六十八話・職員会議(4)
子どもたちが任務から帰ってきてから数日後。
みな寝静まった夜更けにまた職員会議が行われようとしていた。
しかし今日はまだセオドアとヴィクターしか集まっていない。
シーナはまだ集まりに姿を見せていなかった。
二人が先に来たというわけではなく、彼女が少し遅れているようだ。
「…………」
しんと静まった執務室でシーナを待ちながら、セオドアは顎に手を当てて小さな息を漏らす。
彼女が遅れてくるのは、これまで一度もなかったことだ。
「どう思う? ヴィクター」
「別に、どう思うもなにも。うたた寝でもしているのでしょうか」
にこにこと、人の良さそうな笑みを浮かべたまま問いかけに答えた。
セオドアもわずかに思案しつつ言葉を返す。
「まぁ、近頃少し……仕事が立て込んでいたからな」
それからまたしばらく待っていると、執務室のドアがノックされた。
「どうぞ」
セオドアが答えた。
するとドアが開いて、無言のままシーナが姿を見せた。
「…………」
彼女は入室した直後、部屋のいくつかの場所に油断なく視線を巡らせた。
また、剣を帯びてはいないが武器を持っている気がした。
やはり警戒されているのだとセオドアは勘づく。
多分、遅刻したのもこの場に罠がないかを探っていたのか。
用心深いものだと密かに感心する。
「すみません、少し遅れました」
頭を下げながらも無表情のシーナにセオドアが微笑む。
「いや、構わないよ。まぁ座りなさい。コーヒーでも淹れてあげようか。リリアナちゃんに奪……買われてない分がまだ……」
「いえ、夜分なので。私は結構です。ありがとうございます」
断られて、腰を浮かせたセオドアはまた座る。
「そうか。ヴィクター、君は?」
「僕は好きじゃないんですよ、アレ」
「飲まず嫌いじゃないか? ミルクなんか入れてみるとまた違う」
「いやいや。飲み物は水で十分ですよ、先生」
二人の会話のかたわら、シーナはヴィクターの向かいの席に着席した。
いつもの執務机からそれを見届けたセオドアが会議を始めようとする。
「じゃあ今日の話し合いを……」
だがその声をシーナが遮った。
「いえ、その前に。お話していただくことがあるはずです」
彼女の瞳はどこか物騒な光を宿していた。
それを見てセオドアはとぼけてみせる。
「なんの話かな?」
「中位魔獣の件です。下位魔獣の群れが標的だと、私は聞かされていました」
小さく頷いた。
今の言葉で用心の理由が分かった気がした。
「…………」
自分にだけ真実が伝えられていなかったから、切り捨てられることを危惧しているのか。
あるいはその逆、シーナの方がセオドアをどうにかするつもりなのか。
だから万全を期すために注意深く動いているのか。
後者も十分にあり得るとセオドアは思う。
彼女は子どもに入れ込んでいるから、今回のことには相当な怒りを抱いていてもおかしくない。
ウォルターやニーナがいたからどうにかなっただけで、中位魔獣に少年兵をあてるのは殺害とほぼ同義だ。
少なくとも、魔獣と実際に戦ってきたシーナの認識ではそういう理解になるはずだ。
「なぜ私に隠していたのか。そしてまだ隠していることがないか。お答えいただけますね?」
「わかった、答えよう」
存外にすんなりと話が運んで、シーナは少し肩透かしを食らったような顔になる。
だが気を取り直したようにすぐに表情を引き締めた。
セオドアはその顔を見て、今度は嘘で煙に巻くことはできないと分かった。
「…………」
どうやら、本当のことを話す時が来たらしい。
全てを知った上で同志になるかは彼女が決めることだ。
「まず、隠していた理由は一つだ。君が止めると思ったからだ」
「…………」
「そしてまだ隠していることがないか……だが、もちろんある。聞きたいかな?」
シーナは黙ってうなずいた。
とにかく話を進めるため、どうにか怒りを抑え込んでいるような顔だった。
「では語ろう。君は十分に働いた。聞く権利はある。まず一つ、あの子たちを私兵にするというのは嘘だ」
シーナが驚いたように目を見開く。
なにせ十年近く続けてきた仕事が嘘だと言われたのだ。
当たり前の反応だろう。
「魔術師の精鋭部隊……その程度で覆せるほど聖職者たちは甘くない。この国には魔術師など腐るほどいる。ロスタリアのようにはいかない」
