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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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六十六話・幸せ(3)

 


 リリアナやウォルターと外で遊んだあと、俺はひとりでお墓へと向かっていた。

 本当に色々あったので、両親に近況を報告しようと思ったのだ。


 しかし。


「あ」


 孤児院の外れに歩いていく途中、俺は広場でニーナの姿を見つける。

 どうやら組手くみてをしているようで、相手はシーナ先生だった。

 二人は訓練用の武器を持って、目まぐるしく刃を交わしている。

 先生の直剣に対してニーナは短剣二本だが、どうやら魔術も投擲とうてきもなしで腕を競っているようだ。


「もう訓練してる……」


 それを見て俺は自分がちょっと恥ずかしくなった。

 俺は部隊で一番弱かったし、ガーランドのあとも無力むりょくなげいたはずだ。

 なのに今日はのんきにサボってしまった。

 人の倍やらないとニーナやウォルターに追いつく……のは今は難しくても、近づくことすらできないだろう。


「俺もやらないと」


 すぐに決めて二人のもとに歩いていく。

 走らないのは、戦っている二人の集中を削がないためだ。

 決着がつくまではゆっくり歩いて、長引くようなら少し離れた場所で待つのがいい。


 だから遠巻きに二人の戦いを見守るが、戦況は……なんとニーナが優勢だった。

 俺の見立てでは先生が手を抜いている、ということはないだろう。

 任務をて死線を越え、本当に彼女はずば抜けた戦士になったのだ。


「…………っ」


 ニーナの圧倒的な速度に押され、先生が一歩後退した。

 ナイフはなんとかしのいでいるようだが、じわじわと蹴りで痛めつけられている。


 そして反対に、剣の攻撃は全く当たっていない。

 先生の剣の腕前は俺とは比べ物にならないはずだが、それでもニーナを捉えることはできなかった。

 お手本のような見事な剣技がことごとく空を切る。

 これでもまだ、俺にはニーナが本気を出しているようには見えない。


「すごいな……」


 感心してつぶやく。


 ニーナの回避は必要最小限の動きで、一見いっけんして避けていることすらわかりにくい。

 なので見ようによっては先生が勝手に剣を空振っているようにすら見えてしまう。

 しかしそれは間違いで、彼女はフェイントで敵の行動を誘導ゆうどうしつつ、完全に見切って動いているのだ。


 だからこそほんのわずかな動きで攻撃をかわしきれるし、全く防御せず攻め続けているような印象を人に与える。


「先生、私の勝ちです」


 そして戦いの最中さなか、足払いで先生を転がしたニーナは短剣を突きつける。

 さらに勝利を告げると、先生は驚いたように目を見開いた。

 だがすぐに闘志とうしを取り戻す。 


「いいえ、まだよ」


 まだ、ではあるか。

 確かにまだ見下ろしただけだ。

 短剣を突きつけたとは言っても、喉元に届いているわけでもない。

 腕や足をそこなったわけでもない。

 もし実戦ならまだ何も決まってない。


 バネが利いた動きで立ち上がると同時、直剣の突きを繰り出す。

 ニーナは半身はんみで軽くかわして答える。


「確かに。そうですね」


 戦いが再開する。

 すると先生の動きが変わったのが分かった。

 俺は興味深く見ながらつぶやく。


「なんだろう、あれ」


 教わってない動きだった。

 剣に積極的に格闘を混ぜている。

