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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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十八話・やり手の女

 

 嬉しいことがあった。

 ついに魔術が使えたのだ。

 そして意外にもそれは俺が初めてだった。


 とはいっても『炎』に『書生』というルーンを組み合わせた初歩の初歩。

 手元に小さな炎を灯すだけの、魔術とも呼べないようなものだったけれど。


「偉いよ。ちゃんとお勉強頑張ったんだね」


 ヴィクター先生が火の熱の名残に立ち尽くす俺の頭を撫でた。

 顔を上げると優しげな笑顔が目に入る。


「ありがとうございます」


 俺は少し照れくさくて俯く。

 そして褒められたむず痒さをどうしていいのか分からなくて頭をかいた。


 暴発を考慮して今日も外に出ての授業だった。

 雲一つない晴れた午前の空の下。

 土の地面に鎧を着たかかしが突き立てられた広場の中で好きに散らばって、適正のある基礎ルーンのメダルと組み合わせて『書生』の魔術を使うように言いつけられていた。


 魔術は詠唱を唱えるだけでは使えない。

 記憶の中で正確にルーンの形を捉えなければいけないそうだ。

 もしあまりにも間違って覚えていると、発動しないばかりか時々妙な形を掘り当てて何が起こるか分からないらしい。


 しかし多分覚えるだけで使えるというものではないのだろう。

 もしそうなら俺なんかよりちゃんと覚えてきている人がいるに違いないからだ。


「形だけじゃなくて線の深さや太さまで思い浮かべること。どんなことをしたいのか、重なった形まできちんと……」


 ヴィクター先生はみんなに向き直ってまたコツについて話している。

 俺はそれを聞かなければと思って意識を集中しようとする。

 しかしふと気配を感じた気がしたので視線を孤児院の方に向けた。


「…………」


 すると二階の窓の一つに誰かが……多分クリフが立ち尽くしているのが見えた。

 遠くて表情は分からないけど、俺たちの方を見ていることはなんとなく分かった。

 彼は今授業に参加させてもらえずに先生たちの仕事を手伝っているはずだ。

 だから加わりたくて見ているのかもしれなかった。


 喧嘩の件については俺が悪かったが、彼には正直いい印象がない。

 しかしそれでもいい気味だとまでは思わない。

 なんとかしてやろうなんてつもりはないけれど、窓辺に立ち尽くす彼を見ても胸がすくような気持ちはわかなかった。


「リュートくん、できたからってよそ見しちゃだめだよ」

「すみません」


 俺がそっぽを向いていたことに先生が気づいた。

 しかしなんとなく理由を分かっているのかもしれない。

 先生も俺が見ていた場所に視線を向けて、それ以上はなにも注意せず話に戻った。


「…………」


 俺は話を聞いたあと、みんなと同じように魔術の練習に戻る。

 与えられた『炎』のメダルを握りしめて書生の詠唱を唱えようとする。


 しかしふと文字の勉強が減ったことを思い返してよく分からない気持ちになった。

 読めるようにはなったけど、まだ難しい文字は知らないものが多い。

 図書室に行けば教えてもらえるだろうかとなんとなく思った。


「どうしたの?」

「あっ。……ごめんなさい」


 またぼんやりしていたから声をかけられた。

 俺は頭を下げて練習に戻ろうとする。

 しかしヴィクター先生は今度は怒らなかった。


 微笑んで語りかけてきた。


「魔術でやりたいこと、なにかある?」

「やりたいこと?」

「うん、そう」


 やりたいこと。

 そう聞かれると困る。

 なんと答えればいいのか分からなくてまた謝ろうとした。

 でも俺の喉は意識するよりも前に言葉を紡いでいた。


「……勇者さまみたいな」

「え?」


 聞き返してきた。

 俺はそれに自分でも戸惑う。

 何故だかいつもの妄想が思い浮かんだのだ。

 炎の勇者になって村を救って褒められる妄想が。


「えっと……」

「聖剣?」

「はい。多分、それ、です……」


 自分で言ったくせにすごく分不相応なことを口にしているような気がして恥ずかしくなった。

 だから俯いていると、ヴィクター先生が俺の頭を撫でた。


「なら一つだけ魔術を教えてあげるよ。最初に魔術を使えたから特別にご褒美だ」

「?」


 顔を上げる。

 先生が俺になにかを差し出した。

 見ればそれはなにか文字が書きつけられた紙だった。

 手帳をそのまま破いたものに見える。


「『つるぎ』のルーンの詠唱だよ。形の方は図書室にルーンのメダルをはめ込んだ図鑑があるからよく触って確かめておくように」

「……ありがとうございます」


 俺がお礼を言うと先生はもう一度頭を撫でた。

 そして少しだけ眉をひそめて冗談めかした言葉を続ける。


「もうぼんやりしちゃいけないよ」

