六十話・中位魔獣討伐戦(2)
ニーナを欠いた状態で、ウォルターが来ることを信じて持ちこたえる。
それは想像よりもずっと険しい道だった。
今はリリアナ以外の三人が前衛だが、とてもまともな戦闘が成立しているとは言えない。
戦いというより、ただ必死に生き延びているだけだ。
一人でも離脱すればまたたく間に瓦解する、綱渡りのような状態だった。
中位魔獣を倒せる人間は、ほんの一握りの英雄だけである。
何度か聞いたその言葉の意味を、俺は本当の意味で理解させられた。
こんな化け物を相手に、ウォルターやニーナはどうやって戦っていたのだろう。
「『障壁』!」
防壁の魔術を発動したクランツくんが、メダルを起点に形成した盾を敵に叩きつける。
巨大な障壁のシールドバッシュで、わずかでも拘束しようと試みたのだ。
渾身の力で敵を押し崩そうとする彼は、唸り声にも似た息を吐く。
「うぅっ……!」
しかし敵はよろめくことすらせず、真っ向から攻撃を受け止めている。
そしてもちろん受けるだけではない。
すぐに大鉈の反撃が来る。
無造作に振られた刃は、魔術の硬度をたやすく凌駕した。
たった一撃で壁に亀裂を入れ、続く体当たりで完全に粉砕する。
加えて、当て身の衝撃は魔術を突き抜け、壁の裏のクランツくんをも吹き飛ばしてしまう。
「クランツ!」
リリアナが声を上げる。
だが彼は完璧に受け身を取り立ち上がった。
かなり飛ばされたが、それでも全く戦意は衰えていない。
鎧を着ていなくても彼は誰よりも屈強だ。
「三秒で戻る!」
クランツくんの声を聞きながら、俺はディティスの鎧の隙間に剣を差し込む。
浅く、あくまで刺激する程度……いつでも逃げられるようにだ。
すると敵はこちらを狙って攻めてきた。
元々つけ狙われていたが、さっきの炎が効いたのだろう。
俺に対する反応は明らかに他と違っている。
剣の刺突に激しい怒りを示し、大きな咆哮と共に迫ってきた。
「――――ッ!!!」
リリアナはまだ戦える体ではないので、万が一にも矛先が向かせてはならない。
だから一人欠けた分の無茶が必要だった。
囮になるために必要以上に敵を刺激した。
しかし囮とはいえ、右腕を負傷した今はできることが限られている。
振られる刃を必死で避けて逃げ回るだけだ。
まず徹底的に下がることで二発空振らせる。
するとディティスは、俺を叩き斬ろうと大きく踏み込んできた。
「!」
だが、そこでクリフの曲剣の援護が間に合う。
あのままいけばあと数秒で殺されていただろうが、俺には味方がいる。
こうして互いに助け合い、ほんの数秒を稼ぎ続けることでなんとか場を維持している。
「二人とも離れて! 魔術を使う!」
クリフが攻撃でディティスの注意を引き、クランツくんも戻ってきた。
また三人で囲んでいると、リリアナが魔術を使うと言った。
だから即座にその場から退き距離を取る。
すると雷の『槌』の魔術がディティスに直撃した。
「効いてる……」
様子を見て、思わずつぶやく。
大きな雷の塊の降下、その一瞬の閃きの後。
ディティスはわずかに体勢を崩していた。
しかし本来ならそれはありえないことだった。
普通はあの氷の鎧の魔力に遮られ、大抵の魔術は効力を発揮できない。
だがいま気がついたが、あの鎧には大量の金属片が張り付いているようだった。
それは街の工房で出るような、薄い金属の削りカスによく似ていた。
きっと彼女は、爆破のトラップの中にこれを仕込んでいたのだろう。
そうして炸裂と同時に飛散した金属片が、鎧の内外に張り付いている。
だから濃密な魔力を秘めた鎧をすり抜け、金属に誘導された雷の一部がその鎧の内側で暴れたのだ。
彼女は自分の魔術の特性を理解し、最大限活かしていた。
「――――ッ!!!」
火傷の痛みを思い出したか、雷に炙られてディティスは一層怒り狂う。
そしてリリアナへ標的を切り替えた。
すぐに割って入ろうと動き出すが、意外にも彼女から制止がかかった。
「止めなくていい! こっちに来させて!」
言うからには策があるのだろう。
