六十七話・幸せ(4)
日が傾き始めたので、ニーナと二人で食堂に戻ることにした。
するともう夕食の頃合いだから人がたくさん集まっていた。
がやがやと騒がしい中を歩きながら、俺はリリアナたちの姿を探す。
多分二人も来ているはずだ。
「あ、いた」
予想通り、あまり待たずに見つけることができた。
机の配置も元に戻って二人はいつもの席に並んで座っている。
なのでその向かいに座ると、ニーナは俺の横の席に手をかけた。
そして、わずかに緊張した様子で同席の許可を求める。
「あの、ご一緒しても……?」
「うん、いいよ」
リリアナが答えて、ウォルターも異論ない様子で頷いた。
二人は快く迎えてくれるようだ。
すると彼女は嬉しそうに椅子に座る。
そんな様子を見て、リリアナがちょっと目を細めた。
「聞かなくていいよ。みんなで戦った仲間じゃない。……ニーナちゃんは治療もしてくれたしね。あ、じゃあ命の恩人か」
「そんな……私、なにしていいのか分からなくなって……ウォルターさんの方がずっと……」
もごもごとなにか謙遜するニーナにみんな笑う。
遠慮しなくていいとは伝えたが、謙虚なのは性分のようだ。
ともかく少し笑ったあと、主にリリアナとニーナの間で楽しそうに会話が続く。
「ニーナちゃん。今度お出かけの時、一緒にお洋服見に行こうよ。ほら、二人はそういうのわかんないからさ」
「私も分からないかもしれません」
「いやいや、いてくれるだけでもいいんだよ。わたしに合わないのも似合うだろうし……参考になりそうなんだよね」
そのまま和気あいあいとお洋服の話で盛り上がっている。
俺はリリアナとはあまりこういう話をできない。
エルマとか、他の女の子と話すときはこうして楽しんでいるのだろうか。
「………」
遠慮がちに席についたニーナだが、逆に俺とウォルターが話題の外に取り残されてしまった。
たまに会話に入ろうとするが、おしゃれ用語が全くわからなくて上手くいかない。
なので同じく困っているであろうウォルターに話しかける。
「お前はおしゃれとかする?」
「もちろんしてる」
「ほんと?」
即答だった。
答えもすごく意外だったので目を丸くした。
すると彼は少し胸を張って答える。
「嘘じゃない。髪だって整えてるし……服だって清潔にしてるつもりだ」
俺は同じ部屋にいながら気づけなかった。
が、確かに彼はいつも寝癖が全くないし……服装もちょっと身ぎれいだ。
でも清潔はちょっとおしゃれからずれている気もするが、まぁそれはいいか。
「お前モテようとしてるな」
俺がからかうと、ウォルターは小さくため息を吐いた。
呆れたような半目で見つめてくる。
「……お客の前にダメな格好で出たくないから」
「あ、なるほど」
理由が商人だった。
商売に関して彼はかなり本気だ。
時々忘れそうになるが、親も商人と言うだけはあるものだ。
「俺もおしゃれしようかな……」
でも恥ずかしいな……なんて迷っていると、ウォルターの横に誰かが来た。
「ん?」
誰だろうと思って目を向けた。
するとすぐにヴィクター先生だとわかる。
特に断るでもなく、先生はするりとウォルターの隣に腰かけた。
「やぁ、みんな変わりない?」
「あっ! 先生!」
リリアナが嬉しそうに手を振った。
それに、ヴィクター先生も微笑みを返す。
「…………」
変わりないか……は多分体調に対してだろう。
この席には任務のメンバーが多いから、そのあたりを気にして立ち寄ってくれたのか。
そう考えていると、先生はさらに言葉を続ける。
「リリアナちゃん。腕が痛んだりはない?」
やはり体調を気遣っていたらしい。
確かにリリアナの腕はかなり心配なところだ。
一応、彼女の場合すぐに治癒魔術で傷口を閉じた。
それもあって今のところ安定している。
だが本当なら腕の切断は大変なことだ。
「全然平気ですよ。みんなが治してくれましたから」
「そう? でもたとえば、断面近くが痛むとか、熱っぽいとか……」
しばらく二人の間で問診が続く。
それをみんなでじっと聞いていた。
聞いた感じでは悪い影響は最低限に抑えられているように思えた。
「今のところ経過は悪くないかな。でも油断しないでね。激しい運動は避けて、渡しておいた飲み薬もきちんと服用するように」
「はーい」
リリアナが元気に返事をした。
安心して俺は笑う。
そして彼女に話しかけた。
「飲み薬って苦い? 大変だね」
「そんなことない、すごく美味しいよ! いいでしょ?」
答えて、自慢げにするのに先生が笑う。
「苦いでしょ。なんでそんな嘘つくの」
「だって、羨ましがられたいんです……」
「しょうもないことしない」
本当にくだらない嘘だ。
呆れてしまって俺も思わずちょっと笑う。
「先生、そんなにおいしいなら薬増やしてあげてくださいよ」
「あ、いいね」
俺が意地悪を言うと先生も悪ノリした。
するとリリアナが目をぎゅっと閉じて駄々をこねる。
