二十九話・対抗戦(3)
目が合うと、ウォルターは口元だけで笑った。
ああ、あいつは本当に戦いが好きなのだと思う。
小さい頃暴れた俺と殴り合って、ちょっと嬉しそうだったのも今思えば違和感がない。
「行くぞ」
力なく下げられていた剣先はそのままに、あいつは前傾の姿勢で走り込んできた。
実はこの構えのない剣術が一番怖い。
一対一か、少数相手の時のみ見せるこれが。
「…………」
俺はニーナに目配せをして『剣』の魔術の詠唱を始める。
「力よ、武器に宿り、留まって、その威力を……」
俺が使う偽典詠唱はそもそも発動に必要な要素以外はすべて削ぎ落としたものだ。
だからこそ聖典のように省略するのは難しい。
それもあってほとんど完全詠唱になってしまったが、いつもどおり発動できた。
「『水剣』」
水の刃を剣にまとわせた。
ニーナとタイミングを合わせて走り始める。
そして『矢』や『杭』のような魔術はやっても意味がないので使わない。
あいつに飛び道具は効かないのだ。
集団で使って密度を上げるか、不意打ちで放つか。
この二つ以外なら、たとえ強化が切れていても絶対に当たらない。
そんなことを考えている内に随分と距離が詰まった。
刃が届く距離になる。
ここからは剣戟の間合いだ。
「……ビビるな」
自分に言い聞かせてダガーと剣を構える。
強化を使い果たした今なら、二人でやれば勝てない相手ではない。
言い聞かせているとすぐに戦闘が始まる。
まず仕掛けたのはウォルターの方だった。
低く身をかがめ力強く一歩を踏み込んでくる。
獣の飛びつきのような鋭さで、ニーナの眼前に距離を詰めたのだ。
「っ……」
彼女は小さく声を漏らす。
疲労し、魔力が切れていると分かっているのか先に潰しに来た。
初撃は風を切る横薙ぎだった。
恐ろしい速度の刃だった。
あいつは体重操作が巧みだから、体の重さを乗せた刃は最初から加速している。
一瞬で最高速に到達する。
そのせいで避けるのはかなり難しい。
しかしそれを、軽やかなバックステップでニーナはかわす。
まだ危険な距離だと思ったのか、かわしたあともさらに下がって距離を取っていた。
俺は即座に、ニーナを追いかけようとするウォルターの背後へ回る。
「…………」
ウォルターはニーナを追撃した。
彼女が二撃目もかわしたから、俺はウォルターの背に向けて剣を振り下ろす。
だが踏み込んで放った背後からの斬撃は、霞むほど速い刃に弾かれた。
「!」
手がしびれるような勢いで跳ね返された。
たたらを踏む。
そしてウォルターが左手に持ち替えて剣を使っていることを確認した。
彼はニーナに対して斬撃を放った直後だったので、本来迎撃は間に合わない。
しかしその無理を通すために持ち替えたのだろう。
あいつはニーナに対して横薙ぎに斬りつけたあと、左に剣を振り抜いた姿勢になっていた。
普通はそこから背後を斬るには刃を切り返さなければいけないが、左手に持ち替えてしまえば即座にその手で背後の剣を弾ける。
最短で振り向くため、動作の高速化のために手を入れ替えたのだ。
と、そこでニーナの短剣がウォルターを狙う。
それをあいつは軽く身をそらしてすり抜けた。
さらに同時に反撃を放つが、彼女もしっかりと回避する。
「長くなるな……」
ウォルターが呟いた。
ニーナの余力が想定よりも多かったことに気がついたのだろう。
だが長くなりそうだとは言うものの、あまりきつそうな印象は受けない。
俺の剣は魔力を纏わせてあるのでしっかりと避けるか受けるかしなければ負傷につながる。
そしてニーナも魔力が切れたとはいえ接近戦の適性は頭一つ抜けている。
本来なら挟み撃ちでかなり苦しい状況のはずだ。
だというのにあいつには攻撃がかすりもしない。
大剣の取り回しの悪さなど欠片も感じさせない。
案の定……とはいえ絶対的な差を確認して思わず悪態が漏れた。
「クソ……」
つぶやきに答えは返らない。