リリアナを信頼し、敵を追いつつもその足を止めることはしない。
だがまっしぐらに駆ける巨躯が半分ほど距離を詰めた頃、唐突になにかに足を取られて転倒した。
そしてそれを見たクリフが声を上げる。
「あいつ……」
彼の反応で理解する。
クリフがよく使う手、地面を脆くする『構造劣化』のトラップだ。
やけに援護が遅いと思ったらこんなことをしていたのか。
しかしその反応を、リリアナは鼻で笑ってみせる。
「もっとすごいんだから。見てなさい」
ちょうどその発言と同時、ディティスが立ち上がろうと地面に手をついた。
するとまるで池かなにかに飛び込んだかのように水が跳ねる音がした。
さらについた手も……いや膝もなにもかも沈んでいる。
もがけばもがくほど沈みゆく敵を見て、俺はようやく思い当たる。
……これは、沼か。
「そう、雨上がりで良かったね。このあたり一帯の水を集めて、それでたくさん泥ができた」
何度も確認したことだが、ディティスの鎧には膨大な魔力が秘められている。
だから魔術が接触するとルーンの形を崩されて効力を失ってしまう。
大気中から集めた水や氷の魔術は、またたく間に元の空気へと溶けてしまう。
しかし、今回の水魔術は別だ。
もともと周囲に液体として在った水を操作して、脆くした地面の下で混ぜ合わせただけだからだ。
魔術を無効化しても最早泥沼は消えることはなく、もがけばもがくほど魔獣の巨体を沈めていく。
……だが、そうはいってもこの状況は長続きしない。
リリアナもわかっているだろうが、敵は氷の魔獣なのだ。
すぐに沼を凍らせて抜け出てくる。
そんな俺の危惧をよそに、彼女は当然のように先手を打っている。
杖を構え、立て続けに次の魔術を使用した。
あいつは昨日魔術を使っていないので、今日はまさに出し惜しみなしだった。
「『雷雨』」
使ったのは『掃射』の魔術だ。
杖の先に大量の雷の矢が生まれ、なおも増殖しながら沼へと降り注ぐ。
そして全ての矢がほぼ同時に水面に接触すると、激しい放電により沼の表面が金色に光った。
まるで本物の落雷のような轟音を響かせ、沈んだディティスに雷撃を食らわせたのだ。
それを見て、炸裂の音と光に眉をひそめたクランツくんがぽつりと呟いた。
「感電か……ひでぇな、これは」
鎧の内側まで水を浸し、その水を通じて肉の身に雷を届かせた。
今のは流石に痛手だろう。
凍りつつあった沼の凍結が止まり、再び巨体は力なく沈み始める。
泥の中に沈みゆく姿を見て、クリフが吐き捨てるように口にした。
「ざまぁねぇな。気絶でもしやがったか?」
一瞬考えるが、多分それはないだろうと俺は思った。
リリアナは水を利用して『掃射』の全弾を直撃させた。
だがそれも中位魔獣の気を絶てるほどの攻撃ではない。
上がってくるのは時間の問題だ。
「違うと思う」
俺は答える。
すると予想に違わずディティスが浮上し始めた。
背中まで泥に浸っていたのに、もう頭が見えて……いや、あれは浮かんでいるのではない。
水位が下がっているのだ。
理解が及んだのはそこまでだった。
そこから先に俺は思い至ることができなかった。
ただ原因不明の違和感を前に恐怖が湧き上がってくる。
そして誰の目にも水位の低下が明らかになった瞬間、リリアナが弾かれたように声を上げた。
「……逃げて!」
根拠のない恐怖が、彼女の声で明確な形を得た。
何かが起こる。
絶対にまずいことが起こる。
確信して、背を向けて逃げ始める。
とにかくディティスから距離を取るために。
すると次の瞬間、踏みしめていた地面が爆発した。
――――
「うっ……」
ただひたすらに、恐怖と衝撃が駆け巡った。
脅威が過ぎ去ったことに気がつく。
俺はかすむ目を見開いて、うつ伏せに倒れ込んだ場所の状況を探る。
すると周囲に巨大な氷の棘が林立していることに気がつく。
小さいものもあるが、いくつかの大きな棘は俺の身長よりも高かった。
そんな光景がかなりの範囲に広がっている。
「これも……魔法か……?」
妙に息が苦しい。
だが立ち上がろうとして手をついた。
そして上半身をゆっくりと起こそうとした時、激痛が走って俺は身を凍らせる。
