六十三話・帰還(2)
泣き崩れた先生のそばに立つ。
そしてしゃくりあげる背中に手を添えた。
クリフとクランツくんも少し驚いた様子を見せたが、先生の隣に歩み寄ってきた。
「…………」
だが少しして、リリアナが輪には加わらず一人で離れて立ち尽くしていることに気がついた。
いや……一人ではなくウォルターもか。
彼も少し輪からは距離を取って、リリアナを気にしているようだった。
俺は目をこすりつつ先生から離れた。
そしてリリアナの様子を伺う。
星明かりの下なのであまり明確ではないが、彼女は唇を引き結んで厳しい表情を浮かべていた。
「…………」
俺が離れたことをきっかけに、他のみんなも少しずつ輪を崩していく。
そうして全員がリリアナのことに気づいて目を向けた。
彼女が口を開く。
「……泣いてないで、なにがあったのか説明してくださいよ。わかってますよね? どんなことがあったのか?」
冷たい声だった。
シーナ先生に向けた言葉だった。
先生の、落ちたランプに照らされた顔が青ざめて怯む。
迷っているような、なにか言いあぐねているような表情だった。
それを見かねて俺は間を取り持とうとする。
「きっとなにか、手違いがあったんだよ」
だが彼女は首を横に振った。
矛を収める気はなさそうだった。
「納得できない。……こんなことがもし何度もあったら、わたしたちなんか簡単に死ぬ。適当に済ませていい話じゃない」
「でも……」
「ねぇ、銀貨はさ。わたしが死んでも同じこと言えた? いいから邪魔しないでよ」
なんとか言い返そうとしたが、彼女が正しいから何も言えなくなる。
本当に誰が死んでもおかしくなかったし、特にあいつは実際に死にかけた。
そう思うと俺は、確かに場違いなことを言っている。
しかし、それはそれとして説明の責任をシーナ先生にだけ負わせるのは待ったほうがいい気がした。
先生が一人で作戦を考えたわけでもないし、主に言い渡したのはセオドア先生だからだ。
「…………」
と、そんなことを考えていると、扉が開いてまた誰かが出てくる。
「君の言うとおりだ。説明しよう」
セオドア先生だった。
俺たちの前に歩いてきて、深々と頭を下げる。
そしてリリアナをじっと見つめて口を開いた。
「……すべて話す。私の部屋に来てもらえるかな?」
「はい、行きます」
彼女は行くと答えた。
その声にはもう棘はなく、とりあえずの落ち着きを取り戻しているのが分かった。
きちんと話してくれるのなら、全て聞くまではこらえるようだ。
「ならついてきてくれ。あと……そうだ、みんなおかえり。よく無事でいてくれた。言えた義理ではないかもしれないが……」
歩き始めたあと、少し目を伏せて先生が言った。
答えようと思ったが、なんだか雰囲気が重くて何も言えなかった。
それにここで先生と打ち解けてしまうと、まるで怒ったリリアナを孤立させるようでいけないと思った。
あいつも単純に先生たちを恨んでいるわけではなく、みんなのために嫌な役を買って出てくれているのだ。
もう二度とあんなことが起こらないように。
「リリアナ」
歩きながら、軽く肩を叩いて俺は彼女に話しかける。
「俺もしっかりするよ。……ごめんね」
いやな役目を一人でやらせようとしたことを謝った。
あいつが一人で怒り狂っているだけ、というような形にはすべきではないと思った。
「…………」
意図が分かったのかははっきりしない。
でもリリアナは少し笑った。
「わたしも、ちょっと熱くなりすぎたかもね」
どこか照れくさそうだった。
張り詰めていた空気も緩んで、いつもの調子をいくぶん取り戻したように見えた。
だから安心して進むことにする。
「さぁ、入ってくれ。中にはヴィクターもいる」
そうしてたどりついたのは、セオドア先生の執務室だった。
夜ではあるが、ここだけは明かりが漏れ出ている。
「はい」
先生がドアを開いてくれたので中へと足を踏み入れた。
俺は先生たちを信じているが、それでもしっかり聞くことは聞かなければと思った。
「……おかえり」
中に入ると聞いた通りヴィクター先生もいた。
俺たちを見ると薄く微笑む。
だが、その笑顔にはどこか疲れたような色が混じっていた。
俺たちがいない間になにかあったのだろうか?
