六十四話・幸せ(1)
帰還した日の次の朝、俺とウォルターは起きて朝の点呼に向かう。
しかしヴィクター先生がいるだけで、子どもは誰も来ていなかった。
だから俺は、目を瞬かせて先生に問いかける。
「……みんなどうしたんですか?」
流石に全員寝坊ということはないと思うが……。
そんな風に首を傾げた俺の問いに、先生はちょっと笑って答えてくれる。
「今日は自分で行ってもらったよ。君たちの検診をしたいから」
「あ、そうなんですね」
身体の具合を診てくれることは昨日の説明で聞いていた。
だがこんなにすぐやるとは思っていなかった。
少し驚いていると、先生はさらに言葉を続ける。
「そう。異常がないかすぐに調べたいんだ」
どうやらもう全員を診てくれるつもりのようだ。
みんな怪我をしているからありがたい。
今だって体はあちこち痛い。
と、そこで今度はクランツくんの声がした。
振り向いて見るとクリフもいる。
「先生! みんなはどうしたんですか?」
同じことを聞いている。
だが俺は逆に、彼が同室の仲間から何も聞いていないのかを不思議に思った。
ウォルターと二人部屋の俺とはちょっと事情が違う。
しかしそれはともかく、先生はもう一度さっきの説明を繰り返す。
「今日はすぐみんなの検診がしたいから……」
クランツくんたちにも説明して、俺たちはゆっくりと歩き始めた。
そして少しのあいだ任務の話をしながら歩く。
ウォルターはずっと黙っていたが、たまに話を振られるとぽつりぽつりと口を開いた。
「さぁ、ついた。入ろうか」
医務室について、ヴィクター先生が扉を開いてくれた。
広くて日当たりのいい部屋には薬品の棚にいくつかの椅子と広い机、あと八台のベッドが配置されている。
そしてそのベッドの一つにニーナとリリアナが隣り合って座っていた。
どうやら先に来ていたようだ。
「おはよー」
腰掛けた足をぷらぷらと揺らしながら、リリアナが笑顔で手を振って挨拶をする。
しかし左腕がないのに気がついて悲しくなった。
空っぽの袖を、日常に戻って改めて見るとこたえるものがある。
でも本人が気にしていないようだから、俺もいつも通りに言葉を返した。
「おはよう」
他のみんなも口々に挨拶を交わす。
少し遅れてニーナも軽く頭を下げた。
彼女はちょっと眠そうに見える。
「おはようございます」
それからすぐに検診が始まる。
診てもらうのは一人ずつで、呼ばれたら奥の小部屋に行って診察を受ける形だ。
傷が重い順だから俺は……真ん中付近だろうか。
まぁなんなら最後でもいい。
とりあえず一人目はリリアナが呼ばれたから、あとはゆっくり待つことにした。
―――
検診を済ませるともう昼前になっていた。
そして結果だが、俺の怪我は一応大事はなかった。
内訳としてはまず右手首の捻挫と右手人差し指の骨折。
あとは胸の肉が抉れた場所の怪我と、たくさんの打ち身や切り傷くらいだった。
ちなみ指は、どこかのタイミングで手の甲側に曲がるような力がかかってぽっきりといっていたらしい。
確かにやたらと人差し指が痛かったが、他の仲間の怪我がひどかったのであんまり言わないようにしていた。
なので検診があってよかったと思う。
そんなことを考えつつ俺はみんなで連れ立って部屋を出た。
ヴィクター先生はまだやることがあるので医務室に残るそうだ。
だから六人で昼食を食べに行こうと思ったのだ。
しかしドアを開けて廊下に出た瞬間、大声が聞こえて思わず足を止める。
「あーー!! リリちゃん……腕!! 腕がっ……!!」
声が聞こえた方に目を向けると、廊下の先に何人かの子どもが立っていた。
叫んだのは一人の女の子だったが、他のみんなも一様に言葉を失い驚いたような表情を浮かべている。
きっと俺たちを待っていたのだろう。
でも片腕をなくしたリリアナを見て相当にショックを受けているようだった。
「…………」
少しだけ沈黙が流れる。
当の本人、リリアナはなぜか穏やかな笑みを浮かべていた。
そしてちょっと咳払いをして口を開く。
「大丈夫、治るから」
「え、治るの?!」
聞き返したのは俺だ。
やり取りを見守るつもりだったが、半ば叫ぶように声が出てしまった。
「え、銀貨? 先生から聞いてない?」
リリアナはけろっとした様子で逆に聞き返してくる。
でも腕を復元するなんてとても難しいことだ。
俺たちの国にもほんの一握りしかそれができる聖職者……というか魔術師はいないらしい。
なのに一体誰が治せるというのだろう。
その疑問に答えるように、彼女はさっとウォルターを指し示す。
「いや、ウォルターなら治せるってさ。先生が言ってた。魔石を補助に使って、少しの間魔術をかければ……結構かんたんに伸びてくるかもって」
「そんなことが……!?」
ウォルターは欠損まで治せるのか。
しかも結構簡単に?
