二十五話・十二歳
母さん、父さん。
お墓参りに来ました。
今日はガーランドという言葉について話をさせてください。
これは花輪を意味する言葉です。
でも俺たちの間ではもう一つ意味があります。
花輪は花輪でも少し変わったモノです。
言ってしまえばそれは訓練の一種で。
起源はどこかの蛮族の婚礼でした。
花婿が妻を守れる強い男であるかどうかを試すため、出席者の男一同で囲んで次々に一対一で対決するイベントがもとです。
そして勝利した花婿には周りの人たちが花びらを投げて祝福したそうです。
すると円形に撒き散らされた花びらが花輪に見えるからガーランドと言うのだと聞きました。
面白いと思いませんか?
それで……これは色々あって軍人の訓練に取り入れられたそうなんです。
この孤児院でも行われていて、俺は二週間後に参加します。
成績の評価に関わるので、なんとか頑張っていい結果を残したいと思っています。
……あと、それから、俺には一つ怖いことがあります。
…………。
「リュートくん、そろそろ行きましょう。時間がなくなってしまいますよ」
女の子の声が聞こえた。
静かな声だった。
俺は祈るために組んでいた手をほどき、閉じていた目を開ける。
墓参りをして、ついでに悩みを話していたのだが、相談はまた今度にするしかなさそうだ。
「…………」
開いた目に映るのは、俺とリリアナの両親と……あといつかこの孤児院にいたオークのお墓だった。
木の十字架を立てて、小さい頃のコートを埋めただけのものだ。
でも夏でも暑くないように、そして冬でも雪が積もらないように、孤児院の片隅の大きな木の下に作ってある。
今はそのくらいの気配りで精一杯だが、お金が貯まったらもっと豪華にしたいと考えている。
「……じゃあ、行ってきますね」
最後に語りかけた。
そして苦笑する。
ずいぶんと他人行儀な言葉遣いになってしまっていることに。
でも思えば仕方がないのかもしれない。
あれからもう六年が経とうとしている。
俺はもう十二歳。
そして、もうしばらくしたら十三歳になってしまうのだ。
なので両親の記憶が薄れていくのも当然なのかもしれないが、距離が離れていくようで寂しかった。
実際もう思い出は断片で、親については大切にしてもらっていたということくらいしか覚えていない。
と、そこでまた声に急かされる。
「早くしないと走ることになりますよ」
「分かってるよ、ニーナ」
今は夏で、雲一つないおかげで容赦なく日が差す昼過ぎだ。
確かに積極的に走りたい様子ではない。
なので仕方がなく振り返る。
そして墓のそばに置いていた革の鎧に手をかけた。
必要なものだった。
「…………」
そして振り返った先、木陰の隅にはニーナがいた。
薄い表情の半目とこんな夏でも白い肌。
ショートカットの灰の髪、あまり伸びなかった背。
そして孤児院の衛生兵が袖を通す、長いマントがついた法衣に似る白の装い。
逆光を背負いこちらを見つめる彼女は、訓練用の木の刃のナイフを弄びつつ俺を待っていた。
「……分かっていたなら、急かしてごめんなさい」
ちょっと申し訳なさそうに眉を下げた。
そしてナイフを太もものあたりにつけた鞘に戻し、俺の方に近づいてきた。
「…………」
少し冷めた雰囲気の彼女は、ここ数年で最も衝撃的な変化を果たした人物だった。
俺はそこまでは思わないものの、みんなからは性別と顔以外は別物になったとか言われているくらいに。
他にはニーナとシーナが入れ替わった、なんてことが一部の男子の間でまことしやかに囁かれていたほどには変わったのだ。
「なにか失礼なことを考えていませんか?」
「そんなことないよ」
「なるほど?」
疑わしそうな相槌を打ち、俺のことをなにか見透かすような目で見た。
だが結局信じてくれたのかじっと見るのをやめて踵を返す。
そしてそのまま背を向けて歩いていくものだから、俺は慌ててついていった。
このまま広場を横切り孤児院の入り口に向かうことになるだろう。
そうして外に出たら、外の原っぱで訓練が始まる。
「今日の訓練、勝てたらいいね」
少し気後れしながらニーナの背中に語りかけた。
すると彼女はつと足を止め、振り向くと不敵な台詞で俺の言葉に答えた。
「もちろん勝ちます。私たちなら簡単です」
「そうだね」
答えながら彼女に並んだ。
そしてちょっとおかしくなって笑みを漏らす。
こういうところは本当に変わったなと思ったのだ。
誰も予想できなかったことだが、自信に違わず今の彼女は精鋭だ。
孤児院で最高の成績を誇る衛生兵、筆頭衛生兵の栄誉を受け部隊を率いる身だ。
そして衛生兵とは言いつつ一対一なら三指には入る実力者でもある。
俺も頑張っているけど彼女にはもう勝てない。
少なくとも今は。
「暑い……」
歩きながら手を太陽にかざし、額の上に影を作る。
眩しくて暑くて夏は苦手だ。
ふと横を見るとニーナも眩しそうに目を細めていた。
