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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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十話・おまじない

 

 孤児院の暮らしで三つ目の変わったこと。

 それは時々セオドア先生のもとに通うようになったことだ。

 夜寝る前に先生と会うと、不思議と悪夢を見ないことが多くなる。

 だからこれはとても助かることだった。


「やあリュートくん。よく来たね、そこに腰掛けてくれるかい?」


 先生の仕事机の前にある、低い机をへだてた一対の長椅子。

 黒い革が張られた座り心地のいいそれは孤児院に来たお客さんと話すためのものだろうか。


 それは分からないが、なんだか慣れない気持ちを拭えないまま俺は椅子の片方に腰掛ける。


「……失礼します」


 座る時の挨拶を口にして頭を下げる。

 するとセオドア先生はにこりと微笑んだ。


「まぁ楽にしてくれ。夜じゃなきゃおやつでもあげたいところなんだけどね」


 そう言って先生は頭をかいた。

 なんと言っていいか困って、なんとなく俺も頭をかいてみた。

 すると先生はなぜだか小さく笑った。


「…………」


 しかし……今夜は静かな夜だった。


 月明かりが部屋の奥の窓から差し込んでいるようだが、この部屋を昼のように照らしているのはむしろ天井にあるシャンデリアというやつだ。

 俺はここに来てそれを初めて見たし、初めて知った。

 シャンデリアは明るくてきれいなのでもの珍しかった。


「今日はなんだかいつもより元気がないね。どうしたんだい?」

「?」


 そうなのだろうか。

 俺は元気がないのだろうか。


 よく分からなかったので俯くと、セオドア先生はくすりと笑った。


「よし、じゃあ目を閉じてごらん。落ち着いて。心を緩めるんだ」


 言われた通り目を閉じる。

 すると当然ながら視界は真っ黒になって、代わりに耳が冴えたような気がした。


 かすかに風が枯れ木を揺らす音。

 どこか、壁か天井からぴしりと軋むような音。

 俺の身じろぎで服の衣擦れに鳴った音。


 それからセオドア先生が一定の間隔で机を指で叩く音もだ。

 ゆっくりと。こつこつこつこつ……と。

 聞こえてくる。


「今日も疲れただろう。息抜きにちょっとした遊びでもしようか。目は閉じたままでね」


 その間もこつこつと音がする。

 遊びとは言うけれど、なんだかそちらに気が散ってしまう。


 しかし構わずセオドア先生は俺に問いを投げてきた。


「君はカラスは好きかな? 私は嫌いなんだけども」

「好き……もなにも……えっと……わかりません」


 俺が戸惑って答えると、先生はふむと息を漏らした。


「うん。少し緊張してるね。よかったら今日は質問ゲームという遊びをしてみないかな?」

「質問ゲーム……?」


 聞いたことのない遊びだ。

 だから俺が聞き返すと、すぐに説明が返ってきた。


「そうだ。私が質問する。君が答える。次の質問をする。そして三回答えたら一つずつルールを足していく。……簡単だろう?」

「ええっと……」

「まぁ物は試しだ。やってみようじゃないか」


 なんだか愉快そうに先生は言った。

 そして答える間もなく始めてしまったので、仕方なく俺も口を開いた。


「犬は好き?」

「好きです」

「そう。じゃあ……」


 そんな風に質問を繰り返す。

 三回目の質問に答えた。

 すると先生は一つルールを足した。


「まず、一つ目のルールは『嘘をついてはいけない』だ」

「はい」


 そんな風にルールは増え続けていく。


『嘘をついてはいけない』

『答える時以外は口をぴったりと閉じる。そして口を開けたら必ず間をあけずに答える』

『七回指で机を叩く間に答え始めなくてはならない』

『質問を復唱して答える』

『一番最初に思い浮かんだことを言う』


 重要そうなのはこれくらいだけど、この他にも意味があるようなないようなルールがいくつかあった。


 そしてゲームは続くけれど、段々と俺も疲れたのか頭がぼーっとしてくる。

