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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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5000UA短編・封印官と雨

 

 それは、嫌な雨が降る日のことだった。


 ある事情で王都に戻ったアッシュは大聖堂を訪れていた。

 魔獣を殺さねばならないのに寄り道をするのは憂鬱だった。

 しかし今回のような場合、短絡的な思考はむしろ寿命を縮めるだけなので諦めている。


「…………」


 王都ローランの大聖堂。

 そこは大陸で圧倒的な勢力を誇るアトスの総本山であるだけに一般人は入れない。

 限られた聖職者と貴人のみが足を踏み入れることができるこの場所は、たとえようがないほどに贅を尽くされた建物だった。


 まず、この聖堂はとても広い。

 きっと全体を俯瞰すれば、アッシュなど砂粒のようにしか見えないだろう。

 しかし恐ろしいのは、これほどの広さでありながら一切装飾に切れ目が見えないことだ。


 壁はタペストリー、壁画、紋様などで飾られている。

 床には美しい織物のようなカーペットが敷かれていて、絨毯がない床にも模様がついていると来た。

 質素倹約などどこへやら、王城すら霞むほどに豪勢である。

 しかしそんな光り輝くような場所も、雨空に曇った今はどこかくすんだような暗さに包まれている。

 もちろん、暗いとはいえ当然シャンデリアや燭台などの照明器具は存在する。

 けれどわざわざ昼間からつけるほどには余裕があるわけでもないのだろう。


 なんてことをぼんやりと考えて、アッシュは聖堂から目を逸らす。


「…………」


 そして今度は外の風景を見つめていた。

 ざぁざぁと、音を立てて雨が降っている。

 今立っているのは聖堂の入り口の手前だった。

 しかし中に入る気はない。

 人を待っているのだが、傘をささずに来たので濡れている。

 立派な聖堂に足を踏み入れるのは躊躇われた。

 それに、ここならすぐに去ることができるだろう。


「勇者様」


 と、そこで。

 男の声が聞こえた。


 ゆっくりと振り返ると、一人の聖職者と……喪服を着た少女がいた。

 少女の方は知らないが、聖職者の方は以前に顔を合わせたことがあるので知っている。

 少し後退した髪の生え際が特徴的な、三十ほどの陰湿そうな男だった。


「困りますな、あまり封印官を粗雑に扱われては」

「……すまない。だが、そんなつもりはなかった」


 前任の封印官は、若い女の神官だった。

 だが彼女はアッシュのもとを去っていった。

 聞けば昼も夜もなく魔獣を殺し、常に血を纏うアッシュといることに耐えられなかったそうだ。

 また、常に最前線を転々とする暮らしにも我慢ならなかったのだという。


 だから去った。

 けれど、確かに常人にとってはあまりに過酷な環境だったと思う。

 実際、同じようにアッシュのもとを去った封印官は一人ではない。

 最後は気狂いのようになって、半狂乱の中でアッシュを罵った彼女のことを思い出す。


 封印官とアッシュは、いつだって上手くいかない。


「…………」


 アッシュは本来一人で戦い、一人で使命を遂げ、その果てに死ぬべき人間だ。

 付き合わせてしまったことは申し訳ないと思う。

 だが必要なことを厭うつもりはなかったので、またこうして新しい封印官を求めていた。

 なので神官の男に頭を下げた。


「今度は配慮する」

「配慮すると、あなたはいつもそうおっしゃられています」

「…………」


 別に不幸にしたくてしているわけではないが、封印官の幸せを考えているかと言えばそれも否だ。

 目的のためなら酷使も躊躇わないし、そんな人間が配慮するなどとは言うべきではないだろう。

 このやり取りだって初めてではないはずなのにようやく考えを改めた。

 アッシュは、もうこの件については何も言わず非を認めることにした。


「まぁ、ですが。そんな勇者様のために我々も配慮が必要ないものをお連れしましたよ」


 俯いていた顔を上げる。

