三十二話・日常(3)
反省会を終えた俺は、食堂の一角に足を運ぶ。
食事の時間は終わりだが、まだ寝るには時間がある。
だから食堂にたむろする連中もいるし、今日はみんな反省会でいつもの友人と話せなかった。
だから残っている人は多い。
そして常連はコーヒーの試飲会を知っているし、常連じゃなくてもちゃんと宣伝したので覚えているはずだ。
娯楽の少ない孤児院なので、変わったことがあるとみんな注目する。
そんなこんなでたくさんお客もいると予想できる。
「ウォルター。リリアナは?」
俺たちの拠点は食堂の長机の一つだ。
木の鍋敷きの上に蓋付きの鍋を載せて、ぼんやりと座っていたウォルターの隣に腰かける。
彼も暑苦しい遊撃手の装備から、白の半袖シャツに着替えて風通しがいい。
ついでに言うと下は半ズボンを履いている。
「営業しにいった」
「……ツバでも吐かれてないといいけど」
きっと今がやがやと話している人の群れにコーヒーの宣伝に向かったのだろう。
でも、今日の悪魔的な活躍のせいで一部の連中から非道な扱いを受けないかの心配もある。
彼女も気が強くて、かっとなると喧嘩を買ってしまう方なのだ。
追いかけた方が安心かもしれない。
「よぉ。調子どうだ」
だが行こうとしたところで声がかかった。
見ればクリフが俺たちが陣取る机に左手をついて、こちらを流し目で見つめている。
その気はないだろうが様になっていた。
顔が良くて羨ましい。
「ああ、いいよ」
「まぁまぁだな」
俺とウォルターが何気なく答えるとクリフは小さく頷いて黙り込んだ。
「…………」
彼は孤児院でもかなりの上客で、シーナ先生とともに暗黒の工芸品時代を支えた常連でもある。
しかし彼とはあまり会話が続かないことが多い。
昔のあれこれはもう水に流しているし、チャラになるくらいご愛顧をいただいているのだ。
気にするはずはないが、いつも一言二言話すとこんなふうに不自然に黙り込んでしまう。
話すのが苦手ってわけじゃなさそうなのに。
「…………」
何も言えないまま沈黙が流れた。
クリフは俺の顔を見ている。
リリアナを追いかけようかと思っていたが、こうなるとなんだか出鼻をくじかれたというか、なんとなく行きづらい感じがしてきた。
「…………」
暇になってきたのでウォルターと顔を見合わせる。
彼は少し眠そうな目をしていた。
きっと鍋を見ているのが退屈なんだろう。
と、その時。
「どーん!」
いきなりだった。
軽快な声と共に突っ込んできたリリアナの突進でクリフが倒れ込んだ。
ごろごろと転がるも、受け身をとったかすぐに身を起こす。
「なんだよ! てめぇ……リリアナ!」
怒りよりも困惑と狼狽を色濃く浮かべ、座り込んだままクリフが怒鳴った。
だが当てた張本人は歯を見せて笑っている。
一欠片の陰りもない満面の笑みだが、俺はあいつの頬に『こすいザコ』と黒のインクで書かれてるのを見つけた。
どうやら小競り合いにはしっかりきっちり負けたらしい。
何を思ってかウォルターが小さく嘆息する。
「あらいたのクリフ?」
襟元にレースとリボンをあしらった白のブラウスに膝丈の黒いスカート。
こぎれいな格好に着替えたリリアナは、笑みをそのままにクリフを見下ろした。
「いたのじゃねぇ! どーんとか言ったろ!」
故意の激突であったことが明らかなのは一旦忘れる。
その上で考えても、どーん! なんて言ったのに『いたの?』……はあんまりな気がする。
しかしリリアナはその主張を鼻で笑う。
「言ってないもん。聞き間違い。そうでしょウォルター?」
「はい……俺がどーんって言いました。どーんって言ったのは俺です」
心底どうでも良さそうな顔でさらっとウォルターが嘘を吐いた。
金の味を覚えたことで完全に飼い慣らされてしまった感がある。
今では俺以上に忠実だ。
「聞いた? 今のは事故だから悪くないんだよ。でも、お詫びにこれをあげるね」
リリアナがポケットから取り出した石……へんな形の石を右の親指で弾き飛ばした。
座り込む股の間に落ちてきた石を見て、クリフは怒りに打ち震える。
「ふざけんな! 俺は客だぞ!」
勢いよく立ち上がって怒鳴った。
それを聞いて眠そうに俯いていたウォルターが顔を上げる。