視線に気づくとふと横目で見てくる。
「大変ですね、リュートくんは。鎧なんて着なくちゃいけなくて」
鎖かたびらと長袖を着ただけの彼女でさえ額に汗している。
俺もまだ鎧下のインナーと、上から羽織る白の外套しか着てないのに暑くてたまらない。
これから鎧を着なくてはならないなんて悪夢だと思う。
だが実は俺だってマシな方だ。
俺はそれなりに動き回る必要があるので、革の鎧で構わないのだ。
もっと重い鎧を着る仲間もいる。
「まぁ……プレートじゃないからまだマシだけど」
一応フルプレートではない。
革との間の子のハーフプレートだ。
それでも、金属の鎧を着なくてはならない者に比べればまだ幸せだ。
だからそう言うとニーナも頷いた。
「そうですね。今日は熱風でも送ってやりましょうか」
「ありだなぁ」
今日の訓練は対抗戦。
つまり、違う兵科の生徒が、一人ずつ入って構成された部隊で争うチーム戦の訓練だ。
そしてこんな日に熱風でも送れば、重装備のやつはたまったものではないだろう。
発想が余りにも残虐すぎて面白いので笑った。
するとニーナも楽しそうに表情を緩めた。
ちなみに、彼女は俺の部隊の隊長だった。
「……えへへ」
変わった変わったと随分言われているが、俺はこういうとき彼女はあまり変わっていないような気がする。
もちろん、良くも悪くも立ち振る舞いは強くなったと思う。
でもそれは多分、かつての弱さを嫌った彼女なりの努力のあらわれだと感じるのだ。
「しかしこんな……完全装備でやる意味はないと思うんですよね」
笑みは消え、元の半目に戻った。
暑そうに顔をしかめて、ぱたぱたと服の襟口を動かしている。
鎖かたびらが見え隠れした。
俺は目を見つめながら同意する。
「確かに。そんな危なくないからな」
武器は殺傷能力を奪ってあるし、ちゃんとしたルールも決めてある。
そして魔術も直接攻撃には水や弱い風の魔術を使うので危険はあまりない。
加えて、そもそも魔術での直接攻撃は推奨されていなかった。
なぜなら中位以上の魔獣には極端に効きにくく、いちいち魔術を使っていると継戦能力も下がってしまうからだ。
だから怪我人が出ることはあるけれど、対抗戦ですごい負傷をしたという人は今のところはまだいない。
そんなことを考えていると、歩く俺たちの脇からくぐもった少年の声が聞こえた。
「まあ、急に実戦で鎧着て動けって言われても無理だからじゃないすか」
楽しげな声音に振り向く。
すると視線の先には鎧を着た誰かが佇んでいた。
「…………」
鎧は明るい色のレザーと鈍色板金の合の子のハーフプレートだ。
しかし対して兜はフルフェイスなので、俺には一瞬誰か判別できない。
でももしかすると背の高さと声からして同じ部隊の仲間かもしれないと思った。
「ケニー?」
俺が名を呼ぶとがしゃがしゃと音を立てて右手を振る。
するとなぜか、ニーナは大きなため息を吐いて彼に答える。
「分かってました。そのくらい」
分かっていなかったのは俺だけだった。
足を止め、なんともいえない気持ちでやり取りの先を見守る。
しかしそれ以上何も言わずに彼女はさっさと歩いていく。
「あ」
また置いて行かれて俺はつい声を漏らす。
するとすぐ横の鎧が、不安そうに声を潜めて話しかけてきた。
「どうしよう……なんでかニーナさんキレてる」
「キレてるの、あれ?」
俺たちも二人並んで歩きだす。
なんとも話しかけにくい雰囲気ではあったので、ニーナに追いつくことはしなかった。
「見るからにそうだよ」
「う〜ん……」
言われてみれば確かにちょっと怒ってるかもしれない。
そんなことを思いながら早歩きの後ろ姿を見る。
ケニーは少し唸って言葉を続けた。
「ニーナさん愛想ないけどあそこまでは流石に……。お前と二人の時話しかけたらあんな感じになる」
何故か責めるような口調で言われた。
しかし心当たりはなかったので反論する。
「俺のせいじゃない」
「そうかな。でもお前がいると不機嫌になるんだよね。偶然とは思いがたいんだよな」
なぜか俺に責任をなすりつけようとしてくる。
微妙に必死なのが面白くて少し笑った。
それから、俺はケニーに前から気になっていたことを聞いてみる。
「……そういえばなんで、いつも俺にだけタメ口なの?」
彼は俺とニーナと同じ部隊の一員だ。
俺たちの中で重装歩兵の役割を担っている。
そんな彼は部隊の全員に崩した敬語で話すのだが、何故か俺にだけタメ口だった。
だから尋ねると少し照れたような声で笑った。
「……リュートはなんかしたっぱ感あるんだよな。俺と一緒でさぁ」
返ってきた答えはどうしてか嬉しそうだった。
二人したっぱでいることがそんなにいいのか。
悲しい気分になって俺はため息を吐く。
「…………」
一応、重装歩兵の中の序列が最下位の彼と違って俺は今のところ次席だ。
次席、つまり二番目の遊撃手だ。
