四十二話・鎮魂節(1)
ガーランドから少しして、ついに訪れた鎮魂節の日は気持ちのいい晴れの天気に恵まれた。
絶好のお祭り日和で嬉しかった。
そして本当は今日は訓練があったのだが、お祭りで遊ぶために俺たちはありがたい休みをいただけた。
とはいっても、お祭りが始まる夕方までは街に行くことはできない。
だから出立の許しが出るまでの間は、みんな思い思いに孤児院で過ごすことになる。
そんなわけで昼食のあと、俺は食堂でお仕事に励んでいた。
祭りの前はみんな金を温存したがるものの、ある層に対してはちょっとした稼ぎ時でもあるのだ。
いつもの長机に腰掛けて。
手元に帳簿を置いた俺は、貸衣装の受付をしている。
これは去年から始めた商売で、お祭りで着飾りたい女の子や仮装に加わりたい人の要望を叶えるためのものだ。
祭りの前に衣装を貸し付けて、その代わりにお金を少しいただく。
もちろん祭りの前にすっからかんではかわいそうなので、後々お小遣いが入ったら無理のない金額で月の支払いを何度か頼む。
この商売は仮装が盛んな賛美節のお祭りの前などは特に、かなりの利益を俺たちにもたらす。
ものすごく初期投資が大きかったので失敗しないか冷や汗だったが、リリアナ先生はこれを見事に成功させた。
特に女の子たちはかなり利用していて、今も数人のお客が借りる服を選んでいる。
そんなことを振り返りながら、いくらかの名前を記した帳簿を見ていた。
すると背後からエルマのはしゃぎ声がしたので振り向く。
俺に語りかけたのではなく、貸す服の世話をしたリリアナと話しているようだった。
「わーい。えへへ……リリちゃん、ありがとね」
どうやら服を選んだらしい。
畳んだドレスを大事そうに抱えて機嫌よく笑っていた。
きっとオシャレをできるのが嬉しいのだろう。
そしてそれにリリちゃん、ことリリアナちゃんも嬉しそうに答える。
今日はたくさん稼げるから、こっちはこっちでごきげんなのだ。
あと、話し相手のエルマが同じ斥候で仲良しなのもあるかもしれないが。
「ぜんぜんいいよ。なんならお祭りじゃなくても貸してあげるよ。どうかまたお願いね!」
緩んだ笑顔で会話する二人を見ていると俺の気分も明るくなった。
このまま仲のいい様子を見てたかったが、人の気配がしたので前を向く。
職務を果たさなければならない。
「よう、ダッシュマン」
俺の顔を見るなりそう言ったのはハルトくんだった。
楽しげな雰囲気の彼はいつもつるんでいるサッカーの仲間の男子を数人連れている。
そしてその仲間たちが、ハルトくんが『ダッシュマン』と言った瞬間……後ろを向いて走る真似の足踏みを始めた。
みな楽しげに笑っている。
……これは多分、この前のガーランドのアレをいじっているのだろう。
あの時の恥ずかしさが蘇って、俺は思わず苦笑いする。
「だ、黙れ……」
あえて乱暴な言葉で返すと、足踏みをやめたハルトくんたちはやはり楽しそうに笑った。
どうやら客ではなく、単に俺をからかいに来たらしい。
俺がニーナとの戦いで見せた伝説的疾走は今でも時折小馬鹿にされる。
とはいえ今は仕事中なので、ちょっと控えてもらえると嬉しかった。
「お前ら仕事の邪魔。それともなんか借りるの?」
俺はため息を吐きつつそう問いかける。
ちょっと強めの口調にした。
するとハルトくんは眉をひそめて否定する。
「鎮魂節に仮装はまずいだろ。それかお前らって、男にも服貸してたっけ?」
「ちょっと前に揃えたよ。ほんと少ないけど、男向けも一応ある」
誰も借りないし、それを予想もできたので最初は貸衣装も女の子の服だけだった。
だが去年を通して貸衣装でたんまり稼げたので、せっかくだからと二着だけ購入したのだ。
街で色々選ぶのは面白かったが、リリアナは支払いの時に白目を剥いてぷるぷる震えていた。
「へー、知らなかった。誰か借りたことあるのか?」
「ないねぇ」
まぁ借りない。
そこは予想通りだが、うちの男はみんな洒落っ気がない。
リリアナは、なんのための出費だったのかといつも怒ってる。
「せっかくだしハルトくんどう?」
俺が笑って言うとみんなも笑う。
そして彼らの一人がすかさずハルトくんをからかった。
「このおハゲが着飾ってどうすんだよ」
「俺は短くしてるだけだっての」
ずっと丸刈りだからハルトくんはハゲといじられ慣れている。
呆れたように笑って軽く流した。
そしてそれからしばらく話し込んでしまった。
お客が来ないのもそうだが、孤児院に満ちた楽しげな雰囲気にあてられてしまったのかもしれない。
だが流石にまずいと気がついて、改めて帰ってくれるようにお願いする。
「ねぇ、お前らそろそろどっか行ってよ」
「いいけど最後になんか面白い話しろよ」
いつの間にか長机に腰掛けていた一人がそんな無茶ぶりを返してきた。
楽しそうだ。
困惑した俺は、頭をかきつつ仕方なく切り札を切ることにする。