 しかも単純な打撃ではなく肩を当てるタックルしたり、服を掴んだり、敵の足を踏んだり、砂を巻き上げたりしていた。

 先ほどまでの模範もはんのような剣技はりをひそめ、今はかなりアウトロー……ではなく実戦っぽい感じだ。


 しかしそれでも、やはりニーナが先を行っているように見える。


「…………」


 もうだいぶ二人に近づいたので俺は足を止めた。

 そのまま固唾かたずを呑んで見守っていると、少しして決着がついた。

 ニーナが先生の首に刃を当てて、それで終わりだ。

 ウォルターや彼女ならもしかしたら……という気持ちはあったが、まさか……先生が負けてしまうとは。


 俺は、少し寂しい気持ちになる。

 でもどちらかというと、ニーナへの称賛の気持ちのほうが強い。


「すごいな、ニーナは」


 俺は二人の戦いに感銘を受けて、小さく拍手しながら歩み寄る。

 さらにうやうやしく声をかけた。


「二人とも、お見事でした……」


 すると俺に気がついてニーナが花のように笑った。

 シーナ先生は呆れたように目を細めて語りかけてくる。


「なに? その、ヘンな口調は」

「いや、感動して……あの先生の戦い方、僕にも教えてほしいです」


 あの荒っぽい剣技はかっこよかった。

 ニーナの洗練せんれんされた斬撃と格闘とはまた違った形の素晴らしさがあった。


 なので教えをうたのだが、なぜか先生は苦笑いを浮かべる。


「いや、教えても……魔獣に格闘なんて通じないわ」

「それは、確かに」


 その可能性を考えてなかった。

 強化魔術もないくせに、オークやらなんやらに殴りかかるなら俺は間抜けだ。

 それに、基本的に全裸なので服を掴んだりも無理だ。

 面白かったので少し笑った。


「…………」


 しかし先生はなにか迷っているようだった。

 口元に手を当て、ぶつぶつとひとりごとをつぶやいている。


「でも……やっぱり、教えたほうが…………うん……対人戦も……いつかは…………」

「先生?」


 呼びかけるとハッとしたように顔を上げた。

 さらに取り繕うように首を横に振る。


「あ、とにかく……今はまだこんなこと覚えなくていいわ」

「分かりました」


 先生が言うのだから間違いないだろう。

 それが正しい。

 素直に答えて、今度は訓練に混ぜてもらえるようにお願いすることにした。


「先生、よかったら僕も参加していいですか?」

「参加? 右手を怪我しているでしょう」


 先生は眉をひそめた。

 確かに俺は右手の指が折れている。

 無理はしないほうがいいだろうか。


「なら……近くで武器と、あと魔術の練習をしてます。左手で」

「それは、好きにしなさい」


 許可を得た俺は武器を取りに走る。

 そして二人のそばで練習を始める。

 一人での取り組みになるが、先生たちの組手を見てよく学ぼうと俺は思った。



 ―――



 少し日が傾いてきた頃、そこで訓練は終わりになった。

 あとから参加した俺はもう少しやっても良かったが、二人が解散するというのでならうことにした。

 今日は元の用事を済ませたかったのもあるし。


「二人はもう帰るの?」


 しばらく歩いたあと先生が尋ねてきた。

 俺はそれに答える。


「いえ、お墓参りをしようかと」

「ああ、そうなの。なら私も行っていい?」


 思いがけないことを言われて目をまたたかせる。


「え、なぜですか?」

「今回のこと、ご両親にちゃんと謝らないと……」


 目を伏せて先生が言った。

 一瞬なんのことかわからず首を傾げる。


「?」


 今回のこと?

 もしかして作戦の内容にイレギュラーがあったことか?

