三十話・日常(1)
対抗戦が終わった。
順位は二位ではあるが、個人の撃破数はクリフの部隊を追撃した時の一人だけだ。
だからあまりぱっとしないスコアになってしまった。
今回は悔いの残る内容になった。
なんてことを考えながら、俺はリリアナとウォルターと三人で演習場から帰っていた。
行く先はもちろん孤児院だ。
「今日はごめんね。でもわたし弱いし、いつも勝てないから部隊のみんながかわいそうで……」
すぐ左を歩くリリアナが申し訳なさそうに言った。
試合をめちゃくちゃにかき回したことには、一応なにか思うところがあるらしい。
俺はあんまり気にしていないが、クランツくんあたりは怒り心頭だろう。
「…………」
演習場の修繕と整地を終えて帰る頃には夕方になっていた。
重装の鎧や武器なんかの装備は孤児院で飼っている馬が荷を引いて持って行ってくれている。
そのおかげで今は身軽な足での帰り道だ。
俺は、ちょっとまばたきをして彼女の言葉に答える。
「そんなこと気にするなよ。お前すごかったよ」
荒らしに裏切りに八面六臂の大活躍だった。
これだけ派手にやったのだから次はああも行かないだろうが、皮肉なしに他の誰にもできないことだ。
「いいの?」
聞き返すリリアナに、今度はウォルターが答えた。
彼はリリアナの左を歩いていて、俺達はちょうど彼女の左右に立っている形になる。
「俺も、面白かったよ」
すると彼女は嬉しそうに笑った。
「ウォルター……」
申し訳なさそうだった表情が一瞬で明るくなる。
釣られて嬉しくなるような笑顔だった。
「まぁなんだ。仕事の話をしよう」
ウォルターがそう言った。
結構強引に持っていくなとちょっと思う。
でも彼は仕事が大好きなのだ。
そのくせ使いもせず金を溜め込んでいるが、一応目的を知っているからなんとも思わない。
むしろ時々おやつをおごってやったりする。
「いいよ。ちょうどわたしもしたかったの」
リリアナが嬉しそうに答えた。
彼女も仕事が大好きだ。
俺はもう少し普通の話をしていたかったのだが、仕方ないのでそっちの話をすることにする。
「今日は夕飯の時にコーヒーを配るよ。手順を振り返ろうね」
言いつつリリアナは腰につけたポーチから小さな手帳を取り出した。
これは買ったわけではなく、彼女が孤児院に来たときから持っていたものらしい。
手帳は高価なのでその方が自然ではあるが、まだページが余っているのは正直びっくりだ。
前に見せてもらった時、ものすごく字が小さくて面白かった。
「うーん……」
小さく声を漏らしながら手帳に目を落とす。
そして考えをまとめたのだろう。
あらかじめ決めていた役割分担について話し始めた。
「まず銀貨が受付ね。本番では会計もするよ」
彼女の言ったとおり俺が注文を聞いて伝えて、ついでにお金をいただくのだ。
計算が一番早いのは当然リリアナだが、俺が一番なんというか……対人関係にトラブルが少ないのでこういうのを任されがちだ。
そして本番というのは、今日は商品を知ってもらうためにちょっと配るだけだから、お金のやり取りが発生しないという意味だった。
「分かってるよ」
ともかく頷くと満足げに親指を立てる。
次はウォルターへと目を向けた。
「で、あなたはお湯の準備と管理ね」
俺たちは二つの鍋を使ってお湯を管理することにしている。
そして片方のお湯が尽きれば厨房を間借りして片方の鍋の湯を沸かしに行く。
ちなみに、コップは食堂で各々が使っているコップを持ってこさせる。
食堂の人々の協力なしには成り立たない計画だが、俺たちは普段から色々手伝うことで必要な協力を取り付けている。
「で、わたしがコーヒーを淹れる……と。うまくできるかな?」
最後はひとりごとのように言って手帳を閉じた。
うまくできるかなと、そんなことを言うだけあって実はコーヒーは今日初めて扱うものだ。
今までは高くて手が出なかったのだが、最近セオドア先生がこっそり飲んでいたコーヒーを奪……買い取る形で商品にした。