ロスタリアでは、精鋭の魔術師たちの圧倒的な戦力が乱世を終わらせた。
これは有名な話だ。
しかしそれができたのは、ひとえに他の勢力に魔術師があまりいなかったからだ。
腐っても聖職者、ひいては魔術使いの国である聖教国では同じようにはいかない。
「そしてもう一つ、私は内乱を起こす気はない。聖職者と戦争をして……仮に勝ったところでどうなる? 弱ったところを魔獣に滅ぼされて終わりだ。そんな馬鹿な真似はしない」
セオドアの言葉を聞いて、シーナは唇を噛みしめる。
そして震える声で問い返した。
「では、全て……嘘だったと」
彼女は聖職者の圧政から民を救うためと、そんな理想を信じて殺人を繰り返してきた立場だ。
怒りはもっともだろうとセオドアは思う。
だがその目的は嘘ではないので首を横に振る。
「いや、聖職者は蹴落とすつもりだ。邪魔だしな」
「しかしどうやって?」
まさか政治闘争で勝てるわけもない。
血をもってしないのならどう力を奪うのか。
問い詰めてくる目をじっと見つめながら、セオドアは言葉を返す。
真顔のまま、まるで狂人のようなことを言う。
「勇者を造る」
勇者を、造る。
シーナはその言葉の意味がわからないようだった。
ひたすらに困惑したように眉をひそめている。
だからセオドアは言葉を続けた。
「正確には勇者に近い力を持つ兵士を生み出す、ということだ。私はその力で聖職者を追い落とす。もちろん魔獣も滅ぼすし、民衆も救う。私の望みは戦争の終わりだ」
勇者は神に次ぐ神聖な存在で、なおかつ絶対的な力の象徴だ。
だからこそ造るという発言に理解が追いつかないのだろう。
いまだ混乱したような表情のまま、彼女は小さく問い返してきた。
「……あの子たちが、その候補?」
「そうだが、全員ではない。三人だけだ」
「…………」
「ウォルターくん、ニーナちゃん、それから……他の孤児院からステラという少女。今は彼らが計画の中心にいる。これまで子どもたちを育ててきたのは、その候補を選ぶためだ」
シーナはしばらく沈黙を守る。
一つ一つ自分の中で情報を整理していく。
まず、私兵団を作るというのは嘘。
本来の目的は強化兵士を造ること。
孤児院での軍事訓練は素体の選別のために行ったことだった。
今は候補が確定し、候補のうち二人は自分の教え子である。
「…………」
今、彼女の中には不安があった。
人間が勇者と呼ぶに値する強さを持つことは不可能だからだ。
なにか恐ろしい禁忌を犯そうとしているような予感があった。
……それに、子どもたちが聖職者を討つための私兵団ではないというのならだ。
許されぬ非道を行うからこそ、あらゆる手段でこの孤児院が隠されてきたのではないかと思い当たったのだ。
「それだけの力を……得る方法とは?」
彼女の問いにセオドアは黙り込んだ。
三人の間を沈黙が満たす。
誰も何も言わないまま時間が過ぎる。
「…………」
しんと静まった部屋で。
セオドアは深く息を吐いた。
そして観念したように目を閉じると、ヴィクターに全てを話すように言いつける。
「ヴィクター、教えてやりなさい」
「……はい」
これまで一言とて発さなかったヴィクターが口を開いた。
そして指示の通りに語り始める。
まるで同じ話を何度も繰り返し語ってきたかのような、滑らかで自然な口ぶりだった。
「人造勇者は、二千人の生贄で作る。手順としては、まず候補に生贄の魂を取り込ませて強い人間を生み出す。次にその強い人間を魔物にする。人間としての力が強いほど、魔物の力で狂わないことが分かっているから」
シーナが表情を凍らせる。
その瞳からは感情が消え、ただ衝撃と絶望だけが色濃く見える。
気にも留めずヴィクターは淡々と言葉を続ける。
「そして候補をそれぞれ魔物に変えて、総合的に見てもっとも成功した素体が人造勇者になる。でも予定では、多分……ステラが選ばれる。彼女が完璧な魔物になれるように環境を整えていくからね。よほど欠陥がない限り、他はあくまでスペアだよ」
シーナは異常だと感じた。
背骨が凍りついたような寒気が走る。
目の前で、明日の予定でも読み上げるような声で……子どもの尊厳を弄ぶ計画を語っているのは誰だ?
