三十五話・授業(2)
セオドア先生の講義が終わった。
次の授業は算術だ。
でもその前に昼食を取らなければならない。
歴史の板書を筆記帳に写したあと、俺たちはいつもの三人にニーナも加えて食堂へ向かった。
そして昼休みの後に教室に移動する。
しかしリリアナだけ算術を習っていないので、教室まで一緒に来たのは彼女を除いた三人になった。
むかし読み書きを教えてもらった教室の、真ん中かつ最前列の机に俺たちは陣取る。
席は俺が真ん中でウォルターが左、ニーナが右だ。
「…………」
昼休憩があったのでまだ授業までには少し時間がある。
しかし寡黙な二人なので会話はほとんどない。
ウォルターは……なにか、椅子に尻の代わりに手をついて浮いていた。
謎のトレーニングだ。
いつものことなので軽く流して右を見ると、ニーナは石板に絵を描いていた。
無言だ。
「…………」
流石に、授業まで時間があるのにこれでは俺がいたたまれない。
なのでなにか会話を持ちかけてみることにした。
ウォルターはなにかしてる時は話しかけづらいので、声をかけるのはニーナだ。
「ニーナ、何描いてるの?」
「犬です」
話しかけると心なしか得意げに絵を見せてきた。
寄せてくれた石板を覗き込むと確かに犬が見える。
小さい犬や大きい犬、全部で五匹くらいだろうか。
すごく上手だ。
みんな大きなソーセージをくわえていて、おすわりしたり伏せたりしている。
「ソーセージ食べてるの? いいね」
そう言って笑うとニーナも笑った。
「いえ、私に持ってきてくれたんです」
「そっち? ニーナはソーセージ好きだもんね」
「ええ。でも、冗談ですよ」
ちょっとはにかんでそう言った。
昨日の針山のようなソーセージを思う限り冗談であるのかどうか。
しかしなんだかほのぼのとした絵でいいと思った。
俺も一緒にお絵描きでもして暇を潰そうかと考えていると、不意にウォルターが声を漏らす。
「君は犬が好きなのか?」
「はい。犬はかわいいです。ウォルターさんは好きですか?」
穏やかに返されたニーナの答え。
受けたウォルターは顎に手を当てる。
いつの間にか宙に浮くのはやめていたらしい。
「俺は好きでも嫌いでもない。別に」
笑いもせず言って、しかしこれではあまりに無愛想だと気づいたのだろう。
小さく息を吐いた後言葉を付け足す。
「……だが、リリアナは好きだと言っていた」
「あいつは好きだよな、犬」
なぜかリリアナの話が出てきた。
でも話を広げようとしてくれているのはなんとなく伝わった。
そして俺も、リリアナと犬で懐かしい話を思い出したので口にしてみた。
「覚えてる? あいつが昔、犬飼いたいとか言ってゴネるから。三人で街に出た時に野良犬探したんだよな」
「ああ、ヒグマの時の話か。覚えてるよ」
ウォルターも頷いた。
十歳頃の出来事だ。
ニーナだけ知らないのか首を傾げる。
「ヒグマ?」
あちこちで話したし彼女にも話したことがあったような気がしていた。
しかしどうも言ってなかったらしい。
ちょうどいい話題になりそうなので話を続ける。
「ヒグマはすごく大きい野良犬のあだ名。リリアナがいきなり抱きついたらめちゃくちゃ怒って、ずっと追いかけてきたんだよ」
「怖すぎませんか? なぜヒグマを選んだんです?」
その言葉で俺は例の犬のシワだらけのいかつい顔を思い浮かべる。
本当になぜヒグマだったのだろう。
今度聞いてみたい。
「……強そうなのが良かったのかな」
「う〜ん。それで、その後どうなったんですか?」
「逃げた」
逃げまくった。
リリアナとウォルターは異常に足が早いので俺は何度か置いていかれそうになった。
というかなんならヒグマに追い抜かれたが、完全にリリアナしか狙っていなかったので何もされなかった。
ヒグマと並走したり抜かれたりしながら走っていたが、今思えばあんまり走る意味がなかった。
雰囲気に流されていたのだ。
「でも逃げ切れるわけないから。最後は木登りした。みんなで木に登って、リリアナが泣きながらかばんの中身を落としたらなんか気に入ったらしくて持って帰っていった」
「犬に身ぐるみ剥がされたんですか」
ニーナの言葉に俺たちは深くうなずく。
