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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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十九話・不穏

 


 朝が来た。

 雪の降る今朝は寒い。

 俺はヴィクター先生にもらったコートを着ている。

 休みの日以外に着ていると人の目に気が引けるが、それでもなんだか身につけていると無性に落ち着くのもあって手放せなかった。


 ともかく顔を洗って廊下に並んで、俺はいつも通り先生に連れられて食堂に来た。

 そういえば、いつか聞いた話だと女の子はシーナ先生が起こして回っているらしい。


「おはよう、銀貨!」

「おはよう……」


 トレイを抱えて席につこうとしていた俺にリリアナが声をかける。

 答えた俺の返事が先細ったのは別に嫌だったからではない。

 にこにこと笑う彼女の左手が、渋い顔のウォルターの襟をがっしりと掴んで引きずっていたのに戸惑ったからだ。


「席あるから来て」

「今日もなにか話し合うことあったかな?」


 捕まった彼が問いかける。

 確かに昨日、大半はリリアナの無駄話だったとはいえ諸々の手はずについても決めていたはずだ。

 話し合うこともないのにわざわざ集まるのか。

 もちろん俺はそれでもいいと思うけれど。


「……あるわよ」

「なに」

「あなたのあだなとか……」

「よし行こう」


 きっと変なあだ名にされるのが嫌なのだろう。

 ため息を吐いてはいたけど抵抗するのを諦めたようだ。


「座って座って! わたし上座かみざね」


 すでに席にはリリアナのトレイが置いてあった。

 今日のメニューは丸パンとハムエッグ、塩こしょうで味付けした根菜とキャベツのスープだった。

 相変わらず美味しそうだと思いながら席につく。


 そしてかみざとはなにかをリリアナに尋ねた。


「かみざってなに」

「偉い人が座る席!」

「そっか」


 ともかく俺とウォルターはリリアナの反対側に二人で並んで座る。

 その後みんなで食前の挨拶をしてから食べ始めた。


「ウォルター、あなたあだなみたいなのないの?」

「なかった……。姉さんにはウォーリーちゃんって呼ばれてたけど」


 ぱくぱくと食事を食べながらウォルターが答えた。

 するとリリアナは楽しそうに笑う。

 俺はというと少しだけ驚いた。

 この大人びた彼をそんなふうに呼ぶなんて、きっと仲が良かったのだろう。


「なにそれ? あはは、わたしも呼んでいい?」

「いいよ。ちゃんはいらないけど、コインじゃないならなんでもいい」


 あっさりとまともなのに決まった。

 ウォルターのあだなはウォーリーだ。

 不公平だと思ったので俺も身を乗り出して主張する。


「俺も村では……えっと、リュートって呼ばれてた」

「だめよ。銀貨は銀貨だもん。ね、ウォーリーちゃん?」

「君って嫌がらせが生きがいなのか?」

「そんなことないわよ! 失礼ね!」


 怒りたいのは俺たちの方なのに、なぜかリリアナが思いっきり眉をひそめた。


「お父さんが言ってたわ。商人は奉仕の生き物なのよ。だから嫌がらせなんて絶対しないのよ」


 彼女は胸を張ってそう言う。

 俺は言葉の意味が分からなかったのでウォルターに聞いてみた。


「ほうしってなに?」

「さぁ」

「……う〜ん」


 二人とも分からないものだからますます得意げだ。

 楽しそうに教えてくる。


「知らないの? 奉仕っていうのは誰かのために頑張ることよ。つまり商人のお仕事ね」

「……リリアナはお金のために頑張ってるだけじゃないのか?」

「あっはっはっ!」


 なにがおかしいのかあいつは俺の言葉に大笑いした。

 そんな彼女を見ていると少しだけ明るい気分になった。