「やだー……飲みたくなーい……」
「はいはい、冗談だよ」
先生が優しく言うと彼女ははしゃいだ。
かっこいいー、やさしーい、なんて言っている。
そんな調子のいい姿を見てまたみんな笑った。
あいつはやっぱりヴィクター先生によくなついている。
「じゃあ、ほかのみんなの話も聞かせてもらおうかな」
リリアナとの会話がいったん終わって、先生は改めて俺たちに問いかけてくる。
「どう? ニーナちゃんは一日過ごしてなにか……不調とかなかった?」
そうして順番に質問に答えていく。
最初はニーナで次は俺、それから最後がウォルターだった。
彼は彼で細かい負傷が多かったものだが、特に大事はなかったらしい。
俺は全員の健康を確認して、ひとまず食事を受け取りに行った。
「いただきます」
そして食前の挨拶のあとみんな夕食を食べ始める。
ヴィクター先生もしっかり食前のあいさつをしていた。
ここに来たばかりの頃は何故かあいさつをしていなかった……気がするので俺は時々不思議に思う。
いつまでしていなかったとか、細かくはもう覚えていないのだが。
「ところでウォルターくん、君は一人で中位魔獣を倒したんだって?」
食べ始めて少しした頃、街のウワサ話を交換していたところでヴィクター先生が問いかけてきた。
さっきまでにこにこしながら会話を聞いていたのだが、唐突にそんな話を切り出した。
話題のウォルターは一瞬目をまたたかせるが、すぐに先生の質問に答える。
「はい、一応」
「強化魔術は使ったの?」
「最後だけ少し」
誇る様子はなく、必要なだけの言葉で質問に答える。
多分もうみんなに聞かれすぎて話し飽きているのか。
いや、そもそも勝ちを誇るようなタイプでもないか。
ともかく戦いに関する受け答えは続く。
「相手は飛ぶよね? どうやって近づいたの?」
「俺が逃げると、追いかけてくる時に高度が下がります。そこを狙いました。あとは気を引くために弓を」
弓……はリリアナのか。
あいつが持って行っていたのか。
ちなみに、彼は弓矢も百発百中だ。
「なるほど。剣はどうやって通したの?」
風の障壁をどうやって攻略したのか、という意味だ。
たとえば撤退する時に剣を投げた時は、彼は魔法を使う隙を狙っていた。
「ああ……」
そして、その問いに至ってようやくウォルターの表情が動いた。
なにかの発見について話す子供のような喜びが覗く表情だった。
彼は剣術が好きなのだ。
「少し工夫をしました」
「工夫?」
聞き返した先生にウォルターが深くうなずいた。
「風の流れを逆手に取りました」
彼が言うには、風はヒギリの周囲をぐるぐる回るような流れを作っていたらしい。
だから途中までその流れに従って剣を振り、勢いが最大になったところで肉に突き立てたそうだ。
それで、まずは翼を傷つけ地上戦に持ち込む。
さらに同じことを繰り返して勘を掴んで、最後は強化を入れて一撃で首を落としたらしい。
「……いや、できないよ。そんなの」
呆れて俺はつぶやいた。
話をせがんでいなかったから、ここまで詳しく聞くのは初めてだった。
だがはっきり分かる。これは机上の空論の類だ。
実行するのはとても無理だ。
こともなげに彼は言うが、近づくだけで身体が切断されるような風の流れを見切れるはずがない。
まして利用するなんて……。
「いや、すごいね。ウォルターくんは」
先生はにこにこ笑いながらウォルターを褒めた。
彼はそれに小さくうなずく。
ひとしきり剣の話をすると、もう表情は元に戻っていた。
「いい経験になりました。力の流れが……よく分かりました」
あの死闘も彼にとってはいい経験ときた。
本当にすごいやつだ。
ウォルターはどこまで強くなるのだろう。
「…………」
やっぱり追いつくのは無理なのかな……と、そう思って少しだけ俺はへこんだ。
俺は魔術を頑張ったほうがいいのかもしれない。
そんなふうにちょっと自信をなくしかけていると、机の下の左手に誰かの手が触れた。
「……?」
だから左に視線を向けるとニーナがにっこりと微笑んでいる。
ぎゅっと手を握って、多分一緒に特訓を頑張ろうと伝えてくれていた。
「……うん」
俺も深くうなずいて一度だけ強く握り返した。
彼女の手はマメだらけで硬かった。
俺は、もっと頑張ろうと思った。
と、そこで先生が口を開く。
「ウォルターくんは、歴史に名を残すような……偉大な戦士になるのかもしれないね」
考えたこともなかったが確かにありそうだ。
長い歴史の中でも、魔術を使わずに中位魔獣と渡り合える戦士なんて聞いた覚えがない。
それもまだ十三歳だ。
これからもっと強くなって、歴史に名を残す可能性はかなりある。
「確かに! そうかも!!」
リリアナがはしゃいで声を大きくした。
ウォルターはちょっとうるさそうに眉をひそめたあと、小さな声で答えた。
「別に。そんなの俺は……」
「そんなのってなによ。すごいことじゃない。わたしも歴史に名前残したいよ……」
