十二話・ひとりぼっち
休みを差し引いてもやはりほとんどは訓練の日々だった。
朝は魔術を教わり、昼から夕方にかけては徹底的にしごかれる。
毎日疲れ切って眠るけれど、食事がいいおかげでむしろ前よりも体の調子は良かった。
「よし、今日はおしまい。みんなお疲れ様」
ヴィクター先生の言葉に、手のひらに握ったメダルを見つめていた俺は顔を上げる。
今日の授業は外で、訓練の広場の片隅。
鉄のかかしに兜を乗せただけの簡単な標的がいくつも並ぶ場所でやっていた。
とはいえまだあれに向かってなにか魔術を放つようなことはできなくて、暴発で火やなにかを出しても危なくないように外に出ただけだったけど。
「…………」
雪の降らない、雲が少なく日差しの熱を感じる昼前だった。
眩しい日に目を細めて、俺は逆光を背に立つヴィクター先生に視線を向ける。
「そうそう、聞いて。今日はいいお知らせがあるんだよ。みんなにお小遣いをあげることが決まったんだ」
おひさまのように笑って先生はそんなことを言う。
そしてその言葉に対する反応はバラバラだった。
大喜びするやつもいたし、無反応の子もいた。
俺のようによく分かってなさそうなのもいるし、とにかく色々だった。
「午後のシーナ先生の授業は休みにしてもらったから。みんなで街に出てお買い物をしようね」
こっちはだいぶ分かりやすかった。
先生の訓練は休みなのだと言われて、明らかにほっとしたように息を吐いた人がそれなりにいた。
俺たちの反応から色々と感じ取ったのか、ヴィクター先生は微妙な顔になる。
しかしすぐに気を取り直して、空元気のように拳を突き出して笑った。
「まぁそういうことだから! 今日はお昼ごはん食べてお出かけだ!」
ヴィクター先生と仲のいい何人かが元気に声を返す。
俺はそれを横目に少し考えてみた。
お小遣いの使いみちについて。
結局なにも思いつけなかったけれど。
―――
昼ごはんのあと、俺たちは初めて孤児院の外に出ることになった。
少し錆びた門の外に出て、ひとかたまりに集められる。
そして一人一人いくらかのお金の入った革袋を受け取って、街に出る前の最後の説明をヴィクター先生から受けていた。
「いいかい。先生たちはついて来ない。どこでも行って、なんでも買って構わない。お金の数え方が分からない子はお店の人に聞いたら買えるかどうか教えてくれるからね。騙し取られたりもしないから安心していいよ」
それはすごく助かる。
ものの数え方くらいしか知らない俺にはとてもありがたいことだ。
でもその言葉にはなんだか少し違和感を覚える。
物売りはそんなに親切なものなのだっただろうかと。
俺が考え過ぎなのかもしれない。
村に来ていた行商人が布を買い叩くのだと母さんがよくぼやいていたのを聞いたことがあったから少しだけ気になった。
「でも行くのは孤児院の周りだけにするんだ。よく分からない人は兵隊さんに呼び止められたら戻ってきてくれればいい。院長先生が君たちによく気をつけるよう頼んでくださったから、親切にしてくれるはずさ」
それだけ言うとヴィクター先生は微笑む。
そして俺たちに小さく手を振って、もう行くように促した。
「じゃあみんないってらっしゃい。賢く使うんだよ。余ったら貯めといてもいいからね」
先生は背を向けて孤児院の中に戻って行く。
子供はみんなざわざわしてどうするべきか困っているようだった。
「…………」
俺もどうすればいいか分からなくて立ち尽くしていたけど、やがて動き始めた人の群れに押し流されるようにして石畳の地面の上を歩き始める。
そして孤児院の前の幅が狭い道を抜けると大通りに出た。
大通りには建物も人もたくさん溢れていて、少し怖くなったくらいだった。
村の家はほとんど壁がひび割れていたりでこぼこだったり色が悪かったりしたけれど、この街にはぴかぴかの真っ白な壁でできた家がたくさん立ち並んでいる。
それから建物の高さもすごくて、三階建ての建物が普通にいくつも並んでいた。