街の近くで取れないものは魔獣のせいで輸送に金がかかるので高騰している。
しかし先生のコーヒーは謎の伝手による軍需品の横流しだ。
俺たちは安く買って安く売れる。
ギリギリ子供の小遣いに寄り添えるくらいには。
「大丈夫だ。よく練習しただろう」
ウォルターがそう言った。
そうだ、俺たちはよく知っている。
一生懸命リリアナが練習をしていたことを。
だからそんなふうに励ましたのだろうが、彼女はやはり曇った表情を浮かべていた。
「うん……うん、そうよね。でもどうしても水を混ぜたくなるの。我慢できなくて……」
「ケチだよ、お前」
俺はリリアナの言葉を聞いて笑った。
するとあいつも恥ずかしそうに笑った。
「ウォルターでも気づくんなら無理だってわかったもん。もうしないよ!」
ウォルターが食べ物の味にあまり頓着しないことをからかってみせる。
彼はため息を吐いて、呆れが滲む視線を送った。
「あれは。ヤギでも気づくぞ」
「えへへ。……ちなみにあの一杯は色でバレないラインよ。銀貨に飲ませたのが味でバレないライン」
「バレたよ」
バレたのだ。
俺は一発で気づいた。
ついでに言うと最悪なのが香りでバレないラインのコーヒーで、これはほとんど味は水だ。
もはや誰が騙されるのか俺は分からない。
「銀貨は意外と味にうるさいのよね。人によって水の入れ方を変えてみようかな……」
「だからだめだって」
「あなた専用のブレンドです、とか嬉しいよきっと」
「混ぜるの水だろ」
俺の言葉にリリアナはけらけらと笑った。
なんだかとても楽しそうだ。
こっちまで少し嬉しくなって思わず半笑いが漏れた。
「商売がうますぎるのも考えものだな」
ウォルターが大真面目に眉をひそめてそう言った。
俺は反射的に否定しそうになったが、実際ここ数年商売は軌道に乗っている。
不評だった工芸品路線をやめてからだろうか。
あの路線だと月イチで通える街の商店が競争相手になるのだから、うまくいかなくて当然といえば当然だ。
大人の職人の本気クオリティと戦わなければならなくなるのだ。
しかしそれに気づいてからのリリアナはすごかった。
だから一応称賛を送ることにする。
「まぁ……まぁ、あとはケチじゃなかったら偉いよ」
「えへへ」
二人で褒める(?)ると目を細めて笑った。
視線を逸らしておさげの先に指を絡ませる。
仕草から見てどうやらとても照れているらしい。
ケチじゃなければ、とはいえものすごいケチなので四割がた褒めてないのに。
「でもケチでいいの!」
笑みのまま彼女は言った。
俺とウォルターは顔を見合わせる。
二人してその意味を図りかねていたら、もう孤児院に着きそうだと気がついた。
「もうついちゃったね」
「ああ」
ウォルターとリリアナのやり取りを尻目に俺は少し不安な気持ちになる。
「…………」
なんてことのないいつもの帰り道だった。
俺たちは家に帰り着いた。
風呂に入って急いであがって仕事の準備をしたらご飯を食べて商売をする。
ずっと変わらない毎日だ。
俺は、それがずっと続けばいいなといつも思う。
「どうした、リュート?」
「なんでもない」
足が止まっていたようだ。
気づけばウォルターとリリアナは少し先に行っていた。
慌ててあとを追いながら俺は思い返す。
近々与えられるという任務のことだ。
任務のために、先生たちは六人選抜して部隊を作ると言っていた。
国に俺たちの練度を示すために特別な任務を与えるということらしい。
内容は魔獣との戦闘任務だと聞いている。
だから俺はその任務に参加したいと思っていた。
だって、成績や席次にあまりこだわりがない俺が今日まで訓練を続けてきたのは居場所を守るためだ。
そして村を失った俺にとって、今はこの孤児院が守るべき居場所だった。
みんなが傷つくかもしれない任務なら、一緒に行って戦いたいと思っていた。
なので次の機会……ガーランドでは絶対に結果を出す。
そう決めて、俺はまた孤児院へと足を進めた。