 でも頭がぼんやりしても答えは何故だか口をついて出てくる。

 不思議だった。

 でもその内こんな考えも霧のように消えた。


 質問を繰り返す俺の声がやがて先生の声になって、頭の中をぐるぐると回り始める。

 ぐるぐるぐるぐると質問の声が響き続けて、俺が答えて次の質問が来るとまたそれが頭の中を巡る。


 机を叩く指の音も少しずつ大きくなったり小さくなったりを繰り返していて、耳がおかしくなってしまったようだった。

 いや、耳だけではない。

 なぜだかものがよく考えられない。

 とはいえ気分は悪くなくて、なんだかひどく落ち着いた気持ちだった。

 先生の低い声を聞いていると安心するのだ。


「君はどうして鐘の音が怖いの?」


 俺は質問を復唱し、ぴったりと閉じていた口を開く。

 そのまま転がるような滑らかさで答えを口にした。


「人が死んだのを知らせる音だからです」

「それがどうして恐ろしい?」


 先生の声が頭の中をぐるぐると回る。

 するとその声が頭の中の答えにぶつかって、俺の口から一緒に出てくる。


「俺の番が……来るから。来なくちゃいけないから」


 隙間なく行き交っていた質問と回答。

 その流れが一瞬途絶えた。

 先生が小さく唸って、ほんの僅かな間沈黙したせいだ。


 しかしすぐにゲームは再開する。


「君も死ななくてはならないということかな?」

「はい」


 ちゃんと先生の質問を反復できているのか分からなくなってきた。

 質問の声がぐるぐるして、繰り返しても先生の声に同化するからきちんと言えたか分からないのだ。


「どうして人が死んだからって死ななくちゃいけないんだろう?」


 それは分からなかった。

 いや、分からなかったはずだった。


 けれど雪の中、静かに死を待っていた時間のことを思い出す。

 すると俺は自分でも意識せずに口を開いていた。


「俺だけ生きているのが……後ろめたくて辛いから」


 あの時は鐘の音も怖くなかった。

 俺も死ぬと思っていたからだ。

 みんな見捨てて逃げて、だけど最後には死ぬはずだった。

 鐘の音はいずれくる順番が近づく音でしかなかった。


 でもこうして安全な場所に逃げ延びて、そうして聞く鐘の音は今も死にゆく人々が俺を責めているように聞こえるのだ。

 雪の中に捨ててきた全てが俺を卑怯者だとなじっているのだ。


 それはきっと自分でも分かっているからだろう。

 今の俺が死を恐れていて、死にたくないのだということを。


「どうすれば許される?」


 それも分からなかった。

 なのに俺は答えられた。


「俺も死ねばいい」

「……自分が嫌い?」


 この質問だけはよく分かった。

 だから俺はすぐに答えられた。


「きらいです」

「どうして嫌いなの?」

「弱くて……卑怯だから」


 ここに来る時も俺は、馬車から放り捨てられたくなくて他の子どものことを見て見ぬふりをした。

 今日だって怒られたくないからオークを刺した。

 弱くて臆病で、卑怯な自分が大嫌いだった。


 俺がはっきりそう言うと、先生は空いた手で頭をかいたようだった。


「そう、ありがとう。……じゃあ質問ゲームはもう終わりにしようか」


 机を叩く指の音が消えた。

 ゲームが終わりならと俺は目を開けようとするが、それは先生に止められる。


「まだ目は開けないでくれよ。最後によいことをしてあげるからね」


 俺はその言葉に従って開きかけた目を閉じる。

 すると少しして、そばに歩いて来たらしい先生の両手が俺の頬を包み込んだ。


「触れている私の手に意識を集中してほしい。そして深い深い呼吸をしてくれ」


 吸って、吐いてと。

 そんな合図に合わせて俺は深呼吸をする。


「体から力を抜いて。すると心地良くて眠くなるはずだ。そうだろう?」

「……はい」


 言葉通り、本当に眠くなってきた。

 今や椅子の背もたれにぐったりと体を預けた俺に、頬から手を離したセオドア先生が距離を詰めた。


「そのまま君は眠って、夢を見ている。ひとりでいる夢だ」

「…………」

「だけど寂しくはない。高くて遠い場所にいて、君は守られている。誰もが君に触れられない。ひとりできれいな景色を見ている夢だ」


 不思議だった。

 ゆっくりと低い声が紡ぐ言葉を聞いていると、そういう光景が頭の中に見えてくるのだ。