「なんだ、客か」
「いらっしゃいませ〜」
リリアナがいたずらっぼく笑ってくるくる小躍りしつつ変な石を拾い上げた。
そして机のこちら側へと回ってくる。
クリフは頭を抱えてリリアナと澄まし顔のウォルターの間で視線を彷徨わせた。
「どうなってんだこいつら……」
しかしそれにしても。
ウォルターが客か、と言ったなにか腑に落ちたような言葉が気になる。
客以外の何に見えていたんだろう。
「なぁ、客かって? なんだと思ってたの?」
何気なく聞くと少し首を傾げつつこちらを向く。
そして俺の目をじっと見つめてきた。
「まぁ客か……君と話しに来たかだろうなと」
「話?」
よく分からなくて眉を寄せる。
深いため息が聞こえたので振り向くと、クリフがこめかみを押さえて俯いていた。
あれはイライラを封印している仕草だ。
そんな彼を見て、コーヒーの準備をしていたリリアナが背後で笑い声を上げる。
「構ってもらえて嬉しいんだろ、バカヤロー」
「なんでそんな……ここまで……? まぁいいや」
そろそろ一周回ったらしい。
きれいさっぱり怒りが消える。
抗弁の意思を失った彼は、近くの椅子を引き寄せてどっかりと座り込んだ。
これほどのことをされても去る様子はない。
「…………」
リリアナとクリフも昔は色々あったし、後からわかったこともあった。
だから彼への当たりは強いので、こうしてしばしば理不尽な目に遭う。
でも変わらずお店に来てくれるのはありがたい。
クリフが吐いた何度目かのため息が聞こえた。
「はぁ……」
と、そこで思っていたより早く他の客も集まり始めたことに気づく。
六人ほどこちらに近づいてきていた。
準備を急いだほうがいいだろう。
「リリアナ、俺たちも手伝うよ」
椅子から腰を上げつつ言うとご機嫌な返事が返ってきた。
お客さんの集まりがいいので浮き足立っている。
「気が利くね。ありがとう!」
俺はちょっと笑いながら席を立つ。
するとウォルターも立ち上がった。
だからこのままリリアナのところに行こうと思ったのだが、その前に別の指示を出された。
「あ、でも銀貨はお客さんに並んでもらって!」
「わかったよ」
立って早々に踵を返して席に戻る。
ちなみに特別な時、たとえば新しい商品を試供するような時は並び順は必ずしも早く来た人が先ではない。
お店への貢献度で扱いを変える。
もちろんただのひいきだと思われないよう、その基準は可視化してある。
購買意欲を煽るための仕掛けだ。
ポイントと呼ばれるものを獲得すれば、色んな特典を得られるようにしてある。
そんなわけで俺は人だかりに声をかけた。
より多く金を使った人が先になるよう並べるためだ。
「すみません、今日は商品の数が少ないのでファミリー会員さんから順に並んでください」
一年のポイント累積でなれる会員の位にはファミリー、フレンド、サポーターの三つがある。
そして家族と同等に扱うというファミリー会員は現在ただ一人。
リリアナの予想、というか妄想では一般的子供の数万倍の財力を持つとされるシーナ先生だ。
やつに言わせれば歩く金鉱脈だそうだが、俺達にとって先生は金づるではない。
と、そんなことを考えていると本人が近寄って来た。
木のコップを持っているのでお客さんだろう。
「先生。飲んでいくんですか」
「ええ。でも他の子供がいるから。今日も一番後ろに並ぶわ。お小言だけ言いに来たのよ」
いつも通りファミリーの特権は破棄するらしい。
それから、物言いがいかにも先生らしかったので俺はちょっとだけ笑う。
先生も昔に比べると変わったと思う。
別ににこにこしてたりべたべたしてくるわけではないが、昔よりずっと角が取れた。
「お小言……ですか」
俺は半笑いで聞き返す。
昔から先生はマナーとか決まりとかそういったことを比較的口うるさく注意してくる。
正直ごくたまにはむっとする時もあるが、俺は先生を尊敬しているのでいつも言うことを聞く。
「うん。知らないのは仕方ないけれど、子どもが夜コーヒーを飲むと眠れなくなるの」
「はぁ……そうなんですね」
聞けばなにやらそういうものらしい。
確かに前飲んだ感じ目が冴える気はするが……。
というか大人はいけるのか?
