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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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四十八話・協力者

 


 野営を一度経て、馬車は無事に目的地へとたどり着いた。

 予定通り一日と半分で到着した場所は、事前に頭に入れておいた通りの谷だった。


 いやな曇りの空の下、目の前には裾野すそのの長い山の斜面しゃめんに挟まれるようにして細い平地が広がっている。

 山の間の土地ではあるが、ここは道として整備されているので木々はある程度伐採されている。

 川沿いに続く道の外には土と草の地面が広がっていて、もう少し山の隙間が広ければ人が住み着いていてもおかしくないと思った。


 こうして見るぶんには消耗なく進めそうな良い地形なのだが、曇りのせいか昼下がりにも関わらず暗く淀んだ空気をまとっている。


「曇り、か……」


 停車した馬車から降りたリリアナが呟いた。

 遠くを見つめる彼女には少し不安がにじんでいるように見える。


「…………」


 俺はその言葉には何も言わなかった。

 ただ軽く肩を叩いてやり、馬車から荷物を下ろす兵士さんたちに加わることにする。


「すみません、手伝います」


 街の兵士さんとは魔獣の掃討戦に加わった時に縁があり、親密というほどではないがそれなりに話せる。

 今ついてきてくれているのは馬車を扱う二人と、道中の護衛についてきてくれた六人で合計八人だった。

 護衛の方は別の馬車でついてきたのだが、道中でも色々お世話になった。


「いいよ。これも仕事だからね。ゆっくり準備でもしていなさい」


 兵士さんは気さくに笑って言葉を返す。

 俺は少し頭をかいて、半ば無理やりに作業に加わることにした。


「いえ……お気遣いなく」


 それから兵士さんと一緒に必要な荷物を下ろしていく。

 内訳は矢やルーンを刻んだナイフなど……色々ある。

 そしてそれらを積んだ木箱を外に並べていると、途中からクランツくんも加わってくれた。

 他のやつらはサボっているわけではなく、身につけている装備の点検や思索に時間を割いているのだろう。


「兵士さん、おやつ持ってません? あるなら俺の背嚢はいのうに入れといてくださいよ」


 作業の途中でクランツくんが軽口を叩いた。

 すると兵士さんは苦笑してたしなめる。


「キミは……遠足じゃないんだぞ。まったく……」


 彼が言う背嚢、つまりリュックはあとでそれぞれが背負う予定のものだ。

 これにはあらかじめ物資が振り分けられている。

 だがそれは最低限の生存用の物資でしかない。

 今下ろしている荷物の中には、馬に背負わせて運ぶ手はずの余剰物資も含まれる。


 そして手早く荷卸におろしが終わり、俺たちはみんなを呼んでくるように頼まれる。


「もう終わりかな。良ければみんなを呼んできてほしい」

「はい。分かりました」


 クランツくんと一緒に仲間のもとに戻る。

 これから武器や触媒を選んで、他に必要なものがあれば物資を足し、馬の準備をしたら出発になる。


 作戦の開始が差し迫ってきているのだと自覚すると怖くなってきた。

 でも表情には出さないように努力する。


「みんな来て。持っていくもの選ぶよ」


 馬車の周りに座り込み、それぞれの時間を過ごしていた面々にそう呼びかける。

 するとクランツくんも陽気に言葉を重ねた。


「早いもの勝ちだからな」

「……別になくなんねーだろ」


 軽口にクリフが苦笑して言葉を返す。

 他は真顔のまま、何も言わず立ち上がった。


「所持品はわたしに相談して決めてね。今日はわたしが隊長だからね」

「わかってるよ」


 指揮官にとっては、それぞれの所持品の総量や内訳を知っておくという意味でも報告と相談は大切だ。

 だからリリアナはこう言ったのだろう。

 当然のこととしてうなずくと、あいつはもう何も言わなかった。


「ニーナちゃんのナイフは十三本? 少し足りないからウォルターと銀貨の荷物にも少し入れてもらおう」