「うっ……」
痛みで明滅する目を凝らすと、胸から血が滴っていることに気がつく。
ちょうど前腕ほどの長さ、そして太さの棘の先端が突き刺さっていたのだ。
鎧を着ていたこともあり深くはなさそうだが、それでも十分に痛手だった。
この酷い、打撲のような痛みから察するに、きっと倒れた時に刺さったのだろう。
抜こうとすると、痛みが走って声が漏れる。
「いっ……」
しかし、みんなの無事を確認するために無理やり引き抜こうとする。
でもその前に棘が砕けて消えた。
文字通り魔法が解けたように、周囲に林立していた氷が砕け散っていく。
「どうなってるん、だよ……!」
動き出すと、胸以外にも体のあちこちに痛みがあることに気づく。
もう血まみれだ。
ディティスへの怒りを抑えて、俺は周囲を見回した。
すると俺は、すぐに仲間の姿を見つけることができた。
足を……ふくらはぎを手酷く貫かれたクランツくんを、クリフが支えて立っている。
そして俺の姿を見て、クリフは悔しげに唇を噛んだ。
彼はところどころ血が滲んでいるも、さいわい大きな怪我はなさそうだった。
「お前もやられたか……」
「見た目ほどひどくない。……それにしてもこれ、何が起こったんだ?」
今の氷は、まるで伝え聞いた上位魔獣の魔法のようだった。
これまでの魔法に比べて明らかに規模が大きすぎる。
だから問いかけるとクリフは少し考える。
そして、確信を持てない様子ではあるが語り始めた。
「……多分、ディティスも水を利用したな。沼の罠を真似たんだろ」
つまり沼の水や地面に染み込んだ雨を操って、魔法の規模を本来以上に拡大させたということだ。
水の利用を即座に学習するとは……。
でもきっとそれだけじゃない。
あいつは沈んだフリをしながら、地中に棘を張り巡らせて密かにじっくりと準備をしていたはずだ。
敵はあまりにも狡猾だった。
「運がいいぜ、俺たちは。これで死ななかったんだからな……」
クリフが鼻を鳴らしてそう言った。
俺も同じ考えだった。
大きな棘が直撃していれば、きっと無事では済まなかった。
本当に、敵は想像よりずっと頭がいいのだ。
俺はそれをクリフに語りかけようとして、ふとリリアナの安否に思い当たる。
「……待って、リリアナはどうなった?」
クリフは何か言おうとした。
だが俺は返事を待たずに駆け出した。
あいつはまだ動ける状態じゃない。
いち早く気づいてはいたが、逃げられなかったかもしれない。
ディティスに遭遇する危険も忘れて、俺は氷の群れを走り抜ける。
リリアナの姿を探す。
すると元いた位置のあたりで、うつむいて座り込んでいる彼女が見えた。
「リリアナ! 大丈夫か!」
血は出てない。
でも恐怖で心臓が暴れ狂っていた。
おそるおそる声をかけると、あいつはゆっくりと顔を上げる。
青ざめて震えているが、体の方はなんともなさそうだった。
「う、うん」
「よかった……」
返事を聞くと思わず力が抜けた。
俺は崩れ落ちるように彼女のそばに座り込む。
すると今度はリリアナが俺に問いかけてきた。
「銀貨……怪我してるよ」
「平気だよ。全然ひどくない」
平気だと言うのにリリアナはとても心配そうな顔をする。
あちこちに血がにじんでいるから、重い怪我に見えるのだろうか。
正直体中の刺し傷よりも、例の胸の打撲の痛みのほうがひどいのだが。
「でも……」
「大丈夫」
まだなにか言いたげだったが、俺は彼女の声を遮った。
そして笑って冗談を言ってみせる。
「全員生きてたから、嬉しくて治っちゃったね」
冗談ではあるが、いちおう半分は本当だった。
嬉しいと心が明るくなる。
心が明るくなればまだまだ頑張れる気がする。
だから、俺もリリアナを元気づけたかったから、ちょっと気取ったセリフだとは思ったがそう言った。
すると彼女も笑顔を見せてくれた。
「治っちゃったんだ、すごいね」
どこか嬉しそうに笑う姿は、少しだけいつものペースを取り戻せたようだった。
深く息を吐いて、彼女は周囲に視線を向ける。
敵を探しているのだろうか?