遠目に見える城壁も村の近くにあった街のものとは比べ物にならないほど立派で、行き交う人の数も多い。
視界がごちゃごちゃする上に人の声と足音、立てる物音がうるさくて混乱してしまう。
最初は固まって歩いていた俺たちだが、少しずつ二人で、あるいはもっと多く、たまに一人で集団から抜けて散らばっていく。
俺もなるべく人が少ない方に行こうと思って歩き出した。
「…………?」
と、そこで気がつく。
腰の、ベルトにつけていたはずの革袋がどこにもない。
落としたのかもしれないと俺は思う。
でも結局分からないので俯いて歩き始めた。
別にお金なんてほしくなかったけれど、なんだかとても惨めだった。
楽しそうな表情で横を通り過ぎていく人々が少し憎い。
拾いに戻ろうかと何度か足を止めたけれど、もうないような気がして結局行くことはなかった。
そうして歩き続けて、俺は鐘の音を耳にする。
昼の鐘だ。
でももう怖くはなかった。
ほんのわずか心が波立ったような気はしたけれど、何度も小さくお呪いを唱えているとそれも消えてなくなる。
だからもう怖くないのだと確かめたくて俺は音が聞こえた方に行ってみることにした。
教会は高い建物が多い街の中でも一際高い。
白い壁面に青の屋根がついた尖塔が見えるので初めて行く俺でも辿り着けそうだった。
だが。
「……ごめんなさい。…………すみません」
人の群れの中を歩くのはとても難しい。
何度もぶつかっては謝りを繰り返して歩き続ける。
昔家族で街に行ったときは全然ぶつからなかったのに、今はちっとも避けられない。
あの街よりもずいぶん人が多いせいだろうか?
教会に向かうために結局人が多い場所を行くことになってしまった俺は、少しだけ後悔しながらそんな疑問に首を傾げた。
疑問といえば、人混みの中でたまに俺のことを見ている人がいるように感じるのも少し気になったが。
「……ついた」
そんなことを考えながらも俺はたどり着く。
見たことがないほど立派な教会だった。
本当に、大きな大きな建物だったのだ。
今は誰でも入れるようになっているらしい。
絶え間なく楽しげな人々が出入りしている。
なにか催しごとでもあるのかもしれない。
とにかくここはあの、雪の街の崩れた教会とはすべてがかけ離れていた。
だからもう何も恐れる必要などないのだと自分に言い聞かせる。
そして俺も教会の中に入ってみようと思い立った。
だから入り口に歩いて行くと入り口に立っていた若い男の人に呼び止められた。
白い法衣を身に着けている……ので、多分神官様だろう。
「だめだよ坊や、お金はあるのかい?」
「お金?」
「そうだ。ハウザーの彫刻を見に来たんだろう? お布施をくれないと見せられないよ」
俺は彫刻なんて見たことがない。
だがみんなが見に来たのならきっといいものなのだろう。
楽しそうな顔をしていた人々を思い出して、俺は見たいと思った。
だけどお金がないので見ることはできなかった。
「…………」
なぜお金がないと見れないのかは分からない。
街には俺に分からないことがとても多い。
それでも今俺がここを通れないということくらいは分かる。
「ごめんなさい」
「いい子だ。お小遣いためてまた来月の開放日においで」
微笑む神官様に背を向けて俺は歩き始める。
そしてふと、本当になんとなく右に視線を向けると、教会の庭園で長椅子に座ってくつろいでいる人々の姿が見えた。
どうせやることも、行く場所もないので俺は空いている席に座ることにする。
そうして成り行きで入り込んでしまった教会の庭はきれいだった。
冬なので葉が落ちた木も多いけれど、きちんと切りそろえられた芝と石畳、そして生け垣が緑の道を作っている。
柵で囲まれた小さな池と……どういうわけか水が吹き出す仕掛けもあって、目に入るものは美しく、また見慣れないものばかりだった。
もっと見ようと思って視線を動かす。
