四十三話・鎮魂節(2)
やがて夕の鐘が鳴った。
この鐘を合図に鎮魂節の催しも動き始める。
そして俺たちも、街で遊ぶために外に出ていくのだ。
お祭りの日はいつも、日が傾いてくるとみんな孤児院の出口に集まって今か今かと鐘を待つ。
そして鐘が鳴ったらヴィクター先生に見送られて出ていくのがしきたりだ。
俺もいつもは同じように押しかけて、争うように急いで街へと走る。
だが今回はニーナの希望で、事前に出口から少し離れた場所を待ち合わせに決めていた。
そしてその待ち合わせ場所は今俺が向かっている先だ。
出口から少し離れた、孤児院に住む二頭の馬の住居になる。
どうしてこの場所にしたのだろうかと思いながら歩いていると、いつの間にか目的地についていた。
「…………」
木造のこじんまりした厩の前で、着飾ったニーナが一人で立ち尽くしていた。
そして彼女が身につけていたのは、ノースリーブで肩が出るタイプの黒いドレスだった。
多分私物だろうが、小さな水色の花の髪飾りもつけている。
ドレスは俺たちの予算的にそこまで色や飾りが多い物ではないし、良家の令嬢が着るような高級品でもない。
しかし黒地に通る白糸の刺繍のかわいらしさを気に入って、リリアナが購入したものだった。
恥ずかしそうにしていたので選ぶ様子はあまり見ないようにはしていたが、こうして見るととても似合っていると思う。
色の薄い彼女には黒色がよく合っていた。
「ごめん、待った? 衣装の片付けとかあって……」
待たせてしまったかもしれないので少し気後れするが、俺はニーナに語りかけた。
「いえ、全然……」
小走りで近づくと、俺を見つけたニーナは恥ずかしそうにそわそわと俯いた。
その反応でようやく気がつく。
ここを待ち合わせにしたのは、今日はまず絶対に人が来ない場所だからだと。
衣装を借りるだけでも恥ずかしがっていたから多分そうだ。
堂々とすればいいと俺は思うが、彼女は恥じらいが強すぎるようだった。
「…………じゃあ、行きましょうか」
沈黙を溜めて溜めて、ニーナがそう言った。
俺はうなずいて歩き始める。
そして恥ずかしがることはないのだと伝えるために、一度服を褒めることにした。
「ねぇ、ニーナ。すごく似合ってるよ」
「本当に?」
ぱっと顔を上げたニーナに笑いかけた。
よく似合っているので自信を持っていいと思った。
「うん、すごく。どうか今後ともごひいきにね」
褒めつつちゃっかり商売のご愛顧を頼むと、ニーナもくすりと笑った。
そして褒められて安心したのか少しだけ声を弾ませる。
「ならよかった。笑われるんじゃないかって心配で……」
「笑わないよ。絶対」
笑ったりしないと言い切る。
すると恥ずかしさが落ち着いたのか、少しずついつもの調子に戻っていく。
やがてみんなから遅れて出口につく頃には、すっかり普通にしゃべるようになっていた。
「こんにちは、ヴィクター先生」
「はい。こんにちは、二人とも」
孤児院から出る前に、見送りに出ていたヴィクター先生と挨拶を交わす。
「しかし遅かったね。どうしたんだい、一体」
二人だけで、最後に出ていく俺たちにヴィクター先生がそう言った。
目を瞬かせる姿はいかにも不思議そうだった。
俺はちょっと苦笑して先生の言葉に答える。
なんと言っていいのか少し悩んでいた。
「まぁ、色々です」
ニーナが恥ずかしがっていたから遠くで待ち合わせた、とは言えない。
だから言葉を濁すと先生は彼女の服装に目を留めた。
そしてにこりと笑って、なんだか合点がいったようだった。
「なるほどね? じゃあ二人とも、そろそろ行っておいで。お祭りを楽しむんだよ」
「はい!」
目を見て返事をしてまた歩き始める。
そして見送る先生に振り返って一度だけ手を振った。
すると先生は手帳に何かを書き付けていたが、ペンを持った方の手を振ってくれた。
俺は笑ってニーナに話しかける。
「ヴィクター先生と話すと落ち着くよね」
「はい。そうですね」
ニーナも頷いてくれた。
だが別に広げるような話でもないので、この話題はもう終わりにしようと思った。
しかし彼女はわずかに曇った表情で言葉を続けた。
「でも昔……」
「昔?」
「……いえ、ごめんなさい。なんでもないです」
何かを言いかけたが結局言うのはやめたようだ。
しかし俺は気になったので聞いてみる。
