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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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十六話・職員会議(1)

 


 夜更けの孤児院。

 けれど煌々と明かりが焚かれた一室、すなわち院長室には人の影がいくらか見える。

 部屋の奥にある執務台の前。

 来客用の長机を隔て、向かい合う形の座椅子に腰掛けて。

 まずセオドアが右側に一人、そしてシーナとヴィクターが隣り合って左側に。

 そうして彼らはなにやら話し合いを始めようとしているところだった。


「では職員会議といこうか。おおよそは把握してるけど、今日は色々とあったみたいだね」


 穏やかに口火を切ったのはセオドアだった。

 彼の言葉に他の二人は顔を見合わせ、少しの間を置いてシーナの方が表情を暗くしてうなだれる。


「……私は、今日……生徒に手をあげました」

「そうか」


 まるで大罪を懺悔するように重々しい口調で彼女は言った。

 対するセオドアの相槌は軽やかなものだったが。


「訓練を妨害されたのです。見過せば統制が取れなくなると思いました。……しかし正しかったのかは分かりません」

「そうかな、仕方のないことだろう」


 やんわりと反論してみせる。

 だがシーナは唇を引き結びかぶりを振る。


「兵士ならそうでしょう。叩くべきです。ですが彼らの誰もが兵士ではなく、生きるためにここへ来ただけの幼子おさなごです。私は……」


 言葉を止め、うなだれていた顔を上げた。

 そして躊躇うような間を置いて言葉を続ける。


「私は、適任ではないかもしれません。強い兵士を育てる方法は分かりますが、子供に接する方法を知りません。……食い違いを感じるのです。日に日に子どもたちの表情が良くない方に変わっていくように思います。……このままではなにか、取り返しのつかないことになりそうな気がして」

「シーナ。君を選んだのは私だ。そして今でも君を信任している」


 やはり穏やかに、諭すような声でセオドアが語りかけた。

 それに気まずそうに咳払いをし、目を伏せてシーナは続ける。


「……正直に言うと……報酬に目がくらみました。安請け合いしてしまいました。しかしあれほどの厚意を受けてこのていたらく……無様な結果に目を背けられるほど私は、エバースの騎士は落ちぶれておりません」

