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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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閑話・おやすみ(1)

 


 聖教国の、ずっと南の街に私は住んでいる。

 大きな港があるそこは、人が多いから賑やかで楽しい場所だった。

 あといつも潮の香りがして、お魚も美味しくて日当たりも良い。

 居心地のいい街だった。


 そんな街の外れに、あんまり豪華じゃない小さなおうちがある。 

 ここが私の家だ。

 そして私は、パパと一緒にテーブルについて楽しくごはんを食べていた。


「……ごめんなさい」


 私が言葉を向けるのは隣に腰掛けたパパだった。

 いつも正面に座れと言われるけれど、私はこの方が好きだった。

 そして、私の言葉にパパが答える。


「ううん。美味しいよ」


 優しそうに笑っていた。

 パパは背が高い。

 でも特別かっこいいわけじゃない。

 どこにでもいそうな普通の顔だ。

 だけど、穏やかな目は素敵かもしれない。 

 もちろん、特別なことがなにもなくても、パパは私にとっての一番だった。

 いつもね。


「そうかなぁ」


 私が言うとパパはちょっと笑った。

 笑いながら私が焼いた……焦げ焦げのベーコンを切り分ける。

 そして実に美味しそうにフォークで口へと運んだ。

 私はそれをまじまじと見て、また申し訳ないと思った。


「…………」


 するとパパは困ったような顔になった。


「ほんとに、美味しいよ」


 私は答える。


「ごめんね」


 もう一度謝って眉を下げた。

 パパはあたたかく微笑んでくれた。

 でもうちにはお母さんがいないから、私が頑張らないといけないのにね。


 なんて、少しへこんでいると、パパがふと声を上げる。


「そうだ、アリス」


 私は顔を上げた。

 普通に答えようとしたけど、ついつい声が大きくなってしまう。


「なに!」


 声が高くなったのは、これから何を言うかを知っているからだ。

 ……サプライズのつもりだったのかも知れないけど、私は何日も前からわかってた。

 だからつい声が大きくなってしまったのだ。

 仕方ないのだ。


「今日は一緒にお出かけをしよう。なんでも買ってあげるよ」


 でも、パパは特に私の反応に疑問を持たなかったみたいだった。

 にこにこと笑って話しかけてくる。


「ほんと?」


 私はまるで知らなかったというように反応した。

 目を丸くするとパパも嬉しそうにする。


「うん、本当だよ。もうすぐ九歳になるからね。誕生日プレゼントだよ」


 嬉しくなった私はナイフとフォークを置いて横を向いた。

 パパを見ながら、大きな右手を両手で握って笑う。


「嬉しい! ……ねぇ、ぬいぐるみ買って」

「もちろん。なんでも買ってあげるよ」


 握った手から、あたたかい気持ちが私の中に流れ込んでくる。

 それは多分言葉にしなければ伝わらない気持ちだ。

 でも、私には言葉なんてなくてもそれがわかる。

 だからきっと、少しだけ他のみんなより幸せだった。


「…………」


 私はこぼれるくらい笑みを浮かべていた。

 それはパパも同じだった。

 二人で笑って向かい合っていると、不意にパパの表情が暗くなる。


「……この間、造船所の方で沢山お金をもらったから、遠慮しなくてもいいんだよ」


 なんてことを言う。

 うちはそこまで余裕があるわけではないから、私は遠慮をすることがあった。

 気づかれないようにしていたけど、なんとなく伝わっていたのかもしれない。

 パパが悲しそうにしていたから私は笑って答える。


「うん!」


 うちに余裕がなかったのは、パパが私が小さい頃はあまり仕事に出ないようにしていたからだ。

 片親だけど、小さい私を一人にしないためにあまり働けない時期があった。

 そのせいで仕事を回してもらえなかった時期が長くて、パパはかなり苦労をしていた。