「わかりました。予備の武器についても相談していいですか?」


 みんな……とりわけニーナは多くリリアナと言葉を交わして荷物を決めた。

 ナイフ使いの彼女は対魔獣戦用に戦い方を変える必要があるので、確認する事項が多くなるのだ。


 そうして全員が荷物を整え、手助けをしてくれる馬に物資を載せたあと。

 俺たちは兵士さんたちに別れを告げて旅立つことにする。


「そろそろ出発します。色々ありがとうございました」


 見送りに来てくれた兵士さんにリリアナがお礼を言った。

 俺たちもそれぞれの言葉で感謝を伝える。

 すると彼らは穏やかに笑って敬礼をした。


「お礼なんていい。無事を祈ってるよ」


 彼らはこれから三十日間近場の砦に留まって、俺たちが帰るまで待っていてくれる。

 そしてそれまでに誰も戻らなかったら全滅したと見なされるらしい。


「はい。また……」


 最後に礼をした彼女に続き、俺たちもそれぞれ頭を下げる。

 そして手を振って送り出す兵士さんを背に歩き始める。

 魔獣を倒しに向かわなければならない。


「…………」


 誰も何も言わず谷の道を進んでいく。

 クランツくんだけが時々手綱を引く馬になにかを語りかけている。

 彼も今は鎧を着ていないので足取りは軽そうだ。


「はぁ……」


 これからのことを思うと憂鬱になってため息を吐く。

 そうして少しうつむきがちに歩いていると、不意にいたずらをされた。

 後ろから、誰かの手で俺が着ている外套がいとうのフードが頭にかぶせられたのだ。

 驚いて足を止める。


「なにすんだよ……。暑苦しいだろ、かぶせるなよ」


 フードを元に戻しながら振り向く。

 するとにこにこと微笑むリリアナがいた。

 さっきはちょっと不安げにしていたように見えたが、もしや気のせいだったのだろうか。


「緊張ほぐれるかなって」


 てへ、といった様子でリリアナが舌を覗かせた。

 それを見て今度は呆れてため息を吐く。

 だからといって、なにもこんな時にふざけなくてもいいのに。


「緊張の代わりに不安になった」

「大丈夫。信頼と実績がわたしにはあるでしょ?」


 にっ、と笑って調子よくピースサインを見せる。 

 まぁ、なんだかいつもどおりのリリアナ先生を見ていると気が休まったのは事実だ。

 俺は少しだけ笑ってお礼を言うことにする。


「そうかもね。ありがとう」


 礼を言うと満足したようだ。

 深くうなずいて先頭に戻っていく。

 俺はその背中を見ながら、今度は前を向いて歩き始めた。



 ―――



 谷の道を、俺たちはリリアナを先頭にして歩いていく。

 しかし列は作らず、周囲を警戒できるようにそれぞれの立ち位置はズラしてある。


 頻繁に周囲を見回し、敵が残したサインに注意しつつ進んでいく。

 オークの特徴である嘔吐おうとの痕跡、足跡、樹木に止まるハーピィの爪の形に傷ついた木の皮……気をつける点はいくらでもある。

 道の外の野山にある痕跡も決して見逃さぬよう気を張って視線を巡らせていた。


 このあたりはそこまで魔獣が多い土地ではないが、近辺の魔獣はこの谷を移動に使うらしい。

 なので標的以外の群れがいないとも限らないので危険なのだ。

 まわりが険しい地形だから、魔獣にもここしか通る場所がない。


「……先行してる部隊がいるんだっけ? 無事だといいんだけどな」


 クランツくんがぽつりとそんなことを呟いた。

 これはこの先で会うことになっている相手についての発言だろう。


 敵を探すといっても、なんの手がかりもなく歩き回るわけではない。

 事前に決めた場所で、出現した魔獣の群れを監視している部隊の隊員と落ち合う手はずになっている。

 確か待ち合わせの場所は『矢が突き立てられた分かれ道』だったか。


「…………」


 先頭のリリアナのすぐ後ろを歩いていたニーナが、何も言わずにじろりと彼を睨む。

 作戦中の私語を咎めてのことだろう。

 しかし隊長であるリリアナが振り返って話し始めたので、気まずそうな表情ですごすごと前を向いた。


「大丈夫」


 自信満々に言い放つ彼女にクランツくんが問い返した。


「なんで分かるんだよ」

「勘よ、勘。よく当たるんだから」