すると庭の左の方に下に降りる石段があって、その先にはなにかたくさんのものが整然と並んでいるのが分かった。
よく見ると並んでいるのは石、そして十字架。
訪れる人々は手に花を持っていたりする。
もしかしてあそこはお墓なのだろうか。
納得した俺はぼんやりと墓地の様子を眺め続ける。
花を持った人。
お墓を磨いている人。
笑顔で何か墓に向かって話している人。
涙をぬぐう人。
目を閉じて手の平を組み祈っている人。
お墓を訪れる人たちは本当にいろいろだった。
俺は墓に来ては去る人々の姿を見つめていた。
ずっとずっと、本当に長い間見つめていた。
するとぽっかりと抜け落ちていた物が戻るように、俺の心に悲しい気持ちが帰ってきた。
なんでなのかは分からなかった。
ただ涙が出てきて、あとからあとから出てきて止まらなかった。
「っ……っっ……」
周りを歩いてる人たちがなんだか心配そうに見つめてくる。
俺はその視線にウォルターの言葉を思い出した。
だから泣くのは我慢しようとした。
でもだめだった。
悲しくて苦しくて恐ろしかった。
叫んで暴れて自分を忘れてしまいたかった。
必死にこらえて俯く。
ズボンをぎゅっと握って歯ぎしりをする。
そうだ。
何故悲しいのか分かった。
俺はとうさんとかあさんに墓も作ってやっていないのだ。
雪の下で。
化け物に殺されて。
そのまま野ざらしになっているに違いないのだ。
俺だけ逃げて、美味しいものを食べて、温かい場所で寝て、俺だけ、俺だけが。
一人で。
……一人はいやだ。
どうしても涙が止められない。
抑えていた声も限界だった。
唸り声のように嗚咽を漏らして俺は一人で泣いていた。
「……なんで泣いてるの」
声をかけられたような気がした。
でもそれを気にするような余裕はなかった。
ただただ後悔ばかりが押し寄せてきて、抱えきれなくて、持て余して泣いていた。
逃げなければよかった。
逃げたにしても墓も建てずにこんなとこまで来るなんて。
雪が溶けたら、きっと死体は野ざらしに腐ってしまうだろう。
俺は何度か動物の死体が腐って落ちているのを見たことがある。
鼻をつまんで通り過ぎたのを覚えている。
とうさんやかあさんも俺のせいであんなふうになってしまう。
それが悲しかった。
悲しくて悲しくて辛かった。
「なんで! 泣いてるの!」
今度は確かに聞こえた。
はっとして顔を上げるとそこにはリリアナがいた。
なんでここに、なんて考える余裕はなかった。
俺は泣きながら彼女に答えた。
「お、おれ……とうさんと、か、かあさんに……」
「……うん」
鼻をすすって、ところどころ息がつまって。
そんなふうにつっかえながら話す俺に、リリアナは真剣な顔で頷いた。
「は、墓も……作って、あげられなくて……だ、だから……それで……」
泣きながら話す。
途中から自分が何を言ってるかさえ分からなくなった。
何度も何度もつっかえながら、自分が悪いのだということと墓を作ってやりたかったということを何度も口にした気がする。
するとそこで、ぽつりと漏れたリリアナの言葉が俺の懺悔を遮った。
「……わたしも」
震える声で言われて、俺は顔を上げる。
すると彼女は俺の目を見返しながら呟くように言葉を投げた。
「わたしも……作ってあげられなかったなぁ……」
切れた息でそれだけ言った。
そしてうなだれたまま立ち尽くしていた。
それから何を言うでもなくずっと二人でそこにいた。
段々周りから人がいなくなっていって、誰もいなくなった頃リリアナがおもむろにコートを脱いだ。
全く意識していなかったけど、彼女が着ていたのは俺のコートだった。
「……帰ろう。もう時間過ぎてる」
俺は小さく頷いた。
すると彼女は少しだけ笑って俺の肩にコートをかける。
袖を通して彼女についていくことにした。
本当に長い間俺は墓地を見ていたのだろう。
日はもう傾きかけていて、そろそろ夕方になりそうだった。
そしてその日から、俺にはおまじないが効かなくなってしまった。