 心がわかる私にはそれが理解できる。

 だからお金がないことを嫌だと思ったことはない。

 悪いのはパパじゃなくて意地悪な世の中だから。


 でも同じように、最近はやっと普通に仕事ができるようになったことだって理解している。

 それでお金も沢山貰えるようになったのだ。

 だから本当に遠慮しないつもりで答えると、パパはまた嬉しそうに笑った。



 ―――



 次の日、お出かけの日はいい日だった。

 よく晴れて太陽が心地よく照りつけている。

 石畳の街は日を受けてなんだか熱を持っていた。

 何もかもがじんわりと心地よい熱に満たされていて、潮の香りがほのかに鼻をくすぐる。

 私が好きな街だった。

 今日も賑やかで人が多い。

 パパと手を繋いで、寄せても引かない人の波の間を縫うように歩き続ける。


 そして、そんな私も今日はちょっとおしゃれをしていた。

 だって一番かわいい白のワンピースを着ている。

 あと、日よけの麦わら帽子も被っていた。

 お出かけするのが嬉しくて、帽子の位置を直したり意味もなく服の裾を上げたりして歩く。


 すると、パパがおもむろに語りかけてきた。


「アリスは賢いね。ママにそっくりだ」


 パパをじっと見る。

 微笑んでいた。

 歩きながら私は答えた。


「お母さん?」

「うん、お母さん」


 死んだお母さんの話をしていたけど、パパは別に寂しそうではなかった。

 でも、手から伝わる気持ちはそうじゃなかった。

 どれだけ時間が経ってもパパはお母さんのことが好きで、寂しいと思っていた。

 だから寂しくなくなるようにぎゅっと手を握った。

 すると、今度は心が明るくなったのがわかった。


「ママもね、そんな風に色んなことがわかってくれる、優しい人だったんだよ」


 その言葉に私は何も返すことができなかった。

 会ったこともない、お母さんのことなんて言われてもどうすればいいのかわからない。


 ただ戸惑っていると笑うと、パパも歯を見せて笑った。

 立ち止まって私の頭を撫でた。


「ありかとう。でもね、アリスはパパの子供なんだからあんまり気を遣わなくてもいいんだよ。パパはアリスのためならなんだってできるからね」


 それはなんとも、素敵な言葉だった。

 嬉しいような恥ずかしいような、悲しいような。

 よくわからない気持ちで見つめ返す。

 するとパパはいつしか撫でるのをやめた。

 なにか見つけたみたいだった。


「ほら、アリス。ぬいぐるみのお店だよ」

「ほんとだぁ」


 玩具のお店があった。

 私の目的地だ。

 はしゃいで歩き始める。


「やったぁ、えへへ」


 そのお店は、白の壁に木のドアがついた三階建ての細長い家だった。

 ドアの上にぶら下がっている看板には、『こどもの国』と書いてある。

 早速二人で店に入った。


 店に入るなり、一人のおじいちゃんが声をかけてくる。


「やぁ、かわいいお嬢ちゃん。パパとお買い物かな?」


 黒い前かけをつけた、職人さんみたいな人だ。

 この店の店主さんで、パパと仲のいいお友達だった。

 私は丁寧に、スカートの裾をつまんでお辞儀をしてみせる。


「はい。よかったらおまけしてくださいな」


 するとおじさんは楽しそうに笑って、薄暗い店の奥のカウンターへと去って行った。

 パパが声をかけてくる。


「好きなもの持ってきていいよ。見ておいで」


 そう言ってまた頭を撫でておじいさんの方へと歩いて行った。

 それからカウンターに肘をついて寄りかかり、なにやら話し始めたようだった。


「トマスさん、まけなくていいからね。来にくくなってしまう」

「何言ってんだ。アリスちゃんもわしの孫みたいなもんだ。原価で売ってやる」

「あんなかわいい子が、あんたの孫なわけないじゃないか」

「それを言うならお前の娘でもないだろう」


 私はパパを取られて不満だった。

 でも、会話の内容になんだかちょっと得した気分になる。

 だからもう気にせずに、ところ狭しと棚が並べられた店の中を歩き始める。

 こうして見ると一つ一つの棚がおもちゃ箱みたいだ。