 そして改めて連れられた少女の方を見た。

 喪服を着た彼女は無表情で、薄いベールの奥から冷たい視線を向けていた。


「首を、見ていただきたい」


 言葉に従い少女の首を見る。

 するとその首には忌まわしい首輪が……最低の魔道具がはめられていた。


「……お前」


 声を低くし、神官を睨みつける。

 理由や背景に気を向けるよりも前に、首輪の存在に対して反射的な憎悪を向けていた。

 すると神官はたじろいで、しかし真っ向から抗弁してくる。


「勇者様。これは必要なことなのです」

「なんのために?」

「人類のためです」


 人類のため、とは大きく出たことだ。

 アッシュはあまりのバカバカしさに鼻を鳴らす。


 少女を奴隷にして、アッシュに服従する人形の封印官にする……そんなことが人類のためであるはずがない。

 せいぜい封印官をやりたくない神官が幾人か救われる程度だろう。


「彼女を解放して正規の神官を差し出せ。今はそんな間抜けな理屈を弄べる戦況ではない」

「……分かっておられませんな、勇者様は」

「どういうことだ?」


 冷たく問い返すと、神官は少女へと視線を向ける。

 そしてなにかを指図するように目配せとともに顎を動かしたところで、少女が杖を軽く揺らした。


「……なんだ、それは」


 次の瞬間、少女の手には得体の知れない不定形の『影』が纏わりついていた。


「異界からの勇者召喚。……何年も前に我々が研究していたその儀式により、『影』は呼び込まれました。どうも偶然、だったようですが」

「…………」

「そして彼女は精神感応により影を使役し戦える。……あなたとて手こずるほどには強いと思いますが?」


 全く、考えもしなかった反論を受けてアッシュは黙り込む。

 しかし恐らく反応としては想定内だったのか、あらかじめ決めていたセリフを語るようにして神官は滑らかに言葉を紡ぐ。


「それだけではありません。精神感応の応用により彼女はあなたの精神を防護しつつ魔物の力を引き出すこともできる」

「だが……」


 だからといって縛る必要などあるものかと、そう言おうとしたアッシュの言葉は遮られた。


「ええ。無論我らも最初はそのように図りました。……しかし彼女は反抗的なのです。人類のことなど何も見えていない。自らの利益しか考えられない哀れな子羊ということで」


 首輪をつけさせてもらったのですよ、と。

 そう言って神官は皮肉げに口元を歪める。


「…………」


 不快だった。

 不快だったが、納得せざるを得ない利益があった。

 もし首輪なしに彼女が従わないというのならアッシュだってそうする。

 そんな気がしたからもう何も言わなかった。


「勇者様がどうしてもとおっしゃるのなら解放いたしますが?」


 それにも、何も言えなかった。

 俯いたまま否定も肯定も口にできず、ただ罪悪感の表れであろう幻覚に睨まれているような感覚をやり過ごしていた。


「……よろしいようですね。では、命令だ。勇者様のお言葉には逆らうな。そして勇者様の許しがない限り、そして任務の遂行が不可能にならない限りはお側を離れるなよ」

「はい」


 聞こえた会話に顔を上げる。

 まさか首輪を使う側になるなど夢想だにしなかったものの……どうやらそういうことらしい。


「これで、彼女はあなたの奴隷です。性格は悪いですが、見目は麗しいので勇者様がお望みなら慰み者にするのも悪くはないでしょうね」


 そんなつもりはなかったが、馬鹿にしたような笑みでこちらを見る神官に何も言い返せなかった。

 今この瞬間、アッシュは同じ穴のむじなのクズに成り下がったのだ。


「…………」


 ざぁざぁと音を立てて、あいも変わらず暗い空からは雨が振っていた。


 この世界には一人の犠牲を厭えるほどの余力はない。

 そんなことを虚しく考えるが、まるで言い訳のように思えてやめてしまう。

 紛れもないクズに成り下がり、下衆げすの手法に手を染めるのだ。

 結末がどうなるのかは分からなかったが、せめて役は演じきるべきだろう。


「アリス=シグルムと申します。どうぞよろしくお願いします」


 やはり無表情に腰を折り、彼女はそう言った。

 真っ直ぐに見返して、アッシュも表情を変えずに答える。