今日までにこやかに子どもの成長を見守ってきたのは別人なのだろうか?
「…………」
セオドアへの疑念はあった。
だがヴィクターへの信頼も音を立てて崩れていく。
今の言葉を信じたくないという気持ちと、底なしの嫌悪感が入り混じって彼女は声も出せなくなっていた。
「人造勇者の設計要件はなにより人間を超越すること。そして長期運用可能な安定性と成長性。最初は上位魔獣にも勝てないだろうけど……人の命を取り込み続ければ魔王だって倒せるようになるかもね。これは全部僕のお父様が発案したんだ。すごいだろう?」
ヴィクターは最後に嬉しそうに微笑んだ。
小さな子どもが純粋に父親の偉業を誇るような笑みだった。
シーナは、それを見て彼の本性はこちらだと結論づける。
さらにセオドアはおぞましい計画を全て承知している。
「…………」
つまり、この場にいるのは敵だけだ。
ならば為すべきことは一つ。
覚悟を決めて、シーナは一度だけため息を吐く。
そして二人の顔を正面から見据えた。
「あなたがたにとって、子どもたちはなんですか?」
彼女の問いにヴィクターはなにも答えなかった。
虚をつかれたような顔でこちらを見ている。
だがセオドアは答えた。
「かわいい教え子だ」
「実験体の間違いでは?」
「だからこそだよ。せめて幸せな人生を送らせてやりたかった。注いだ愛は本物だよ」
その言葉を聞いて、シーナはめまいがするような気持ちがした。
彼らは欠落している。
すでに二人とも狂っている。
そのことにずっと気づかなかった。
いや、それを言うなら人殺しの自分も狂っているのか。
だから気がつけなかったのかもしれない、そう思って彼女は唇を噛む。
「…………」
そんな様子をよそに、セオドアはさらに言葉を続けた。
心から苦しんでいるような表情だった。
今にも涙でも流し始めそうなほど。
「本当に愛していたんだ。だって実際、おこづかいをあげたりする必要はないだろう? 平和のための犠牲になる彼らには、最後まで豊かな日々を送ってほしかった」
「…………」
「孤児院の育成方針はそれぞれ独自に決めていてね。中には殺し合いまがいのことを繰り返させていた院もあるらしい。だが私は、子どもたちを大切にしようと思った」
「……っ」
「せめてもの償いだ。金はかかったが後悔はしていない。だから君は本当にいい仕事をしてくれた。君のおかげで子どもたちは幸せだった。いい人生を送れた。みんな、君を本当の母のように……」
聞けたのはそこまでだった。
ほぼ反射的に、シーナは怒声をあげて言葉を遮っていた。
「もう聞きたくない! お前たちは……」
人間ではない。
そう言おうとしたシーナは言葉を詰まらせた。
人殺しの自分がそんなことを言っていいとは思えなかったからだ。
大義のもとに多くの人間を殺し、あまつさえ戦争を起こそうとする企みに加担していた彼女に正義はない。
もし戦争が起これば、人造勇者の生贄……二千人よりも多くの人が死んでいただろう。
だから本来なら他人を糾弾する資格などないのだ。
なのに、それを分かっていながらこうしてセオドアを責めるのは……ただ子どもたちがかわいいからだ。
結局、シーナは自分の都合や感情で立場を変えているだけにすぎなかった。
「…………」
すべてを自覚し、行き場を失った言葉は涙に変わる。
頬に涙を伝わせながら、シーナは震える声で決別を告げた。
「これ以上あなたには従えない。なにもかも嘘、嘘、嘘……それに、人の命を道具かなにかだと思っている」
「……道具ではない。犠牲だ。未来のための、尊い犠牲だ」
「いいえ。あなたのような人間に……未来など見えるはずがない。もううんざりです。私は、軍人をやめます。家にも二度と帰りません」
シーナはセオドアに対して話していた。
だからヴィクターはひっそりと、気づかれないように部屋の隅に目配せを送った。
「あなたがたは、狂っている。しかし私も同じだ。ようやく気づきました。私は、自分の望みのために人を殺してきた。戦争を起こそうとした。……家の再興だなんて、くだらないことのために他人を犠牲にしてきた罪人です」
「では、これからどう生きる? 殺人犯として処刑してやってもいいが」
冷たく投げられたセオドアの問いに、シーナは息を呑む。
