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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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八話・勧誘

 


 二人して入ったヴィクター先生の部屋にはほとんど全く物がなかった。


 俺の部屋にもそう沢山のものがある訳ではない。

 だけど教本や筆記道具、机に置かれた魔道具? とやらの照明、それに替えの服や下着を入れる箱とか、どこを見ても最低限なにか目に入る程度にはあるのだ。


 だけどヴィクター先生の部屋はからっぽだった。

 そういうふうに見えたのは二つの部屋が横に繋がったような間取りで、俺たちの部屋より広かったせいもあるのかもしれない。


 でも俺たちが立っている方の部屋にはなにもなくて、奥の部屋にあるのはベッドと机と小さな木箱が二つ、それだけだった。

 他には本当になにもないのだ。


「昔からあんまり物を持てなくて」


 部屋を見回す俺たちに、ヴィクター先生はそう言って照れくさそうに笑った。

 そんな先生をリリアナは首を傾げて見ている。

 じーっと見つめて、朝食のメニューを尋ねるような気軽さで口を開いた。


「お金がなかったの?」

「えっ? ……まぁ貧乏だったけども」


 言葉を受けて先生は苦々しく笑う。

 そしてふとどこか遠くに視線を向けた。

 その目は一瞬だけこの部屋と同じくらいからっぽに見えたような気がした。


「先生も孤児だったんだよね、実は」

「じゃあ……先生も孤児院に?」


 リリアナは問いを重ねる。

 先生はまた笑いながらあいまいにかぶりを振った。


「いや。僕は昔、おかしな修道院にいたんだ」

「?」


 リリアナはその言葉の意味が分からなかったらしい。

 俺にも分からない。


 孤児と修道院という場所がすぐには結びつかなかったのもあるし、おかしなという言葉もあまりピンとこなかったのだ。


「ああごめん、服だっけ。ごめんごめん……」


 誤魔化すように笑って、ヴィクター先生は奥の部屋に歩いていく。

 そして二つ並んだ片方、右の木箱の蓋を開けて一着の上着を取り出した。


「はいこれ、コートね。前は切って染め直して襟つけて裏地足しといた。ポッケもあるよ」

「!」


 想像もしなかった。

 俺が着ていたボロ切れは見事な上着になっていた。


 穴を埋め、襟を足して、ボタンも縫い付け、ツギハギが目立たないよう上手くポケットをつけて黒く染め直して。

 それから裏地には灰色の織物が使われている。


 まさに街で見かけたような上等なコートだった。


「あとごめんね。ズボンも一応見たけど……駄目だった。上着は元が良かったから手を加えやすかったけどな……」


 そう言って気まずそうに頬をかくヴィクター先生だが、俺はそれに何も言えなかった。

 何故だか分からないが言葉が出てこなくて胸がいっぱいになった。


「先生すごい!」


 俺が手に持つコートを前から後ろから覗き込んで、リリアナが一番はしゃいでいる。

 目をキラキラさせてヴィクター先生に詰め寄った。


「先生が作ったんでしょう?」

「うん、そうだね。あと、一応他の子たちにも少しずつ洋服作るつもりだよ。みんなその白いのしかないし。……ごめんね」

「それわたしも手伝っていい?」

「う〜ん。……君らにそんな時間あるかなぁ」

「休日があるじゃないですか、休日、ほら、週に二回で」


 楽しそうに話す二人に目をやって、俺はもう一度コートを見る。

 そして顔を上げヴィクター先生にお礼を言った。


「ありがとうございます」

「いいえ。……じゃ、もうそろそろ行きな。シーナの授業に遅れないようにね」


 先生は笑ってそう言った。

 だからおしぎをして部屋から出ていくことにする。

 リリアナも先生さよならーなんて言ってついてきた。


「…………」


 部屋を出る前、もう一度だけ振り返る。

 すると見送ってくれていたヴィクター先生が、からっぽの部屋で微笑みながら小さく手を振り続けていた。


 ―――


「ねぇねぇ、さっきわたしお洋服手伝うって言ったでしょ」


 上着を置きに部屋に戻る道の廊下。

 何故かまだついてくるリリアナがそんなことを尋ねてきた。


「言ってたけど。それが?」


 俺が聞くと、間髪入れずに楽しそうな声が返る。


「えっと……あれでさ、余った布とかもらってこようと思うんだよね」

「うん」

「それからさ、お小遣い、もらえるみたいでしょ」

「…………」


 何が言いたいのか分からなくて少し戸惑った。

 でも彼女はまだぜんぜん言い足りない様子だったので、とりあえず目で先を促す。

 するとリリアナは目をキラキラと輝かせた。


「お金稼ぎ」

「?」


 まだ分からないというような顔をする俺に、しびれを切らしたようにリリアナが足踏みをする。


「お、か、ね、か、せ、ぎ。小物とか作って売るの。たくさん儲かるから悪い話じゃないわ、きっと」

「……やらないよ俺、そんなの」


 すこし戸惑いながらも俺は彼女の誘いをはねのけた。

 別にお金なんかほしくないのだ。


 だけどリリアナは全く諦めず俺に詰め寄ってくる。


「だめよ」

「……他の人でもいいじゃん」

「そんなことない」

「なんで?」


 こうまで言うならなにか理由があるはずだと思った。

 だから尋ねると、リリアナはとたんにしどろもどろになる。


「え? えっと……顔が……そう、顔が銀貨の絵の人に似てるから、だから縁起がよさそうだもの」

「えっ……」


 妙なことを言われたからつい歩く足を止めてしまう。

 ……本当にそんな理由なんだろうか?