それはともかく、部屋に入ったセオドア先生は自分の席に腰掛ける。
俺たちも机の前に横並びで立ったが、疲れているだろうからと座るよう言われた。
そうしてそれぞれ思い思いの場所に落ち着いたところで、セオドア先生が口を開く。
「率直に言おう。君たちを殺そうとする者がいた。ヒギリの乱入はその者たちによるものだ」
言い放たれた言葉に目を見開く。
ヒギリ……つまりあの風の中位魔獣の乱入は事故ではなく、人為的な工作だったということか?
しかしリリアナは納得していない。
俺の横に腰掛けていた彼女は、困惑したように眉をひそめる。
「でも殺すなら……いくらでも機会があったと思います」
たとえば負傷して洞窟に逃げ込んだ時、あの時にもう一手打たれていたら俺たちは終わっていた。
なのにそれがなかった。
殺そうとしていたわりに詰めが甘いことに俺も疑問を抱いている。
答えを促すように視線を向けると、セオドア先生は困ったように頭をかいた。
説明するのが難しい、込み入った事情があるのだろうか?
ともかく、リリアナとの問答は続く。
「証拠を残すのはまずかったんだろう。ヒギリなら、長い距離を飛ぶ中位魔獣の乱入なら事故で通すこともできる」
「どうして事故に見せかける必要が?」
中位魔獣を送り込む、なんてことが可能な力を持つ勢力は限られる。
それだけの力を持っているのなら事故を装う意味はない。
彼女はそういう意味で言っている。
ただ殺すだけなら宿の食事に手を回して毒でも混ぜればよかったのだ。
「……言い逃れの余地を残すためだ」
それに、今度はクリフが反応した。
「言い逃れ?」
俺にとってもセオドア先生の言葉は不可解に聞こえた。
先生は深く頷くと、少し重い口調で語り始める。
「詳しく説明する。が、いくつか先に話さなければならないことがある」
そして明かされたのは、俺たちの知らない孤児院に関する話だった。
まず、前提としてこの孤児院と似たような場所はたくさんあるらしい。
これらはとある計画のために作られたもので、今回の任務は孤児の中でも限られた精鋭にだけ与えられた試練であるそうだ。
そしてこの試練を通して能力を測り、最も優秀だと判断された部隊がその計画の中心を担うことになっていた。
……と、そこまでひと息に語ってセオドア先生はため息を吐いた。
「しかしここで裏切り者が出てきた。君たちが特に優秀で、試練を経て順当に選ばれることが分かっていたから……自分たちの孤児を計画の中心に据えるために消そうとしたんだ」
いまいち理解が追いつかない。
困惑する俺たちを見て、セオドア先生は少しだけ考え込む。
それからまた話を続けた。
「その、彼らの子どもが計画の核になれば……我々の仲間内での権力が高まる。しかし君たちを殺したとなれば組織にもいられなくなる。だから邪魔者を消しつつも、最低限の言い逃れができるように事故を装った……今回の件はそういうことだ」
少しずつ話が見えてきた。
計画とやらの内容はわからないが、それについては今はいい。
元々ただの孤児院でないのはわかっていたので、なにか目的があるということに驚きはない。
今回はなにかの派閥争いに巻き込まれてあんな目に遭った、そういうことだと理解しておこう。
しかし、それが分かったところでまだ聞くべきことはたくさんある。
俺はその中で一番重要なことを直接尋ねることにした。
信じているからこそ腹を探るような回りくどいことはしない。
「でももう片方は、ディティスは……事故じゃなかったんですか?」
俺のひと言で、部屋がしんと静まり返った気がした。
核心に迫る質問だとみんなも感じているのかもしれない。
先生は俺たちに嘘をついていたのか、ついていたとしたらどういうつもりだったのか。
これからも命を預けるのなら、そこが一番大事だと俺は思う。
「…………」
だが先生はその問いを前に黙り込んだ。
俺も何も言わずに答えを待っていた。
騙してごまかすとは思わないから、納得のいく答えを考えてほしいと思ったのだ。
また少しだけ沈黙が続いたが、やがて言葉を選ぶようにしながらも答えてくれる。
「ディティスに関しては……その通りだ。あれは我々が仕込んだ」
「っ……!」