「はい」


 そのやり取りのあと先生は深くうなずいて立ち去る。

 俺は今度こそ約束を破らないで済むように集中することにした。


 ―――


 その日の夜、俺とウォルターは食堂でリリアナを加えた三人で集まっていた。

 席は盗み聞きを警戒して(する必要があるかはともかく)すいた長机の右の片隅。

 そして夕飯のメニューはひき肉のオムレツに長パン二つ、衣をつけて焼いた魚とサラダだ。


 俺はここに来てからずっと、毎日目が回るようなごちそうを食べている気がする。


「へぇ、あなたがお金稼ぎに興味があったなんて。全然話してくれないから想像もできなかったなぁ」


 授業中席が近いから散々馴れ馴れしく話しかけて、その度にリリアナは無視されていた。

 だからか対面に座るウォルターへとにやつきながら意地の悪いことを言った。

 俺は彼の横で魚をナイフで切り分けながらその話を聞いていた。

 ナイフの使い方にはまだ慣れない。


「……君が話しかけたのは授業中だったよ」


 ウォルターの嫌そうな声が耳に届く。

 魚は美味しかったが、少し味が濃い気がしたのでパンと一緒に食べるといいのだろう。

 シーナ先生の言いつけ通り三十五回きちんと噛んで飲み込む。


「じ、授業中だからってなによ。銀貨は返事してくれるもん!」


 いきなり痛いところを突かれたのか声からはすでに余裕が失われていた。

 対するウォルターは銀貨という謎の単語が理解できず困惑しているようだった。


「銀貨ってなんのことだ」

「リュートのことよ」

「……俺は銀貨じゃないよ」


 フォークを置いて抗議したけどリリアナは聞いていない。

 ウォルターがちらりとこちらに同情するような視線を向けて、呆れたような声で問いを重ねる。


「……金貨とか銅貨もいるのか?」

「いないわよ。あなたいかが?」

「勘弁してくれ」


 段々なんの話をしているのか分からなくなってきた。

 リリアナもようやくそれに気づいたらしく、小さく咳払いをして話の軌道を修正する。


「まぁ、いいのよ。手伝ってくれるのは。銀貨は最初から決めてたけど、あと一人欲しかったし」

「?」


 最初から決めてたけど、という言葉が気になった。

 たしかにしつこく誘われていたけど、あれは誰にでもそうだったわけではないのか。

 本当に俺のようななんの取り柄もないやつを引き入れたくて躍起になっていたのだろうか。

 ……いや顔が銀貨に似てるんだっけ。


 まぁ疑問はあったけれど言葉にはしなかった。

 単純にそこまで気にならなかったから。


「それに二人とも部屋同じでしょ? 協力しやすいからちょうどよかったね」


 リリアナはパンをちぎってばくぱくと食べながらそう言って笑った。

 俺はオムレツを飲み込んでウォルターの方を見る。

 すると彼もフォークを握ったままこちらを見た。

 なんとなく顔を見合わせてまたリリアナの方に向き直る。

 一瞬の沈黙のあと、食事を口にしながらの会話が続く。


「針金は俺とリュートでやっといたけど、次はどうすればいいかな。耳あてを作るんだろう?」

「うん、ありがとね。あとは針仕事だからわたしがやる」

「手伝わなくていいのか?」


 ウォルターの問いにリリアナは頷く。

 そして手伝わなくていいのだと口にした。


「ヴィクター先生のとこで練習してもらう。それでできるようになったらやってもらう。今は私がやるからあとで針金持って部屋に来て」

「見つからないかな? 先生に怒られるかもしれない」


 夜の部屋の移動は禁じられている。

 だから心配になって言うとリリアナは考え直したようだった。


「そうね。信頼がたいせつだもの。偉いわ、銀貨」

「…………」


 にっこりと微笑んで褒めてくる。

 なんだか不思議な気持ちになった俺は頭をかいた。


「やっぱり明日のお昼休みにするとして……。そういえば今次のお仕事のこと考えてるから教えてあげるね」

「うん」


 俺が答えるとリリアナは目を輝かせて商売について語り始める。


「あのね、軽石を詰めた袋を温めてみんなに配るの」

「どういうものなんだ、それ」

「分からないの、ウォルター? 温かいものを抱いて寝たら気持ちがいいでしょう」


 リリアナとウォルターの会話を聞いて俺は故郷のことを思い出した。

 俺の村は寒かったから、熱い砂袋をベッドに入れて寝ていたりもした。

 ここは村ほど寒くなくて、立派なベッドもあるしこういうのは必要だというほどではないだろう。

 でもあったらあったできっと嬉しいだろうなとは思った。


「でもお金取れるの、それ」


 肝心のところが気になったから尋ねてみる。

 俺にとっては自分たちで用意して使うものであって、なにか対価を受け取ってもらうものではないからだ。


 リリアナは難しそうな顔をして首を横に振る。


「取らないわ。いつかは……もっと工夫して取るけど……でも、今は商売するのを許してもらわなくちゃいけないから、だからタダよ。物を売るのを誤解されないよう先生たちの耳に入れてしっかりアピールしないと」