言いかけてやめられるともやもやしてしまう。
「なんでもないって……なに? どうしたの?」
俺が掘り下げると、ニーナは少し気まずそうに笑った。
そして言葉を選びながら、渋々といった様子で口を開く。
「大したことじゃないんですよ。……でも昔、一瞬だけすごく怖い顔をしているのを見たことがあるような気がして。今でもちょっと話しかけにくいんですよね」
「怖い顔……なんでだろ」
ニーナの話に少し笑う。
俺は先生の怖い顔なんて見たことがない。
財布を盗んだクリフに対してすら、真摯な表情で語りかけていたような気がする人だ。
かなり昔のことなのでちゃんと覚えているわけでもないけど。
「私、普通にお母さんの話をしてただけなので。よく考えたら多分、気のせいだと思うんです」
「なるほど。でも恐怖を植えつけられてしまったんだ?」
「はい。……私はやっぱり臆病ですね」
そう言って、ニーナは申し訳なさそうな表情で頬をかいた。
真実は分からないが、先生の怖い顔を想像するとなんだか面白かったので俺は笑う。
ここまで言うくらいなのだから、ケニーが二回連続で宿題を忘れた時の笑顔より怖いのだろうか。
「大丈夫。ヴィクター先生なんてウサギより安全だよ」
俺が冗談で言うと、今度はニーナも普通に笑った。
「そうですよねぇ」
そんなふうに話しながら、俺たちはお祭りに加わるために歩き続ける。
孤児院から続く道が街の通りに合流する場所がとりあえずの目的地だ。
通い慣れた道なので迷うこともなく、そんなにかからず目的地にたどり着いた。
「やってるな……」
にぎやかな街を見て俺は小さくつぶやく。
商売をする人、芸を見せる人、それらの間を楽しそうに行き交う人々と、お祭りにはとにかく人が溢れていた。
普段の街よりも随分数が多くなっていて、周囲の地域からもかなり訪れて来ているのだと分かる。
この街のお祭りは、俺の村でやっていたものとは比べ物にならない。
「これ、何回見てもすごいよな」
人の群れを前にニーナに語りかけた。
すると、彼女はからかうような声で言葉を返してくる。
「初めて見た時は固まっちゃったんでしたっけ?」
「うん。俺……田舎者だからね……」
雑音と話し声がそこら中に溢れているものだから声が聞こえにくい。
だから少しだけ声を大きくして言葉を交わす。
そしてしばらくなんの気もなしにふらついていると、街の中央の広場にたどりついた。
教会のすぐそばにある広い場所で、今はたくさんの商人が居座っている。
だがそれだけではなく、祭りのメインの催しもここで進行していた。
中央に設置された祭壇には尋常ではない人だかりができて、なにやら行われている最中らしい。
「なにをしてるんでしょうか……」
背の低いニーナがぴんと背伸びをして見ようとしているのが面白かった。
俺も見えないが、なにをしているのかはわかる。
勇者とそのお祭りには詳しいのだ。
「今日は【夢見の勇者】の鎮魂節だからね。みんな聖水かけをしてるんだよ」
「そういえばありましたね、そんなの……。妙な風習です」
彼女は神官や教会の教えとは距離を置いている。
だからかあまり興味がなさそうに見えた。
「変かな……」
俺はつぶやく。
変なのだろうか。
恩恵に感謝する賛美節とは主旨が違い、鎮魂節では災いが起こらないことを願うようになっている。
そして夢見の勇者の鎮魂節は無病祈願の節でもある。
だから、人々は健康を祈るために聖水かけというやつをする。
俺は毎年やってるし、おかげか病気はあんまりしない。
「やってみたら? 健康になるよ。……多分」
「本当に? それはちょっと気になるかも」
ニーナも健康には興味があるらしい。
俺の言葉にうなずいて微笑んだ。
もしかすると今日初めて参加するのかもしれない。
「やろう。ニーナなら当たるよ、絶対」
それから俺も笑って人混みのそばの列に加わる。
順番が来たら神官さんが飾りがついた木のコップを渡してくれる。
そしてコップに分けてある聖水を、祭壇のそばに立つ病魔の仮装をした人にかけて浴びせるのがこのイベントの趣旨だ。
見事かかれば一年を健康に過ごせる。
そんなことを思いながら順番を待っていると、並ぶ人たちに向けて神官さんが説教を始めたことに気がつく。
「月のそばより来たる水、降る雨を指してグレゴリウスはかく語りました。これを聖別し、聖水となし、世の穢れを流すのに使いなさいと。聖別は火と塩と秘跡の詠唱によってのみ行われ……」