先生がそう言うと、リリアナも何かを言おうとした。
だが俺は、彼女の肩を叩いて首を横に振る。
説明を待つべきだと思った。
「…………」
先生は俺たちのやりとりを目の端に捉え、小さく頭を下げると言葉を続ける。
「私は君たちなら勝てると思っていた。だから送り出した。それに関しては言い訳をするつもりはない」
そこで、今度こそリリアナが声を上げる。
俺はそれを止めることはできなかった。
彼女が涙ぐんでいるのがわかったからだ。
「でも何も言わなかった!! ディティスがいるってわかってたら……わたしたちだってもっと…………!」
準備をしていけた。
これはその通りだ。
そして俺たちは、本当のことを聞いたからと言って逃げなかっただろう。
先生たちが望むならみんな命を懸けたはずだ。
俺は臆病者で、少し怪しいが……誰か一人でも行くならついて行ったと思う。
「わたしは……知らなかったから……そのせいでちゃんと指揮できなかった! 作戦ももっと……みんなが怪我しなくて済むようにできた……。なのになんで教えてくれなかったんですか!! 先生は……わたしたちが死んでよかったんですか……?!」
さらにとぎれとぎれの声で感情をぶつける。
だが最後には声を震わせて勢いがしぼんでいった。
悔しそうな表情で、また黙り込んだ先生をじっと見据えている。
「…………」
彼女は俺たちの指揮官だった。
だからこそ十分な準備ができなかったこと、中位魔獣の乱入にうろたえたことで責任を感じていたのかもしれない。
敵の戦力さえわかっていれば、という気持ちも強くあったのだろう。
実際、少なくともディティスがいることが分かっていたならあそこまでの死地には追いやられなかったはずだ。
そんな彼女を前に、先生は小さく咳払いをして目を伏せる。
「事前に教えたとして……入念な策で勝たれるのは趣旨が違う。目的はあくまで戦士としての強さを測ることだ」
つまり、作戦もなしに真っ向から中位魔獣を倒してほしかったということか?
俺はまた混乱する。
どういうつもりなのか全くわからなかった。
「それから、死んでいいとは思っていなかった。中位魔獣が一体なら君たちが負けることはない。そう思っていたんだ」
と、そこで先生は言葉を切った。
そして一瞬だけ迷ったあと話を続けた。
「……とはいえ、誰か死ぬのならばそれも仕方がない。そう考えていたことは否定しない。本当の戦士は、死のふるいにかけられて生まれるものだから」
静かな口調でそう告げた先生は、まっすぐに俺たちを見つめていた。
先ほどまでの後ろめたさのようなものも消えて、紛れもなく本心からの言葉なのだとよくわかった。
俺は、正直ショックだった。
俺にとって家族の命はなによりも大切なものだ。
先生たちを含めて、死んでも仕方ないと思える状況なんて絶対にない。
なのに先生にとってはそうでなかった。
「…………」
言葉が出てこなくて、俺はシーナ先生の方を見る。
自分がどんな顔をしているのかよくわからなかった。
どんなつもりで見たのかもわからない。
シーナ先生がどう考えているのかを確かめたかったのかもしれない。
だが目が合うと、先生は傷ついたような顔をして俯いてしまった。
その横で、これまで静観していたウォルターが口を開く。
「戦っていれば、いつか勝手にふるいにかけられるのでは? 意味もなく死なせるのはどうなんでしょう」
確かに本当の戦いならともかく、用意された中位魔獣と戦って死んだのでは無駄死にだ。
意味のない死だ。
だからわざわざこんなことをせず、いずれ来る兵士としての戦いの中で頭角を現すのを待てなかったのかと聞いている。
「あまり待てないんだ。戦士になって本番を迎えてもらう必要があった。君たちをこれまで育てた、仕上げがあの任務になる」
「なるほど」
呟くように返すとウォルターは黙り込む。
「…………」
今のセオドア先生の言葉からして、よほど失敗できない事情があることが察せられた。
さらに経験を積ませるような猶予もないようだ。
そう思うとなんだかこれからのことが不安に思えてくる。
俺たちは一体どうなるのだろう。
「まだ質問はあるかな?」
先生がそう言った。
