三十八話・ガーランド当日
ついにガーランドの本番の日がやって来た。
当日の朝はよく晴れて雲一つなかった。
前の晩は緊張して眠気が来なかったが、気合で寝たので体調は悪くない。
そして、起床時間より早く起きた俺は集合の時間を待っていた。
昔はヴィクター先生が鍋を鳴らして起こしに来ていたものの、今はただ迎えに来てみんなで動くだけだ。
早く起きたこともあり、顔を洗ったりしてもまだ時間があるので、俺は鍛えているウォルターにならって体をほぐすことにする。
「シーナ先生って算術教えてくれてるけどさ」
窓枠に指をかけた懸垂の最中、あいつがおもむろにそう言った。
力みを感じさせない声だった。
対する俺は股を割りつつ上半身を倒していて、そのせいで息が詰まって体がぴくぴく痙攣する。
柔軟は少し苦手だった。
ニーナあたりは骨も筋もないかのようにこなしてみせるのだが。
ともかく、そんなこんなで返す声も少し震えてしまう。
「う、うん」
「腕折り算とか要塞式とか。なにか違う気がしないか?」
「……ち、違うってなんだよ。先生を疑うつもりか?」
冗談めかして言い返したあと、俺は倒していた上半身を上げる。
詰まった息を吐いて割っていた股を崩し、楽な姿勢で座り込んだ。
そしてウォルターに目を向けると、彼は一定のリズムを保ったまま淡々と懸垂を続けている。
「いや、理屈は合っていると思う。でも……」
「でも?」
「まぁ……なんでもない」
何故だかちょっと首を傾げたあと。
ウォルターも懸垂をやめて床に降りる。
そして疲労を散らすように軽く手をぶらつかせ、ヘッドに腰掛けると俺の方に向き直った。
どうやら今朝はこれで終わりらしい。
俺も立った後ベッドに寝転び、そのまま体をねじったり伸ばしたりして軽い運動に切り替える。
寝起きはこのくらいの柔軟がちょうどいいかもしれない。
気持ちよく体を伸ばしつつ、俺は改めてウォルターに声をかける。
「そういえばお前、このあいだの先生の問題に出てたよな」
「ああ。……あれ、少し気まずいよ」
「俺は好きだけどなぁ」
シーナ先生は傾向として、普段話す機会が少ない子供ほど問題に出しやすい気がする。
そのせいかウォルターはわりと使われるので、少し辟易してるのかもしれない。
だが俺は使われるといつも嬉しい。
「君はどんな問題で出たんだっけ?」
「直近だとリュート将軍の演説で泣いた兵士の数を求めるみたいなやつ」
「先生のセンスは、ユニークだね」
それから少し後、ウォルターが本を読み始めたので俺は口を閉ざす。
話しかけても昔のように突っぱねることはないだろう。
でも、本を読んでる時に話しかけると困らせてしまう。
もう文字を読むのが苦手ということはないものの、やっぱり勉強したり本を読む時は集中したがるのだ。
「…………」
こうなると仕方ないので俺は喋るのをやめた。
そして一人で体を動かしつつ集合の時間を待つことにする。
―――
集合して並んだらいつものように食堂に向かう。
それからシーナ先生に引き連れられてきた女子の中からリリアナを見つけて、三人で食事を取りに行った。
ガーランドがあるせいか、食堂はいつにも増してがやがやとうるさかった。
多分出る奴らの撃破数予想とかして遊んでいるのだろう。
俺はどのくらいで予想されているのか、少し気になって耳をそばだててみる。
「…………」
残念ながらうるさくてあまり聞こえなかった。
せめて十人はあると嬉しい。
「今日のごはんなにかなー」
木のトレイを抱きしめて、俺達の先頭をリリアナがうきうきで歩いていた。
今日のおさげをまとめるリボンはピンク色だった。
俺とウォルターは彼女の後ろをゆったりとついていく。
そうしてやがて食事を求める列の最後尾にたどり着いたので、順番を待つ間俺はリリアナに話しかける。
「ねぇ、どんな基準でリボンの色決めてるの?」
俺が尋ねると彼女はぱちぱちと目をまたたかせた。
そんなこと聞かれるなんて思ってもいなかったのだろうか。
確かに俺も根っこは田舎者だから……あまり身なりは気にしない方ではあるけども。
「えっと……その時気に入ったらつけるんだよ」
「なるほど」
まぁいちいち理由なんてないか。
俺が納得して頷くとちょっと笑った。
そして質問されるのがなにかハマったのか、ウォルターに対しても要求し始める。
「ウォルターもなにか質問していいよ!」