「アッシュだ。勇者様、以外なら好きに呼んでくれて構わない」


 そう言うと、少女……アリスはこちらをじっと見つめている。

 雨はまだ、止んではいなかった。



 ―――



 次の任地はもう決まっている。

 迷いなく街の外へ向けて歩くアッシュへ、押し黙ったままだったアリスが不意に語りかけてきた。


「ご主人様」


 一瞬耳を疑い、それから立ち止まる。

 そして振り返ると無表情から一転。

 傘をさし、人を食ったような顔でこちらを見つめるアリスがいた。


「…………」


 少し答えに悩んだが、しばらくしてアッシュは答える。


「その、ご主人様というのはやめてもらえると助かる」

「分かりました、ご主人様」

「……君はあまり物分かりが良くないらしいな」


 虐げられて、その呼び方が身に染みているという様子でもない。

 単純にこちらを馬鹿にするような気配が強い彼女に、ついアッシュは皮肉を言う。

 アリスは馬鹿にするような眼をしていた。


「好きじゃないんですか、この呼び方」

「趣味は悪いと思う」

「普通のこと言うんですねあなた。傘もささないくせに。頭がおかしいんじゃないですか」


 必要以上に攻撃的な語りを続ける相手から目を逸らし、もう無視して歩き始めることにする。

 別になんと言われようがどうでもいい。

 どんな嫌がらせを受けようが、仕事をしてくれるのならできるだけ関わりたくはなかった。


「…………」


 煩わしいからというのもあるが、アリスを使う上で唯一可能な配慮であるからでもあった。

 首輪に縛られた者と縛る者が仲良く言葉を交わせることなどありえない。


 それは加害者の傲慢で、いつだって被害者は怯えているのだ。



 ―――



 王都にほど近いとある街で宿を取った。

 目的地の途上にある場所だった。

 そして夜になったところでアッシュはアリスの部屋を訪れていた。


「これはいわゆる初夜って奴なんですかね」

「定義による」


 鎧をほどき、ベッドの下に座って封印を受ける。

 その最中に唐突にそんなことを口にした、ベッドに腰掛ける彼女へと特に何も考えずに答えた。

 会話はまだ続くようだった。


「でもあなた、この後私を襲うつもりでしょう」

「そんなつもりはない」

「なるほど。それはなによりですね」


 言いつつ、アリスは杖をアッシュの背中に強く強くぐりぐりと押しつける。

 感覚が鈍麻どんましていたので正確な力の入り方は分からなかったが。

 ……いや、もしや感覚の麻痺を利用してアッシュを痛ぶっているのだろうか。

 そんなことを思うと、心なしか杖から力が抜けた気がした。

 アリスが口を開く。


「ところであなたっていわゆるやばい人ですよね。今日の道中で確信しましたよ、私」


 魔獣を片っ端から殺していたことを指しているのだろうか。

 なにしろ影さえ感じ取れば黙って馬車を飛び降りて行くのだから自分でも普通ではないと自覚していた。

 普通でないからと言ってやめる気はないが。


「そうかもしれない」


 だから素直に認めると、アリスは冷たく笑った。

 本当に……無論、当然のことだがアッシュのことが嫌いで仕方がないらしい。


「……まぁずいぶんまともなフリが好きなんですね、あなた」


 アッシュが狂気と悪意に塗りつぶされた人間だという前提で会話が続く。

 とはいえ特に不快には思わなかった。

 首輪で他人を縛るクズなど、みなおしなべてそう見えたところで不思議ではない。


 なので否定はせず、ただ沈黙を貫いて封印の終わりを待つ。

 するとやがて体が動かなくなり、封印は無事に終わりを迎えたようである。

 正規の神官ではないのでそこだけは心配していたが、腕は申し分ないように思えた。

 少し迷ったが、アッシュは一応感謝を伝えることにした。


「助かった」

「はいはい。どうも。済んだならさっさと帰ってくださいね」


 心底嫌そうに投げられた言葉には何も言い返さない。

 体が動くのを待って、なるべく急いで鎧を身につけることにする。


「いや、自分の部屋で着てもらえますか?」

「…………」


 なるほど、そうすれば良かったかもしれないと思う。