驚くしかない俺を前に、リリアナはのんきに笑ってみせる。
「ね、すごいよね。……腕が生えてくるってどんな感じなんだろうなー」
もう俺は声も出せなかった。
ウォルターの治癒魔術、というか光の魔術への適性はそこまでのものだったのか。
もしかするとあの場でリリアナが死ななかったことも、俺が思っているよりずっと凄い奇跡だったのかもしれない。
ともかく腕が治ると聞いて、言葉を失っていた面々も活気を取り戻す。
わっと歓声を上げてみんなリリアナの周りに集まってきた。
そうしてわちゃわちゃとはしゃぎはじめる。
「リリアナ良かったじゃん。せっかくだし生やしたらもう一本切って予備作っとけよ」
「ハルトくんサイッテー……今までで一番サイテー……!」
「わたしの腕をなんだと思ってんのよ!」
治るとわかったらみんな遠慮も何もない。
彼女が笑いながらもみくちゃになる様子を見ながら、俺はウォルターに問いを投げる。
「ほんとに治せるの?」
「まぁ、できそうではある。準備のために少し高度な術を覚えないといけないらしいけど」
「それは、大変かもしれない……」
治癒魔術は才能が求められるだけではなく、とても複雑で難解な魔術分野でもある。
というのも、治癒に関する高度なルーンは単に術の効力を上げるだけに留まらない。
肉や骨、さらには腕や胴体など様々な区分けで体の部位に特化するようなルーンが存在している。
これらをいくつも身につけ、適切に処方することでさらに効果を高めることができるのだ。
もちろんそこまでやるなら勉強も必要になる。
「ありがとう」
俺が頭を下げて感謝を伝えると、ウォルターはちょっとそっけない感じで目をそらしてしまう。
「いいよ。別に……他人事じゃない」
「…………?」
その言葉の意味を考えていると、みんながどこかに行こうとしているのに気がついた。
もうぞろぞろと動き始めている。
慌ててついて行こうとすると、振り返ったリリアナがにこにこで拳を突き上げた。
「ごはん食べに行くぞー!」
なんだかずいぶん盛り上がっているようだった。
俺は笑ってウォルターに言葉をかける。
「行こう」
「ああ」
そうして大勢で話しながら食堂に向かった。
みんな色々と聞きたがったので、俺は少しも黙っていることができなかった。
情けないところは微妙に隠しつつ、みんなに任務の話を聞かせて歩いていく。
―――
食堂につくと、机には沢山のごちそうが並んでいた。
さらに壁やテーブルには飾り付けがしてあって、椅子や机の配置も変わってなんだかパーティーの会場のようになっている。
俺たちが検診を受けている間準備していたのだろうか。
飾り付けやらなんやらはもしかするともっと前からかもしれない。
真実はわからないが、とにかくみんなが待っていてくれたのだということは伝わった。
それから、またリリアナの腕のことで騒ぎが起こったりしつつも帰還祝いの席が始まった。
と言っても別に特別なことはない。
セオドア先生にならって食前の挨拶をして、いつものように食事するだけだ。
でも一応お祝いなので机の配置は変えてある。
二つの長机はなるべく近くなるような形でつなげてあるのだ。
だから俺を含む部隊の六人を中心に、窮屈なくらい人が集まってきた。
