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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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十五話・犯人

 


 食事を終えて、リリアナを探す間もなく俺はヴィクター先生に呼ばれて歩く。


 止めに入っただけのニーナはともかくもう一人の少年も何故か帰された。

 だから先生の背中を追うのは俺とクリフの二人だけだ。


「…………」


 暗くて静かな廊下。

 誰も何も話さない。

 先生は杖を持っていなくて、代わりに持ったランタンで薄闇を照らしていた。


 そのまましばらく歩いて、ここだけは明かりの漏れる院長先生の部屋の前にたどり着いた。

 そして扉に手をかけた先生は不意に振り返って俺たちに視線を向ける。


「僕は今日、なにもなくても君たちを呼ぶつもりだった」


 振り返った先生の表情を見て俺は初めて気がついた。

 先生は怒っている。

 あの、喧嘩を止めたときも厳しい表情を浮かべていたけれど、今の顔とは少し違った。

 先生は喧嘩以外のなにかに怒っているのかもしれない。


「さぁ、入って」


 促されて足を動かす。

 ドアが開いて、俺とクリフは院長先生の部屋に招き入れられた。


「…………」


 院長先生は何も言わなかった。

 いつもの大きな机に座って、手を組んだ先の視線で俺とクリフをじっと見つめているだけだった。


 そしてヴィクター先生は入り口に立ち尽くす俺達の前に回って、ゆっくりとクリフの方へと視線を向けた。


「クリフくん」

「は、はい」

「君はなにか謝らなきゃいけないことがあるんじゃないか?」

「…………」


 そう言われると彼は押し黙る。

 無言で、ただ張り詰めた顔でなにかを迷って、あるいは伺っているようだった。

 先生たちは何も話さずクリフの言葉を待っている。


「お、俺は……!」


 しかしやがて沈黙に耐えかねたようにクリフが口を開いた。

 納得できない怒りと困惑の浮いた表情だった。


「俺はこんなやつより真面目に訓練をしてます! オークだって! こいつは傷つけたがらない! 俺たちみんなの仇なのに!」


 クリフはこちらを指差し怒りに任せて怒鳴り散らす。

 俺はその勢いに怯んだが、ヴィクター先生はそうではなかった。


「言うことはそれだけかい?」

「……っ」


 すげなく返されるとクリフの表情が変わる。

 怒りを困惑が塗り潰した。

 彼は唇を震わせぽつりと声を漏らす。


「なんで……?」

「理由は教えない。でも証拠もあるし、僕は知っている。知った以上は事実を明らかにしなければならない」

「教えない……? じゃあ嘘に決まってる! 俺がスラムから来たから……だからハナから疑ってかかってんだろ!!」


 噛み付くようにそう口にしたクリフに、ヴィクター先生は視線を鋭くする。

 そして初めて聞く怒鳴り声を上げた。


「そんな理由で君を疑ったりしない! するわけがない! 今までも、これからもだ!」


 話の流れが全く分からないが、それでも俺は驚いた。

 ヴィクター先生が、あの穏やかな人が怒鳴るなんて思っていなかったからだ。


 ふと視線を向けると気圧されたのかクリフも言葉を失って身を縮めていた。


「もちろん罰を与えたいわけでもない。僕はただ、君に謝るべきことを謝ってほしいだけだ!」


 怒鳴り声でも、その声の中に怒りはなかった。

 ただ切実な訴えであるように感じた。


 しかしクリフは歯を食いしばり、肩で息をするヴィクター先生を睨みつけている。


「俺は悪くねぇ!」

「いいや、悪いよ。どんな理由であれ……生きることに困っていないのなら特に……盗みは悪いことなんだ」


 盗み?

 彼は盗みをしたのか。

 なら誰から盗んだのかと、そこまで考えて流石に思い当たる。


 ここに俺が呼ばれたということは、まさか俺から盗んだのか?