よく分からなくて頭をかくと、先生は力強く頷いた。
「そうよ。だから夜はなるべくミルクをたくさん入れて出してくれると先生は安心する」
「わかりました」
元々そのつもりだったのもあって俺は頷く。
一杯あたりに使うコーヒーをなるべく少なくするためと、子どもの好みに合わせるため。
このあたりの理由でそもそもミルクはたくさん入れる予定だったのだ。
「よかった。お仕事を頑張るのよ」
「はい」
俺が笑うと先生は応援するように右の拳で小さくガッツポーズを作る。
そして子どもたちが並ぶ列の一番最後に歩いていった。
まだそこまで集まってないし、多分先生は飲めるだろうか。
と、思っているとお客さんが来る。
「よぉ、リュート。なんかいいにおいするな」
「最近宣伝してたやつだよ。お金いらないから飲んでよ。すごく美味しいと思うよ」
ニオイに釣られてきたようだ。
愛想良く返すと彼は笑った。
「思い出した。お前らが見せびらかしてたやつかぁ」
「あっ……あれはごめんね」
ちょっと前にコーヒーを飲んで、見せびらかしながら歩いて宣伝したのだ。
言うまでもなく顰蹙を買ったが、こうして来てくれたのを見るに成功だったらしい。
シーナ先生には座って飲みなさい、なんて怒られてしまったが。
「いいよ。せっかくだし並んで行く」
「ありがとね」
手を振って見送って俺はまたお客さんの群れを捌く。
と言っても多分十一人くらいなのだが、並ぶ人についてきただけのやつとか、野次馬とか……色んな人がいてよくわからないことになっている。
みんなずっと騒いで喋ってるし、俺の話なんて聞いてくれない。
でもなんとか会員の階級ごとに並べることができた。
「なぁ、もう始めていい?」
リリアナに問いを投げる。
視線を向けると、彼女はコーヒーを淹れていた。
そしてその横では、ウォルターが頬のインクを濡れた布で消してやっている。
「いいよー」
俺の声を受けたリリアナが笑顔で親指を立てる。
お許しが出たので、俺は頷いてお客さんの方に向き直る。
本番が始まるから気を引き締めた。
「コーヒー飲めます! 一人ずつお願いします! コップはどうぞ持参してください! よろしくお願いします!」
俺が敬語で大声を出した瞬間、列に並んでる奴らが一斉に笑った。
恥ずかしくて目を背けると、リリアナも笑っていた。
俺は商売をしているから丁寧に話してるだけなのに、なぜかいつも笑われる。
「いや、接客めっちゃいいなこの店……俺びっくりだよ」
完全にバカにした半笑いで先頭のお客がそう言った。
恥ずかしいし悔しいけどフレンド会員は無下にできない。
俺は呑み込みがたい気持ちを押し殺して笑顔で接客を続ける。
「いらっしゃいませ!」
ほか二人よりまともだというだけで、俺の仕事はいつも馬鹿にされるのだ。
リリアナが笑いながらコーヒーのポッドを持って歩いてくる。
「ありがとな」
やがてコーヒーが満たされたコップを持って先頭の彼が笑って立ち去った。
俺は声を張ってお礼を言いながら、これはやっぱりちょっとだけ嬉しいと思った。
―――
お客さんの感想を軽く聞いた感じ、コーヒー配りは大成功だった。
リリアナはこれに金を出すという人は多そうだと目星をつけた。
つまりこれから商売にするということになる。
おつまみに以前売ってたパンくずで作ったクッキーなんかも復活させるのもありかもしれない。
そんなことを少し話したあと、俺はウォルターと一緒に部屋に帰っていた。
「…………」
二人での帰り道はあまり話さない。
でも別に気まずくはない。
あいつはそもそも無口だし、部屋が一緒だからどうしても二人での沈黙には慣れてしまうものだ。
「なぁ」
しかし珍しくウォルターが話しかけてきた。
薄暗い廊下だ。
人の話し声があちこちから聞こえてくる。
みんなまだ寝る前の時間を楽しんでいるのだろう。
「なに?」
俺が言うとウォルターは少し考え込むような間をあけた。
それから小さく喉を鳴らして口を開く。