「……俺?」
聞き返して困ったように眉を寄せた。
多分聞きたいことがないのだろう。
でも楽しみに待っている姿に折れたのか、やがて少し面倒臭そうにだが質問をする。
「じゃあ、なんでお金が好きなの。君は」
これは何気にいい質問だ。
当たり前の事実すぎて聞いたことがないし、俺もちょっとだけ気になる。
だからリリアナの答えに耳を傾けると、返ってきたのはあまり要領を得ない言葉だった。
「わかんない。……でもお金があると嬉しいの。ずっと前のご先祖様からみんなそうなんだって。すごいでしょ?」
そう言って何故かドヤ顔で胸を張る。
いかにも褒めろと言わんばかりの様子に俺は少し驚いた。
すごいんだろうかと思ってウォルターの方を見ると、ちょうど彼もこちらを見ていた。
目が合うと難しそうに眉をひそめて、小さく首を横に振ったので俺は笑った。
これはウォルターがリリアナの話を疑っている時の仕草だ。
「ねぇ、すごいでしょ? ずっと昔からみんなだよ」
俺が笑ったからか、心外だとばかりに声を上げてくる。
そろそろ列も縮んで来たので気にせず献立を覗いた。
そしておざなりに答えるウォルターに合わせて、俺も適当な褒め言葉をかけておく。
「すごいよ」
「すごいすごい」
「えっ、やだテキトー……」
そうしていると順番が来たので俺たちは食事を受け取った。
忘れずにお礼を言っていつもの席に歩き出す。
メニューはハムエッグ、あとクリームで煮たオートミールにキャベツのサラダだった。
今日も美味しそうで嬉しかった。
と、そんなことを考えているとまだそばで例の会話が続いていることに気づく。
「まぁ、その場合のすごさってどのくらい昔からかにもよるんじゃない?」
「少なくとも二百年はあるよん」
「歴史が深いね」
まだリリアナが食い下がっていた。
ウォルターは淡々と応対している。
それにしても二百年はまず間違いなく話を盛っているだろう。
すぐ大袈裟にするのは彼女の悪いクセだ。
疑惑の塊のような自慢話に内心でツッコみながら、しばらく俺は会話を聞いていた。
中々あいつはしつこかった。
「そういえば銀貨は今日やるんでしょ? ガーランドをさ」
席についていただきますをして朝ごはんを食べ始める。
するとリリアナがおもむろにガーランドの話を振ってきた。
もう一族のすごさを説くのは諦めたらしい。
「うん。やるよ」
そこでウォルターも口を挟む。
「今回は君とエヴァンズとフィンだったか」
「そうだね」
確かにウォルターが口にしたので全部だ。
俺を含む遊撃手、重装兵、斥候の三兵科の次席が選ばれたのだ。
挑戦者は合計三人になる。
と、そこでリリアナが口を挟んできた。
「でも今回、人選がちょっと偏ってるよね」
「どういうこと?」
本当に分からなかったので聞き返した。
ウォルターも何も言わなかったが興味は惹かれたらしい。
食事の手を止めてリリアナを見た。
「だってあれやるのって実力を見るためでしょ? いつもやるのは上と入れ替わりそうな人だったじゃない」
リリアナの言うことが分かった。
わざわざガーランドをしてまで実力を見るのは、基本的に席次が上がるだけの力があるかを図るためだ。
なのに次席ばかりというのはちょっと偏ってる。
それにそもそも今の俺の実力でウォルターと入れ替わることはありえないので、俺が選ばれるのも大分おかしい。
しっかり噛んだオートミールを飲み飲んで、俺はリリアナに同意を返す。
「確かにね」
「なにか意図がありそうよね。なんか、成績よかったらいいことあったりして?」
「…………」
いいこと、なのだろうか。
俺は正直もう見当がついている。
各兵科の筆頭は全員で五人、そしていずれ与えられる任務の部隊の人数は六人。
だからあと一人を先生たちは次席から選ぼうとしているのだろう。
「……どうしたの?」
リリアナが心配そうに眼を覗き込んできた。
ちょっと表情が暗くなっていたらしい。
はっとした俺はなんとか笑顔を作って誤魔化す。
「大丈夫だよ」
楽しく話していたのに申し訳なかった。
だが俺は怖かった。
与えられる任務が命に関わるものだったら、みんなが死んだらと想像するだけで怖い。
……そもそも、こんなに早く戦場に出されるなんて思ってもなかったのだ。
まだなにも覚悟なんてできていない。
俺は意気地なしなのだろうか?