 しかしあまりのくだらなさに深堀りしようという気にはなれなかったので別のことを聞いた。


「大体、金なんて増やしてどうするつもりなんだよ」

「お金はいくらあってもいいでしょうが」

「……とにかく、俺はやらないからな」


 たじろぎつつもなんとか言うとリリアナは妙に大人びたふうにため息を吐く。

 そして諦めたのか、ついてくるのをやめて来た道を引き返し始めた。


「じゃあまた今度ね、銀貨くん」


 俺は彼女に何も答えなかった。

 ただうさん臭いものを見る目で去る背中を見ていると、振り返った彼女がにっこりと笑った。


「……なぁ」


 俺はその笑顔を見て、自分でも意識する前に彼女を呼び止めていた。

 ちっとも仲がいいわけでもないのに。


「なに?」


 ともかく呼ばれたリリアナは振り返る。

 そうして引き返してきて、俺をまじまじと見ると困ったような顔をした。


「震えてる、けど……」


 言われて初めて気がついた。

 俺は震えている。


 そしてそれは、きっともうじき鐘が鳴るからだろう。

 日が出ていて周りに人がいる間は夜よりはマシだけど、それでもやっぱり俺はあの音が苦手だった。


「なにか怖いことがあるの?」

「……ない」


 俯いた。嘘をついた。

 上目遣いに見ると、リリアナは首を傾げている。


「ほんとはなにが怖いの?」

「怖くなんかない」


 呼び止めたことを後悔しながら否定する。

 そして前を向いて歩き始めた。

 リリアナはもう何も言わない。

 だから立ち止まらず歩いて、手に持っていたコートを羽織ってみる。


 そして毛布にしがみつくように襟を握っていると、ほんの少しだけ恐ろしさが和らいだ気がした。


 ―――


 やっぱりシーナ先生の授業は好きではない。

 今は広場の外周を走らされているのだが、俺たちに軽々とついてきながら先生はいつも怒鳴っていた。


「どうした! 腑抜けた走りでは魔獣が笑うぞ!」


 昼間でもまだまだ寒い時期だ。

 こうして走っていると汗ばんで暑くなるが、体の一部、たとえば耳は冷え切って少しだけ痛かった。

 もちろんもっと寒いところに住んでいたから俺にとっては息苦しさの方がよほど辛かったのだけれど。


「まさか一匹たりとも殺せずに殺されるつもりか! 滑稽なバカ共だな貴様らは!」


 ぎり、と。

 誰かが歯を食いしばる音が聞こえた気がした。


 するとそれからすぐに何人かの子供が足を早める。

 団子のように固まって走っていたのに、頭一つ抜けるようにして前に出てきたのだ。


「いいぞ、オズマ! クリフ! エリナ!」


 前に出てきたのは三人。

 唸り声をあげて、死にものぐるいになって走っている。

 そしてその三人の中には俺のことが嫌いなあの、白髪の少年もいた。

 確かクリフと言っただろうか。


「どうした。威勢がいいのは最初だけか。それとも努力したフリだけで済ませようとしたのか? ……浅ましいな、いっそ魔獣よりも醜いと思わないか?」


 しかし前に抜けた三人の勢いが弱まると先生はそんなことを言う。

 その言葉に彼らはまた少しだけ早くなるけれど、結局は遅れて集団に飲み込まれた。


 そして代わりのようにして、淡々と一定のペースで走るウォルターが先頭に立つ。


「…………」


 最初の日からずっと、憎しみを煽るような言葉を先生は言い続けていた。