 同じことがあったら困るが、俺はもう忘れることにしたのに。


 でも一緒に行けるのは良いことなのでうなずいた。


「はい。でも、嬉しいですが、謝ったりは……」

「いいえ。必要なことよ」


 きっぱりと言うものだから困ってしまった。

 ちょっと頭をかいたところで、ニーナがおもむろに口を開く。


「えっと、私も行っていいですか?」

「うん。行こう」


 俺が言うと彼女は嬉しそうに表情をゆるめた。

 そうして三人で一緒に歩き始める。

 並んで他愛もないことを話していると、ふと思い出して俺は噴き出してしまう。


「ニーナは昔、先生にすごくシゴかれてましたよね」


 小さい頃の彼女は、訓練中の先生にひと睨みされるとこの世の終わりのような顔をしていた。

 図書館に入っても恐れるように俺の背後に隠れていた。

 それが今や組手で互角以上に渡り合って、なにより楽しく一緒に歩けている。


 同じことを思ったのか、先生も穏やかに微笑んだ。


「そうだった。懐かしいわ」

「私は懐かしくないですよ」


 じとりと半眼になったニーナは、それからちょっとして笑った。

 先生も含み笑いを返す。

 そして俺たちを見て目を細めた。


「二人ともすごく怖がりだったのに。立派な戦士になったわね」


 先生の言葉に首を横に振る。

 ニーナはともかく俺なんてまだまだだ。

 もちろん言われて嬉しくはあるが。


「立派だなんて……そんな」

「いいえ。立派よ。二人は……ううん、みんなとても強くなった」


 そんなふうに言われて、俺は流石にちょっと照れくさくなった。

 だって、こうもはっきり褒められたことがあっただろうか?

 俺は今とても驚いている。


「この前まで走りながら泣いていたような気がするのに。早いものね」


 とても感慨かんがい深そうに先生が言葉を続けた。

 確かにそんなこともあった気がする。

 でもよく覚えていない。

 孤児院に来たばかりの頃、走りながら泣いたような、そうでないような。

 あの頃はとにかく毎日思いつめていたから、細かい記憶はあんまりだ。


 しかしニーナは覚えていたらしく、口を尖らせて抗議した。


「泣いてたって……すごく最初の頃だけじゃないですか?」

「そうだった?」

「そうですよ。あと走るのがきついんじゃなくて、先生が怖くて泣いたんです。鬼教官だったから……」


 二人のやり取りに俺は笑う。

 自分が泣いていた記憶はあんまりないが、訓練についていけずおどおどしていたニーナのことは思い出せる。


「思い出した。ニーナを支えて走るのすっごい大変だったなぁ」


 すると、そう言われた彼女はにっこりと微笑む。


「でも、今では良い思い出ですよね」

「俺は懐かしくないね」


 さっきのニーナの口ぶりを真似て言うと、彼女はちょっとむくれてしまった。


「もう、意地悪……」


 そんなふうに昔話をしながら歩いているとお墓についた。

 俺は近くに置いたほうきをとって、軽く墓の周りの落ち葉をいてしまう。

 居心地がいいだろうと木の下に建てたせいでちょっと手間がかかる。


「偉いわね。きちんと掃除してるのね」


 先生に褒められた。

 照れくさく思って俺は頭をかく。


「大事なお墓なので」

「ご両親のことが好きだったのね」

「……はい」


 深くうなずいたあと、なんとなく墓に目を向けた。

 木組みの粗末な十字架の墓だ。

 遺体はないが、俺とリリアナで思い思いのものを埋めた場所だった。

 埋めている時に彼女がちょっと泣いたから、俺が楽しい話をして元気づけてやったのを覚えている。


 あいつ、俺が変なものを食べた話をすると笑うのだ。


「…………」


 墓をじっと見つめていると風が吹いた。

 意外なほど涼しい穏やかな風だ。

 もう夕方とはいえ、こういう風に吹かれると秋の気配を感じる。

 木陰もあいまって居心地がいい場所だ。

 落ち葉は面倒だが、やっぱりここに建てて良かったなと思った。


「じゃあ、ご挨拶しないとね」


 ひとこと言って先生がお墓の前に立った。

 俺も急いでほうきを片付けて、そのまま先生の隣に並ぶ。

 そして手を組んで目を閉じて両親に語りかけた。


「…………」


 まずはあいさつ。

 それから戦いをなんとか生き残れたこと、あとリリアナと話したことを伝える。

 彼女によると思い出がなくなっても、なにか消えないものが残るらしい。

 俺はなにか、母さんたちからそういうものを受け取れているだろうか……。


 もしかしたらあれだろうかといくつか話して、当然ながら返事はないのでそこでやめる。

 ずいぶん長く二人を待たせてしまっている気がした。

 組んでいた手をほどいてまぶたを開く。


「あっ、すみません。待たせましたか?」

「気にしなくていいわ。話したいだけ話しなさい」


 先生はそう言ってくれた。

 ニーナも多分同じ意見だろう。

 でも俺が忍びないからもう帰ろうと伝える。


「いえ、今日はもう十分です。ありがとうございました」


 と、そこで急にニーナが先生の袖を引く。

 そしてそのままなにやら耳打ちを始めた。


「?」


 ニーナはちょうど背を向けているので表情は見えない。

 何を話しているのだろう?

