六十二話・帰還(1)
任務が終わった。
もう後は帰るだけだ。
途中で足止めした下位魔獣たちの処理が心残りだったが、それは黒フードの少女たちが受け持ってくれるという。
いくつもイレギュラーが起こったし、こちらには負傷者がいる。
だから今回は面倒を見てくれると言うのだ。
それから、野営地の片付けも彼女らが任されてくれた。
これは非公式な作戦だから、そもそも頼まれなくても痕跡は完璧に消し去るつもりだったようだが……。
ともかくそんなわけで、比較的元気な仲間がみんなの必要な荷物と私物だけを取りに戻った。
そして俺たちはその日の内、昼過ぎ頃に帰路につくことになる。
「なんかげっそりしちゃったねぇ……」
山あいの道。
来た道を戻りながら、リリアナが俺の顔を見て笑った。
行きは緊張したが、帰りのいまはピクニック気分だ。
さっき彼女も鼻歌なんてうたっていた。
「そう?」
リリアナこそやつれてる、と言おうとしたが女の人には言わないほうがいい気がした。
なのでただ聞き返すと、あいつは俺の頭を撫でてきた。
振り払うと今度は外套のフードを被せてくる。
深く深く、前が見えないほど。
うっとうしい……。
「……あ」
俺をつつくのに飽きたのか、それとも他に重要な用事を思い出したのかもしれない。
不意に声を上げて、リリアナはウォルターの脇腹を小突く。
「ウォルター……」
小声で呼びかけると、彼はリリアナに向き直った。
そして小さくため息を吐いて語り始める。
「ミルクを持ってくるのを忘れちゃった」
荷物を取ってくるメンバーの中にいたウォルターの発言だ。
つまりは大事なミルクを野営地に置いてきたということだ。
しかし演技の下手さが出て棒読みだった。
それに口調がほぼリリアナだった。
セリフを仕込まれたのが見え見えだった。
当然、他の面々に一瞬で看破される。
まずクリフがうんざりしたような顔で口を開いた。
「リリアナの差し金か? たらふく飲んだくせに独占するんだな」
そして、杖をついていたクランツくんもそれに続いた。
「どうせこのへんに入ってんだろ。おい。バレてるからな」
ウォルターの荷物のやけに膨らんだ部分を杖でつつく。
すると彼は観念したように目を閉じて俯いた。
俺はかわいそうだと思った。
そしてバレては仕方がないと割り切ったのか、リリアナがクランツくんの杖をそっと退ける。
「やめて。ウォルターは悪くないよ……」
あいつはそう言って軽くクランツくんを睨んだ。
ツッコミどころが満載だが、これで天然だからリリアナ先生は最高だ。
クリフとクランツくんが呆れ果てた顔になる。
「知ってるよ」
「どの口が言ってんだ。まずその、薄汚れた口をすすいでこい」
まぁ、独占を阻止できてよかった。
ミルクは帰り道で均等に分ければいいだろう。
俺だって少しは飲みたい。
そのままわいわいと話す姿を見ながら歩き続ける。
目的地である、最初に馬車を降りた地点はもう近い。
「…………」
そこでふと黒フードの少女に目をやった。
ここまで影のようについてきたが、彼女ともそろそろお別れだろう。
最後までいい関係は築けなかったが、ウォルターについていてくれたりと世話にはなった。
俺は、別れる時にはちゃんとお礼を言おうと思った。
「もうすぐですね」
ニーナが道の先に目を向けてつぶやいた。
その言葉でみんなが会話を止める。
すると待機している馬車が遠目に見えた。
「やっと帰れる!」
リリアナが嬉しそうに言った。
俺はそれを見て笑った。
そこで黒フードの少女が立ち止まり、俺たちに言葉を投げかけてくる。
「私はここで。失礼するわ」
一方的に告げて立ち去ろうとした。
だがリリアナが彼女の背に声をかける。
「あっ……待って!」
少女は足を止めた。
そしてフードを深くかぶったままこちらに振り向いた。
表情は伺えない。
「…………」
立ち止まった相手を前に、リリアナはもじもじと言葉を詰まらせる。
そしてしばらくの沈黙のあと、つかえながらも話し始めた。
「あの、わたし……最初に、最初の日に……」
「…………」
「やなこと言って……怒らせて、ごめんなさい。あんなふうに、なるとは……思ってなかったから……」
なんのことかわかっただろうか?
