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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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六十一話・閃光

 


「もう逃げてあげない。お前は、ここで死ね」


 その言葉の直後、ニーナの手からナイフが飛ぶ。

 左の目を一直線に狙った一撃だった。

 ディティスは氷の左腕で弾いたが、すでに彼女は次の攻撃を仕掛けている。


 狙いは左の脇腹だ。

 目を守るために腕が動いたから、今そこはがら空きになっている。

 まるで駆け抜けるように、一瞬の交錯で斬りつけた。

 鎧の隙間に山刀の刃が走り、高速の一撃離脱によって鮮血が噴き出す。


「――――……ッ」


 ディティスの、小さなうめき声が上がる。

 だが損傷は大きくない。

 すぐに寄生体が傷を塞ぎ、またニーナへと襲いかかる。


「………」


 猛り狂う敵に対し、彼女はじっと動かずその動きを見据えていた。

 そしておもむろにナイフを投げる。

 さらに走り出す。

 彼女は投げて、防がせて、その隙に斬るのだ。

 投擲と山刀による波状攻撃が始まった。


「……速い」


 思わずつぶやいた。

 ナイフを投げて隙を作り、その隙に攻める一瞬、彼女はとてつもなく速く走る。

 駆け抜けるような動きで接近して斬りつけて、そのままの勢いで離脱する。

 敵にはまるで反撃の機会がない。


 また低い低い前傾姿勢でスタートを切って、接近と離脱の道を一瞬で走破そうはした。

 これを何度も何度も繰り返し、狙いを変え場所を変え駆け抜ける度に、ディティスの体から血がほとばしる。


 だが敵は狡猾な魔獣だった。

 すでに投げナイフは痛手にならないと理解していた。

 だから投擲を無視して、走るニーナを捕まえる動きへと変わる。

 明らかに対応され始めていたが、なおも彼女はナイフを投げて……いや、ナイフではない。


 あれはメダルだ。

 縫合ほうごう用の糸を巻きつけた、魔術の触媒のメダルだ。


「『灯光トーチ』」


 投げナイフを無視することを学んでいたのがあだになった。

 ディティスは飛んできたメダルを叩き落さなかった。

 だから、なすすべなく目の前で光が炸裂する。


「――――――!」


 完全に視界を潰された。

 ニーナは首を狙ってナイフを投げる。

 首は可動部だから鎧に隙間がある。

 だが目を潰されながらも、中位魔獣の反応速度は攻撃への対応を可能にした。


 とっさに、といった様子でナイフを防御する。

 すると追加で二本の刃が投げられた。

 その軌道はまるで見当違いな場所に向かっているように見える。

 狙いを外したのかと思ったが、俺はすぐに本当の狙いを理解した。

 二つの刃が向かう先は、今弾かれたナイフの刀身だ。


「まさか……」


 俺は目を見開く。

 予想通り、三つの刃は甲高い音を立て衝突する。

 するとぶつかった二本はくるくると回って跳ね上げられる。

 それから複雑な軌道変化を経て、両方がほぼ同時に敵の左眼に突き立った。


「――――――――ッ!!」


 声にならない悲鳴が上がる。

 あれは俺に見せた曲芸投げだ。

 空中のナイフにさらにぶつけて軌道を変える、彼女にしかできない技術だ。

 腕を出して首を守ったところで、さらに刃を加えて確実に刺したのだ。


「小賢しい化け物。一つ、教訓を与えましょう」


 言葉と同時、ニーナは一瞬で距離を詰めた。

 さらに目を抜かれて悶絶する敵を蹴る。

 何度も蹴る。

 数え切れないほど、体重の乗った蹴りがディティスに直撃する。


 同時に山刀も振るう。

 縦横無尽に動き回って翻弄ほんろうしながら、打撃と斬撃の手数で圧倒する。

 まるで雪崩なだれのような勢いの攻撃だった。

 攻め殺すような気迫を前に、ディティスは一瞬だけ縮こまってしまう。


「…………!」


 ニーナはその、致命的な隙を逃さなかった。

 山刀の刃が閃く。

 斬撃の軌道は見えなかった。

 ウォルターの技を模倣もほうした、消えるような速さの剣技だった。

 ただ光がちかちかと走ったように見えた瞬間、両膝から血を流してディティスは崩れ落ちる。

 さらにその敵に、座り込んだ敵に、ニーナは無慈悲に追撃を加える。