説教では聖水の成り立ちとその用途について語っている。
ニーナはあまり興味がないのか退屈そうに聞いていた。
うちの孤児院はあまり神様を敬うように教えていないので人によってはこんなものだ。
これがちゃんとしたミサの説法なら、真面目に聞かないと頭を叩かれたりするらしいが……。
「…………」
熱心な人は手を組んで祈りながら聞いているし、他の神官さんの目もあるので俺は内心冷や冷やしていた。
リリアナやウォルターなんかは案外熱心な方なので、いつも真剣に耳を傾ける。
と、そんなふうに心配したり会話したりしている内に、一人、また一人と列から儀式を終えた人が去っていく。
そうしてやがて俺とニーナの番が来ると、若い男の神官様がこぶりな箱を持って近づいてきた。
「こんばんは。どうぞご寄付を。一人十ヴェルトです」
「お金を取るんですか?」
目を丸くするニーナを軽く小突いて、俺が二人分のお金をいそいそと払う。
流石に物を知らなすぎるし、失礼にもほどがある。
このままでは健康どころか天罰が下る。
「あの、すみません……」
俺がぺこぺこと頭を下げて謝ると、神官様はにこりと微笑んだ。
「いえ、お気になさらず。ではこちらへ」
神官様の先導で、俺たちは祭壇のそばの小さな柵へと連れてこられる。
柵の奥には濁った黄色の、なんだか悪そうな服を着た男の人が一人いた。
これは膿の色の装い、すなわち病魔の仮装で、顔にまで黄色の顔料をまぶす念の入れようだ。
そして柵からは大股の一歩と半分くらいの距離があり、もちろん病魔役の男性はずぶ濡れだ。
難易度を上げるために小刻みに左右に動いている。
「さぁ、それでは。聖水を。……なるべく顔には当てないように」
厳かな様子で言って、今度は別の男の神官様が俺たちに木のコップに注いだ聖水を手渡してくれた。
そしてなにやら小さな声で俺たちの成功を祈り始める。
「…………」
俺とニーナは顔を見合わせて、コップの聖水を病魔の仮装の人に向かってかける。
左右に揺れ動くところに二人とも上手く当てられた。
すると二人の神官様が何度もバンザイをして俺たちを祝福してくれる。
また、少し後ろの初老の神官様が細切れにした薬草をぱらぱらと投げながらゆっくりと踊り始めた。
「おみごと!」
「今年は健康!」
二人でそれに笑って、お礼を言ってコップを返した後に立ち去った。
ニーナがどう思っているかは分からないが、神官様にここまでしていただいて十ヴェルトは安いと思う。
ふと歩きつつ彼女に目をやると、楽しそうにくすくすと笑っていた。
「良かったね、ニーナ。今年は健康だってさ」
「はい。でも、なんだか面白かったですね」
面白かっただろうか。
まぁでも確かに、全身黄色で揺れているのはシュールかもしれない。
考えたこともなかったが。
そう思って一人で納得していると、不意にニーナが申し訳なさそうな声を漏らした。
どうやらお金を俺に払わせたことを思い出したようだった。
「あ、そう言えば……お金……」
「いいよ。ニーナにはたくさんお世話になったから」
俺は商売を手伝っているから金もあるのだ。
そんなわけで断ったのだが、世話になった……という言葉でガーランドで負けたこと、ウォルターに挑めなかったことを思い出してちくりと胸が痛む。
気にしても仕方がないので顔には出さなかったが。
「でも……」
「ほんとにいいよ。俺が勝手に連れて行ったし、ニーナが健康なら俺も嬉しい」
なおも食い下がる彼女にそう言って笑うと、彼女はなんだか気まずそうに目を伏せた。
そして、一度深々と頭を下げて感謝の言葉を伝えてくる。
「ありがとうございます」
「うん。それよりニーナはどこか行きたい場所ある?」
夜遅くまでは街にはいられない。
時間は有限だ。
だからニーナにそう尋ねると、進む先にあった投擲のお店を指差した。
「あれやりたいです」
「え、あ、うん……いいけど、あんまりいじめないようにね」
ニーナの投擲の腕は凄まじい。
俺はそれを身をもって体験してきた。
だから、店が哀れだったのでそう言うと彼女は誇らしげな笑みを浮かべる。
褒めたわけではないが、褒めたと捉えてもらっても構わなかった。
そんなわけで俺とニーナは哀れな屋台に向けて歩き始める。