するとリリアナが作戦中に不自然に思った点、たとえば外部からの妨害はなかったのか……などの問いをぶつけていった。
つまり突然の霧や撤退中に現れた氷の壁など、不自然な状況についての疑問だ。
それに先生は妨害はなかったと口にする。
あったとすればそれは裏切り者たちの仕業だとも。
「わかりました。……わたしはもういいです」
さらに七つほど聞いたあとリリアナは質問をやめた。
腹に据えかねている様子ではあるが、もう何も言うことがないのだろう。
俺も一番大きな懸念については聞けたし、大体の疑問は今のやり取りが解消してくれた。
もう他に名乗り出る者もいない……と思われたところでクリフが最後に手を上げる。
「正直な話、今後もこういったことはあるんですかね」
「ないと約束する。嘘の作戦を伝えるようなことは二度とない」
「でも、他の奴らはまだふるいにかけてないはずですが?」
たしかに今回の任務で俺たちが……先生の言うところの本当の戦士になったのだとしたらだ。
まだなっていない他の子どもも死地へと追いやる必要があるのではないか。
ならば、まだ何度もこんなことが起こる可能性はある。
しかしセオドア先生はきっぱりと否定する。
「いや、他の子どもたちには……少しずつ経験を積んでもらえればそれでいい。ふるいにかけるのはいま必要な人数、役割を担う精鋭だけで足りている」
「そういうことなら。とりあえず信じますよ、俺は」
彼もひとまず納得したようだった。
さらにもう質問が出ることもなかったので、そのまま話し合いは終わることになった。
怪我の治療や訓練への復帰について軽く説明を受けて、俺たちは部屋で休むように言われる。
負傷した者は治療が終わるまで、そして訓練に参加できる者も三日は休んでいいらしい。
それだけ聞いて俺たちは執務室を去ろうとした。
だが立ち去る前に、セオドア先生が語りかけてきた。
「最後になるが……君たちには申し訳のないことをしたと思っている」
深く頭を下げているので表情は伺えなかった。
だが少なくとも俺の目には、先生が心から謝っているように見えた。
「私には使命がある。君たちのことを……常に優先できるとは限らない」
「…………」
「……しかし、少なくとも私個人にとって君たちは……大切な教え子だ。それは変わらない。どうかこれからも力を貸してほしい」
先生の言葉を聞いて顔を見合わせる。
そして頭を下げたままの先生に、初めてクランツくんが声をかけた。
「先生のその使命……ってやつは。正しい目的なんですね?」
「それは、間違いない。多くの人々を救うための大義だ。まだ内容は……」
「ああ。別にいいです」
まだ内容を話すことはできない、そう言おうとした先生の言葉をクランツくんは遮った。
どうやらそこまで聞く気はなかったようだ。
「それだけわかれば十分。俺は……どうせ拾われなかったら死んでましたんでね」
拾ったのだから好きに使えばいいとまでいかない。
でも先生たちには感謝していて、なにか正しいことをしたいなら多少無茶をしても力になる。
そういうことだろう。
俺も同じ気持ちだし、今だって変わらない。
「じゃあ部屋に戻ります。ヴィクター先生、明日は治療をお願いしますよ」
そう言って、クランツくんは杖をつきながら帰っていった。
彼につられるようにして、一人また一人とその場を立ち去る。
俺もセオドア先生に声をかけて帰ることにした。
「失礼します」
先生はもう顔を上げていた。
目を見て挨拶をして踵を返す。
そして歩きながらヴィクター先生と言葉を交わした。
また最後に、いつの間にか部屋の隅にいたシーナ先生にも視線を合わせた。
「…………」
先生はまだ後ろめたそうだったが、説明は聞いたのでもうわだかまりはないつもりだ。
だからいつものように話しかける。
「先生。今度は……みんなの活躍の話をしに来ますね」
たまに武勇伝をせがんで聞いていたお返しのつもりだった。
そう言って笑うと、先生も少しだけ笑った……と、思ったがあまり笑えていない気がした。
「ええ。楽しみにしてるわ……」
先生の様子は気になったが、今話しても嫌な思いをさせるだけな気がした。
だからそのまま、俺は執務室を出て部屋に戻ることにする。