「はは……。なんだそれ、頭ぱっぱらぱーで羨ましいぜ」


 特に根拠はないけど多分大丈夫、と言うリリアナにクランツくんは呆れたような笑みを浮かべた。

 だが偵察部隊は健在であるのではないかと俺も思う。

 さすがに先行部隊との連絡が途絶えた状態で、俺たちを送り出すとは思えないからだ。


「喋りすぎだ。今話しても仕方ない、そんなこと」


 まだ会話は続きそうだったが、そこでクリフが割って入る。

 確かに他人の安否について語れるほど余裕があるわけではないか。


「そうだな。……悪い」


 クランツくんがそう言って謝る。

 そしてリリアナも一言だけ返事をして前を向いた。


「ごめんね」


 それからはまた静寂の中で行軍が続いた。

 誰も言葉を発することなく、黙々と索敵と前進を重ねていく。

 だがしばらくして、ふと目を向けたリリアナが少し浮足立っていることに気がついた。


「…………」


 一見なにも変わりないが、よく見るとそわそわと手を握ったり開いたりを繰り返しているのだ。

 多分落ち着かないのだろう。

 この様子だと、さっきは会話して緊張を和らげたかったのかもしれない。


 何でもないように見えたがやはり緊張しているのだ。

 部隊長という重責を負う彼女の助けになれるよう頑張らなければならないと思った。


「あ、ここかな……。止まって」


 どこか張り詰めた沈黙の中で進んでいると、リリアナがそう言って俺たちを停止させる。

 先を見るとここから先はさらに地形が入り組んで二つに分かれた分かれ道ができているのが分かる。


 そして分かれ道の分岐の手前には目印と思しき矢が付き立っていた。

 事前に聞いていたとおりここで待っていればいいのだろう。


「きっとここが待ち合わせの場所よ。しばらく待っていようね」


 リリアナの言葉を聞きながら俺は暗記していた地図の地形を大まかに思い浮かべる。

 大体の位置や特徴もあっているし、わかりやすく矢もあるのでここで間違いはないだろう。


 だが分かったと返事をする前に、俺の知らない声が答えを返した。

 少女の声だった。


「その必要はない。すでに到着している」


 声の方を見ると、分かれ道の間に伐採されず残っていた木々がある。

 まさか木がしゃべるとも思えないので目を凝らしていると、生い茂る葉と枝の内側から人が降りてきた。


「…………」


 マントについたフードを目深に被り、その下には白い服を着た男女の二人だ。

 武器は軽弓と腰に下げた短剣で、携行品もこぶりな背嚢の物資と腰に下げた遠眼鏡とおめがねのみ。

 かなりの軽装だが偵察部隊とはそういうものだろう。

 身のこなしを見れば訓練を受けているということは分かるので不安はない。


 だがちょっと気になるのは二人の片方、女の子の方が俺たちとほとんど同じくらいの年齢に見えたことだった。

 もう片方は体格からして少し年上に見えたが、それでもこの年齢で軍務につくものだろうか。


 服装も……黒のマントは夜闇には紛れやすいだろうが、所属を示すものが見当たらないので正規部隊に見えない。

 そしてあの白い服もどこかで見たような気がするものの、マントの下から見え隠れする程度なのでいまいち思い出せない。

 そんなふうになにかと引っかかるところの多い二人だった。

 同じ感想を抱いたものか、ニーナは露骨に怪しむような目を向けている。


 だが、リリアナは特に疑わずに声をかけた。


「あなたたちが偵察部隊? お迎えありがとう。わたしはリリアナよ」


 彼女にも黒ローブの少女が同年代だとは分かったのだろうか。

 気さくに話しかけて握手を求めるが、返ってきたのは沈んだ声だった。


「礼には及びません。互いに名乗らず、語らず、速やかに本分ほんぶんまっとうしましょう」

「どうして名乗らないの? ……あなたもイヤなの?」


 リリアナが今度は男……というより年上の少年にそう語りかける。

 だがこちらは何も言わなかった。


「…………」


 少年は深く深くフードを被っているので表情すら伺えない。

 女の子の方は少し覗いた青い瞳で……見ようによっては睨みつけているようにすら見える。

 突然の敵意を受けて、手をおろしたリリアナは悲しそうな顔になった。