そして腕を組んだウォルターが感心した様子で口を開いた。
「本当にすごいのは、あいつがそれでも犬を好きだと言えることだよ」
「木から降りたあと、まず言ったのが別の犬にする……だったね」
流石に止めたが全然諦めてなかった。
俺なんか正直膝が震えていたのだが、べそをかきながらそんなこと言うものだからウォルターと一緒に笑ってしまった。
ちなみにあいつは財布だけは落とさずしっかりと握りしめていた。
今思えばそれもちょっと面白い。
ウォルターが感慨深げに目を閉じて言葉を漏らす。
「リリアナ先生は……あの人は偉人だよ」
彼は裏でリリアナをネタにする時、ふざけて大仰な呼び方をすることがある。
名前に先生とつけたり、『あのお方』と呼んだりだ。
ちなみに先生は教師ではなく名士や有力者につける先生で、そういう時は俺もならうことにしていた。
「先生はへこたれないからね」
思い出したらまた面白くなってきたので口元を緩ませる。
するとさっきまで笑っていたニーナが小さくため息を吐いた。
「いいですね、みなさん。仲が良くて……」
なにか気を悪くさせてしまったかと一瞬だけ焦る。
しかし思えば彼女は嫌味を言ったりしないので単純に羨まれているのだろう。
「いや、先生の側近は大変だよ」
俺が言うと隣でウォルターも頷いた。
俺たちはあのお方の忠実な両腕なのだ。
「俺も昨日、君の兄をくしゃくしゃにする片棒を担がされた。やりたくなかったから心が痛む」
つまり、どーん!……の話だ。
全く痛んでなさそうな仏頂面だったのがおかしかった。
そして案の定ニーナもくすりと微笑んで悪乗りした。
「いいんですよ、別に。くしゃくしゃにしようがぺしゃんこにしようが」
「そうか。許可をもらえて気が楽になったよ」
「本人の意思……は?」
俺の言葉はわざとらしくスルーされた。
あからさまに聞いてませんよ、というようにそっぽを向いたニーナが微笑ましかったので少し笑った。
そして思ったより話が弾んで嬉しかったので、そのままお喋りを続けていると、シーナ先生が教室に入ってきた。
「私語はやめなさい。もう時間よ」
明らかに俺たちの方を見て言いながら教卓の方に歩いてきた。
ちょっとバツが悪くなって俺は頭をかく。
他にも喋ってたやついるのに。
「では算術の授業を始めます。今週は前回まででやった二次捕虜関数の続きから」
先生がそう言って俺たちの顔を見回す。
「リュートくん、今日はあなたが号令をかけて」
「はい!」
前の真ん中だからか指名を受けた。
返事をして起立、気をつけ、礼のお決まりの号令をかける。
そして座りながら復習してきた内容を思い返す。
捕虜関数は捕虜一人ごとの身代金の金額が分かる時、その人数さえ決まればすぐに身代金の総額が導けるような考え方だ。
そしてそれだけではなく二つの式をかけあわせたりする使い方もある。
兵隊百人ごとの遠征費の式と捕虜の式をかけあわせれば、捕虜を何人獲得すれば遠征が経済的に成功するかを求めたりもできる。
あとリリアナによれば賢い商人は諸々の把握に同じ理論を使っていたりもするらしい。
加えて今やっている二次捕虜関数を使うと、もっと色んなことができるようになる。
正直俺は人間を捕まえたいとは思わないが勉強は嫌いではない。
「……ではさっそく教本の百二十五ページを開いて。次の範囲に入る前に復習の問題を解きます。問題は黒板に書くから見ていなさい」
『ウォルターくんが捕虜を捕まえました。
この時の捕虜十二人の内二人が士官でした。
ウォルターくんは捕虜を引き渡して身代金を受け取ろうとします。
士官一人の身代金は兵一人の二乗であるとして……』
先生の問題には時々孤児院の子供が出てくる。
今回はウォルターだったようだ。
ふと横に視線を向けるとちょうど教室中の視線を集めていたところだと分かった。
本来光栄なことなのだが、注目の的になったウォルターは少し気まずそうに咳払いをする。
なんて不敬なやつだと俺は思った。
「…………」
しかしすぐに黒板に目を向けて勉強に戻った。
だから俺もあまり長くは彼を見なかった。
問題に目を通して解き始める。
「なにか質問があったら手を上げていいわ」