「……かわいい」


 つぶやいた。

 しばらくした頃、ぬいぐるみのしま猫ちゃんと目が合った。

 大きな人形だ。


 かわいいな。

 手にとってみよう。


 抱きかかえてみると、やっぱり大きくてもこもこしてかわいい。


「それが欲しいの?」


 背後から聞こえた。

 お人形を抱きしめながら振り向く。

 パパがいたから、私は笑ってうなずく。


「うん!」

「そうなんだ。でももっと買っていいよ」


 その言葉に私は嬉しくなってしまった。

 一度ぬいぐるみを置いて、念押しで確認をする。


「いいの!?」

「いいよ。いつも寂しい思いをさせているからね」


 深くうなずいたパパはなんだか少し悲しそうだった。


「…………」


 パパが仕事をしている間、私はいつも一人になる。

 もっと小さい頃は近所のおばさんが面倒を見てくれたけど、でも今はそれもない。

 とはいえ友達と遊んだりするし、本当の一人だった訳でもなかった。


 それなのにパパはこれを気にしている。

 だから悲しそうにする。

 気にしなくていいと伝えたかったから、私はパパの腰に抱きついた。


「私、寂しくないよ。パパは優しいもん」


 パパは何も言わなかった。

 けれど温かくて、どこか複雑な気持ちが伝わってきた。 


「…………」


 しばらくして抱きついていた手を離す。

 またお人形を手に取る。

 すると、唐突に店のおじいさん……つまりトマスさんの泣き声が聞こえてきた。


「う、うぅ……」


 見ればカウンターから出て立ち尽くしている。

 前かけで目元を拭っているようだった。


「……偉いなぁアリスちゃんは……。もう……もう全部持って行け!」


 それを見てパパが苦笑いを浮かべる。

 仕事を回してもらえなかったり、冷ややかな人たちもいる。

 でもパパの周りにはこんな、温かい心を持ったお友だちも多かった。


「あんたいつか野垂れ死ぬぞ」


 パパは定価で買った。



 ―――



 結局その後、トマスさんの家でお茶をごちそうになってしまった。

 店の上の階におうちがあるから、流れるように連れ込まれてしまった。

 お出かけの時間が減るのは残念だけど、久しぶりに飲んだお茶はとても美味しかった。

 あと、お話も中々楽しかったからいいや。


 そうしてしばらくして街に出て、また二人で歩いていた。


「次はどこに行こうか」


 パパが聞いてきた。

 好きな所に連れて行ってくれるらしい。

 私はちょっと答えに詰まる。


「えっと、えっとね……」


 私は心が読めるから、何日も前からこうして遊びに連れて行ってくれることはわかっていた。

 だからずいぶんと色々考えていたはずだった。

 でもこうして聞かれるととっさには浮かばなくて困ってしまう。

 やがてようやっと答えを絞り出した。


「甘いものが食べたい!」


 するとパパはにっこり微笑んで私の手を引く。

 そして振り返って反対側に歩き始めた。

 私はどこに行くのか聞いてみる。


「どこに行くの?」

「パンケーキを食べよう。いっぱいハチミツをかけたら美味しいよ」

「やったぁ!」


 それが嬉しくて、私は思わずパパに飛びついた。

 するとパパはそのまま抱っこしてくれる。

 街をずんずん歩き始める。

 私が笑っていると気遣うように語りかけてくる。


「怖くない?」

「ううん!」


 背が高いから、こうして抱かれると結構高い。

 けど高いところは苦手じゃないし、パパが抱っこしてくれているから安心だった。

 また笑って答える。


「楽しいよ!」

「それはよかった。じゃあ行こう」


 やがてパパはおどけて歩き始める。

 私を抱えたまま軽く跳ねたりする。

 でも一方で、割れ物を扱うように注意していることもわかる。

 舌を噛むとでも心配しているのかもしれない。

 パパが優しいから、私は抱かれている間ずっと笑っていた。

 もちろん人通りが多いので、そうしてふざけるのに眉をひそめる人もいた。

 でも、それも気にならないくらいに幸せだった。



 ―――