 昔着ていたぼろを身に着けた俺は、故郷の空の上にある透明な足場に立っている。

 遠い下では化け物と人間が殺し合っているけれど、俺はそれを見なくてもいい。

 関係がない。


 ただ仄暗い空の向こう、雲に隠れた夕日の光に目を向ける。

 そして美しい光に目を細めるのだ。

 穏やかな気持ちで。

 寒くもなくて。

 ひとりぼっちで。


「うん、じゃあ目を開けていいよ」


 目を開けた。

 長く閉じていたから、一瞬だけ部屋の眩しさに顔をしかめる。

 けれど俺の目の前に先生の右手の人差し指があるのに気がついて、視線は目の前のそれに吸い込まれた。


 そして俺の目を引きつけたまま指がゆっくりゆらゆらと動いて、そんな動きを見ていると頭の霧が濃くなっていく。


「いいかい。おまじないは……『オルタナティブ』だ」

「…………?」


 なんだかあまり聞かない言葉だった。

 ぼんやりとした意識の中、俺は先生の言葉を復唱する。

 すると先生は突き出した指の奥で頷いたようだった。


「そうだ。おまじないを唱えれば恐れのない、別の自分になれる。何かを怖がる必要もなくなる」

「…………」

「三秒数えて指を鳴らす。そしたら君は新しい君になって目が覚める」


 三、二、一。

 ぱちん。


 頭の霧が晴れた。

 先生がにっこりと微笑んで俺に問いかけてくる。


「分かるかい?」

「分かる?」

「うん」


 何もわからないと、そう言おうとした時ちょうど夜の礼拝の鐘が鳴った。

 今日は特別遅くなってしまったから、もう鐘が鳴る時間になったのだ。


 体が固くなる。

 恐ろしくてたまらなくなる。

 反射的に身をすくめたその時、先生の声が聞こえた。


「おまじないだ」


 呟くように小さな声だった。

 反射的におまじないを思い出すと俺の中の恐怖心が少し和らぐ。

 責められているような後ろめたさを感じなくなった気がした。


「さぁ、自分で思い浮かべてごらん」

「…………」


 いつの間にか頭を抱えそうになっていたらしい俺の腕を捕まえて、先生がそう言った。

 俺は震えながらも頷いてその言葉を脳裏に浮かべる。


「…………」


 なんだか元気が出た気がした。

 少ししてはっきり分かった。

 やっぱりちょっとだけ怖いけど、でももう我慢できる。


 それはきっと先生のおかげなのだろう。

 思い当たったから俺は椅子から立って頭を下げる。


「ありがとうございます」

「お礼は言わなくていい。気にする必要はないよ」

「?」


 なんだかよく分からない。

 どうして気にしなくていいだなんて言うのだろう。

 これも先生にとっては当然のことなのだろうか。


 不思議に思って先生を見つめる。

 すると彼は柔らかく微笑んで、俺の前に膝立ちになった。

 そして頭をくしゃくしゃと撫でてくる。


「……もう一つ、おまじないをかけてあげよう」

「本当ですか?」

「うん」


 撫でていた手を離す。

 目をまっすぐに見つめて、俺へ向けて語りかけてきた。


「自らを嫌悪する者は、自ら沿わんとする理想を知る者である」


 あまり理解できない言葉だったけど、俺はとにかく唱えてみようと思って口を動かす。

 けれど途中で忘れてなんだかしどろもどろになってしまった。


「自らをけんおするものは……自ら……そ……えっと……」


 困っている俺を見てセオドア先生は大きな声で笑った。

 また頭をわしゃわしゃと撫でてくる。


「先生、これはどんな効き目があるんですか」

「それは少し、難しい質問だね。()()()()()()だ」


 先生は撫でるのをやめて、なんでか考え込んでしまう。

 彼にも効き目がわからないおまじないなのだろうか。


 そんな風に思う気持ちが分かったのか、俺の目を見て深く頷く。


「その通りだ。ある程度こうなってほしいという気持ちはあるけれど、本当のところは分からない。でも多分、今は効き目がないとも思っている」

「今は?」


 俺の問いに先生は頷く。

 頷いて、なんだかまたよく分からないことを言った。


「そうだ。これはさっきのおまじないとは違う、本当に力のある言葉だ。でも今の君にはきっと効かない」

「じゃあいつ使えばいいんですか?」