書き終わって、教卓に手をついて立つ先生。
俺は特に質問はなかったので石板に解答を書き入れていた。
しかし誰か手を上げる者がいたようで、先生が指名する。
「はい、ケニーくん」
「身代金が払われなかった捕虜はどうなるんですか?」
「授業に関係ない質問は終わったあとにしなさい……」
ちょっと呆れたような声で返されていた。
やはり彼は自由だ。
この後は特に質問もなく、みんな解き終えたので答え合わせを行う。
俺は合っていたので小さく丸をつけたあと答えを消した。
そして解説を聞きながら片隅に小さく備忘録のメモだけ残す。
石板はスペースが限られているので、持ち帰る情報は厳選しなくてはならない。
―――
授業が終わった後。
俺は教卓の前に足を運んで先生に質問をしに来ていた。
ウォルターは自主訓練のために早々に立ち去ったし、ニーナはいずこかに立ち去った。
しかし俺を含めて数人の子どもは質問のために先生のまわりに集まってきている。
「先生! 身代金が払ってもらえない捕虜はどうなるんですか?」
俺の一つ前に並んでいたケニーがそう尋ねた。
やっぱりそれが聞きたかったのだ。
「そんなことのために並んだの?」
聞き返して、先生は眉を下げた。
全然授業と関係ない質問をされてちょっと戸惑っているのだろうか。
しかし授業が終わったあとと言った手前か、律儀に質問には答えてくれるようだ。
「国が払えなくても大抵は家族が払うわ。でも払ってくれる家族もいない時は、きちんとした労役に就かせて自分で払わせる……のがしきたりね」
「なるほど、ありがとうございます。なんか気になっちゃって……」
感心したように息を吐くケニー。
その彼に先生が薄く微笑む。
「意味のない捕虜の虐待や処刑は野蛮な行為よ。正しい兵士になるなら覚えておきなさい」
「先生は捕虜を捕まえたことあるんですか?」
女の子の声。ケニーではなかった。
聞いたのはさっき質問したやつらの中の一人だった。
列の前から質問を終わらせていくのだが、終わっても周囲から立ち去らない子供もいる。
今は三人くらいだろうか。
このあとは訓練もないから暇だし、彼らはみんな先生と話したいのだ。
「ない。今は人間の紛争は凍結されてる。先生が参加したのは魔獣相手の作戦だけ」
穏やかな様子で会話が続く。
俺も質問したいのだがなんだか言い出せなかった。
多分その内先生が気づいて次に順番を進めてくれるだろう。
「分かったから。少し待っててちょうだい。まだ質問したがってる子がいるのよ」
なにか先生の武勇伝を聞かせてくれとせがんでいる女の子をそう言って止めた。
やはり先生は止めてくれた。
内心感謝しつつ前に出て質問をする。
「先生、最小値とか最大値の問題で図を書くときのコツを教えて下さい」
「うん。ならまず二次捕虜関数の曲線の形を思い出して……」
先生は俺に親身になって教えてくれた。
丁寧に説明してくれたのですぐに分かった。
先生の教えを石板の残りのスペースにろう石で詰め込む。
「ありがとうございます」
「ええ」
お礼を言うと先生の口元が少しだけ綻んだ。
なんだかもう少し話していたくなった。
だから俺は石版をさっき座ってた机に置いたあと、先生を待つ群れの中に加わることにした。
「……少し話す?」
全員の質問を捌ききって。
待っている俺たちを見て先生は少し呆れのにじむ声で語りかけてきた。
俺たちは邪魔しないようちょっと遠くに立っていたのだが、お誘いを受け誰からともなく先生を囲むように集まる。
「先生の武勇伝が聞きたいです!」
「俺も聞きたいっす」
さっきの女の子はやはり武勇伝を望むようだった。
それにケニーも追従する。
彼は自分のことを『俺』と呼んでいるが、もう昔のように注意されたりはしない。
前に理由を聞いたら、『その方が気楽に話せるのなら、私の前ではそれでいいと思った』と言っていた。
現状俺だけ矯正し損だが、こういう理由ならちょっと言いづらい問題だ。
「はいはい、武勇伝ね? はぁ……」
それはともかく先生はケニーたちの要望を受け入れる。
しかし元は歴戦の……とはいえいざ聞かれると困るものか。
いやもしかして俺たちが何個も聞きすぎて尽きてしまったとか?