「わたしのことキライなの?」


 そう言って本当に悲しそうに眉を下げるものだから、俺はおかしくなって思わず笑みを漏らす。

 だがクリフは気まずそうに咳払いをした。


「バカ、嫌いもクソもねぇ。こいつらの言う通りだ。無駄口叩いてないでさっさと仕事するぞ」

「うん。……そうね、そっか」


 クリフとリリアナのやり取りのあと。

 黒マントの少女は小さく鼻を鳴らして歩き始める。

 背を向けた彼女に従い少年も歩き始めた。


 俺たちもそれについていくが、先ほどから疑わしそうにしていたニーナが口を開く。


「あの、名前くらい名乗ったらどうですか?」

「我々について話は聞いているのでしょう? ならば改めて言うことは何もありません」


 冷たい口調で、何故かまたつっけんどんに拒絶を返された。

 ニーナは不満そうだったが、これ以上言い合っても時間の無駄だと思ったのだろう。

 小さなため息のあとに何も言わなくなる。


 ここまでやられると、流石に俺たちに嫌な気持ちを持っていることは伝わった。

 しかし心当たりはないので本当に戸惑うしかなかった。


「…………」


 もやもや半分、怯み半分くらいの気持ちで俺は二人についていく。

 そしてそのまま歩き続けていると、やがて山のふもとにたどり着いた。


「山に入るの?」


 リリアナが問いかけると、少女が答える。

 彼女は俺たちになにか不満がありそうだが、それでも説明はこちらが受け持つようだ。

 敬語とそうでない言葉が入り混じった言葉遣いで、機嫌の悪そうな声で彼女は話す。


「はい。魔獣は道を進んでいる。我々は山中を通りつつ追って、継続的に監視してきた。これから部隊の位置までお連れします」


 魔獣は山や森には寄り付きにくいので、確かに偵察部隊の配置としては適切か。

 基本的に人里に向かう習性があるから、そこで発生したり移動経路にない限りはわざわざ無人の山に姿は見せない。

 とはいえ山に集落があったりすれば、そこには律儀に現れるのも魔獣の性質なのだが。


「なるほど、ありがとう」


 答えを受けて納得したらしいリリアナは感謝を返す。

 すると少女はじろりと睨んで無愛想に頷いた。

 あいつはその目に怯んで眉をひそめる。


 そして山に入って歩き始めるが、木々の中を黒ローブの二人は迷う様子もなく歩いていく。

 なにか目印があるのか不思議に思っていると、少女は誰に言われることなく口を開く。


「我々は事前につけた目印を頼りに歩いています。そして私が任務の最後まで同行して案内をします。遭難の心配はありません」

「…………」


 少女の言葉には誰も答えなかった。

 彼女がコミュニケーションを取る気がないのはもうはっきりしているからだろう。


 だが俺は少し沈黙がいたたまれなかったので、一応お礼を返しておく。


「……ありがとう」

「いえ、気になさらず」


 気にするな、と言われて少し驚く。

 なにか答えが返ってくるとは思っていなかった。

 だがそこで、リリアナがちょっとつんとした口調で言葉を挟む。


「目印なら把握してるから、帰りたいなら帰ってもいいのよ」


 彼女が意地悪な態度をとるのはあまりないことだ。

 でもずっと険悪な態度を取られたら仕方ないのかもしれない。

 リリアナも俺たちも聖人じゃない。


 その言葉を受けて、少女は馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「いい目をお持ちですね。意外に」

「……別に? 魔獣相手だからいいけど、敵が人間なら誰でも分かっちゃうと思うわ」


 リリアナはそう言って得意げな顔で勝ち誇る。

 多少かじった程度の俺には目印を見つけることができなかったが、彼女は見つけていたらしい。

 今回は指揮官としての起用だが、筆頭の斥候を張るだけはあるのだ。

 やはりいい目を持っている。


 内心でリリアナを褒めていると、初めて少女の声の調子が変わる。

 挑発が効いたのだろう。

 苛立ちが伝わる声で吐き捨てた。


「……人間の敵? 人を殺したこともないくせに偉そうに」


 人を殺したこともないくせに?

 じゃあこいつらは殺したことがあるのか?