「そういえば君、ニーナとかなり練習してたらしいな」
ウォルターが聞いてきた。
なにか察して空気と話題を変えようとしてくれたのだろう。
いつも食器がからっぽになるとすぐにおかわりに行くから、今みたいにいてくれるのは気を遣ってくれている証だ。
我ながらなんだか情けなくなる。
「まぁね」
だがこれはこれで機密に関わるので少し歯切れが悪くなってしまった。
せっかく話を引き出してくれたのに悪いとは思うが。
「…………」
しかし俺が特訓について隠したがっていることは伝わってくれたようだ。
「なにか策があるのか? なら、楽しみにしておく」
そう言って彼は席を立った。
おかわりをしに行ったのだ。
「確かに全然お仕事来てくれなかったよね、特訓するからってさ」
ウォルターが去ったあと。
こちらは食べ終えて、机によりかかりだらしなくくつろぐリリアナがそう言った。
彼女の手先はどこからか取り出したへんな形の石を弄んでいる。
「あれはごめん。終わったら頑張るから」
「気にしなくていいよ。でもお仕事よりさ、ガーランド終わってしばらくしたら鎮魂節でしょ?」
「そうだね」
「わたしもう今から楽しみで……。ねぇ、ウォルター帰ってきたら計画立てない?」
実に楽しそうにリリアナが言った。
俺はそれにニーナとの約束を思い出した。
だから忘れない内に口に出しておくことにする。
「あ、鎮魂節なんだけどさ」
「うん。なに?」
三人で行くものだとリリアナは思っている。
ニーナと行くのが嫌なわけじゃないけど、彼女と遊べないのは俺も少し寂しかった。
あとこれだけ楽しみにされると口に出しづらい。
「俺、今年はニーナと行くよ」
「いいよー、四人で遊ぼっか。楽しみだね」
四人で遊ぶのをにこやかに承諾した。
いや、承諾されても困る。
事実を伝えなければ。
リリアナはご機嫌だ。
コイントスに似たような感じで、右の親指で石を飛ばしてはキャッチするのを繰り返している。
「いや、二人で行こうと思ってて……」
「うんうん……えっ?」
姿勢を崩していたリリアナが一瞬で身を起こした。
弄んでいた石が、手が机を叩いた拍子に弾かれすごい速さで飛んでいく。
反射的に目で追ったから、友人と食事をしているクリフの後頭部に当たったのを俺は見た。
「……なんで? 四人じゃだめなの? 一緒に行こうよ」
目を白黒させながらリリアナがそう言う。
きっとずいぶん楽しみにしていたのだろう。
俺はあまりの狼狽えっぷりにかわいそうになってきた。
思えばここに来てからずっと催しごとは三人、あるいは三人に誰かを加えて行っていたのだ。
俺も本当は四人で行きたいが、今回はニーナの希望に添いたいという気持ちが強かった。
とはいえさらに申し訳なくなってきたが、なんとかこらえて言葉を返す。
「いや、今回は二人で行きたいんだ……」
ちょうどそこでトレイに食事を満載したウォルターが帰ってきた。
立ち止まると俺とリリアナの間で視線を彷徨わせ、小さく唸ったあと席につく。
「…………」
一緒に行けないと言われ、リリアナはぽかんと口を開けて石像のように固まる。
だがしばらくそうしたあと、はっとした様子で俺に答えた。
「そ、そ、そ、そっか……なら、まぁ……しょうがないよね、えへへ…………」
甚大なダメージを受けているのがわかった。
そして、そのまま落っこちるんじゃないかというくらい眉を下げつつも彼女は受け入れてくれた。
罪悪感で胸が痛むのをこらえて謝る。
「ごめんね……」
「い、い……いいよ。全然。また今度遊ぼうね」
やがて彼女は、がっかりした顔をやめていつものように笑った。
俺はそれを見て少しだけほっとする。
そして気まずいからおかわりに行こうとした。
「……一緒じゃだめなのかな」
しかし席を立った後で小さな呟きを聞いた。
……ニーナに頼まれたから、とは伝えなかった。
もし言っても友達を取られたなんて思ったりしないだろう。
だが言う必要がないから言わないことにしたのだ。