理由はわからないが先生はため息を漏らしつつ考え込む。
みんな先生が語り始めるのを楽しみに待っていた。
「そうね。じゃあ私が経験した中で一番……えっと、功績を認めてもらえた作戦の話をしましょう」
まだ聞いたことのない話だった。
みんなも半分くらいは聞いたことがないらしく、嬉しそうに輪が縮む。
先生はいまいち気が進まないようだったが。
「あれはこの孤児院に来る二年半くらい前だったわ。禁忌領域の近く。他の地域に向かう魔獣の通り道の封鎖が計画されたの」
禁忌領域……魔王の眷属が守る主門が生み出されてしまった土地の周辺のことだ。
当然ながらそこを起点に魔獣が多く溢れ出すので国ごとに拡散を抑え込んだり、可能なら他の国に向かうよう地形を塞いだりする。
後者はやると本当に外交的にまずいのでほとんど見られない例だが……暗愚と名高い皇帝の号令で帝国はやったと聞く。
属国がたくさんだから周りに気を遣う必要がないのだろうか。
「魔獣が通る場所に砦を作るための作戦だった。砦さえあれば後の戦いはずっと楽になる。だから長期間魔獣を抑えて戦い続けなければならなかったのよ」
口調も内容も、どこか沈んだ語りから話は始まった。
しかし始まってみれば内容は勇ましいものだった。
動物に魔獣が反応しないことを利用し、荒ぶらせた牛に油をまかせて群れごと火矢で焼いたり。
中位魔獣を聖職者の部隊の集中射撃で討ち取ったり。
殉教者隊と呼ばれる、絶大な力を誇る部隊が魔獣をまるごと薙ぎ払ったり。
痛快な戦勝の数々だった。
そしてその時先生自身も前線に立ち、多くの魔獣を斬り伏せたという。
「……でもね、決して簡単ではなかった。魔獣は本当に恐ろしい敵よ。それだけは絶対に、絶対に忘れないでね」
話の最後にきつく念押しされた。
武勇伝のあとはいつもこれだ。
もちろん俺にも簡単な戦いでなかったことはよく分かる。
そもそも孤児の多くは魔獣の恐怖を刻みつけられているし、実戦演習も何度か経験している。
だからその恐ろしさを忘れるわけではないが、勇ましい話を聞くと多少なり沸いてしまうのは仕方ないだろう。
「お、俺も先生みたいな兵士になりたい!」
話を聞いていた一人が興奮に上ずった声で叫んだ。
彼も魔獣に故郷を奪われていた。
だからか先生の活躍を聞いて誇らしそうだった。
そして俺も少なからず同じ気持ちだった。
建設支援のための聖職者と、工兵の部隊と人夫たちを庇って戦い抜いた。
今も残って人を守る砦を先生たちは築いた。
本当にすごいことだ。
「なれるわ、きっと」
穏やかな声で先生が応じる。
するとケニーが笑顔で口を開いた。
「先生、俺も早く兵士になりたい……ので、勉強はやめてこれからは訓練にしないすか?」
こいつ勉強したくないだけだ。
すぐに思い当たったので俺たちは適当に野次りつつ笑う。
先生も同じことを思ったのかにやりと笑みを浮かべた。
「だめです。ケニーくんは勉強したくないだけでしょ?」
「早く兵士になりたいだけっすよ! 大体兵士になるのに勉強なんていらないじゃないすか……」
ケニーの言葉を聞いてちょっと考える。
確かに……いや、そんなことはないか。
勉強をしないとそもそも作戦がきちんと立てられないし、実行できない。
兵士とは、武器を持って突撃するだけのお仕事ではないのだ。
そのあたりビシっと言ってくれるだろう。
「今のあなたは、そう思うかもしれない」
だが予想に反して先生が返したのは、否定とも肯定とも取れない言葉だった。
