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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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三十三話・褪せてゆくもの

 


 母さん、父さん。

 俺には怖いことがあります。


 人が死ぬのが怖いのです。


 昔のように取り乱すことはないですが、今でも時々村を追われた頃の悪夢を見ます。

 いやな汗をかいて飛び起きる夜は、あんなふうに孤児院の仲間が死んでしまったらといつも考えてしまいます。


 俺たちは兵士なのでいつか戦う時が来るでしょう。

 誰がいつ死んでもおかしくはないです。


 だから、もう会えなくなること、失うことが怖いです。

 でも同じくらい怖いのは忘れていくことです。

 俺はもう村での暮らしをあんまり覚えていません。

 母さんや父さんの顔もぼやけてしまっています。

 俺が薄情なだけでしょうか?


 忘れていくのが悲しいです。

 毎日思い出すようにしていたのに、段々と記憶が薄くなるのが悲しいです。

 思い出すことすら忘れてしまう時があるのが恐ろしいです。


 ……もし孤児院の仲間までみんな死んでしまったら、俺はいつかからっぽになってしまうのでしょうか?

 そう思うだけでとても辛いです。



 ―――




「銀貨!」


 リリアナの声がした。

 俯いて目を閉じて、心の中で両親に語りかけていた俺は顔を上げる。

 そして声がした方に振り向いた。


「リリアナ、早いな」


 ヴィクター先生が起こしに来るより前の時間だ。

 朝早く起きて走ったあと、俺は墓参りに来ていた。

 今日は授業、もとい勉強の日なので普段より起床は遅いがそれでも早朝だ。


 夏の朝のちょうどいい温度の空気の中、まだ少し暗い広場をリリアナが横切ってくるのが見えた。

 ちなみに今日はリボンの色が水色で昨日と違う。

 本人によると、おしゃれだから色は日によって変えているらしい。


「まぁね。ウォルターはどうしたの?」

「あいつはまだ走ってるよ、多分」

「そっか。えらいね」


 感心したようなため息を漏らす。

 そして何故か誇らしげににっこり笑う。


「じゃあ今日も、お父さんたちに商売の報告をしようかな……」


 そう言って墓の前に来ると目を閉じて手を組んだ。

 俺がそうしているのを見て以来リリアナも真似するようになった。

 正しい作法なのかは分からないが、なんだか語りかけやすいポーズだと思う。


「…………」


 リリアナは商売がうまくいかなかったり新しいことを始めたりすると墓に立ち寄ることが増える。


「なぁ、リリアナ。お前は自分の家族のことはっきり覚えてる?」

「え? う〜ん……」


 やがて祈り終えた彼女にそんなことを聞いてみた。

 すると彼女は難しい顔をして考え込んでしまう。


「どちらかと言うと……覚えてない、って感じかな。うん……」

「そっか……」


 彼女も同じように家族のことを忘れてしまっているようだった。

 言葉が出てこなくて頭をかく。

 するとリリアナは寂しそうに笑った。

 なんでそんなこと聞くの? とは言われなかった。


「…………」


 ただ少しだけ黙った後、いつものように語りかけてくる。


「戻ろっか」

「うん」


 二人して孤児院に向かって歩き始める。

 朝ごはんを食べたらすぐに授業だ。


 と、思っているとちょうどリリアナが勉強のことについて話しかけてくる。


「ねぇ、今日の授業。セオドア先生の予習やった?」

「予習のぶんはちゃんと覚えてきたよ。【喪失期】と『鎮魂節』の話だよな」


 歴史の授業で今やってるのはちょっと嫌なところだ。

 常勝の勇者たちの数少ない敗北の過去について。


 これまで勇者と使徒たちは三度敗北し、その度に喪失期と呼ばれる暗黒の時代が五十年続いたと伝わっている。

 この喪失期についての記録はほとんど残っておらず、加えてその時期には多くの歴史資料や文化や文明が消え去っている。

 おかげさまで大陸の歴史は長い割に学ぶことがそう多くは……いや、流石にこの言い方は不謹慎か。


 きっと人がたくさん死んだはずだから。


「やなとこだったね。この間見せられた絵とか見てるだけで怖かったし」


 俺の言葉にリリアナは頷く。

 前に見せられた、喪失期のものだという貴重な絵の複製模写はかなり怖かった。


 それは古い時代の魔獣たちが人々を殺す光景の絵。

 一夜にして消滅した、かつて栄華を極めた魔術師たちの街が滅びるさまであるという。


 タイトルは魔術都市で、その絵ではキャンパスいっぱいに地獄絵図を描いていた。

 真っ赤な月の光の下の瓦礫の街。

 隙間なく全裸の人の死体が敷き詰められて、その上を恐ろしい数の異形が闊歩かっぽしている。

 そんな光景が果てまで続いている。


 ちょっと洒落にならない怖さだったあれは。

 エルマあたりはちょっと悲鳴をあげてた。


「私も怖かった。それに……」

「それに?」


 俺が聞くとリリアナは顔をしかめた。

 結局何も言わずに別の話にすり替えられてしまう。


「まぁ宿題やってるならいいのよ。お勉強頑張らないと商売に何言われるか」

「大丈夫。俺、勉強好きだから。サボったりしないよ」


 俺が笑うとやっとリリアナも普通に笑った。

 そして何度も満足げに頷く。


「勉強好きなの? へー、えらいね。褒めてあげるね」

「なんでちょっと上からなんだよ、お前さぁ」


 頭をなでてくる手を振り払った。

 そして俺が口を尖らせると、彼女はちょっと目を丸くする。


「わたし雇い主だもん!」


 悲しいがそれは確かにそのとおりだった。