 買ってもらった大きなしま猫ちゃんのぬいぐるみを抱いて、私は真っ暗な部屋で寝ていた。

 ベットにはタオルケットがある。

 私はそれを被ってぬいぐるみを抱き枕にして寝ていた。

 今日は本当に楽しかったから、ぬいぐるみはもう宝物だった。

 ちゃんと猫ちゃんにもタオルケットをかけてあげていた。


「…………」


 その柔らかさを確かめるように強く抱きしめる。

 時々含み笑いを漏らしたりした。

 すると不意に部屋のドアが開くのがわかった。

 朧な明かりが差し込んで、壁に反射していた。

 部屋の入り口を見れば、誰かがランプを持って部屋を覗いているのがわかった。


「誰? パパ?」


 そう言うと、少しバツが悪そうな声が返ってくる。


「……ごめんね、起こしちゃったかな」

「ううん。起きてたから平気」

「そっか」


 短く答えて、パパはこちらに歩いてくる。

 ベッドの横の小さな机にランプを置いた。

 そして寝ている私のそばに来て、タオルケットの中の手を優しく握る。


「今日は楽しかった?」

「うん、楽しかったよ」

「そうか……」


 私が笑って答えた時。

 不意にパパの手から、どこか弱々しい気持ちが流れ込んできた。

 心の奥底に追いやっているはずの小さな声だった。


 俺はちゃんと……この子を幸せにできているかな。


 きっと、死んだお母さんへの問いかけだろう。

 そのことが理解できた私はどうしようもなく悲しくなった。

 だからパパの手を強く握る。


「パパ、私はどこにも行かないからね」

「うん?」


 パパの優しい瞳が私に向く。

 ランプのかすかな光を反射して、優しい光が宿っていた。

 おぼろげな明かりの中でそれを見ていると、なんだかやり切れなくて私は泣いてしまう。


「だからパパも……どこにも、行かないでね……」

「アリス……」


 パパはとてもとても驚いたようだった。

 目を見開いて、ぼろぼろと涙をこぼす私の頭を優しく撫でる。

 私は切れ切れの声でなんとか言葉を続ける。


「約束、してね。遠くに行くときは、私も、連れて行ってね……」


 パパは何も答えずただ私を撫でていた。

 涙が落ち着くまで撫で続けてくれた。

 それから、しゃくり上げる私にゆっくりと語りかけてくる。


「アリス。アリスは今度九歳になるだろう?」

「……うん」

「それと同じようにね、アリスはいつか大人になるし、パパはいつかおじいちゃんになるんだよ」


 他の人と話すときと違って、パパは私と話す時はゆっくり丁寧に言葉を紡ぐ。

 私はその特別な音の連なりが好きだ。

 でも今はなぜだか悲しげに聞こえて、また泣いてしまう。


「…………」


 すると困ったように微笑んで、パパは服の袖で私の涙を拭った。


「そうしたらね、いつか遠くに行かなきゃいけないんだ。その時は、アリスを連れて行くことはできないんだ」

「……いや」


 また涙があふれる。

 パパがいなくなったら私は一人だ。

 そんなことには耐えられなかった。

 だからしくしくと泣いていると、パパは柔らかい笑みを漏らした。


「ずっと遠い話だよ。でもね、だから……パパはアリスと一緒に生きることはできても、一緒に死ぬことはできないんだよ。もしもそうなってしまったら、それはとても悲しいことなんだ」


 パパといられないことよりも悲しいことなんてあるのだろうか。

 私にはそれがわからない。

 ただずっと泣き続けていた。


「…………」


 でも、それでも泣き止むことができたのはパパの手を握っていたからだった。

 この子を一人にするものかと、強く強くパパが思ってくれたのが伝わったからだ。

 やがて、涙を止めた私に微笑みかけてくる。


「泣かせちゃってごめんね。でも、アリスは泣き虫だね」

「泣き虫じゃ……ないもん……」


 パパはしゃくり上げる私の額にキスをした。

 それから、立ち去る前にもう一度だけ頭を撫でる。

 最後にランプを持って微笑みの息を漏らし、パパは小さく手を振った。


「おやすみ、アリス」



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