十七話・亀裂
賛美節の日からさらに一ヶ月が経ったが、それでも支門が見つかることはなかった。
「入ってもいいか?」
いつものように報告するため、アッシュはレイスの部屋を訪れていた。。
そしてドアをノックすると声が返ってきた。
「ああ、入ってくれ」
扉を開け部屋に入る。
机に座っているのは疲れ切った顔のレイスだった。
「昨日はどうだった?」
レイスがアッシュにお決まりの問いを投げる。
そしてアッシュはいつも通りの答えを返す。
「……駄目だった。見つからない」
「そう、か……」
その言葉を最後に執務室には沈黙が満ちる。
状況は、ここの所悪化の一途を辿っていた。
原因は難民の増加だ。
あちこちの村や街がちょうどあの祭りの直後にいくつも陥落して、そこの難民が大量にロデーヌに押しかけたのだ。
それにより貧民の増加、スラムの拡大、人口過密、いくつもの問題が急速に顕在化しつつある。
さらに、単純に村や街という生産単位が消滅したことによる物資不足もあった。
それらは今後も深刻さを増す見通しだった。
「こちらは、かなり悪い」
レイスが独り言のようにして暗く沈んだ声で言う。
「被害が増え続けている。近々、また派兵計画を縮小せねばならんかもしれん」
騎士団は防衛のために様々な街に兵士を派遣しているが、守りきれないと判断した場所からは兵を引く。
それは兵を無駄死にさせないためでもあり、他の街に兵力を回すことで少しでも防衛線を維持しようとするためでもあった。
「ああ、それから」
「?」
その口ぶりからして大して重要でもなさそうだが、レイスは何かを思い出したように声を漏らす。
「君は夜に危険地帯の周囲で魔獣を狩っているようだが、証明部位を狙って冒険者が死体漁りをしているらしい。ギルドの方から連絡があった」
「そうか」
冒険者とは小口の傭兵というか便利屋のようなもので、彼らは依頼されれば魔獣や魔物の討伐から探し物に届け物、果ては子守りまで何でもするのだという。
アッシュとしては特に何かを期待している訳でもないが、彼らは依頼を受けて……または依頼がない時にも報奨金目当てで魔獣を狩って生計を立てている。
まさか、倒した魔獣の死体漁りをしているとは思わなかったが。
「これからはなるべく惨く殺すようにする。他にはあるか?」
討伐証明部位……つまり報酬を受け取るための証拠がどこかは知らない。
が、ずたずたにして殺せば回収は不可能だろうと思ってのことだった。
あとは、他に対策が思いつかなかった。
しかし、レイスは眉をひそめて咎めるように言う。
「たとえ魔獣であっても死体は辱めるべきではない」
「分かった。では俺はこれから探索に行く」
「ああ、期待しているよ。……君に魔力の加護のあらんことを」
アッシュはその言葉を背に執務室を後にする。
そして騎士団の敷地を抜け街に出ると、一ヶ月前とは比べ物にならないほど街の活気が衰えているのが分かった。
道を歩く人たちは例外なく不安と疲れを纏っていて、ふと路地裏を覗き込めば座ったまま動かない痩せこけた難民の姿が見える。
あの祭りを開いた広場を通ると、ハーピィやオークの死体が吊るされている。
そして家族を奪われた人々が、ぐったりとした死骸に石を投げて泣いていた。
なにもかも、本当に変わってしまった。
「アッシュさん、お出かけですか?」
振り向くと、道端のベンチに座ったアリスがこちらに手を振っていた。
ヴェールが影を落とす瞳が、退屈そうな眼差しでアッシュを見ている。
「君はなにを?」
「最近疲れてるので気分転換にお散歩です。襲撃も増えて結構キツイですよ」
村や街が多く滅びたならば残りの場所に攻撃が集中するようになるのは当然だ。
元々多くの襲撃を意図的に引き受けていたロデーヌなら、なおさらだった。
その上夜襲も発生するようになっていて、今では街の人々は恐ろしくて眠ることもままならないのだという。
「いくらなんでも被害が増えすぎているな」
「被害と言えば、例の噂は聞きましたか?」
「噂?」
アッシュが聞き返すと、アリスは頷いて続ける。
「一部の難民が出元らしいですが。村に駐屯する兵士だけが夜の間に皆殺しにされていて、それでロデーヌに庇護を求めるしかなくなったとか」
「馬鹿な」
兵士だけを殺すような知恵は魔獣にはない。
兵士が死んだのならば村人たちだって殺される。
そういうものなのだ。
「私も馬鹿げてるとは思うんですがねぇ……。でもいくらなんでも難民さん増え過ぎですよね」
いまだ魔獣の骸に怒りをぶつけ続ける人々を横目に、アリスがそう言った。
「もしかすると、例の連続殺人事件が関係あったりとか」
実はロデーヌの人々の不安の種はもう一つあって、それがこの殺人事件だった。
もう八件目を数える現場には、必ず斬り刻まれた死体がある。
その被害者は、人ならざる力を感じさせるほど無惨に殺害されていたという。
「あの事件の犯人なら兵隊さんを全滅させるくらい訳なかったりして」
言いつつアリスがなにか意味ありげな視線を向けてくる。
だが、無感情な瞳で見つめ返した。
「俺じゃない」
その言葉にアリスは肩をすくめる。
「まぁ、心から私は信じてますけどね。そう思う人ばかりじゃないってことは覚えておいた方がいいですよ」
「……気をつけよう」
憲兵、というより神官の差し金だろうか。
とにかく嗅ぎ回られていることには気がついていた。
だからアッシュはアリスの忠告に頷いて、城門の方に歩きだす。
「探索ですか? 期待せずに待ってますよ」
背にアリスの声がかかる。
だがそれは無視して、アッシュは城門への道を行く。
―――
夕暮れの森で、アッシュは足を止めて大木に背を預ける。
座り込んでため息を漏らした。
「……クソが」
隅々まで探しているのだ。
草の根をかき分け、隠された洞窟や横道がないかを確かめる。
木の虚を覗き込み、湖の底までも探して探して支門を求めている。
アッシュは例の門衛を倒した場所……『狼の巣』の書き込みがある地域を徹底的に調査していたが、それでも見つからないのが現状だった。
門衛は支門の側にいて門を守るものだとばかり思っていたが、アッシュはなにか大きな勘違いをしているのかもしれなかった。
思えば、今回の事件はイレギュラーが多い。
門衛を撃破しても衰えない魔獣の勢い。
探しても見つからない門。
不穏な噂。
そして、人外の力を持つ者による殺人事件。
これらの要素は、なにか一つの答えを示しているのではないか?
いや、そもそもアッシュが倒したのは本当に門衛だったのか。
または、あるいは、本当に殺し切れていたのか。
そもそもそれ以前に、ベルムの森を探索することに意味がない可能性もある。
考えることは尽きないが、今の時点では答えが出る気もしない。
「…………」
それから捜索を再開するが、やがてもう随分日が暮れかけているのに気がつく。
だから朽ちかけた道や石柱を目印に森を進み帰路についた。
しかし森を抜けようとした頃、帰還をとりやめて立ち止まった。
今日は帰る気がしなかったのだ。
封印も夕食も、一度抜かしたくらいではそう差し支えもない。
今はとにかく焦りが強かった。
ただ魔獣を殺さなければならないと思う。
支門を見つけられないのならばせめて目に入る限りの敵は全て擦り潰す。
それしか今はできる気がしなかった。