彼女は本気で羨ましそうにしている。
どこか悔しそうですらあった。
多分、今は歴史に名を残す方法を必死に考えているのだろう。
ニーナがのんびりした様子でひとこと添える。
「歴史書く人になれば残し放題ですね」
「あ、それいいねぇ。みんなで歴史に残っちゃおう」
それからどんなふうに歴史に書くとか、そもそも歴史を好き勝手にしてはだめなのではないかとか、そんな話をたくさんした。
俺はそれがとても楽しかった。
―――
夕食を食べたあと、俺は風呂に入って歯磨きをする。
そして浴場や洗い場でだらだらと喋りながら寝る前の準備を終わらせる。
任務のメンバーは訓練がしばらく休みなので気楽なものだ。
まぁ自主的に色々やるつもりではあるが……。
でも、ちょっとくらいのんびりしてもいいだろう。
俺はこうして今まで通り過ごすために戦ったのだから、今は浸ってもいいはずだ。
「俺らは明日も早いんだよ。じゃあな!」
最後まで残って話してくれたハルトくんとケニーも帰っていった。
だから俺も部屋に帰ることにした。
そして部屋についたところで、俺はあまり音を立てないようにドアを開く。
もうウォルターは寝ていると思ったのだ。
「…………」
だが彼は起きていて、窓から外をじっと見ていた。
もう流石にすっかり夜で月明かりが差し込んでいた。
俺はその背に声をかける。
「まだ起きてたんだ」
「ああ、でももう寝る」
そうは言ったがまだ寝床に入る気配はない。
せっかくなので俺は少し話すことにした。
「ねぇ、ウォルター」
「なに?」
「お前、訓練で手を抜いてたのか?」
ディティスと戦っているのを見て思ったことだ。
あれだけの動きができるなら俺たちは誰も勝てない。
たとえ魔術を使ったとしてもだ。
だから聞いたのだが、彼は首を横に振った。
そして少し気まずそうに答える。
「手を抜いてはいない。でも……使わない技があった。それだけだ」
技、とはきっと単純な剣技だけじゃないだろう。
攻撃の避け方とか、多分他にも色々だ。
俺はそれにうなずいた。
「そっか」
ウォルターは何も言わなかった。
やはり気まずそうに見える。
俺の聞き方が悪かった。
手を抜いていたのか、なんて聞き方はすべきではなかった。
彼に悪気はない。
戦いが成立しないと思ったから、訓練という枠に収まるくらいにまで力を合わせていただけなのだろう。
「…………」
俺は一度だけ深呼吸をする。
手加減をさせていたという事実に、少しだけプライドは傷ついていた。
だって、俺も必死にやってきたつもりだったのだ。
なのにこんなにも差がある。
自分が不甲斐ないと思った。
遠いと思ってはいたが本当はさらに遠かった。
やっぱり彼に勝つのは無理なのではないかとも思えてきた。
しかしそんな弱気をしまいこんだ。
そしてウォルターの目をまっすぐに見る。
「次戦う時が来たら……本気でやってほしい」
意外そうな表情を浮かべる彼に、俺は力強く言葉を続けた。
虚勢や強がりとは思われたくなかった。
「……お前は、俺の目標なんだ。だから、俺には本気でやってくれ」
どれだけ負けても少しずつ攻略する。
わずかでも近づいてみせる。
諦めずに食い下がってみせる。
そんな気持ちでまっすぐ目を見ていると、ウォルターはやがて小さく笑った。
「……わかった」
「ありがとう。俺はもう寝る」
言うが早いか俺は急いでベッドに飛び込んだ。
勢いよくジャンプだ。
「お前より早く寝て、早く起きて訓練するから」
「そうか」
俺の宣言には呆れたような声が返ってきた。
まだ窓辺にいるようだ。
俺はタオルケットにくるまって、どうやってウォルターに勝つかをずっと考えていた。
そうして眠気が訪れるのを待っていた。
「…………」
しかしなかなか寝付けないでいると、かなりの時間が過ぎてしまった気がした。
妙に目が冴える。
ちょっと寝苦しいのでウォルターに窓を開けるように頼もうかと思った。
でも彼が先に声を漏らす。
俺に語りかけたわけではなく、どうやらひとりごとのようだ。
「姉さん、まだ生きてるかな」
ぽつりと、こぼれた声はどこか寂しそうだった。
俺は何も言えなくなって、ただ寝たフリをして息を殺す。
「もう強くなったから、そろそろ探しに行く。遅くなってごめん。……でも」
でも、と。
言葉を区切った彼はなにかを言い淀んでいた。
呼吸三つほどのあいだ口ごもったあと、彼は小さく、本当に小さな声で言葉を続けた。
「姉さん。俺……友だちができたんだ」
そう言ったあと、ウォルターが俺の方に振り向いた気がした。
起きていることはバレなかったようだ。
またしばらく外を眺めたあと、彼は自分のベッドに潜り込んだ。
もちろん五秒で寝息が聞こえてくる。
「…………」
しかし今ので逆に俺が眠れなくなってしまった。
外から聞こえる虫の声を聞きながら、ずっと今の言葉について考えていた。