そして決意を固めるような間をおいて、ゆっくりと言葉を返す。
肩を落とし、全てに疲れたような様子だった。
「……私は、もう生きている権利のない人間です。殺されても構いません。ですが……私には子どもたちがいる」
「…………」
「あの子たちは、我々に命を預けています。『先生が言うなら』と……そう言って笑って危険な任務にも行ってくれました。こんな私を……信用してくれたんです」
「だから?」
そこで、シーナからうちひしがれたような気配が消える。
鋭い視線でセオドアをまっすぐに見返した。
「だから私も……彼らのために命を懸ける。これから……私は聖職者に情報を売ります。そして子どもたちと静かに暮らす。いつかあの子たちが巣立ったら……私は自分で罪の始末をつける」
「させるわけがない」
「ええ、そうでしょうね。……よく分かっています」
言い終わった瞬間、シーナは動こうとした。
それから二秒もあれば短剣を抜いてヴィクターに斬りつける……と見せかけてセオドアに毒の針を飛ばして殺せていたはずだった。
「うっ……」
だがそうはならなかった。
彼女は椅子から立ち上がることすらできなかった。
なにか見えない、強い力で押さえつけられたように体が動かなかった。
身じろぎすら、できない。
「……くすくす」
背後からほくそ笑む声が聞こえる。
鈴を転がすような少女の声だった。
孤児院の子供ではないだろう。
それに、これまで全く存在に気が付かなかった。
当然だが今振り返ることもできない。
「残念だよ」
セオドアが本当に残念がるように言った。
いつの間にか執務机から立ち、ヴィクターが座るシーナの正面の長椅子に並んで腰掛けていた。
「私は部下として、君を気に入っていたんだがね」
シーナは言葉を返そうと思ったが、喉から音が出てこない。
そこで魔術だと気がつく。
何が起こっているのかはわからないが、動けないのも声が消えるのも魔術による現象だ。
気づいたところでなにもできず、無力化されたシーナを前に。
セオドアとヴィクターは彼女をどうするかを話し合い始める。
「院長先生、シーナをどうしますか?」
「投獄だな。私が権力を握ったら出してやろう。家の再興の約束は……もう果たすことはないだろうが。殺すことはない。彼女は役に立ってくれた」
「なるほど。ですが、ここは僕に任せてくれませんか?」
どこか馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、ヴィクターはシーナを見ていた。
それにセオドアは首を横に振る。
「いや。ヴィクター、君は殺すだろう」
「殺すかもしれないだけです。まだまだ実験体は必要だ。彼女は孤児院に来た時点で戦死扱いに偽装してある。足がつかない素材です」
「だめだ」
「大義のためですよ。実験体のストックは多いほうがいい。計画がここまでくればもう仕切り直しはできない。調達のリスクも無視できないんです。使えるものは使わないと」
ヴィクターがそれらしい理屈を説く。
するとセオドアはしばらく考えたあと、頭をかいてため息を吐いた。
「ならまぁ……仕方ないな。うん、それなら……君の好きにすればいい」
悲しげに目を伏せて許可を出す。
するとヴィクターは薄く微笑みを浮かべ、シーナを拘束する魔術師に言葉をかけた。
「じゃあ……命令だ。『この女を眠らせて近くの拠点に運べ。誰にも見られないように』」
その魔術師の背格好は、まだ子どもだった。
黒いローブを纏い、同じく黒のフードを目深に被っている。
そしてシーナが座る椅子の後ろにまるで影のように立ち尽くしていた。
だが命令を受けてすぐに動き出す。
短い杖を取り出し、その先をシーナの額に軽く触れさせる。
「――――」
加えて聞き取れないようなか細い声で、詠唱めいた言葉を口にした。
するとそれだけでシーナの意識は奪われてしまった。
「――――」
また詠唱めいた言葉を口にし、今度はぐったりと眠り込んだ大人の体を軽々と担ぐ。
恐らくは身体強化だろうか。
ともかく何も言わず、魔術師は窓を開けてそこからするりと姿を消す。
誰にも見られるなと言われたからだ。
「……ふむ」
その後ろ姿を見送り、セオドアは小さく声を上げた。
ヴィクターは特に気にも留めず、彼が必要だと思ったことを口にする。