なのにしたっぱでくくられてしまっているのは、きっと性格と……あと筆頭にいるやつのせいだろう。
仕方のないことなので反論はしなかった。
「ところで鎧……暑くないの? クランツくんのまね?」
話を変えたかった。
それ以上にもう鎧を着ている彼が不思議だったから尋ねてみる。
本当に暑い日ともなると軽い火傷を負うほどに熱くなるのが金属鎧だ。
フルプレートではないとはいえ、実戦であっても戦闘までは着たりはしない。
しかし今日の彼はそんな代物を訓練の前から着込んでいる。
そんなストイックなことをするのは、重装兵の筆頭のクランツくんだけだ。
だから真似なのかと冗談を言う。
するとケニーが答えた。
「今日の昼休みまでに持ってく宿題やってなくてさ。ヴィクター先生に見つかんないよう隠れてるんだ」
斜め上の理由だった。
怒られる姿を想像して俺はちょっとにやけてしまう。
ヴィクター先生は理詰めで淡々と逃げ道を殺すので本当に隙がない。
やられるぶんにはきついが、見物するなら見ごたえがある。
それはこの孤児院で好まれる血塗られた娯楽の一つだ。
「早めに出頭したほうがいいぞ。逃げれば逃げるほどきつくしてくる人だから」
「……それは、誰よりも分かってる。なぁお前一緒に行ってくれない?」
「やだよ。見には来るかもしんないけど」
すげなく断るとケニーは笑った。
見には来るなよ……なんて言ったあと、俺が受けている授業について羨んでくる。
「そういえばセオドア先生って宿題出さなくても怒んないんだろ? 俺も歴史にすりゃよかったよ」
その通りだった。
セオドア先生はサボったり宿題を出さなくても怒ったりはしない。
ただ怠けている生徒に話しかけて、どういう話を聞きたいかを尋ねてくる。
そして、聞いた次の次くらいだろうか。
そのあたりで急にその話を授業に入れてくれる。
俺はそんな先生が好きだった。
「変えたら?」
シーナ先生の算術とヴィクター先生の国語とセオドア先生の歴史。
最初は三つ受けていたが、一年前から三つある授業から二つを選べばよくなった。
それぞれの判断で、授業に追いつく努力さえするならいつでも内訳は変えられる。
だからそう言ったのだが、ケニーは変えるつもりはなさそうだった。
こんなでもヴィクター先生とは仲がいいのだ。
「ま、今教わってるとこ終わったら考えるよ」
そんなふうに話しながら歩いていると、もう前にはニーナの姿はなくなっていた。
せっかく墓参りにまでついてきたくれたのにいなくなるなんて。
一緒に行くものと思っていたから少し寂しかった。
「……一緒に行けばいいのに」
「ん?」
俺の言葉でニーナがいなくなっていることに気づいたのだろう。
ケニーが声を漏らして反応した。
「まぁ、ニーナさんは何考えてるか分からんところがあるからね」
「いいやつだよ、ニーナは」
「それは、一応分かってる。部隊の仲間だからさ」
普段話さない人からすると考えを読みにくいところもあるかもしれない。
思えばニーナはおどおどしていた頃から一人でいることが多かった。
なのでなおさらそうではあるのだろうか。
そんなふうに思っているとケニーが笑った。
「まぁ……人殺してそうだけどな」
お決まりの冗談だ。
だからお決まりの返しを口にしながら俺も笑う。
「人殺してそうだけどいいやつなんだよ」
今の彼女は戦いになると必死で、加減を誤る時がある。
だから少し前にサッカーという遊びをしている時……そんな調子でボコボコにされた奴らがいた。
だから彼らが風呂で、ニーナが凶暴だとか人殺してそうだとか腹いせに愚痴を言っていた。
そして、これに擁護しようとしたクリフが口にしたセリフが元だった。
まずその絶妙な理不尽感と矛盾がウケた。
さらに直後に耳に入れたニーナにより何故かクリフが処されたことでネタに昇華され、今も時々耳に入る言葉だった。
「やばい、ちょっと暑くなってきたな……」
「大丈夫? 訓練中に倒れるなよ」
使い古されたネタなのになぜか結構ハマってしまった。
二人で少し笑ったあと、ケニーがやっぱり暑いのだと言い出した。
「兜だけでも外せば?」
「いや……いい」
「脱げよ」
「いやだ。ヴィクター先生に見つかったらどうする」
それを聞いて俺は呆れた。
決して訓練は遊びではない。
彼は少し気楽にすぎる。
「ケニー。流石に怒るぞ」
ちょっと強めに口にする。
するとケニーは深くため息を吐いた。
「……分かったよ。外すよ。このへん抜けたらな」
一応説得には成功したものの条件がついた。
しかしこれ以上文句を言うのも角が立つのでやめておく。
こういう時強く出るのは苦手だった。
言わなければいけないと思うし、言いたい気持ちもかなりある。
だがそれでも人と言い争うことがいやだった。
これは俺の悪いところだと思う。
「知らないからな……」
俺がそう言うとケニーは鎧の下で笑った。
絶対によくない気がするが。