 まずこめかみを狙った回し蹴り……と見せかけて左目への追い打ちの飛び蹴り。

 続けてみぞおちを狙った突き蹴り……に装って放つ左目への足刀そくとう蹴り。

 とどめの喉を打つ後ろ蹴り……も蹴り上げに変わり、踵落としへ移り、散々に翻弄した最後には、おもむろに浮いた左足が目を撃ち抜く。


「――――――ッ!!!!」


 巨体が倒れ、ひときわ大きな悲鳴が上がった。

 今のは、すでにナイフを二本刺した状態での執拗しつよう加虐かぎゃくだった。

 貫かれた左目から霧のように、壊れた噴水のように激しく血が吹き出している。

 鋭い三連蹴りに押し込まれ、もう柄まで埋まってナイフが見えない。

 あれをすぐ復元するのは絶対に無理だ。


 そして、ようやくニーナは教訓を口にする。


「獲物は選ぶべきです」


 冷たく告げて片目を強奪した彼女は、ディティスに対して絶対的な優位に立った。

 もう一撃離脱の必要はない。

 それを物語ものがたるように、近接の間合いから攻め立てていた。

 鋭く、しなやかに、また、なにより速く攻め続ける。


 対してディティスは、攻撃に全く対応できていなかった。

 これはきっと、片目だけ見えてしまっているせいだ。


 ニーナは敵の、半分だけの狭い視界を完璧に掌握していた。

 敵に見せたいものを見せ、見せたくないものは巧みに隠している。

 そうして彼女が選んだ情報だけを敵は受け取る。

 だからあえて()()()()()だけで判断を下すことになり、結果として行動を支配されてしまう。

 これならまだ両目が潰れて、無闇に暴れまわった方が勝算があるだろう。

 視覚を通じた支配を強めるにつれ、ニーナの攻撃は激しさを増す一方だった。


 彼女はナイフを振るう構えを見せて、視界の外から山刀で肉をえぐる。

 続けて鋭い突きを敵に見せて、その影から投げナイフで鎧の隙間を穿うがつ。


 見せたものの裏で、隠した刃を確実に当て続ける。

 だがそれだけというわけでもなく、時にはまっすぐな攻めも通す。

 今も目の前で構えた山刀を、そのまま素直に振り下ろしてみせた。


「……はっ」


 なすすべなく鎧の隙間を裂かれ、唸る敵を鼻で笑う。

 しかし、その次は二回連続でフェイントを決めた。

 けれど、さらにその次はまっすぐに攻撃を仕掛ける。


 こうして虚実を織り交ぜた猛攻に晒される内に、ディティスはどんどん守りきれなくなっていっていく。

 仮に攻撃が見えても、フェイントを疑うせいで反応できなくなっているのだ。


 いまや完全に思考を掌握され、ほぼ全ての攻撃の命中を許してしまう。

 もうまともに反撃すらできていない。

 そして、これを分かっているかのようにニーナも動く。


 彼女はすでに、防御を一切行っていない。

 跳び、走り、目まぐるしく動き回り、緩急をつけた高速機動で敵を幻惑げんわくする。

 閃光のように駆け抜け、影のように揺らめいて消える。

 十も百も蹴りが命中した。

 続けざまに、目にも止まらぬ速度で刃をひらめかせ、ディティスの体を血染めにしていく。

 ただただ、ひたすらに速く動く。

 血しぶきと残光だけが彼女の早業はやわざの証だった。


「…………」


 凄まじい戦いを前に、誰もその場から動けなかった。

 ただただあっけにとられていた。

 ニーナは……ただでさえ動きが尻上がりに良くなってはいたが、今は人を超えたような戦闘能力を見せている。


 これは、天才はウォルターだけではなかった、ということなのか。


「……あいつ、全部見えてたんだ」


 苦しげな息の中、クランツくんがそう言った。


「俺もクリフも、横で戦ってたからよく分かってたよ。全部見えてたけど、でもビビってた。だから下がらせたが……まさか、こんなに強いとは」


 彼の言う通り、ニーナは中位魔獣を蹂躙じゅうりんするほどの力を示した。

 それもウォルターとは対象的な強さだ。

 彼女はただひたすらに攻め、攻撃の圧力で敵の動きを支配する。

 最適な攻撃を最大の速度で実行し続ける。

 効率と高速の両輪で、最高の火力を生み出して敵を仕留める。


 ……けれどそれも、普通の相手に限る話だ。

 氷の鎧があってはさしものニーナにも決め手がない。

 全身を刻みながらも、命にまでは手が届かない。


 勝つためには、俺がもう一度魔術を使わなければならない。


「力よ、武器に宿り、留まって……」


 詠唱を始めた。

 するとリリアナが問いを投げかけてくる。


「……魔力はあるの?」