「…………」


 暗にやめたいと言っている。

 それは他の二人にも伝わっていた。


 ヴィクターが腕を組んで考え込むように喉を鳴らす。

 そしてセオドアの方を見ると彼は小さく頷いた。


「君の考えがどうあれ、私は後悔していないけれどね。たかだか家一つの再興を約束するだけで優秀な教官を手に入れられた。今でもいい取引だったと思っている」

「…………」


 その言葉に、シーナの表情に誤魔化しきれない困惑と疑念の影が走る。


 セオドアの言葉は正しい。

 シーナは没落した生家……エバースの家を再興するためにここへ来た。

 孤児院での仕事は前線に出る機会を、手柄を挙げる機会を奪われ燻っていた彼女に与えられた最後のチャンスだった。


 しかしそれはおかしな話なのだ。

 セオドアの正体も、彼が今ここで院長などをのんびりとしていることも、子供の育成などで法外な報酬を与えられることも。

 あらゆる手段で外の世界と断絶されたこの孤児院もなにもかもがおかしかった。


 あの、子どもたちを買い物のために送り出した街の片隅の市場だって本当は息のかかった者たちがそれらしく装っただけのものなのだ。

 過保護などという言葉では到底片付けられない茶番の箱庭。

 明らかに異常だった。


 だがそれを問いかけないだけの慎重さを彼女は持っていた。

 いくつかの推測はあったがここで口にするつもりも、まして口外するつもりもなかった。


「今になって恐ろしくなったか?」


 変わらぬ平静を保つセオドアの声に図星とばかりに表情を強張らせる。

 すると彼は柔らかな息を漏らして微笑んでみせた。


「大丈夫、安心していい。まだ引き返せるよ。今ならやめてもいい」

「はい……」

「だが一つだけ信じてくれ。詳しい話はしてやれないが、君が手助けするのは間違いなく正義だ」

「はい。……私も、それを信じます」


 シーナの答えを受けてセオドアはまた小さく頷いた。

 そして軽く嘆息しテーブルごしに身を乗り出した。


「で、どうするんだ? 続ける気持ちはあるのかな」

「…………」


 彼の言葉にシーナは黙り込む。


 頭を巡るのは自分がふさわしいと言えるのかどうか、そしてほんの少しの片隅に報酬のこと、保身のこと。


 これから子どもたちを育てることができるだろうか。

 やめたとして自分の力で生家を盛り立てることができるのか。

 手をひいたほうが安全なのか、あるいはやめれば口封じに消されることはないだろうか。


 そんなことを考えて悩んでいた時、彼女の脳裏にささやかな記憶が蘇る。


『おもしろ……かった、です? ……ありがとうございます』


 それは特に気弱な、心に傷を負った少年の言葉だ。

 シーナが選んだ本を読んで面白いと言ってくれた。


 そしてふとそのことを思い浮かべた時。

 彼女の無意識下にためらいが生まれた。


 別に本を褒められたくらいでやっていけると思ったわけではない。

 しかしなぜだかやめることがためらわれてしまって、結果としてシーナは保留を返した。


「……もう少しだけ、考えてみます」

「そうか、分かった。実を言うとまだ何年も余裕がある。ゆっくり考えてくれて構わないよ」

「はい」


 シーナが頷いたのを見届けるとセオドアは満足げに頷いてみせる。

 そしてヴィクターの方に視線を移すと、彼は自分の番が来たことを心得たかのように語り始めた。


「おおよそはご存知でしょうが、盗難と喧嘩が……どちらもクリフくんとリュートくんの間で起こりました」

「ああ、知っている」


 セオドアが答えたところでヴィクターは不満げに口を尖らせる。

 どうも先ほどの一幕について思うところがあるらしかった。


「ところで、先程はなぜ帰らせたのです? クリフくんはまだ何が悪いのかを理解して謝っていませんでした。罰を下すだけでは彼のようなタイプは反発するのみでしょう」


 淡々と、しかし責めるような調子の言葉にセオドアは困った様子で頭をかく。

 しかし少し考えこんだあとで彼は微笑んでみせる。

 それはヴィクターの危惧に比してあまりに楽観的な反応で、まるでなにも心配していないかのように見えた。


「彼は根本的には大人を信じていない。何を言ったって無駄だ。謝らせても結局は憎しみが膨らむだけ。まぁ……処罰の方はけじめとして必要だったが」

「はぁ……。えっと……ではなにもしないということですか?」

「正確には何もする必要がない、だ。リュートくんもクリフくんもいい子だよ。子供同士の関わりで十分変わっていけるさ」


 言われて、ヴィクターはいまいちぴんとこない様子ではある。

 しかし信じろと言われては強く否定することもできない。

 そのまま黙り込んで小さなため息を吐いた。


「……彼らの仲違いは、私のせいかもしれません」


 そこでまた不意に、ためらいがちに口を開いたのはシーナだった。

 目を瞬かせてヴィクターが視線を動かす。

 セオドアもゆっくりとシーナへと向き直った。


「魔獣への憎しみを煽るような教育をしているのです。戦場で躊躇うことなどないように。子供にとって過酷な訓練でも力を振り絞れるように」


 ぽつりぽつりと語り始めた言葉をセオドアたちは黙って聞いている。

 俯いて、どうしていいか分からない子どものような顔で彼女は続けた。


「……しかし魔獣を憎む気持ちのあまり、そこについていけない子どもにも憎しみが向けられてしまっているのかもしれません。外からでも聞こえました。さっきあいつはオークを傷つけないと言って……」

「シーナ」


 声をかけたのはセオドアだった。

 言葉を遮られ、シーナは顔を上げる。


「リュートくんに聞かれただろう? 『自らを嫌悪する者は、自ら沿わんとする理想を知る者である』という言葉の意味を」

「……はい」

「これは君も、いや誰だってそうだ。君が間違えたとしても、自信をなくしたとしても、それでもその意思さえあれば前に進める。……だったら君もやめようとするばかりではなく乗り越えようとしてみるべきではないかな?」


 諭すように言われたシーナはわずかに考えを改めたようだった。

 何度か小さく頷いてセオドアに頭を下げる。


「……すみません。改善に取り組んでみます」

「ああ。期待してる」


 それからしばらく沈黙が流れた。

 再び口火を切ったのはヴィクターだった。


「それじゃあ……いつも通り教育の進度と今後の計画について話しましょう。それから少し先になるとは思いますがシーナの授業と連携した内容を少しずつ盛り込んでいきたいと思うので。そのあたりの調整も兼ねた話も一度しておきたいです」

「そうだね。そうしようか」


 話の流れが変わった。

 シーナは小さく咳払いをして軽く右手で頬を叩く。

 その仕草を横目で見て、セオドアはヴィクターに視線を戻す。

 すると彼も心得て話しはじめた。


 そうして続いた長い会議がやがて終わりを迎える頃。

 ヴィクターが不意にセオドアに声をかけた。


「そういえば……院長先生」

「なんだい?」


 セオドアと、それからシーナがヴィクターに目を向ける。

 すると彼は言葉を選びつつ本題を切り出した。


「……リュートくんの心的外傷についてですが。先生の治療で一時期は収まっていましたよね? ……どうしてまたぶり返したんです?」

「うん……」


 ヴィクターの問いにセオドアは小さく唸る。

 そして二呼吸ほど間をおいて語り始めた。


「……一つ、勘違いをしている。私は治療などしていない。罪悪感を忘れさせる暗示をかけただけだ」

「なるほど、では次の手を考えてあるのですか?」

「いいや、考えていない」

「えっ」


 驚いて、声を詰まらせるヴィクター。

 その彼を見てセオドアは微笑む。


「大丈夫。彼は心配いらない」

「……それはどういう意味ですか?」


 なんの説明にもなっていない。

 訝しげに問いを重ねるヴィクターを真正面から見据えて、彼は少しだけ言葉を補った。


「言葉通りだよ。あの子は勇気のある人間だ。私にはそれが分かるし、いつか彼自身それに気がつく。そうなったらもう安心だ。だから我々はなにか、いいきっかけを待っていればいい」

「はぁ……」


 呆れた、放任主義者め。

 そんな台詞を飲み込むようにしてヴィクターがため息を吐く。

 するとセオドアがまた柔らかく微笑んで、会話の外のシーナは今の言葉の意味を彼女なりに噛み砕こうと考えていた。


 と、そこで不意にセオドアがぴしゃりと手を打ち鳴らす。


「まぁいい、もう今日は帰ってくれ。私も眠いんだ」


 冗談めかしてはあってもあんまりな言い草だが、確かにもうそういう時間だ。

 夜の照明も安くはないし明日も早い。

 眠らない理由も特になかった。


 そういうわけでヴィクターとシーナは腰を上げセオドアに頭を下げる。


「そうですね。じゃあ僕は失礼します」

「私も失礼します。……今日はありがとうございました、院長先生」

「こちらこそありがとう。明日からもよろしく頼むよ」


 その言葉にヴィクターもシーナも頷く。

 すると満足げな笑みを浮かべて彼は小さく手を振った。


 そうして長かった会議も終わりを迎え、夜更けの孤児院の最後の明かりは消え落ちる。




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