 その言葉に全員が凍りつく。

 思わず足を止め言葉を失っていると、不意に先を歩いていた少年が振り向いた。


「…………」


 そしてつかつかと少女のもとまで歩み寄り、いきなりその側頭部を殴りつけた。

 彼女は蹴飛ばされた小石のような勢いで倒れ、痛みに悶えている。


「あっ……えっ」


 ニーナが小さく声を漏らした。

 俺も驚きのあまり動けなかった。


「…………」


 少年は、構わず倒れた少女に追い打ちをかける。

 彼女のフードを外し、その茶色の髪を掴んで無理矢理に立ち上がらせた。

 そして手近な木の幹に顔面を叩きつける。

 これを二度繰り返し、また思い切り髪を引っ張って顔に拳を入れた。

 再び倒れ込む。

 すると横たわった体が何度か蹴りつけられる。

 少女は暴行を受ける間、ただ小さくうめき声を上げるだけだった。


「……私情を挟むのもいい加減にしろ」


 髪を掴み、顔を寄せて。

 少年は初めて口を開いた。

 低く沈んだ声でそう言った後、ようやく手を離して少女を解放する。


「……すみません」


 そして地面に手をついて、よろよろと立ち上がりながら少女は答えた。

 口と額が切れて顔は血みどろになり、肩までの茶髪は乱れて、目の焦点が合っていない。

 相当に痛めつけられた様子だった。

 だが彼女がなんとか立ち上がるのを見届けると、少年は何事もなかったかのようにまたゆっくりと歩き始める。


「…………」


 そこで俺は、自分の体が固まっていたことにようやく気がついた。

 目の前の暴力のあまりの冷たさに動くことすらできなかったのだ。


 俺たちも訓練で殴り合うが、今のは全く違う。

 俺たちにあれはできない。

 ……おそらく軍人なのだろうか。

 彼らは歳こそ近いが、俺たちとは完全に異なる存在らしい。


「……あの、手当て」


 おずおずとニーナがふらつく少女に手を差し出す。

 すると歩いていた少年が足を止める。

 そして振り返り、ニーナに対する対応をじっと見ていた。


「すみません。……結構です。ごめんなさい」


 少女は、立ち止まった少年を一瞥する。

 それから明らかに萎縮いしゅくした声でいいのだと言って、フードで顔を隠すと足を早めて少年の背についていく。

 俺たちも慌ててそれを追う。


「…………」


 また何事もなかったかのように俺たちは進んでいく。

 だが気さくに声をかけたり小さな言い合いをするような、そういう余裕はもう完全に消えていた。


 全員が沈黙を守って二人の後ろについていく。

 隊列は今や静まり返り、誰もなにも言葉を発することはなかった。


「ここです……ついてきてください」


 張り詰めた空気の中でずっと進んでいると、少女がおもむろに口を開く。

 どうやら監視地点に到着したようだ。

 たどり着いた場所は、木々が途切れて見晴らしのいい小さな崖のような場所だった。


 少年を先頭にそのまま少し歩いて、崖の上へと近づいていく。

 するとそこには四人、同じような黒マントがいた。

 彼らは遠眼鏡を使って魔獣の群れを捕捉ほそくし続けていたらしい。


 俺たちが来たのに気がつくと、全員が集まってきた。

 そして黒マントの六人だけで顔を寄せ、何事かを話し始める。

 彼らの中には大人のような体格の者もいた。


「…………」

「…………」


 やがて少しすると、意見の交換が終わったようだ。

 振り返った少女が代表として俺たちに言葉を伝える。


「これより私以外の偵察部隊は下山します。バックアップとして私だけがここに残らせていただきます」

「わ、わかったわ」


 まだ先ほどの惨劇への動揺が残っているのだろうか。

 リリアナが少しうわずった声で答えた。

 すると少女は小さくうなずいて、さらに言葉を続ける。


「魔獣の動向は追えています。すぐにお連れしましょうか?」

「うーん……」


 彼女は曇りの空を見てしばらく考えこむ。

 答えによってはこれからすぐに戦闘になるのだろうか。

 まぁ作戦の内容を話し合ったりするので今すぐではないだろう。

 それでも戦闘が近づいているのかと思うと憂鬱になってきた。


 だが俺の不安をよそに、リリアナはまだ待つと答える。


「いいえ、しばらく待つ」

「いつまで?」

「雨が降るまで」


 雨が降るまで?