「温めるのはどうする?」


 ウォルターが聞いた。

 リリアナは答える。


「少ししたら自分たちでできるようになりたい。でも今は食堂のおばさんたちに頼んでみるつもり。だから私たちがやるのは石を拾ってきてきれいにして袋に入れることだけ」

「そういえば袋は? どこから持ってくるの?」


 俺の質問にリリアナはよくぞ聞いたとでも言いたげに胸を張る。

 そしてその得意げな気配のまま語り始めた。


「余った布を継ぎ合わせて作ったわ。足りないぶんの布は買ったりしたけど。でもちょうど十枚くらいはある」

「買ったって……そんなお金あるのか? 針金も買ってたのに?」

「うん。わたしこの前街に出た時……その、色々売ったから。だから元手はたくさんあるの。それで最初の物入りはなんとかするから安心して」

「?」


 色々と売ったという言葉が引っかかる。

 一体何を売ったのか尋ねようとするが、ちょうどそこでウォルターが席を立った。


「あら、おかわり?」

「ああ」


 答えて歩き去る。

 俺はまだ半分も食べていないから随分な早食いだった。

 きっと彼はたくさん食べるのだろうと思う。

 俺はあまり食べる方ではないのでもう十分だったけれど。


「わたしもたくさん食べないと」


 リリアナはどうかと思って視線を向けると、彼女はなぜだか食事のペースを早め始めた。


「なんで?」

「おばちゃんたちに顔覚えてもらわないといけないから!」

「そうなんだ」


 食べる理由も色々か。


 少し前、毎日空腹に苦しんでいた頃を思い出してなんだか不思議な気分になった。

 別に嫌な気持ちになったわけではないけれど、こんな場所に自分がいるという事実が実感しにくかった。


「美味しいね」

「うん」


 答えると少ししてウォルターが戻ってくる。

 今日はメインも残っているのか、すべての皿がたっぷりと食べ物で満たされていた。


 俺は他の孤児院を知らないけれど、どの孤児院もこんなに豊かなのだろうかと首を傾げる。


「ねぇウォルター。あなたの家なにしてるところだったの?」

「……俺の家?」

「そうよ。ちなみにわたしの家はやり手の商人」


 リリアナの言葉にウォルターはどこか皮肉げに小さく笑う。

 その反応が意外でじっと見つめてしまう。

 すると彼はちらりと視線を返してリリアナの質問に答え始めた。


「俺の家も商人だった」

「へぇ! すごいじゃない!」


 とてもとても嬉しそうだった。

 目を輝かせてリリアナは半ば椅子から身を乗り出す。

 対するウォルターは苦々しく鼻を鳴らした。


「すごくない。俺の家族はみんな商売が死ぬほど下手くそだった。()()でなんとかなってただけで」

「コネ?」

「良くは知らないけど。苦しくなるといつもなんとかしてもらえててさ。なんか、すごい家が遠い親戚だったらしくて……」


 自信がないのか尻すぼみになった声だった。

 リリアナは腰を椅子に落としてまばたきをする。

 俺は、コネってなんだろうと考えていた。


「えっと……コネはあり。ぜんぜんあり」

「そうかな」

「そうよ。もっと親をうやまいなさい」

「ああ……」


 それで会話が途切れた。

 居心地の悪い沈黙だった。