 不思議に思っていると、やがて話は終わったようだ。

 先生は少し笑っている。

 ニーナは俯いてそわそわしているようだった。


「…………」


 ほんのひと呼吸ほどの沈黙のあと、先生が微笑んだまま口を開く。


「そろそろ戻ろうかな」

「なら僕も……」

「いいえ。もう少しいなさい」


 なぜか止められた。

 答える間もなく先生は一人で帰っていく。

 残されたのは俺とニーナだけだ。


「…………」


 しかし彼女は何も言わない。

 どこか緊張した面持ちで俺をじっと見つめていた。

 穴が開くほど見つめてくるので少したじろぐ。


「なに?」


 ちょっと困ってそう尋ねた。

 様子が変なのもだが、さっきなにを先生に言っていたのかも気になる。


「…………」


 彼女はぎこちない様子で俺に手招きをした。

 近寄ってみる。

 すると突然、俺の背に手を回して抱き寄せてきた。


「えっ…………」


 間抜けな声が出た。

 ニーナは俺を抱いて、何も言わずにしがみついていた。

 落ち着いてよく見ると、その肩が震えているような気がする。

 俺は何か理由があるのだろうと察した。

 だから、黙って彼女の背をさすった。


 するとやがて、ニーナは小さい声で謝って俺から離れた。


「……ご、ごめんなさい」

「なんで謝るの?」


 俺が笑ってそう言うと、彼女はますます申し訳なさそうになる。

 心当たりがないから不思議だった。


「なんでって……それは、その…………」


 くちごもって、下を見て、そわそわしたあと、ニーナはようやく言葉を続ける。


「わ、私は……リュートくんを……置いていったから」


 置いていった?

 少し考える。

 なかなか分からなかった。

 でも、しばらくして気がつく。


「あ、アレか」


 風車小屋のそば、オークを連れ出したクリフを助けてやった時のことだ。

 なんだ、そのことか……と、思って俺は笑う。

 するとニーナは悲しそうに眉を下げる。


「い、一緒に……お兄ちゃんを……………助けに、来てくれたのに……私は、私は……リュートくんを置いて……に、逃げて…………」


 ぼろぼろと涙を流していた。

 だから俺ははっとする。


 俺にとっては別に、もうそんなに気にしている話ではないが……でも、ニーナにはそうではないのだと気がつく。

 あれから謝られたこともなかったから、彼女もある程度忘れているものとばかり思っていた。


「…………」


 どうすればいいのだろうと考える。

 俺はもう、最初に謝られた時に彼女を許している。

 あんなの怖くて当たり前だと思ったからだ。

 でも、それでも気になるのなら……また許せばいいだろうか。

 俺は生きているのだから、何度でも許すと言えばいい。


「いいのに、そんなの」


 ちょっと笑ってニーナの頭をなでる。

 そして、少しだけ昔の話をすることにした。

 あの頃は言えなかったことだ。


「……ちょっと、座ろう」


 両親の墓のそば、木陰に二人で並んで座る。

 彼女はまだしくしくとすすり泣いていた。

 ずっと気にしていたのだろうかと思うと申し訳ない気持ちになる。


「気づかなくてごめんね。でも、ほんとにもういいんだよ」


 それから、俺は自分のことを話した。

 昔、住んでいた村が魔獣に襲われるようになったこと。

 やがてみんなで出ていったこと。

 逃げる途中で、俺も母さんを見捨てて逃げてきたこと。

 それが申し訳なくて、死のうと思ってクリフを助けに行ったこと。

 でもきっと、母さんは俺のことを恨んだりしていないと気づいたこと。

 両親に今も感謝しているということ。


「…………」


 ニーナはそれを、ずっと黙って聞いていた。

 俺は最後に言いたかったことを彼女に伝える。


「だから、俺はニーナのことすごいと思ったよ。だってニーナは怖くても……できることを頑張った。先生たちを呼んできてくれた。俺にはそれができなかった」


 そうやって褒めるとニーナはまた泣いた。

 俺は笑って言葉を続ける。


「俺は、母さんを置いて……ただ逃げただけだった。でも、ニーナは違った。できることを頑張る勇気があった。それは本当にすごいことで……だから、謝ったりしなくていいんだよ」