「俺が……ずるいと言われたんだ。自分だけ評価を上げて。味方が死ぬような指揮をして」
死ぬ、という言葉に一瞬だけ背筋が冷える。
だが当然本当の死ではなく対抗戦の中でのことだ。
過剰反応の動揺を悟られないよう咳払いをする。
そして、なんと言っていいか分からなくて頭をかいた。
「申し訳ないと思うが、俺にはどうしていいのか分からない。君、なにかいい考えはないか?」
「うん」
話が見えてきた。
指揮の拙さのせいで同じ部隊からの突き上げを食らったようだ。
確かに彼はクリフとクランツくんに挟まれた時、突っ込みすぎて部隊に犠牲を出していた。
ちなみに外部の俺から見て問題点は明らかなのだが、唯一の弱点が潰れるともう勝てない気がしてしまう。
現金で悪いが、教えるのはどうしてもちょっと躊躇う。
「これ言うと負けなくなりそうだから……」
「命の恩人だろ、俺は」
真顔でそんなことを言うから思わず噴き出す。
よほど追い詰められているのか。
すごいのを持ち出してきた。
「ここでそれ使うの? まぁいいけど……」
そう言って笑って渋々口を開く。
「なんか、自分基準に動きすぎな気はする。自分が避けれる、勝てるっていう考えで行ってるように見える」
今日のクリフへの突撃なんて最たる例だ。
ウォルターだけなら簡単に切り抜けられるだろう。
でも他のみんなにとっては、たとえ氷のトラップがなくてもかなり厳しい状況だった。
「なるほど……やっぱりか」
俺の指摘に小刻みに頷く。
彼は少しだけ寂しそうに見えた。
これはもう少し早くアドバイスしてやればよかったかもと後悔する。
少し部隊で居場所がないのかもしれない。
でも副隊長、つまり次席の重装兵のエヴァンズなんかはかなりウォルターの強さを崇めているフシがあるはずだった。
だからなんとも言えないが。
「仲間はこれ言ってくれなかったのか?」
「いや、いつも言われていた」
「なんで直さないの?」
ウォルターは俺の指摘に力なく首を横に振って反論をする。
「直そうとは思ってる。だがそうなると今度は何も言えなくなる」
「あー……」
彼は個人戦闘にも相当頭を使っているし、その上にとなるとやはりきついようだ。
決して馬鹿じゃないし頑張ってもいる。
向いていないだけ。
せめて他の人に指揮を任せられるようなルールになればいいのだろうが。
「じゃあまず、勝つんじゃなくてどうすれば生き残れるかを一番に考えてみたら? 勝つことから離れたほうがいいと思う」
自分基準の作戦とはいえ咄嗟に言葉は出てくるのだ。
だったら、思考の軸を勝つことから変えればなにか変わるのではないかと思った。
なのでそう言うとウォルターは少し目をみはる。
「なるほど、いいかもな。……君に聞いて良かったよ」
「そっか」
俺が相槌を打つと荷を下ろしたように軽い息を吐く。
そして独り言のように小さく言葉を呟いた。
「……おかげで。次はマシな勝ち方ができるかもしれないな」
ウォルターを責める人の気持ちも分かる。
特に部隊の仲間はアピールする機会もなく退場することになった。
それでも俺はこういうところを見るとあまり文句は言わないでやってほしいと思ってしまう。
こいつはこいつで悩んでいるのだ。
「ありがとう、また借りができたよ」
「気にしなくていい」
貸し借りに律儀なところは変わらない。
どんな借りでも覚えていて、思いがけないところで返してくる。
「あと、命の恩人とか……そういうのは冗談だ」
「…………」
わざわざ否定してくるとは思わなくて目を瞬かせる。
一連のあまりに不器用すぎる様子を見ていると笑うしかなかった。
もう少し気軽に生きてもいいと思うのだが。
まぁこれも良さなのだろう。
少なくとも俺やリリアナはそう思っている。
「分かってるよ」
そう言って笑うとウォルターもちょっと笑った。
彼の部隊は強くなるかもしれないが、手助けしてしまった以上俺も頑張らないといけないと思う。