「俺おかわり取ってくる」

「いってらっしゃい、ウォルター!」


 空になったトレイを抱えておもむろにウォルターが席を立つ。

 しかし見送る彼女は例の呼び方をしないようだ。

 もしかするとこれは長続きしないのかもしれない。

 あいつばっかりずるいと思った。


「リリアナはおかわりしないの?」

「昨日食べすぎたし……それに私に大食いは向いてなかったのよ」

「そっか」


 答えて俺も席を立つ。

 急におしっこがしたくなったから。

 するとリリアナが驚いた顔で見上げてきた。


「どこ行くの?」

「トイレ」

「あ、そっか。いってらっしゃい」


 頷いて歩き始める。

 そして食堂を抜けたところで、ヴィクター先生とシーナ先生が廊下の先で立ち話をしているのを見つけた。

 最初は何を話してるのか分からなかったが、騒々しい食堂から離れるとだんだん声が聞こえ始める。


「というか君、なんでそんなこともできないのさ。……難しいこと言ってないでしょ」

「私は……子供を褒めるなんてどうしたらいいか分からない」


 ヴィクター先生はなんだか呆れているようで、シーナ先生は困っているように見えた。

 口ぶりからするとなにかを教えているらしい。


 トイレには行きたいがなんだか進むのが躊躇われて俺は立ち止まる。


「できたら褒める、できたから褒める、できたことを褒める。簡単じゃないか。軍では褒めたりしなかったの? ちょっとやってみてよ」

「……よくやったなクズめ。赤子同然の間抜けにしては上出来だ。明日の朝食には離乳食を用意してやろう」

「あっははは。いいね、他にはないの?」


 ヴィクター先生は楽しそうに笑う。

 シーナ先生は苛立たしげにため息を吐いて腕を組んだ。


「仕方ないじゃない。若い女の教官なんて……舐められたら終わりだったんだから……。それに私は真剣なのよ。真剣に改善を試みているの。ふざけるのもいい加減に……」


 そこまで言ったシーナ先生がつとこちらに視線を向けてくる。

 目が合うと先生はぴたりと動きを止め固まった。


「…………」


 なんとも言えない沈黙のあと、咳払いをしたシーナ先生は俺から遠ざかるように反対側へ歩き去る。

 ヴィクター先生はひぃひぃと大笑いしながらその背中を見送っていた。


「やぁ、どうしたんだい。こんなところで」


 ひとしきり笑うとやがて気さくに声をかけてきた。

 何故か申し訳ない気持ちになった俺は頭をかいて先生の問いに答える。


「……トイレに行こうと思って」

「ああ、なるほどね。きれいに使うんだよ」

「はい」


 やり取りのあと、先生はまた含み笑いして俺の頭を撫でる。

 そしてシーナ先生とは逆に食堂に向かって歩いていった。


 少しだけ後ろ姿を見たあと足を早めて先を急ぐ。

 大して長い時間引き止められていたわけではないけれど、油断できないくらいにはなっていたからだ。


 そして進みながら、なんとなく今見たことは秘密にしておくべきなんだろうと俺は思った。



 ―――



 午後の授業、いつもどおり俺たちをしごきに来たはずのシーナ先生は様子がおかしかった。

 体調が悪いとかなにか悲しいことがあったのだとか、おそらくそういうことではなかったと思う。


 だけどどういうわけかずっと口数が少なくて、しょっちゅう言葉に詰まっているのだ。

 最初から、準備運動をしたり走ったりしている間もずっとそうだったのだ。


「……いい剣筋だ。馬鹿ヅラの酔っ払い……じゃなくて……死にかけの農夫の……でもなく…………ああ……えっと……」


 散開し木剣の素振りをする俺たちの間。

 はらはらと雪が舞う曇り空の下、立て板に水の罵倒はなりをひそめた。

 今も子どもの一人に声をかけながらしどろもどろに言い淀んでいる。


「り、立派な兵士みたいだったわ」

「……ありがとうございます」