みんな話を聞きたいのだろう。
ちょっと狭いが俺はこういう狭苦しいのがイヤじゃない。
それに、周りのみんなが片腕のリリアナの世話を焼いてくれるのがよかった。
料理を切り分けてくれたり、あれも食えこれも食えと大皿の料理を彼女の皿に運んでくる。
今日のごちそうはみんなで手伝って作ったらしく、そのあたりの主張も激しかった。
彼女は山盛りの食料を前に、ちょっと困ったような顔で笑っている。
「いや。……ほんとに。気持ちはうれしいけどさ」
いつもは人を振り回すことのほうが多いが、今はかなりたじたじの様子だ。
隣の席から困りきった横顔を見守りながら、俺は食べ切れなさそうなぶんを自分の皿へと引き取っていった。
すると近くに座っていたケニーが俺に語りかけてくる。
「ねぇリュート。どのくらい魔獣をやっつけたの?」
「どのくらい? ……あー」
思い返せば俺の戦績はなんとも言えない。
リリアナとクリフが地面に落としたハーピィと、ウォルターと二人で待ち伏せして倒したオーク。
あとは……ほとんど逃げ回っただけか。
「俺は……倒したっていうか、どっちかと言うとサポートを……」
「なんだ、さてはビビって逃げてたな? でもいいんだ。お前が無事なのが一番だからさ」
やばいのはウォルターさんみたいなのに任せとけばいいんだよ。
なんて言い足して、ケニーはのんびりとした様子で笑っている。
俺はちょっとムッとしたが、あながち事実と言えなくもない。
それに、彼の独特な……悪意はないがふてぶてしい雰囲気がなんだか懐かしく感じたので一緒に笑った。
やはりこうでなくてはならない。
これが一番なのだ。
「任務中は何食ってたの? 狩りとかした?」
「してないよ。ずっと敵の偵察を続けてたから。あんまりゆっくりできなかったんだ」
「へー。お前も意外とがんばってたんだなぁ」
他のみんなは武勇伝をせがまれているようだった。
でも、ケニーを含めて俺のところに来る人はあまりそういうことを求めなかった。
多分そんなに期待されていないのだろう。
よそで質問を使い果たしてきたようなやつらが、よくわからないことばかりを聞いてくる。
「…………」
もう流石にげんなりしてきたので、逆に俺たちがいない間に孤児院でどんなことがあったのかを聞いてみることにした。
「それより任務の間、そっちはなんかなかったの?」
「特に……いや、シーナ先生がすごいそわそわしてたっけ」
一人がそう言うとみんながいっせいに笑みをこぼす。
どうやら面白いことがあったようだ。
「あったな。……三日目くらいが特にひどかった。授業中に四回チョーク落としてた。あと、問題出したあといないのにニーナに当てようとして落ち込んでた」
「そのあとチョーク落としたんだよな」
「じゃあ五回か」
みんなで笑いながら話した。
きっと先生は心配してくれていたのだろう。
かなり上の空で過ごしていたらしく、他にもいくつも楽しい証言が出てくる。
どれも先生のファンとしては見逃せない場面だった。
「うわぁ、俺も見たかったなぁ……ほんとに……くそぅ……」
ひとしきり笑ったあと俺はしみじみとつぶやく。
そしてそのまま先生の愉快な逸話を語る流れになって、俺たちはしばらくそれで楽しんだ。