 その質問には答えなかった。

 代わりに一度だけうなずいたが、本当を言うと足りていない。

 二度の『暴走剣』によって魔力は尽きつつあった。


 だが俺は、その先を引き出す方法を知っている。

 いざという時に限界以上の力が出せるよう、密かにそういった修練は積んできた。


 魔力が少ない状態で大きな魔術を使う……これを繰り返すことで、魔力切れの先が広がっていく。

 そうして広げた先を使うことで、俺はもう一度だけ『暴走剣』を使えるだろう。


「……『炎剣フレイムアーツ』」


 二個目を仕込んだところで俺はめまいにふらついた。

 限界以上に魔力を使えば、当たり前だが代償がつきまとう。

 これはほとんど命を削る行為と変わらない。

 人は魔力を失うと死んでしまうおそれがある。


 息を整えて詠唱を続ける。

 すると不意に、リリアナが頬を優しく撫でた。


「…………」


 止めるのかと思ったが、そうではないようだ。

 ただ目を見てうなずいている。

 信じて、励ましてくれているのだろう。

 これが俺の戦いだと分かっているのだ。


「……ありがとう」


 小さな声で告げて、彼女の目を見て笑った。

 リリアナは真剣な顔で深くうなずいて、手を離した。


 すると頭痛と息苦しさは変わらないものの、心はどこか静かになっていた。

 こんなことは初めてだった。

 死を近くに感じるのに、少しも怖いとは思わない。


 ただ目的だけが頭を埋め尽くしていた。 

 この一撃で、必ずニーナを、みんなを勝たせる。


「累なれ……」


 深い集中の世界に入り、俺は今までで一番早く『暴走剣』を使えた。

 しかしこれまで経験したことがないくらい、深く深く魔力を絞り出している。

 もはや足元すらおぼつかなかった。


 だがそこでニーナが俺に気がついてくれた。

 ゆっくりとゆっくりと……歩く俺に、一瞬だけ視線を合わせてきた。


「…………」


 俺を見た瞬間、彼女はディティスから距離をとる。

 そして改めてなにかを詠唱し、再び敵の間合いへと飛び込んでいく。

 その動きは、これまでとはかけ離れた速度だった。

 おそらく強化魔術を変えたのだろう。

 詠唱が短く、効果も短時間で終わるが、大きな強化を得られるものに。


「すごい……」


 そして始まった、戦いを前に息を呑む。

 今のニーナの速度は、移動も攻撃も三つほど上の段階に進んでいた。

 ディティスはもはや、亀のように縮こまって攻撃をやり過ごすしかなくなっている。


 もうフェイントはなしだった。

 天性の敏捷びんしょうを駆使して圧倒し……ニーナがディティスの大鉈をかすめ取った。


「『強炎剣ブレイズアーツ』」


 右手だけで大鉈を振るいながら詠唱を済ませ、左手で魔術を使う。

 魔術の対象は大鉈だ。

 つまり、奪い取った刃に炎を這わせたのだ。

 大鉈を両手で持った。

 氷が炎に塗り潰された。

 緋色ひいろの連撃が襲いかかる。


「――――ッ!」


 ディティスは、超重量の衝撃を受けて後ずさった。

 ニーナはそれを、強く鋭い捕食者の視線で見据えている。


「…………」


 燃え盛る大鉈を携え、逃げようとする標的を追跡した。

 大鉈の叩きつけで膝を砕く。

 まるで首を差し出すように、敵が地面にへたり込んだ。

 続けて、勢いよく顎を打ち上げて思考を奪う。

 最後に目の前で、まるで型を演じるようにゆっくりと構え、ゆらりと刃を大上段に振り上げる。


 炎が、妖しく揺らめいて尾を引いた。


「…………!」


 うめくディティスは、一切の反撃を行わなかった。

 それどころか防御の構えすら取れていない。


 あいつはフェイントに釣られ続けたせいで、もはやどう動いていいのかが分かっていないのだ。

 目の前の動作が偽りでない確証を持つことができないから、ただ身を固くすることしかできないのだ。

 飽和攻撃を積み重ね、彼女はすでに敵の精神を破壊してしまっていた。


「動くな」


 命令と同時、大上段から頭部へと一直線。

 軌跡だけを残して真紅の一閃が振り抜かれる。


 それは、大鉈の質量と強化した筋力、卓越した技量……全てが相乗した一撃だった。

 兜割りという言葉すら生温い、一刀粉砕いっとうふんさいの致命打が直撃する。


「――――――――――ッッッ!!!!!」


 耳をつんざいたのは、たとえるならば断末魔としか呼べないような叫びだった。

 氷が砕ける音と共に、絶叫するディティスは吹き飛ばされる。