ただ俺たちの攻撃をしのぎ、隙を見てひやりとするような反撃を叩き込んでくる。
俺にはニーナのような回避は無理だった。
なので攻撃した後は、すぐに十分な間合いを取らなければならない。
ましてあの大剣をガードするなどもってのほかだ。
細心の注意を払いながら攻撃を続ける。
「……」
挟み撃ちを受けるウォルターは、目まぐるしく剣を振るう手を左右で入れ替えている。
加えて俺たちの攻撃に合わせてすり足で前後に向きを変えている。
器用に回避と防御を使い分けつつ、手を入れ替えてこれ以上ない効率で二方からの攻撃を捌き続けた。
すると霞む切っ先は最高速からさらに加速していく。
純粋な速度で風圧を纏う刃は、いまや小規模の竜巻のような勢いで鼻先をかすめていた。
もし強化が残っていたら、あるいは一対一だったなら拮抗することすら無理だっただろう。
「もっと魔力を使ってください。やり方は任せます」
戦いの最中、ニーナに呼びかけられた。
目配せを交わす。
さらなる攻勢に出るということだろう。
にわかには信じがたいものの、単純な接近戦を長く続ければ負けるということはなんとなく伝わってくる。
状況を変えるために魔力を使う……つまり詠唱が必要になるが、その隙は稼いでくれるはずだ。
「…………」
無言でニーナが前に出た。
風切る刃を小さな背を屈めてくぐり、低い姿勢から足を払う蹴りを繰り出す。
あいつはそれを跳躍でかわし彼女と位置を入れ替える。
回避だけではなく同時に挟み撃ちも脱してみせた。
ニーナの胆力には舌を巻くが、それでもウォルターが一枚上に見える。
しかし彼女の攻撃はまだ続く。
前進の勢いを瞬時に反転させ、目を見張る瞬発で、跳ねたウォルターの着地を狩るよう肉薄した。
大剣に不利な間合いを押し付けようとしたようだが、見越していたウォルターもすぐに下がる。
だが、それはそれでニーナの間合いだ。
左右の手に持ったナイフを投擲する。
彼は大剣を振るまでもなく回避した。
しかし生まれた隙でニーナが肉薄して斬り結ぶ。
投擲のナイフを惜しみなく使って、絶えず牽制を切らさず、上手くウォルターの剣戟を凌いでいる。
とはいえやはり追い詰められ始めたように見えたその時。
ニーナは蹴り上げ……と見せかけて土を飛ばし目潰しを狙った。
だがそれも読まれている。
ウォルターは低く身をかがめて土を避ける。
さらに同時に足払いを放ち、ニーナの軸足を蹴って転倒させる。
彼女はとっさに受け身を取ったが、立ち上がるよりも先にナイフを投げる。
それで追撃を止め、立ち上がって逃げながらまた投げる。
今度は糸がついていた。
ウォルターから少し離れた足元に突き刺さる。
「力よ、圧縮し、結集し、反動を放ち……」
爆破するための詠唱だ。
魔力が切れた今、これは単なるハッタリだ。
時間稼ぎ、行動を阻むための偽装だった。
だがウォルターには嘘だと確信できる要素はない。
どう対応するのか先を伺う。
すると彼は張った糸を蹴りナイフを浮かせ、そのまま左の手に取り瞬時に投げ返してみせる。
一連の動作はまばたき一つの間に行われた。
「……っ!」
投げ返されたナイフはしっかりと標的を捉えている。
流石に予想外だったかニーナが崩れた。
投げ返された刃を背を反らして避けたところで、地を蹴ったウォルターが逆に接近する。
鋭い斬り上げが放たれた。
それはニーナが背を反らした、つまり束の間だけ視線が上に傾いたことを利用する下からの攻撃だった。
死角をつく狡猾な刃だ。
彼女は倒れ込みつつもなんとかかわす。
だが上に行くはずの大剣の軌道が、一瞬で斬り下げに変わった。
鞭を思わせるようにしなる斬撃が襲いかかる。
「これも凌ぐか」
驚嘆を滲ませウォルターが声を漏らす。
倒れたニーナは左腕を潰して刃を完璧に受け流していた。
即座に立ち上がり俺のところまで戻ってくる。
息を乱しながら左の武器を捨て、右手だけで短剣を構える。
「……さすが、素晴らしい剣技ですね。私の負けです」