あと、これからどうするのかも考えているのだろう。
「俺も嬉しくて治っちゃったー」
そこで、俺の冗談を茶化すような声が聞こえた。
弱々しい声だった。
声の方に目を向ける。
すると血まみれの足を引きずるようにしながら、クリフに支えられたクランツくんがいた。
もう槍すら持っていない。
立つことさえおぼつかない様子だが、うっすらと笑っていた。
「治ってないじゃん……」
彼の傷を見て、リリアナがあんぐりと口を開けた。
とてもショックを受けているようだった。
「…………」
クリフの補助を受けて、クランツくんは力なく地面に座り込む。
俺たちのすぐそばだ。
横になって、ぐったりと倒れて口を開く。
「治るわけないだろ。おもしれー女だな、ハハ……」
少しだけ沈黙が流れた。
みんなクランツくんの足の痛々しさに言葉を失ったのだ。
そんな中、クリフがつと口を開く。
「……俺はまだ動けるぞ」
彼は少しも戦意を失っていなかった。
変わらぬ眼光でそう言った。
それにうなずきながら、俺も立ち上がって答えようとする。
「俺も……」
だが突然、貫かれた胸が疼くように痛んだ。
そのせいで言葉の途中で膝をついてしまう。
額に冷や汗がにじみ、荒い息を吐きながら痛みに耐える。
「無理すんな」
クリフが言った。
俺は首を横に振る。
「俺は、まだ……」
そして再び立ち上がろうとするが、彼が俺の肩に手を置いて制止する。
「元はといえば、こうなったのも妹の不手際だ。始末は俺がつける」
そう言って立って歩きだす。
見ればディティスも、沼の跡地から這い出してこちらへ向かって来ていた。
「クリフ!」
リリアナが叫んだ。
杖を握るも、その手は震えていた。
立つことはできていなかった。
なぜなら、クリフと二人では勝てないとわかっているからだ。
怖くて体が動かないのだ。
せめて俺が加勢しなければ……。
そう思っていると、ディティスを迎え撃つように立ったクリフが声を上げた。
「ニーナ! 聞こえてんだろ!!」
声は大きく、厳しい色を纏っていた。
だが怒りは感じない。
切実な訴えのように聞こえた。
「俺は、お前が助かるなら……死んでいいと思ってる。兄貴なんだ、妹のために命張るのは当たり前だ……」
俺はその言葉に、思わずニーナの姿を探す。
すると彼女は戦線を離脱した後移動した場所、はるか後方で一歩も動かず座り込んでいた。
俯いたままクリフの言葉を聞いている。
「……でも、こいつらは違うだろ。なんの義理もねぇ、血も繋がってねぇやつらが、お前を庇って生き死にを懸けてんだぞ!!」
ニーナは顔を上げない。
ただ、遠目でも膝に爪を立てているのがよくわかる。
肩が震えている。
「…………」
まさか無理やり引っ張り出すつもりなのか。
俺はリリアナと目を見合わせる。
確かにニーナがいなければどうにもならない。
でも、それが正しいことなのかはわからなかった。
「お前にとって一番大事なのが……テメェの命ならそこにいろ。それでも誰も恨んだりしねぇ! だがそうじゃないなら立て! お前は……あそこに何年もいて、それで、自分の命しか守る物がねぇのか? 違うだろ。……お前は母さんの娘だろ! さっさと気づけ! 後悔する前に!」
少しだけ震える声で、クリフは背を向けたままそう叫んだ。
それからディティスに杖を向け、なにかの詠唱を唱え始める。
……それを見て、俺は嫌な予感がした。
もう彼には魔力がない。
なにか、とても大きな代償を払おうとしている気がする。
「クリフ……だめだ……!」
弾かれたように立った。
そしてよろめきながらも走り出す。
だが背後から俺に追いついた誰かが、肩へ手を置いて引き止めた。
「そこにいてください」
静かな、いつもどおりのニーナの声だった。
背後にいるから表情は伺えない。
俺は振り返ることもできず、ただ声を詰まらせた。
「……ニーナ」
「大丈夫。もう大丈夫。怖くありません、少しも」
小さく微笑むような息を漏らし、彼女は俺を一歩追い越した。
そして一度だけ振り向いて俺を見た。
「でも、帰ったら、また……遊びに連れて行ってくれますか?」
じっ、と俺の目を見つめている。
今の言葉でわかった。
ニーナが見つけた守りたいものは、自分の命より大事なのものは、何気ない日常であるのだと。
だから俺は笑って答えた。
「……うん。行こう。今度はみんなで」
すると彼女も笑った。
その笑みはどこか照れくさそうで、泣きそうで、でも少しだけ寂しそうでもあった。
「……みんなで。でも、それも……悪くはありませんね」
言い残して、今度は振り向かず駆けていった。
軽い足音と共に、風のように素早く走っていく。
強化魔術を使っていそうな動きだったが、強い術を使うような時間はなかったはずだ。
なら持久戦を意図した弱い術で……一人で、持ちこたえるつもりなのか?
ともかく走り抜けた彼女は、杖を構えたクリフの尻を横に蹴り飛ばす。
詠唱をしていた彼は、左脇にふっとんで倒れ込んだ。
「どけ、邪魔だ。少し先に生まれただけで威張っているやつ」
「てめぇ……それは『兄さん』だろうが!」
クリフの怒声を鼻で笑い、ニーナはディティスの前に立った。
そしてすらりと山刀を抜き放つ。
「……散々、好き勝手してくれましたね。逃げても逃げても、しつこく追って」
低く構えた。
そして鋭く走り、斬りかかるディティスと交錯する。
「…………」
すると鎧に包まれた腕から血しぶきが飛び散った。
一瞬のすれ違いで隙間に斬撃を入れたのか。
速い、あまりにも。
「もう逃げてあげない。お前は、ここで死ね」
ディティスが振り返る。
ニーナもすでに動き始めていた。
そして左手に持ったナイフを敵の目に向けて投擲する。