「リュートくん!」


 一撃を放ったニーナが、力尽きて倒れながらも呼びかけてくる。

 動き回って限界が来たのだろう。

 強化も切れたのかもしれない。

 大鉈の炎が消えたから、おそらく魔力も尽きている。


 彼女は鉈を捨て、手を地面について、溺れたような荒い息をしていた。


「…………」


 視線を交わし、最後の力を振り絞って走り始める。

 俺も限界が近かったが、なにか別の力によって足が動いているような気がした。


 思うに今の一撃は俺への助けだ。

 こちらの魔力が少なくなった分、あらかじめ鎧を砕いてくれたのだろう。


 最後の、大上段の構えを思い出す。

 敵の前であんなふうに刃を振るなんて恐れ知らずにも程がある。

 いや……恐怖を乗り越えてくれたと言うべきだろうか。


 ならば俺もそれに応えなければならない。

 地を蹴って、最後に全力で走った。


「もう、終わりだ……!」


 敵は体の前面の鎧を派手に損傷し、ふらつきながらも立ち上がろうとしている。

 だが立つより前に剣を振りかざす。

 そしてそのまま魔術の制御を放棄して、圧縮した炎の総量を叩きつけた。


「…………っ」


 魔力がダメ押しとばかりに目減りする。

 虚脱きょだつして視界が黒くせばまっていく。

 だが、それでも固く剣を握り締めた。


 ここで絶対に倒す、そう誓って刃を押し込んだ。

 視界いっぱいの焦熱しょうねつがディティスの体を焼き焦がしていく。

 そして最後の炎が爆発を起こし、俺は反動で倒れ込んだ。


「……はぁ…………はぁ……」


 剣はどこかに飛んだ。

 ところどころ焦げた指が震える。

 炎ではなく、剣の熱さにやられたのか。

 そんなことを思いつつ、酸欠で激しく咳き込む。

 どうやら今の今まで息を止めていたらしい。


「ごほっ……」


 重くなる意識を必死で保ちながら、俺は爆煙の向こうに敵の姿を探した。

 仮に生きていても、今なら息の根を止められるはずだ。


「……逃がすか」


 六歩先、這うように進んで落ちていた剣を拾った。

 そしてゆっくりと立ち上がる。


 今も敵が体を治癒しているのではないかと思うと……耐え難いほどの焦りがこみ上げてきた。

 もしかしたら逃げて、また殺しに来るつもりかもしれない。

 そんなことを許すわけにはいかない。

 絶対にここで、俺が殺してやる。


「殺す、お前は、確実に、殺す、殺す………」


 歯を食いしばって痛みに耐えて、足を引きずりながら必死に歩く。

 するとニーナが俺を呼び止めた。


「待って。私も、一緒に……」 


 その制止も振り切って進む。

 死を確認しないと安心できない。

 あれは、本当にずる賢い魔獣だった。

 これ以上生かしておくわけには行かない。


 だが少し進んで煙の先に出た時、俺は身を凍らせることになった。


「っ……」


 ディティスは一切の治癒を行わず、膝立ちのまま魔法を構えていた。

 氷の塊が四つ、目の前で今にも叩きつけられようとしていた。


「銀貨!!」


 リリアナが叫ぶ声がした。

 せめて行ったのが俺一人で良かったと思った。

 言うことを聞くべきだったとも。


 もはや避けるような気力はなく、なすすべなく押しつぶされる道を選ぶ。

 そして諦めて膝をついた瞬間。


「…………ウォルター、か」


 俺はまだ、自分の命運が尽きていないことを悟った。


「少し遅れた」


 落ち着いた声が、何よりも深く俺を安心させる。

 土をえぐるような力強い早駆はやがけの音と共に、矢よりも素早く、誰かが魔法の前に割って入ってきた。


「!」


 目の前に現れた速さで分かる。

 まだ強化が切れていない。

 つまり彼は、魔術をほぼ使わず中位魔獣を倒した。

 そして援護に駆けつけるため、移動のために強化魔術を温存していたということになる。


「頭を低くできるか?」


 言葉に従って伏せる。

 するとウォルターは切っ先が折れた大剣を振り、飛来する魔法を全て軽く受け流した。

 流された氷が着弾して轟音が響くものの、少しも怖くはなかった。


「……さて」


 まるで食後に腹ごなしの運動に出かけるような、そんな気安さで彼は声を漏らす。

 それから鎧を剥がされ、焼け焦げた表皮のディティスへと歩を進める。


「――――ッ!」


 低く、唸るような声と共に敵は手の先に爪のような形の氷を形成した。

 凶悪な造形の、当たれば確実に死ぬ刃物だ。