あの出来事ももう随分前に感じる。
ともかく少女は深くため息を吐いた。
「…………」
そのまま、なにか考えこむように黙り込んでいる。
やはり表情は分からないが、なんとなく迷っているような気がした。
リリアナが不安そうにこちらを見てくる。
俺は軽く背を叩いて、少女の方を向くよう促す。
すると考えが固まったのか、彼女はゆっくりと語り始めた。
「……謝罪に免じて。一つ、情報を提供してあげます。ステラという女に出会ったら……逃げなさい」
謝罪を受け入れるのかと思えば、全く別の話をし始めた。
どういう文脈なのかわからなかった。
しかしその忠告が、俺たちにほんの少しでも心を許した結果だということはなんとなく分かった。
「いい? 出会ったらすぐに逃げること。もし逃げられるとしたら……それはあの悪魔が遊んでいるうちだけよ。逃げたら国を出て、名前を変えて、息を潜めて生きなさい」
「どういうこと?」
リリアナが問いかけるが、少女は何も答えなかった。
今度こそ背を向けて歩いていく。
だから俺も、慌てて背中に声をかけた。
「ありがとう」
リリアナと、少し遅れてニーナも同じように感謝を伝えた。
他の三人は何も言わなかった。
「………」
少女は何も言わず、ただ足早に道の先へと去っていく。
振り返りもしない。
結局最後まで名乗ることはなかった。
「……なんか、変なこと言ってたな。後味の悪いやつだ」
クリフがどうでも良さそうにつぶやく。
確かに少女の言葉はよく分からなくて不吉でもあった。
でも俺は覚えておこうと思った。
俺たちのためを思って言ってくれたような気がするからだ。
「まぁ、いいだろ。帰ろうぜ」
クランツくんがそう言うと、またみんな歩き始めた。
そうして馬車の方へと進んでいく。
これから数日の旅を経たら、もう孤児院についているだろう。
俺はそれがとても楽しみだった。
―――
孤児院につくまでの旅は、行きと違ってとても楽しかった。
まず馬車に乗り込むと、みんなすぐにぐっすりと眠り込んだ。
でもクランツくんと俺とリリアナは揺れが傷に響いて何度も起きてしまった。
仕方ないので三人で喋っていたが、他の三人が夕方になっても眠っているのがなんだか妬ましくなった。
だから、クリフやウォルターを色んな方法で起こして遊んだ。
いたずらをされる二人を見て、リリアナが足をバタバタさせるほど笑っていたのが面白かった。
彼女はちょっとテンションがおかしくなっていた。
そんな騒ぎをよそに、ニーナはすやすやと眠っていた。
途中の街につくと食事をして宿を取った。
そしてゆっくりと休んでから、昼過ぎに街に出て孤児院のみんなへのお土産を買った。
財源は兵士さんがくれたたくさんのお小遣いで、当然のようにリリアナは使わずに貯めこもうとしていた。
でも俺とクリフで引っ張ってお金を使わせた。
特にクリフはいつもお金を落とす側なので、金を使うたびに弱っていくリリアナを見てにやにやしていた。
それからまた馬車に乗って旅を続けた。
帰りは行きと違って野営はせず、街を通るルートでゆっくりと進んだ。
そして次の宿ではリリアナの部屋に集まって、遅くまで怖い話をすることにした。
でも怪談が嫌いなウォルターが途中で逃げたから、そこからはウォルターと俺の部屋で続けることになった。
あと、リリアナが結局一番怖いのは人間……というような話ばかりすることにクランツくんが気づいたのが面白かった。
その場ではからかったが、リリアナは案外闇の深い過去を背負っているのかもしれないと思った。
そんなふうに楽しく過ごして、あっという間に旅は終わりを迎えた。