点数としては二点。
左腕が使えなくなる上、深い切創なので出血の判定もつく。
処置をしなければ一分半で戦闘不能の四点になる。
ニーナの言葉通りこれで二人の間の勝負はほぼついた。
「しかし、戦いはここからです」
彼女はそう言って微笑んだ。
これも正しい。
今からは俺も参加できる。
ちょうど準備が終わったのだ。
「累なれ」
使うのはダガーへの水の刃の付与と、自分で作った『集積』の魔術。
作ったとはいえこれは失敗作、というよりは副産物か。
俺は元々、ウォルターを倒すために敵を追尾する魔術を作りたかったのだ。
だからルーンの形状類型学の図鑑を頼りに、めぼしい効果を持つものを……削ったり線を増やしたりパーツで組み合わせたりしていた。
それで、掘り当てたのがこの形だ。
「『暴走剣』」
口に出すと同時、俺のダガーに纏わせていた水が剣の刀身に吸い寄せられていく。
そして元の三倍ほどに膨れ上がった刃は、少しでも意識を乱せば制御できなくなる。
あえて制御を乱すことで一瞬の炸裂でより強力な攻撃を出すこともできるものの、消費も相まって使い勝手が悪すぎた。
それでもこの、魔術を束ねる『集積』は他に用途が見つからないのだ。
たとえば『構造強化』なら重ねるより上位の魔術を使う方が効率がいい。
ほとんどがそんなものだから、俺にはこれしか考えつかなかった。
「それは?」
今や大剣よりも長い、馬鹿げたサイズの水の刃を見てウォルターが怪訝そうに眉をひそめる。
それに俺は額に冷や汗が滲むのを感じながら答えた。
どういった理由かは分からないが、魔術を束ねるといつも魔力が凄まじい勢いで消し飛んでいく。
「お前を倒すための奥の手……だった」
本当はガーランドの組手でウォルターを乗り越えるために用意したものだった。
でも、まだどちらにせよ味方の援護なしでは使えない。
それに今日だって勝たなければいけない。
だからここで手札を切ることにしたのだ。
「…………」
俺の言葉を受けて彼は小さくうなずいた。
そして改めて俺とニーナの前に立ちはだかる。
あくまで正面から受けきるつもりのようだ。
「分かった。続けよう」
ニーナと俺は同時に走り出す。
この剣をウォルターはどう捌くつもりなのだろうか。
構えがないから対応が読めない。
なんとかしてきそうな気もするが、流石にこれで勝てないと手のつけようがない。
そんなことを考えながら、二人でウォルターとの距離を詰める。
するとあいつもこちらを狙って駆けてきているのが分かった。
俺は、それに少しだけ驚く。
「…………」
だってニーナは一分半で戦闘不能になる。
俺はもう少し短い時間で魔力が切れてしまう。
なのに真面目に突撃してくるとは思わなかったのだ。
でもきっと勝負がしたいのだろう。
あいつには確かにそういうところがある。
ならばと気持ちに応えるべく、まずはリーチを生かして先制で刃を振り下ろす。
「…………」
無言で俺を見ていた。
水の刃を鋭いステップで横にずれてかわした。
そのまま懐に潜り込んでくる。
やはり狙いは俺だ。
察したニーナが再び背後を取る。
再度挟みこめば今度こそ仕留められる……と思った瞬間。
「!」
肉薄してきたウォルターによって放たれた横薙ぎが。
バックステップでかわしたはずのその剣が、唐突に目の前まで伸びてきた。
遥か手前で空を切るはずだった刃が、悪い夢のようにリーチを増して迫ってくる。
だが流石に通常の斬撃より速度が落ちていた。
そのおかげでなんとか無理に後退できた。
切っ先が目と鼻の先を斬り裂く。
よろめいた体勢を整えようとした時、ウォルターの背後に回ったニーナが斬りかかった。
しかし彼女は片腕で、俺も援護できなかったからたやすく対処される。
ガードの構えから押し出す大剣の腹の叩きつけ。
瞬時に最短で打撃を放つ。
防御と攻撃を両立した一撃でニーナが斬りかかる勢いを完璧に押し潰し、同時に敵の姿勢も崩してみせる。
そうなるとすでに攻守は入れ替わっていた。