 俺は雇われる側だから、たしかにちょっとあいつが偉い気もしないことはない。

 小さく唸って、今度は俺が別の話にすり替えた。


「でもいいよね、リリアナは。勉強しなくても成績いいし」


 リリアナは算術はできすぎるので受けていない。

 それにヴィクター先生と仲がいいので、文字を教えた縁から先生が受け持っている国語の授業を受けている。

 そしてもう一つは歴史で、俺と一緒の授業だ。

でもリリアナはあんまり勉強しなくても成績がいい。


 それを口にするとやつは得意げな表情で目を細める。


「ほら、わたしは利発だからさ」

「……まぁね」


 一周回ってイヤミがないのが面白かったのでまた少し笑みが漏れる。

 そうして二人で話していると孤児院の方からシーナ先生がやってきた。


「おはよう、二人とも」


 いつものはきはきした声で話しかけてきた。

 今日は訓練がないので飾り気のない白のワンピースを身に着けている。

 俺は返事をしようとしたが、その前にリリアナが動いた。


「ファミリー!!」


 唯一のファミリー会員に遭遇してテンションが上がったらしく、つむじ風のような勢いで先生に抱きつく。

 なんて現金なんだろう。


 苦笑しながら抱き留めた先生は俺に視線を向けてくる。


「お墓に行ってたの?」

「はい。ちょうど会ったので二人でお参りしてきました」

「そう。親孝行で偉いわね、二人とも」


 深くうなずいて褒めてくれた。


 今でも訓練中は恐怖を振りまくことはある。

 しかし訓練外ではこうして穏やかな様子で受け答えをしてくれる。


「先生はなにしてたんですか!」


 ところ構わず触ろうとじゃれつきながら、リリアナが問いかける。

 するとそれを軽くいなしながら先生が答えた。

 表情は優しいものの、流石に肩から先はプロの動きをしている。

 一歩も動かず全て受け流していた。


「先生はちょっと、散歩してたのよ。訓練を課すだけの立場だと中々……その、ね」


 気まずげに逸らされた目は、一瞬だけ自身の腹部に向かった。

 俺からすると太ってるようには見えないが、先生には思うところがあるのだろう。

 しかし気にしてる姿が面白かったので俺は笑った。


「……あ」


 と、急にリリアナが何かに気づいた様子でじゃれるのをやめた。

 それに先生が小さく鼻を鳴らす。

 なんだか控えめな勝利宣言にも見えた。

 まだまだ俺やリリアナでは先生に勝てない。


「あの。先生それ、わたしたちが作ったのですか?」


 彼女が指差す先に目をやると、先生の右手首にはなにやら布のブレスレットが巻いてある。


「ええ、そろそろ夏で腕が出るから。またつけようと思って」


 ちょっと肘から先を上げて、俺たちに手首を見せるようにする。

 するとごてごてのレースつきの布の中に針金を通し、ついでに主張が激しめなリボンを一つ載せたよく分からない代物が巻かれているのが分かる。


「うわっ」


 思わず変な声が出た。


 これはリリアナによる工芸品時代の屈指の失敗作として今でもネタにされるものだ。

 誰が呼んだか通称呪いのブレスレット。


 しかしこれを送り出したことは決してリリアナだけの責任ではない。

 当時まだ幼かった俺とウォルターはこれを作り出したリリアナを心から称賛し、一生懸命量産の手伝いをしてしまった。


 つまり何が言いたいかというと、このセンスのかけらもない物体は俺にとってもむずがゆいものなのだ。

 ウォルターは今でも褒めていたが……まさか今年もつけるとは。

 なんだか逆に申し訳ない。


「先生……は、外してよ……ねぇ……」

「いやだ。……ふふふ」


 先生にしては珍しくいたずらっぽい感じで笑った。

 リリアナはたじたじで顔を赤くしていた。

 へんなのをつけさせてしまって申し訳ない。

 なんと言えばいいのか分からなくて頭をかいた。

 強いて言うならごめんなさいしか言えない。


「あの、わたし気になるんですけど……先生ってそういうの全部まだ持ってたりします?」

「もちろん。全部持ってる。モノは大切にしないとね」

「ああ……」


 答えを聞いたリリアナが遠い目をする。

 それに笑いつつ俺も口を開いた。


「クリフとかも結構あいつ持ってるよ」

「ほんと?! やだー」

「耳あてとか案外毎年使ってたよ」

「やだーー!」


 毎年と言っても、成長して入らなくなってからは流石に使わなくなったけど。

 今でも持ってるのだろうか?

 だとしたらあいつも中々貧乏性だ。


「色んなもの売ってたわよね。先生しか買わなかったりして……。懐かしいね」


 今ではサービスを提供する方に切り替えたので工芸品を売ることはない。

 だからか先生は少し懐かしむようなことを言った。

 俺も一切売れなかった商品を買っては褒めてくれた先生を思い出して、なんだか少しノスタルジーに浸りたくなる。

 先生は優しい。


「また売りますよ! もっと資金が増えて、ヴィクター先生から技を盗めたら!」


 リリアナが元気よくまた売るのだと言う。


 しかし孤児院でそういうのを買うくらいなら、月に一回訪れる街で買ったほうがいいものを手に入れられる。

 それはどうしようもない技術の差で、だからこそ工芸品路線で大失敗したのだ。

 無論その差は簡単に埋められるものではないが、彼女は諦めてはいないらしい。


 だが一応センスや発想で超えていければまだ目もあるのかもしれない。

 俺も頑張って協力しようと思った。


「楽しみにしてるわ」


 微笑みのまま先生がそう言った。

 俺とリリアナも顔を見合わせて笑う。

 なんだかんだああいうの作るの好きだったから、俺もちょっとだけその日が楽しみになった。



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