「じゃあ、ヴィクター先生に人の褒め方を教わってたシーナ先生の話を……」
「お前そればっかじゃん。何回目だよ。飽きたよ」
「俺は飽きてない。面白いじゃん、これ……」
そんな風に帰る帰らないの押し問答をしていると、俺の右後ろからウォルターが声をかけてきた。
「なぁ、君……仕事を忘れてないか?」
今の彼の仕事は男の借り主が来た際の案内なのだが、来ないので当然暇を持て余している。
だからずっと俺のことを苦々しく見ていたのかもしれない。
「あっ、ごめん……」
「人がいない間はまだいい。……俺もうるさく言いたくはない。だが客が来ている。しっかりしてくれ」
その言葉にはっとする。
身内商売とはいえお客さんを待たせていたとは……信用問題だ。
反射的に椅子から立ち上がり周囲を見回す。
するとハルトくんたちがたむろしている群れの後ろ、背を向けて俯き立ち尽くしている人が見えた。
俺は手荒く邪魔者を押しのけつつ声をかける。
「あ、ごめんなさい……お客さんですよね?」
俺が声をかけると彼女はゆっくりと振り返った。
そしてこちらを向いたその正体はニーナだった。
ハルトくんが声を上げる。
「ニーナ、お前まさか……マジか? 嘘だろ……?」
驚愕の表情でそう言った。
確かにこれは珍しい。
彼女は一度も衣装を借りに来たことがないし、普段の服装も女っ気がない。
「…………」
だがハルトくんの言い方がまずかったのか、ニーナは何も言わず顔を手で覆ってしまう。
ものすごく恥ずかしそうにしていた。
それに、若干引いたような声で彼は言葉を重ねる。
「そういう反応なんだ……」
「…………してやる……絶対前衛にしてやる……」
「え? 今なんか言った?」
ニーナは小さい声でぶつぶつとなにかを呟いている。
誰にも聞き取れなかったが。
「…………」
しかし、こうなってはなんだか声をかけるのが躊躇われる。
みんな黙ってるし、ニーナは顔を覆ったままだ。
声をかけていいのか、これは。
だがそのままにするわけにもいかない。
一つ咳払いをして改めて口を開いた。
「ニーナ。服を借りに来たの?」
俺が問いかけると、彼女は顔を覆っていた手を下ろした。
そして押し当てていた手のせいで、少しだけ乱れた髪を撫でつけ整えつつ答える。
やはり恥ずかしいのか頬が火照っているように見えた。
「…………はい」
「分かった。じゃあこっちに来て名前を書いて。……ごめんね、待たせちゃって」
返済をすっぽかされないように、俺の帳簿への記名は自分で行うことになっている。
本人の筆跡の字が残っていれば……ということなのだがまぁそれはいい。
とにかくこちらで名前を書いてもらうのがルールだ。
「わかりました」
頷いて、妙に硬い動作で歩き始める。
そして俺の前に来て、帳簿に名前を書いてくれた。
だから案内のために俺はリリアナの方を指し示す。
食堂の中の開けた場所に陣取って、あいつは衣装の番人をしている。
「…………!」
俺が指差すと、リリアナは胸を張り笑顔で親指を立てた。
「じゃあリリアナのところに行って。好きなの選べるから」
「はい」
ニーナはそう言って、いそいそと俺が座る長机の前から立ち去る。
その彼女に、俺はさきほどの非礼をあらためて丁寧にお詫びした。
「あと……さっきはすみませんでした」
「いえ、大丈夫ですから……」
そう言うとやはり早足で歩いていった。
怒らせてしまったかと思うが、寛容なニーナはこのくらいでは怒らないはずだ。
だからやはり恥ずかしいだけなのだろう。
と、そんなことを思っているとハルトくんが笑いながら口を開いた。
「珍しいこともあるもんだな……。あのニーナが」
「別にいいだろ」
服を選ぶニーナに聞こえていないだろうかと、ひやひやしながら一応かばっておく。
いざとなったら口にスリッパを突っ込むつもりだった。
すると、ハルトくんは鼻を鳴らす。
「まぁな。クリフに似てるし、ツラは悪くない。案外似合うかもな……」
何故か上から目線で言った。
これ以上茶化されてはたまらないので帰ってくれるようにお願いする。
「もう帰ってよ。そろそろ頼むよ」
「なんだお前。冷たいな」
口を尖らせる彼に俺は呆れる。
そしてちょっとした冗談を返しておく。
「そりゃ冷たいでしょ。ハルトくんサポーター会員ですらないんだから」
「やっぱり。お前らは悪の商会だな」
ハルトくんはそう、大真面目な顔で言ったあと噴き出した。
そしておざなりに手を振ってどこかに立ち去っていく。
「……まぁ帰るよ。邪魔して悪かったなぁ」
「いや、仕事忘れてた俺が悪い。また今度来てね」
別れの言葉のあと、ぞろぞろとハルトくんたちは引き上げていく。
俺はその背中を見送りながら、今度こそ受付の仕事に集中しようと思った。
『ヴィクター先生に人の褒め方を教わってたシーナ先生』
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