 しかし微塵も恐れを見せることなく、ウォルターは歩いて間合いの内側へと入っていく。


 すると何度も爪が振り下ろされる。

 しかし彼はそれを全て軽くかわす。

 完全に見切り、すれ違うような動きで、のらりくらりと避けている。

 その度に敵の体から血が噴き出す。

 カウンターだ。

 速さ以上に動きに無駄がないから、あまりに動作が小さいから、俺には見えない。


 ただ、ウォルターは爪を避けていた。

 さらに、その度にディティスが反撃で傷ついていく。

 左腕が落ちた。

 胸を斬り開かれる。

 脇腹から鮮血が噴き出す。

 片足を引き裂かれた。

 確実に、死へといざなわれていく。


「――――――――――――ッッッ!!!!」


 そして最後に、血みどろのディティスが咆哮を上げた。

 命を全て吐き出すような、地を震わせるような力強い叫びだった。

 同時に、まるで飛びかかるような勢いでウォルターに右の爪を振るう。


「……………」


 彼は何も言わず地を蹴った。

 直後に、一太刀。

 すれ違って、一瞬の攻防を交えたあと、巨体から大量に血が噴き出し始める。

 もうどの傷から出ているのかも分からない。

 とにかく全身だ。

 しかしそれでも止まらない。

 赤く染まった体で、なおもウォルターへ爪を伸ばそうとしていた。

 恐ろしい生命力だと思った。


「…………っ」


 だがもう少しで届くというところで、ディティスの首が音を立てて落ちた。

 その首の、断面の周りが少し凍っていることに気がつく。

 本当はもうずっと前に切断されていたのだろう。

 でも、氷で接合して戦い続けようとしていた。


 こいつは本当に、強い敵だった。


「…………」


 ようやく、傷だらけの体が倒れる。

 落ちた首の断面から、なくした胴体を求めて寄生体が虚しく這い出てくる。

 触手の中心を、折れた大剣が容赦なく貫いた。

 するとしばらくの間もがいていた寄生体は……完全に動きを止めた。

 俺にも死んだと言うことがわかった。


「……勝った、のか」


 小さくつぶやく。

 疑問の形ではあったが、誰かの答えを聞く前に倒れていた。

 もう立っているだけの力がなかったのだ。


「う、うぅ……」


 仰向けに倒れると、勝手に涙があふれてきた。

 本当に……何度も死ぬかと思った。

 張り詰めていた糸が切れた。

 全員で生きていられることが信じられなかった。


「ウォルターっ!! 銀貨っ!!」


 リリアナがはしゃいで駆けてくる。

 ディティスのそばから戻ってきたウォルターは、握っていた剣を捨てて向き直った。

 すると、まるでつむじ風のような勢いで彼の胸に飛び込んでくる。

 はしゃぐのは結構だが、腹の傷が開いてなければいいが……。


「銀貨が死んだと思ったよ……。ほんとに、助けてくれてありがとうぅ……」


 喜んでいたかと思えば次は泣き出した。


 ウォルターにすがってわんわんと泣き声を上げている。

 それを見て俺たちは笑った。

 こういう時の彼女は、一瞬たりとも同じ顔をしていないので面白い。


「リュートくん、良かったですね」


 ふと気づくと、にこにこと微笑んだニーナがすぐそばに座っていた。

 俺も彼女の顔を見上げて笑った。


「うん。ニーナも……ありがとう。すごく助かった」


 さっきも思ったが、彼女に命を救われた数は一度や二度ではきかない。


 ……いや、ニーナだけじゃないか。

 クリフにも、クランツくんにも。

 もちろんウォルターやリリアナにも本当にたくさん助けられた。


「みんな、ありがとう……本当に……ありがとう……」


 俺も涙が止まらなくなって声を詰まらせた。

 ニーナも泣き出したし、次は俺にのしかかってきたリリアナも一緒に泣いていた。

 クランツくんに肩を貸し、歩いてきたクリフも目を拭っている。


 それを見て、みんな怖かったし苦しかったのだと思う。

 他の仲間がいたからどうにか耐えられただけだったのだ。

 俺は言葉にしようのない大きな感情に揺さぶられて、しばらくの間その場から動くことができなかった。


「……よかった」


 小さく言った。

 任務は本当に辛かったが、誰一人欠けることなく終わりを迎えた。

 みんなの助けのおかげではあるものの、俺はどうにか今日も自分の居場所を守ることができた。



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