「シーナが大声を出していましたが、あれはきちんと魔術で消してくれたようですよ」
「そうなのか? 大したものだな」
「ええ、本当に」
そんな会話のあと、セオドアは小さく嘆息した。
「シーナは……悪い人間ではない。あまり苦しませるなよ」
「ああ、はい。善処します」
「彼女は我々のために働いてくれた」
「ええ、分かります」
ヴィクターがうなずいたのを見届けて、セオドアはまたしばらく沈痛な面持ちで俯く。
だがやがて、彼はなにか思い当たったように声を上げる。
「そういえば……第一候補はステラだと、さっき言っていなかったか?」
「言いましたね」
予定ではステラが選ばれる。
彼女が完璧な魔物になれるように環境を整える。
そういったことをヴィクターは確かに口にした。
「なぜだ? ウォルターくんじゃないのか? 予定が変わったのか?」
「変わってませんよ。第一の素体はウォルターくんです」
「では、なぜ?」
そう問われたところで、ヴィクターはくつくつと声を上げて笑った。
本当におかしそうに笑い声を漏らしたのだ。
「いえ、ほら、本人が聞いていたので。……嫉妬深いんですよ、彼女」
魔術師が、いや……ステラが消えた窓を見つめながらヴィクターは口にした。
「計画も大詰めです。重要な素体ではありますが、彼女は優秀ですから。シーナが抜けた分も実働部隊としても動いてもらわないと」
「だから、ご機嫌取りか?」
「そうですね。ウォルターくんの捕獲も彼女に任せるつもりです」
ウォルターの捕獲。
そう聞いてセオドアは息を呑む。
「……できるか?」
正直、彼を捕まえるのは軍を出さなければ難しい。
それどころか、たとえ軍を出しても彼が生き残るだけならどうにでもなってしまう可能性があった。
中位魔獣を素で圧倒する存在を捕らえるというのはそういうことだ。
一応セオドアは人質を取るつもりでいたが、それでも確実とは言い切れない。
ステラはウォルターよりも戦士として劣ると言われていたので、捕まえることができるのかは疑問だった。
だが、ヴィクターは自信をにじませた表情で深く頷いてみせる。
「ご心配なく。彼女には力を与えるつもりです」
「力?」
「はい。しかしそれは、お楽しみということで」
楽しげな笑みを残し、ヴィクターは椅子から腰を上げる。
どうやら部屋を出るようだ。
「そろそろ失礼します。あと最後に聞きますが、子どもたちには? どう誤魔化します?」
去り際、ヴィクターが尋ねたのはシーナのことだ。
彼女が消えたことをどう誤魔化すかという話だろう。
それにセオドアは頭を悩ませる。
だが答えは出なかったので、何度目かのため息を漏らした。
「私がなんとかしておく」
「なるほど? ですが口裏は合わせたいので、できるだけ早く教えて下さいよ」
そう言ってヴィクターは執務室を後にする。
彼の悲願……父親が残した計画の実現が近いからだろうか。
立ち去る足取りはどこか弾んでいた。
「では、おやすみなさい。院長先生」
彼の姿を見て、何を思ったかセオドアは頭をかいた。
しかし特に何も言わずに見送った。
暗い廊下に出る前に『灯光』の魔術を使い、ヴィクターは寝静まった孤児院の闇に消えていく。
「……おやすみ、ヴィクター」
一人残されたセオドアは静かに席を立ち、ステラが去った窓を閉ざす。
そしてふと窓ガラスに映った自分の顔を見る。
疲れた表情をしていた。
多分本当に疲れているのだろう。
なにしろ戦争を終わらせるためにずっと必死に働いてきたのだ。
「…………」
何年も前、セオドアは父の代からの古い部下に聞いたことがある。
領内に支門が現れた時だった。
なぜ自分は領民を守れないのか、そしてなぜ兵士たちはずっと苦しんでいるのかと聞いた。
彼は戦争のせいだと言った。
その彼も派兵先で、通りすがりの上位魔獣に踏みにじられて屍の山の一つになった。
彼だけではなく初陣だった彼の息子も死んだ。
派兵は、上位魔獣の進路を教皇の弟の領地から逸らすためのものであったと、聞いたのは全てが終わった後だった。
それも戦争のせい。
「…………」
だというのに、戦争を終わらせる勇者は来ない。
「早く、戦争が終わるといいな……」
セオドアはそう、疲れ切った鏡像を見ながら小さく呟いた。