 俺は言うべきことを全て伝えた。

 でもやっぱりニーナは泣き止まない。

 しくしくと泣く彼女の背中をなでてやった。

 こうして、泣き止むまで隣にいることにする。


「……ご、ごめんなさい」


 やがてニーナが口にしたのはそんな言葉だった。

 謝るのはもう何度目だろうか。

 だから、俺も何度でも許すしかなさそうだった。


「いいよ。……でもそんな、ずっと気にしなくても良かったのに」


 なんだかおかしくなって笑うと、ニーナは半目でじとりと見つめてきた。

 笑うのはやりすぎだっただろうか?

 俺は困ってしまって頭をかく。

 すると、彼女もようやく泣き止んで微笑んだ。


 そしてぽつりぽつりと話し始める。


「……任務で、頑張ったから。頑張って戦ったから……謝る資格くらいは、できたと思って……それで、つい甘えすぎてしまいました。ありがとうございます」


 俺はまた驚いた。

 謝る資格、なんて言うくらい重く考えていたとは。


「そんなに?」

「そんなにです」


 彼女はちょっと頬をふくれさせる。

 それから俯いたあと、本当に小さな声で言葉を漏らした。


「……本当は、私も、もっとリュートくんと仲良くしたかったんですよ」


 言葉の意味を考える。

 そういえばニーナは、どこか一歩引いたような、遠慮したような態度を取ることが多かったような気もする。

 他の人と話している時は来なかったり、食事の時に誘ってもたまにしか来なかったり。

 これはきっと、後ろめたくて遠慮していたのだろう。


「…………」


 なんだかさらに申し訳なくなってきた。

 終わったことだと勝手に思っていたから、彼女の気持ちに気づかなかった。

 俺はどうすべきか考えて、口を開く。


「じゃあこれからはもっと仲良くしよう」


 考えつく埋め合わせはそれだけだった。

 だから笑って手を差し出す。

 するとニーナが顔を上げた。


 じっと、俺の目を見つめてくる。


「ニーナが後ろめたいなら誘いに行く。だから、これからはもっと話すし、遊びに行く時も一緒に行こう」


 すると彼女は嬉しいような、悲しいような、驚いたような、よく分からない感情が入り混じった表情を浮かべた。

 口をわなわなと震わせて、言葉を失ったように俺を見ている。


 そしておずおずと手を伸ばしてきて、震える指で差し伸べた手をそっと握った。


「……はい」


 それから、俺たちは一緒に歩き始める。

 孤児院に帰るために。

 歩きながら、俺は彼女に冗談を聞かせた。


「これからは、毎日ニーナを許そうかな」


 だって、そうしないと何年も黙って思いつめてしまうのが分かったから。

 でも彼女は困ったように笑う。


「毎日は、流石に……やりすぎだと思います」

「そうかな?」

「そうです」


 彼女はくすくすと笑っていた。

 しかし何かを言いかけて、不意に俯いてしまう。


「あ、でも……」


 立ち止まって言葉を詰まらせている。

 どうかしたのかと首を傾げると、彼女はちょっと上ずった声で、頬を赤く染めて、小さな声で語りかけてきた。

 俺の目を、瞳の奥をまっすぐに見ている。


「でも、良かったら……これからは毎日、少しでいいから、話しましょうね」


 本当に恥ずかしそうにそんなことを言う。

 俺は笑って彼女にうなずいた。


「うん」

「……やった」


 するとニーナはとても嬉しそうに笑って、ちょっと弾んだ足取りで孤児院へと歩き始める。

 俺は、すっかり元気になって良かったと思いつつ後に続くことにした。



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