 結果として誰も彼もが死にものぐるいで訓練をこなしていたけれど、俺はどこかそんな空気に馴染めずにいた。


「クソ、クソがぁっ……!」


 俺のすぐ近くにまで落ちてきたクリフが、先頭のウォルターの背を睨み悪態をつく。

 それに思わず目を向けると、俺のことも睨んでまたスピードを上げた。


「そうだ、クリフ=ハーリング! お前は見込みがある! オークの小指をへし折るくらいはやるかもしれん!」

「はぁ……はぁ……!」


 上を向いて、喘ぐように息を乱しながらもクリフはウォルターに並ぶ。

 そうして肘がぶつかるような距離で喰らいつくように走り続けていた。


 俺は一番後ろにかじりつくのが精一杯でとても追いつくことなど考えられなかった。

 気が遠くなり始めた頭でただ走る彼らの背中を見つめながら走っていた。


「おい貴様、足を止めるな!」


 ぼーっとしていたところに怒鳴られて俺は思わず転びそうになる。

 しかしなんとか持ち直して、改めてシーナ先生の方を見ると俺のことを言っているのではないのがわかった。

 俺の左後ろにいる、小さな女の子に言っているのだ。


「っ……!」


 俺よりも歳は下だろうか。

 小さくて細い女の子だった。

 肩までの灰色の髪と、涙を一杯にためた青い瞳の大きな目。

 それから透けるほどに白い肌は熱に浮かされたように紅が差している。


 彼女はもう答える気力もないのか、足をもつれさせながらも必死に足を動かしていた。

 そして時おりしゃくりあげてなんとか涙をこらえているようでもあった。


「どうした! 泣けば済むとでも思っているのか! 兄貴は立派に走っているぞ!」

「ううっ……」

「止まるな! 止まった奴は一周追加だと言ったはずだ!」


 今にも泣きそうだった。

 足を止めて倒れそうだった。

 ふらふらとよろめいていた。

 そして彼女を支えようとする者は誰もいなかった。


 それもそうだ。

 みんな辛くて辛くて仕方がなくて、一周追加だって俺たちにはなんの関係もないのだから。

 特に彼女に近い最後尾なんて、自分自身いつ止まったっておかしくないようなものなのだ。

 助ける余裕なんて全くない。


「…………」


 けれども俺は彼女を支えていた。

 小さな右手を肩に回し、左手で汗に濡れた背中を支える。

 二人共ペースは落ちるが、彼女の負担は減ったかもしれない。


「あっ……わ、えっ……」


 彼女は小さな声で……なにかを言おうとしているわけではないようだった。

 ただ驚いてどうすればいいのか分からなくて声を漏らしているように見えた。

 そしてもちろん俺にも声を出す余力はなかった。

 彼女の体を支えていると目の前がくらくらしてきたからだ。


「馬鹿な真似を……遅れるなよ!」


 そう言ってシーナ先生は今度は前に怒号を飛ばしに行く。

 走り去る背中はみるみるうちに遠くへ消えた。


「…………」


 とはいえ先生が前に去っても目を盗んで休むような真似はできないだろう。

 一瞬でも足を動かすのをやめればもう二度と動けない気がしていたからだ。


 だから無言で走り続ける。

 二人で走る。


 ぼんやりと俺は、このまま死ぬのかもしれないと思った。



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