「君はリュートくんからお金を奪った。そうだろう?」


 思い当たったのとほぼ同時。

 ヴィクター先生が言葉にした。

 確かに俺は金をなくした。

 なくしたとばかり思っていたが、あれは盗まれていたのか。


「違う! 証拠もねぇくせにそんなこと言うな!」

「あるんだ、本当に。認めてくれ、なによりも君のために」

「だから……!」


 涙を目に一杯に溜めてクリフは反論している。

 対してヴィクター先生はもう怒鳴らず、静かな声で受け答えをする。


 やり取りは決着がつかず、本当にやったのかも証拠があるのかも分からない。

 でもヴィクター先生を疑うこともできなくて、俺はお金のことなんてどうでもよかった。


 だからもうやめてくれと、俺のことで揉めてるなら気にしなくていいと、言おうとしたその時セオドア先生が口を開く。


「もういい。……君は甘すぎるし、シーナは厳しすぎる。いやシーナも甘いのか……」


 ヴィクター先生もクリフも言い争いをやめた。

 言葉を止められるだけの不思議な圧力がセオドア先生にはあった。

 部屋にいる全員の視線が吸い寄せられるように彼に向かう。


「いいかい、私たちは知っている。しかし証拠を口にしないのは……いわゆる大人の事情というやつだ。もう少し大きくなったらいつか話せる日も来るかもしれないけれど」


 いつもと変わらないゆったりとした口調で言って、先生は組んでいた手をほどく。

 そして仄暗い青、静かな瞳でクリフを見据えた。


「……私は無理に謝らせる気はない。けれどこの問題を放置するつもりもない。盗んだ分は埋め合わせてもらう。保護者としての責任だからね」


 見つめられて、さっきまでの威勢が嘘であったかのようにクリフは固まっている。

 彼は一言も遮らず、だからセオドア先生は言葉を重ねる。


「しばらく訓練には出なくていい。許されるまで君は先生たちのお手伝いをしなさい。シーナ先生は図書室での仕事があるし、ヴィクター先生は針仕事をしているからね」

「…………!」


 言い渡された言葉にクリフが納得しているようには見えなかった。

 拳を握って歯を食いしばって肩を小刻みに震わせて地面を睨みつけて。

 それでどうにか怒りをこらえているように見えた。


「俺は……」


 クリフは何かを言おうとしていた。

 けれどセオドア先生はそれを聞かなかった。

 今度は俺の方に目を向ける。


「今度は君に関してだ。次のお出かけの時には二回分のお小遣いを与えようと思う。……それでいいかな?」


 そんなことを言われても別にお金なんて欲しくなかったし、クリフが睨みつけてくるのが居心地が悪いので断ることにした。


「……僕はいいです。いりません」

「そういうわけにはいかない。盗まれた分は埋め合わせなければならない。それも、保護者としての責任だ」


 有無を言わせない気配があった。

 だから俺は曖昧に頷いた。

 するとセオドア先生は表情を綻ばせる。


「君はあまり興味がないのかもしれないけど、それでもお金は生活を豊かにしてくれるいいものだ。どうか勉強だと思って楽しく使ってくれ」


 俺はなんと答えていいか分からなかった。

 だからまた小さく頷くと、満足そうに笑ってヴィクター先生に話しかける。


「もういいよ。二人とも帰してあげなさい」


 セオドア先生は俺とクリフを帰そうとする。

 しかしヴィクター先生は違う考えらしかった。


「しかし先生、まだ……」


 まだ、なにか。

 もしかするとまだ謝っていない、だったのかもしれない。

 あるいは喧嘩の件について話していない、かもしれない。

 だがその先が言葉になることはなかった。

 セオドア先生が遮ったからだ。


「いや、もういい。処分は決まった。……帰してあげなさい。夜もけたからね」

「……はい」


 そんなやり取りのあと、ヴィクター先生は俺とクリフの肩に手を置く。

 手を置いて、小さくため息を吐くと帰るよう口にした。


「今日はもう遅いから寝るんだ。喧嘩の件についてはまた今度聞かせてもらうからね」

「……あれは、僕が」

「分かった。きちんと話を聞くからその話はとっておくんだよ」


 俺は頷いた。

 するとヴィクター先生が部屋のドアを開けてくれたので、来たときと同じように三人で外に出る。


「やぁ、シーナ。来たのか」

「……ええ」


 ランタンに照らされた暗い廊下。

 明かりも持たずにシーナ先生が立っている。

 薄闇に隠れた彼女は壁に背を預けているようだった。


 リリアナのことが気になって、聞きたかったけれど聞けなかった。

 俺が見つめると先生はふいと顔を逸らす。


「じゃあ行こうか。このまま送って行くよ。暗くて危ないからね」


 ヴィクター先生に言われて俺は振り返る。

 そしてそのまま歩き始めた先生の背中を追う。

 俺の前を歩いているクリフの表情は見えないが、今は話しかけないほうがいいのは明らかだった。


 来る時よりもさらに重苦しさを増した沈黙の中、響く足音はやけに大きく聞こえる。

 ふと横に目をやるとランタンが作った影が大きな怪物のように見える。

 なんだか少し怖くなってきたところで、示し合わせたように遠くから鐘の音が聞こえてきた。


「…………っ」


 しゃがみこんで頭を抱える。

 とても恐ろしくて先に進めなくなる。


 またあの廃墟に引き戻されているのではないかと思うと目を開けることもできなかった。


「リュートくん?」


 困ったような声でヴィクター先生が問いかけてくる。

 しかし答える余裕はなくて、叫びそうになるのを抑えるのに精一杯で、ガタガタと歯の根が合わないほど震えていた。


「腰抜けが」


 クリフが俺にしか聞こえないような小さな声で吐き捨てる。

 そんな言葉に反応する余裕もなくて、何も言い返さずにしゃくりあげていた。


「シーナ?」


 ヴィクター先生の声が聞こえた。

 俺はその声に、いつの間にかシーナ先生が隣にしゃがみこんでいることに気づかされる。

 涙を拭いながら顔を上げた。

 けれど目を開けることができなくて何をしているのかは確認できなかった。


 先生は何も言わなかったけれど、黙ったまま躊躇う手つきで俺の手を握った。


「…………」


 どういうことなのかは分からなかったけれど、手の温かさに少しだけ恐怖が薄れた。

 黙って手を握っていてくれただけでずいぶん救われたような気がする。


 先生はそうして、俺が泣き止むまでずっと手を握ったまま動かなかった。




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