「君に最初のおまじないが効かなくなった時だ。その時なら、いつかしかるべき時が来たなら……きっと君を助けてくれるはずだよ」


 なるほど、なんて賢いんだろうか。

 先生はもし効果が切れた時のために、今ここで次のおまじないを教えておいてくれたのか。


 心から感心して、俺はまた先生にお礼を言う。


「ありがとうございます。先生は、とても賢いですね」


 すると先生は嬉しいのか困ったのかよく分からない表情であいまいに笑う。

 そしてお仕事の机に戻って、小さな紙束から一枚紙を取りなにか書きつけているようだった。


「先生?」

「紙に書いておいたよ。いつでも思い出せるようにね」


 そう言って先生はこっちに歩いてきた。

 俺が受け取った紙には文字が書かれている。


みずからを嫌悪けんおするものみずか沿わんとする理想りそうものである』


 きちんと簡単な文字で読み方も書いてあった。

 これなら俺にも読んで思い出せそうだ。


「でも意味が分からないって?」


 俺の気持ちをまた読んで、聞くよりも先に疑問を口にされてしまう。

 少し驚きながらも頷くと、先生はちょっとだけ考えた。


「そうだね。ヴィクター先生かシーナ先生あたりに聞くといい。……いや、シーナ先生に聞くといい。そうしてやってくれ」


 シーナ先生……。

 その名前を聞いて俺は少し暗い気持ちになる。


 セオドア先生が言うのなら従うつもりだったけれど、俺はあの人が少し怖い。


「いやかい?」


 またしても見透かされた。

 俺はびっくりするけれど、失礼かと思ってすぐにぶんぶんと首を横に振る。


 すると先生は声をあげて笑った。


「まぁどうしても嫌ならヴィクター先生でも構わないけど。でも良かったらシーナ先生に話してやってくれ。彼女は君たちのことを大切にしてるから、きっと喜んでくれるよ」

「僕たちのことが?」


 そうは思えない。

 いつも俺たちに怒ってばかりいるのに。


 不思議に思って眉をひそめると、頷いた先生は冗談めかした口調になる。


「君や……あとウォルターくんのこともいつだって気にしてる。二人ともちょっと難しい子だからね。かわいいけども」

「……ほんとうですか?」


 信じられないけど、セオドア先生が嘘をつくとも思えない。

 なんだか不思議な気持ちになる。


 もしそうならどうしてあんなふうに怖がらせようとしてくるのだろうか。

 どうしてオークを刺せなんて言うのだろうか。


 すると俺の納得できない気持ちをなだめるようにして、セオドア先生は語りかけてきた。


「シーナ先生はね、あの若さで軍の教官をしていたんだ」

「教官?」

「戦いを教える人。兵隊さんの先生だよ。シーナ先生が戦果を挙げていたのをいやに思う人がいて、だから戦場に行けない教官にしたんだ」


 これもよく分からない。

 教官? にするのが嫌がらせになるのだろうか。


 首を傾げると、先生は濁すようにして一つ咳をする。


「まぁとにかく……教官だった。そしてきちんと教えられないと兵隊さんは戦場で死ぬ。悪ければきちんと教えても死ぬ。だからシーナ先生は手を抜けないし、抜かないんだ。君たちにもね」


 でも、だからって悪口を言う必要はあるのだろうか。

 オークを刺す必要だってない気がする。

 ……もしかすると俺が間違っているのだろうか?


 俺の疑問をかぎとって、先生はまた困ったように頭をかく。

 そして少し考えたあとに優しく言い聞かせるように言葉を投げかけてきた。


「まぁ、君にも納得できないことはあるだろう。でもシーナ先生はそのやり方しか知らないし、だからそれでなんとか彼女なりに頑張っているんだよ。その気持ちだけは理解して、せめて嫌わないであげてくれ。……分かってくれたかな?」


 そこまで言われては否定することはできなかった。


 俺が頷くと先生は嬉しそうに笑った。


「ありがとう。君はやっぱり優しい子だね。じゃあ今日はもう寝なさい」

「はい。ありがとうございました」


 もう一度だけ頭を下げて、俺は先生の部屋を後にする。

 そして真っ暗な廊下を自分の部屋へ向けて歩き始めた。


 おまじないの紙を握って。

 何度も口の中で呟きながら。


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