 部屋に戻らず魔獣を殺しに行くつもりだったので、これはそもそも考慮の外にある提案だった。

 最初から部屋に戻るつもりはなかったが、さっさと廊下にでも出るべきだった。

 だから感心して思わず振り向いた。

 何気なく視線を向けた。

 するとアリスは、布団にくるまったままかすかに怯えたように目を逸らした。


「…………」


 人を食った態度を取ってはいるが、内心ではやはり恐ろしいのかもしれないと感じる。

 なにしろアッシュが言えば彼女はどんな屈辱的な要求をも受け入れなければいけないのだ。

 繰り返すが、彼女のそばに存在するだけでアッシュは脅威になる。

 絶対的に優位にあるということはそういうことだ。


 故にこの場は早々に立ち去るべきなのだが、一つだけはっきりさせておきたかったので口を開いた。


「君は知っているな? 俺は魔物だ」


 そもそも風説として流布るふしている話であるし、封印官の任務の性質上彼女は間違いなくアッシュがそうであると知っているはずだった。

 だから答えは待たずに言葉を続ける。


「魔物は元になった生物とは全く別の生き物だ。感情や生殖能力すらない。ただ喰い続けるだけの化物だ」

「……それが、なんだって言うんですか。知識をひけらかす気ですか?」


 話の着地点が分からないからだろうか。

 隠しきれない怯えを潜ませたような声に、アッシュは首を横に振った。

 ゆっくりと続きを話す。


「俺も同じだ。食欲や睡眠欲、多分性欲や感情も……人の情動は消え始めている。まともに見えないとしたら、そのせいもあるだろう」

「だから?」


 あくまで結論を急ぐらしい。

 そういうことならと、アッシュは単刀直入に答えを口にした。


「つまり俺は、君に必要以上の干渉をしないし、その機能にすら乏しいということだ。善人ぶって交流するつもりもないし、無意味に虐げることもない。首輪は使うが、目的は魔獣の殲滅だけだ。それだけは、君に約束する」


 言うべきことを言って、反応を確かめることもせずにアッシュはその場を去ろうとする。

 鎧を拾い上げて歩き始める。

 だが去ろうとした背に声がかかった。


「待ってください」

「……なんだ」


 振り返ると、彼女は一つため息を吐いて言葉を続けた。


「さっきのは冗談です。まさかあなた、夜だからって半裸で廊下を歩くつもりですか?」

「いや……」


 言葉に詰まると、さらに彼女はふてくされたような声を漏らした。


「ちゃんと、着て行ってください。連れがそれでは私が恥をかくのですからね」

「ああ」


 答えて、黙ったまま鎧を身に着け始める。

 雨はまだ止んでいない。

 明日までに止めばいいのだがとぼんやり思う。


 やがてアッシュは鎧を身に着けて部屋を出ようとした。

 しかしその前に、ふと思いたって声をかけた。


「世話になった。またよろしく頼む」


 振り返ってそう言うと、アリスは小さく鼻を鳴らしたようだった。


「感情ないくせにお礼は言うんですか」

「ないとは言っていない。それに、礼儀だろう」

「なるほど。なら、私も礼儀に従いましょう」


 なんのことかと訝しんでいると、布団にくるまっていたアリスが身を起こす。

 そしてアッシュの方を見返して言葉を継いだ。


「……雨のせいで少し、気が立ってたようです。当たり散らしたのは謝ります」

「………? 気にしてない」


 雨のせいでというのは分からないし、別に当たられたとも感じてなかったので軽く流した。

 彼女は少し馬鹿にしたように笑う。


「流石は勇者様。男らしく度量も広いってことですか。まぁ……嘆かわしいことにそっちは不能みたいですけど」


 先ほどまでの悪意とは別に、今の言葉には少しからかうような気配もあった。

 突き放そうとするかと思えば、こちらが強く出るつもりは無いと知るなり玩具にしようとする……そういうことなのだろうか。


 とても付き合ってはいられなかったので背を向けて、今度こそ部屋を後にする。


 アッシュと封印官はいつだって上手くいかない。

 きっと今回もそれに変わりはないだろうと思った。



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