 村の友だちと話す時はこんなふうにはならなかったのでどうすればいいのか分からない。


「わたしおかわりしてくるから。あー……なにかお金になりそうなことはないか相談してて」


 おもむろに席を立ったリリアナが取り繕うように言った。

 空になった皿が乗った木のトレーを抱えている。


「わかった」


 俺は返事して隣のウォルターに視線をやる。

 そして若干の気まずさを感じながらも声をかけた。


「……ある?」

「ああ、うん。えっと……」


 すぐには思いつかないらしく彼にしては珍しくたじろいだ。

 そしてあごに手を当て結構な時間考え込んだ。

 俺もなにか言わなくてはと思って頭をひねっていると、ウォルターが自信なさげに口を開く。


「なんかきんとか銀とか……埋まってるの、掘り出せないかな」

「掘ったらどうなるの?」

「高く売れるよ……多分……めちゃくちゃ……」

「そうなんだ、すごい」


 いい考えだと思った。

 そんなに簡単にお金がもらえるのなら俺がかあさんたちを楽させてやればよかった。

 しかしそれはともかく、これならリリアナも納得するかもしれない。


 と、そこで能天気で遠慮のない笑い声が会話を遮ってしまった。


「ヘンなの。そんな都合よく埋まってるわけないじゃない」


 けらけら笑いながらリリアナが否定し、おかわりの乗ったお盆を抱えて席につく。

 俺はウォルターの方を見た。

 すると彼はやはりか、というようなバツが悪そうな顔をしていたのでがっかりする。


「なんて顔してるの……。いい? 確かにそういうのはお金になる。でも一番儲けてるのは掘る人じゃなくてさばく人。商人さまなんだから」

「うん、うん、分かってるよ」


 分かってないけれどこう言った。

 それにリリアナは満足したように鼻を鳴らして胸を張る。


「ならよし。……ねぇ、ところでおしゃれな入れ物の袋とか売れると思わない?」


 不意に問いかけられた彼女の言葉に、俺とウォルターは顔を見合わせる。

 よくもこんなにアイデアを考えつくものだと感心した。


「売れるかもな」


 ウォルターが頷く。

 俺もそういうのを作るのには賛成だった。

 小銭入れの袋はあってもちゃんとしたのはないし、少しずつ洋服を作っているヴィクター先生が作らないような穴をついていると思った。


「……お前って頭よかったんだなぁ」


 変なやつだと思っていたがそれだけではなかった。

 リリアナは賢かった。

 もしかすると思ったよりお金を稼げるかもしれない。


「え? そ、そうかな? ……そうだったりするのかなぁ。……ほんとにそう?」


 なぜかものすごく疑っているが俺は本当に思っている。

 だから何度か頷いてみせるとようやく嬉しそうに笑った。


「えへへ。……ならわたしが引っ張ってあげるからみんなで頑張ろうね」


 その言葉に頷く。

 ウォルターも同じように頷いたようだった。

 するとリリアナは朗らかな表情で話し始める。

 ずっとずっと喋り続けていて、俺たちは先生たちにそろそろ食堂から出るように言われるまで彼女の話を聞き続けていた。



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