「でもきっと、いつかあなたたちの役に立つと思ってるわ」
「どういうことですか?」
また誰かが聞き返した。
先生は少し考えるようなそぶりのあと話を続ける。
「……人生は兵士として戦って終わりではない。指揮官として軍に残ることはできるかもしれないけれど、それでもいつか剣を捨てる日は来る」
話はまだ続きそうだったのでみんな口は挟まず聞いていた。
しかし先生が何を言いたいのか掴めない。
俺たちは将来兵士になるために育てられたし、俺自身も戦いをやめるだなんて考えたこともなかった。
「あなたたちは戦いのために生まれたわけではないから。戦いの後のために勉強をしておけば、きっといろんな生き方ができるでしょう」
要するに兵士をやめたあとに、勉強をしておけば別の仕事を見つけられるということだろうか?
確かに戦いのために生まれたつもりはない。
でもそれを一生の生業にすることへの疑問は持っていなかった。
みんなといられるならそれでいいと思っていた。
だから少し戸惑う。
ずっと先の未来なんて俺にはまだ想像ができない。
「…………」
みんなで顔を見合わせる。
どうやらしっくり来ていない者もけっこういる、ということが伝わり始めた頃。
先生はちょっとだけ困ったように笑って語りかけてきた。
「近いうちに街に行って、いろんな仕事を見学させてもらうのもいいかもね。そうすればやってみたいことが見つかるかもしれない。……なにかを本当にしたくなったら、兵士にはならなくてもいいし」
その提案は嬉しかった。
俺はお出かけが好きなので街に行けるのはとても嬉しい。
しかし本当に今思いついて口に出した、という印象を受けたのでまだ決まったわけではないだろう。
だというのに特に女の子たちはにこにこで嬉しそうにはしゃいでいる。
「やったー!」
「院長先生のお許しをいただけたら、よ。あまり言いふらさないでね」
昔は外に出れるのは月に一回お小遣いを使う日だけだった。
しかし今はお祭りやらなんやらと理由をつけて外に出ることもだいぶ増えた。
だからセオドア先生もきっと許してくれそうな気がする。
そんなことを考えていると、ふと気になることができたから疑問を投げかける。
「先生、僕どんな仕事が向いてると思いますか?」
俺の質問に先生は目を瞬かせた。
世の中にどんな仕事があるのか。
少しは知っているがきっと先生はもっと知っている。
なのでちょっと聞いてみたくなったのだ。
「そうね。人に優しくする仕事……かな」
先生は少し笑ってそう言った。
俺は算術を頑張っているつもりだったから。
そっちでなにか教えてほしかったのだが、先生が言うからにはそうなのだろう。
というか人に優しくする仕事ってなんだ?
かなりあるようでこれと言えるものを俺は思いつかない。
ものすごくぼやけた答えだ。
よく分からなかったが俺は笑った。
みんなもどんな仕事なんですかと言って笑っていた。
でも俺は、いつか人に優しくする仕事を探してみるのも悪くないだろうと思う。
本当は掘り下げたかったのだが、他のやつらも口々に天職を尋ね始めたので諦めた。
「先生、あたしは?」
「俺のも教えてほしいです!」
先生は、求職者たちに次々に仕事を割り振っていく。
俺の時とは違ってわりに具体的なのが多かった。
それに喜ぶやつもいれば、なんか違うと口を尖らせたり、反応は色々だった。
誰かが不平を言うとその仕事についての話をしてくれたりもして、先生と話をするのは楽しかった。