 言われた男の子はお礼を言いながらも目を瞬かせて、手に持つ木剣をぽとりと取り落とした。

 相当に驚いた様子だった。


 小さく咳払いをしてシーナ先生はまた歩き始める。

 だから珍しい出来事に固まっていた俺も素振りを再開した。


「特別訓練だ。列を作ってついてこい」


 素振りの後で足さばきを叩き込まれたあと。

 俺たちは久しぶりに先生に集められた。

 リリアナのことがあってからオークを傷つける訓練はやらなかったから。


「……よし、そろったな。行くぞ」

「はい!」


 シーナ先生の言葉に返事をした。

 声が小さいと怒られるのでみんな必死だ。

 満足だったのか頷いて先生はあの牢へと先導していく。


「…………」


 まだ夕前のはずなのに元々曇っていたせいか少し暗い。

 斜光により奇妙に伸びた影を見ながら牢への道を歩いていく。

 今まではクリフが前にいて今日はやれとばかりに威圧してきていた。

 だが今は彼がいないおかげで、あるいはそのせいで俺の頭には余計な考えが浮かび始める。


 またリリアナは俺を助けようとするだろうか。

 いや、本当はそんな判断を迫る前に自分でやらなけれぱいけないのだ。


 そんなことを考えていた時。

 背後からいるはずのない少年の声が聞こえた。


「先生! 俺も連れて行ってください!」


 振り返ると列の後ろにクリフがいた。

 雪の舞う薄闇の中、先生をまっすぐに見つめて悔しそうな表情で立ち尽くしていた。


「俺はもううんざりなんだ! あんなこと二度とやらないし反省もしてます! 俺も……俺だって、魔獣を殺せるようになりたいんです!」


 必死に訴えかけている。

 だが対する先生は首を縦には振りそうもなかった。


「お前の罰はまだ解かれていない。院長先生に頼むことだ」

「先生から頼んでくださいよ! あいつ何言っても聞かねぇんだ!」


 興奮のせいかクリフの言葉が乱れた。

 シーナ先生はぴくりと眉を上げ、しかし声を荒げることはしない。


「なら私個人の見解を……意見を伝えてやる。今のお前にその資格はない」


 厳しい、だが冷ややかではない口調で言って背を向ける。

 そして何も言わずにまた歩き始めた。


「どうした、ついてこい?」


 俺たちが足を止めていることに気づいた先生が振り返って声をかける。

 それを聞いて慌てて足を前に進めようとする。

 だが愕然とした表情で佇んでいたクリフが激昂したのに目を取られてまたすぐに止まってしまった。


「なんで俺ばっかり! 俺はオークだって殺せるのに!」


 今にも泣きそうな表情で叫んでいる。

 確かにいつだって彼はオークを傷つけることを躊躇ったことがなかった。

 きっと殺せと言われれば殺すことだってできるのだろう。


「なのになんで! なんでそいつが良くて俺がだめなんだ!!」


 まっすぐに指さされた。

 心臓に針を刺されたような気がした。

 確かにクリフは俺を見てそう言ったのだ。


 先生は叫びを受けて再び振り返る。

 だがまたすぐに前を向いた。

 今度は一言も答えなかった。

 俺も……どうしようもなく心がざわめくのを感じつつも前を向いた。

 冷や汗が一筋流れた。


「…………」


 崩れ落ちたクリフを取り残して俺たちは進む。

 オークを捕らえた牢へと進む。

 しかしその場所を目前にしてシーナ先生は立ち止まった。

 そして目を伏せつつ振り返りぽつりと声を漏らす。


「……今日はやめだ。もう帰ろう」


 力ない声で言うと列を反転させ孤児院に向かって歩き始める。

 俺はその変わりように驚いていた。

 なぜ先生はやめたのだろうか。


 嬉しいことのはずなのに素直に喜べなかった。

 前を行く先生の背中が、明らかに落ち込んでいるように見えるのが気になっていた。



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