリアナが低くつぶやいた。
聞いたことがないくらい怖い声だった。
俺は何も言えない。
静まり返った夜の崖際には、敵の悲鳴と冷たい指示の声だけが響いていた。