 よくわからない答えだったが、リリアナは大真面目のようだった。

 きっとなにか考えがあるのだろう。


「……雨が降るまで?」


 少女も少し困惑している。

 だが特に反論は言わず頷いてくれた。

 どうやら付き合ってくれるようだ。


「わかりました。魔獣が谷を抜けるまでなら待っていても差し支えない。……ですが、待つならば追跡もできなければいけませんよ」


 魔獣も夜は動きが止まるものの、絶えず監視していなければ見失いかねない。

 それを懸念しての言葉だろうが、リリアナは力強く頷いてみせる。


「分かってる。みんな優秀よ。ちゃんとできるわ」


 リリアナの答えに少女も頷いた。

 そしてきびすを返すと、崖の入り口から山に引き返していく。

 ふと気がついて周囲を見ると、他の黒ローブはいつの間にか姿を消していた。


「山を通りながら追跡します。ついてきてください」


 そう言って少女は山道を歩き始めた。

 だがその彼女をずっと黙っていたウォルターが呼び止める。


「待て」

「……え?」

「その前に君の手当てをすべきだ。辛いだろう」


 ウォルターの言葉を受けてニーナが歩み出る。

 だが少女は拒否して一歩あとずさった。


「医薬品も、魔力も貴重です。私に使う必要はない」


 あくまで拒否する彼女に、さらにニーナが詰め寄った。


「仮に傷が膿んだらもっと無駄に使うことになる。山で傷は放置しないほうがいい。いいからそこに座ってください」


 厳しい声で言って、少女を半ば無理やり木の影に座らせる。

 そして自らも膝をついて処置をはじめた。


「痛かったでしょう。まったく……」


 半ばひとりごとのように、ニーナが呆れた声を漏らす。

 すると、傷に触れられてかすかに顔をしかめながら少女が謝罪した。


「すみません」


 今思えばあの少年もダメージが残るような傷つけ方はしていなかった気がする。

 実際血が出ているのも切れた額と口の端くらいで、見た目ほどにひどい怪我ではなかった。

 それはみんな分かっていそうだが、血まみれで放置ではあまりに哀れだったからこうしたのだろうと思う。


「同行する以上はあなたも部隊の仲間です。そして仲間の健康の管理が私の役割です。謝る必要はありません」


 フードを外した顔から、ニーナが清潔な布で血を拭き取っていく。

 淡々と口にされた彼女の言葉を聞き、少女は目を伏せてぽつりと声を漏らす。


「……ありがとう」


 ありがとう、とお礼を言ったのは全員に聞こえた。

 するとなんだか申し訳なさそうにリリアナが眉を下げる。

 そして俺とウォルターのところに来てひそひそ声で話しかけてきた。


「案外、いい子なのかな……」

「さぁ。分からない」


 ウォルターが分からないと言うと、リリアナは何故かさらに申し訳なさそうに俯く。

 つま先で小石を転がし、そわそわと小さな声でとぎれとぎれの懺悔ざんげを始める。


「さっきは……わたしがつっかかったせいで叩かれちゃったんだよね。……すごく、申し訳ないわ。でもわたし、あんなことになるなんて……思ってなかったから……」


 リリアナは確かに挑発したし、少女が挑発に言い返したことがきっかけで殴られたのも事実だ。

 だがその前から彼女は嫌な態度を取っていた。

 リリアナの挑発はたしかに余計だったが、少女にせきがないとも言えない。


 でも自分が悪いと思える気持ちは良いところだと思うのでそれは言わなかった。

 友だちがいいやつだと俺もすごく誇らしい。


「……まぁ、帰るまでに謝ればいい。そうしよう」


 俺は少し返事に迷ったあとで答える。

 そして軽く肩を叩いて笑った。

 するとあいつは顔を上げて、そのまま何度も頷いてみせる。


「そうね……。帰るまでに謝ろう、きっと。……でもすごく痛そうだったし……一発くらい、殴られないとだめかな……」


 謝ることは決めたようだが、なんと今度は殴られるかどうかで悩み始めた。

 ……こうまでしおらしく反省しているのだ。

 さっき声が上ずっていたのも、少女に対して後ろめたい気持ちがあったからかもしれない。


「謝るだけでいいよ」


 しおれた様子のリリアナにウォルターがそう言った。

 俺も深くうなずく。

 だがウォルターはいつも都合よく振り回されているので、個人的には彼にこそ蹴りを入れる権利くらいある気がしてきた。


「それよりお前はウォルターに蹴られるべきだよ」

「…………」


 なので提案をするも、肝心のウォルターは特に乗っかって来なかった。

 蹴りたくないのかもしれない。

 もちろんリリアナも無言で首を横に振る。


「なるほど。わかった」


 俺はそれ以上追求することはせず、少女への処置が終わるまで三人で見ていた。



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