流れるように繋がる、叩きつけからの斬撃がニーナに迫る。
一瞬の反撃はまさに稲妻のようだった。
彼女はなすすべなく脇腹を打たれ、膝をついたあと崩れ落ちる。
「っ……! う、あっ……」
悲鳴こそあげなかったがかなり苦しそうだった。
あのニーナが立ち上がることすらできていない。
うめき声を漏らしながら土を掴み、悶えてばったりと動かなくなる。
「……強く打ちすぎた。すまない」
ウォルターがそう声をかけた。
達成感のようなものは感じられない。
平静な声でいたわり、俺に向き直る。
「君、それが切り札だと言っていたな?」
その問いに答える前にニーナを見た。
まだ立ち上がれていない。
しかし苦しみが尾を引く視線を俺に向けていた。
倒れながらも俺の戦いを見ている。
だから頭を振って後悔を引き剥がす。
ニーナに俺を庇わせてしまった。
だが今は戦い抜かなければ。
「そうだ」
言いながら剣を構える。
一対一になった今、彼にリーチの優位は意味をなさない。
なら奇策を……この剣の制御を乱して暴走させるしかない。
至近から放つ魔力の奔流にひっかければ、あるいは勝機も見えるはずだ。
残された手はそれだけだった。
「俺にもある。使ってみよう」
返されたのは思いがけない言葉だった。
しかしそうは言っても、彼にはもう余力がないはずだ。
「……魔力がないだろ」
どんな魔術ももう使えないはずだ。
切り札と称するほどのものならなおさらだ。
しかしウォルターは何も答えず腰を深く落とす。
そして両手で持った剣を、背の後ろにまで大きく大きく振りかぶるような形で構えた。
どっしりとした姿勢で力を溜め、そのまま静かに語りかけてくる。
「来い」
何をするかまで見通されているとは思わない。
初見の魔術を見抜かれているとは思えない。
だが何をしても通用しないのではないかという不安があった。
それを振り切るように走り出す。
「…………」
やることはもう決めていた。
恐らく放たれるであろう全力の斬撃を受ける。
受けた上で密着の状態から即座に水の刃を解き放つ。
そうやって手順を反芻した。
緊張を抑え込むように頭の中で何度も繰り返した。
走っているとウォルターの手が動く。
剣の先が霞んだ。
「……!」
大仰な構えをしていたわりにその剣は普段の何気ない斬撃より遅かった。
十分に速いがかろうじて軌道を追えた。
そして間合いの感覚を狂わせるような、爆発的な踏み込みと共に刃が振るわれる。
完璧に受けるイメージを描けた。
俺は剣を前に出す。
流すのではなく受ける。
完全に密着して、動きを止めた上で倒す。
そう算段をつけていた。
しかし剣に走るはずの衝撃は、したたかに俺の胴に叩きつけられていた。
重い一撃が革鎧ごしに内臓を圧迫する。
理解できないまま膝から力が抜け俺は倒れた。
そして手から刃を取り落とすと、魔力の刃は崩れ落ちて、ただの水になってこぼれてしまう。
「うっ……」
息が止まる。
革鎧で受けたというのに壮絶に痛む。
ようやっと息を吐いて、苦痛をこらえながら顔を上げた。
すると振り抜いた姿勢のまま残心を貫くウォルターが見えた。
「……なん、で」
俺は完璧に受けていたはずだった。
しかし刃はすり抜けていた。
詰まる息で理解しがたい一撃への疑問を漏らす。
するとあいつは小さな声で答えた。
「すり抜けたのは、新しい技だ」
言いながら、彼はようやく残心の姿勢を崩した。
そして剣を引いて歩き去る前に、ごく短い言葉をかける。
「……じゃあ、またあとで」
切り札は魔術ではなく剣の技だったということだ。
あれだけの助けを受けておきながら正面から斬り伏せられた。
完全に俺の負けだ。
返す言葉もなかった。
「……クソ」
いざ負けると、あの時こうしていればと後悔が際限なく湧き上がる。
ばっさりとやられた体の痛みに耐えつつ仰向けに寝返りをした。
今回の対抗戦は、前回に続いてウォルターの部隊が勝って終わりだ。