旅の三日目、俺たちは孤児院に帰ってきた。
―――
帰り着いた頃にはもう夜だった。
普段ならみんなもう寝ている時間だが、門が開いていたので俺たちはそこで馬車を降りる。
そして兵士さんたちにお礼を言って、孤児院の中に足を踏み入れることにした。
そうして懐かしい家を歩きながら、クランツくんがそわそわとした様子で口を開く。
「先生たちも……みんなも驚くだろうな。中位魔獣を二体だからな」
それに俺も同意する。
今思えば本当によく生きているものだ。
「群れもついてたからね……」
正直もう思い出したくもない。
でも生きて帰れたのだと感傷に浸っていると、リリアナが冷めた口調でぽつりと呟いた。
「わたしはちゃんと文句言うつもり。あんな作戦ありえないから」
それは多分、誰も言わないようにしていたことだ。
一番おかしいのは作戦であり事前調査でもあった。
おかげで俺たちは中位魔獣が二体もいるような戦域に放り込まれることになってしまった。
だがどうしても先生たちを悪く言う気になれなくて、俺は少し尻込みしてしまう。
「…………先生たちが、悪いのかな?」
「誰が悪いのかは知らないけど……ちゃんと言わないとダメ。わたしたちは使い捨ての道具じゃない。……誰か死んでたらわたし、ぜったいに先生たちを許さなかったよ」
そう言うとみんなの表情がこわばった。
確かに。死んでいてもおかしくなかった。
疑わないようにしていたが、一度警戒し始めると歯止めがきかない。
使い捨てどころか、俺たちを殺そうとしていた可能性すらある。
普通に考えてあそこまでの状況はありえないし、不自然なことがたくさんある。
運が良かったから、ニーナとウォルターの二人が特別な戦士だったから生き残れただけだ。
あれは本当なら確実に殺される状況で、なおかつまともにやれば起こりえない展開だった。
使い捨てられたとも、殺されそうになったと言われても反論はできない。
「…………」
急に、なんだかとても不安になってきた。
のんきにお土産なんて買ってきたが、俺たちはここに帰ってきても良かったのだろうか……。
俯いてとぼとぼと歩いていると、もう孤児院の建物が目前に迫っていた。
先生たちは起きていて、俺たちを待っているだろうか?
もはやそんなことすら確信できずにいると、唐突にドアが開いた。
そして誰かが走り寄ってきた。
「……シーナ先生」
リリアナが呟いた。
確かにシーナ先生だ。
手に魔道具の明かりを持っていたので夜の中でもすぐに分かった。
そして先生は俺達の前に駆け寄ってきて、一番近くにいたニーナを抱き寄せた。
明かりも取り落として泣き始めた。
いや……最初から泣いていたのか?
想像もしなかったことだが、先生が声を上げて泣いている。
それにニーナは戸惑ったような声を漏らした。
「あっ、えっ? 泣いてます……?」
「うぅっ……うっ……」
何も言わずすっと泣いていた。
だから俺たちも何も言わずに先生を見ている。
するとようやく先生は口を開いた。
「…………ごめんね。……ごめんね、本当に……ごめんなさい。帰ってきてくれて……ありがとう……ごめんね……」
先生は何度も泣きながら謝っていた。
それを見て、俺の目からも涙が落ちていた。
先生たちを少しでも疑った自分を恥ずかしいと思う。
きっとなにかの事故だったのだろう。
やっぱりここは俺たちの家だ。
そう思えたことに安心した。
「先生……」
しゃくりあげながら何度も目を拭う。
そうして泣いていると、俺はようやく家に帰って来られたような気がした。




