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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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三章エピローグ・ロストキルレシオ/取り残された少年

 



 殺戮器官『焼尽イグゾースト』。


 黒炎の騎士の殺戮器官。

 焼けただれた右腕は、かつて一人の少年の骸から奪ったもの。

 できそこないの、暗い炎を操る能力を持つ。


 器官が生み出す黒炎は、自身の命を薪に勢いを増す。

 さらに、生命力の燃焼の程度に応じて一時的に肉体を強化する。

 この炎に『偽証』を重ねれば、火に偽りの質量と実体を与えることもできる。


 罪人により奪われた右腕は、自らの命を燃やす欠陥品に成り下がった。



 ―――



 灰の散る氷雪ひょうせつの戦場。

 壮絶な死闘の終局に燃えるのは黒い炎だった。


「がっ、あ……ガアァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」


 黒炎を纏う怪物はまるで、己の身を薪にしているように見えた。

 溢れ出る血を、それすら燃やして刹那の熱を咆哮に変える。

 苦痛に身をよじり、凄まじい勢いで肥大する炎に焼かれる。

 狂って、自傷の火に溺れながら、怪物は女に大剣の切っ先を向ける。


 そして地を蹴った。

 怪物の足元が爆発する。

 踏み込みの余波で雪が消し飛んだ。

 女は吹き付ける熱風に眉をひそめる。

 さらに、次の瞬間には怪物が目の前にいた。

 黒炎の剣を振りかぶっている。


 だから女は未来を見た。


「…………」


 大剣の横薙ぎが放たれる。

 振られた刃の外側に、まるで刃からこぼれるように炎が撒き散らされる。

 そしてこれまでにない、怪物じみた速度の攻撃だった。


 しかし女はそれをかわす。

 放たれた黒炎ごと完璧に見切って避ける。

 それから軽やかな足取りで下がった。

 距離を取りながら槍を回す。

 すると詠唱が偽造されて、一瞬で魔術が紡がれた。

 氷の杭の雨がおびただしく降り注ぐ。


 だが怪物は、女の魔術を正面から突破した。


「ガァァァァァァッッ!!!」


 怪物の焼き潰れた喉が、焦げ付いたように濁った叫びを上げた。

 纏う炎が膨張し続ける。

 炎が降り注ぐ氷を飲み込んで、粉砕していく。

 一切避けることなく魔術を叩き潰しながら、大剣を引きずって獣じみた挙動で駆ける。


 さらに怪物は左手の鎖で攻撃を重ねる。

 叫びながら、衝動のままに振り回す。

 鎖はもはや、怪物の体の一部のようになっていた。

 燃え狂う鎖の薙ぎ払いを、女は確かに回避したはずだった。

 だが何度避けても追いかけてきた。

 彼女が思わず足を乱すと、隙をついて怪物が肉薄する。

 だが直線的に近づくのではない。

 女の周囲を駆け回り、つかず離れずの距離を保ち、一撃離脱で狡猾に攻め立ててくる。


「……っ」


 女が苦しげな息を漏らす。

 怪物の動きが速く、追い切れないのだ。

 近づいては離れ、離れてはまた近づく。

 未来が見えるとはいえ、敵の姿が視界に収まっていなければ効果は得られない。

 だからこそ怪物は動き回って翻弄していた。

 さらに、女が見失った瞬間を狙って的確に攻撃を仕掛けてくる。


「……速い」


 女の言葉通り、敵の動きは飛躍的に加速していた。

 黒い炎が肥大する度により速く、力強くなっていく。

 だからまた見失った。

 視界の外から奇襲を仕掛けてくる。


「アアァァァァァッッ!!」


 怪物は渾身の力を込めて体をひねり、空間ごとねじ切るような強さの回転斬りを繰り出す。

 女の下半身を引きちぎるつもりで放っていた。

 しかし彼女はなんとか回避を間に合わせた。

 紙一重でかわすものの、続けざまに振られる鎖にまでは手が回らない。

 直撃して、矢のような勢いで吹き飛ばされる。

 だが卓越した身体操作で、空中にいながら体勢を整えてみせた。


 故に、彼女の着地に隙はない。

 地に降り立つと同時に戦闘を再開する。

 剣を振りかぶる怪物へと手をかざす。

 強烈な威力の音の衝撃を放った。

 けれど実体をもつ黒炎こくえんの鎧を突破することすら叶わない。

 敵は真っ向から衝撃波を乗り越えてくる。

 女は、わずかに焦りが滲んだ表情を浮かべた。


 間髪入れずに怪物が大剣を投げる。

 空を裂く一撃は弾かれた。

 しかしこの間に怪物は新たな刃を握っている。

 さらに高く跳んで、女の頭上で剣を叩きつけようとしていた。


「!」


 跳躍からの叩きつけにより黒炎が氾濫し、天を焦がすような勢いで溢れ出した。

 衝撃で地面が真っ二つに裂ける。

 女はなんとか刃だけはかわした。

 だが渦巻く炎に巻き込まれた。

 質量を持つ、奇妙な炎によって女は吹き飛ばされる。

 そして腕を焼き焦がされるが、槍を回し、魔術で自らの腕を凍らせることで火を相殺してみせる。



 視線がぶつかった。



 ―――



 積み重なる。積み重なる。

 日々に、灰が。



 とある日の戦場。

 枯れ果てた大地で、彼は死力を尽くして戦った。

 けれど思わぬ上位魔獣の乱入で、数え切れぬほど兵士が死んだ。

 仲間の亡骸を引きずる、生き残りの兵士の瞳が■かった。


 どれだけ剣を振るおうが、いつも変わらない。

 誰も守れはしない。

 死者が遺した灰を、魂を喰らい、前に進み続ける。


 せめて死を継ぐ灰にしか、彼はなれなかった。



 ―――



 金色の瞳が輝きを増す。

 そして魔眼による予測の性能が飛躍的に上昇した。


 怪物は刃を振り上げる。

 女はしかし、それをすでに知っていた。

 正確に怪物の隙を突いて一撃を返す。

 足に命中する。

 だが浅い。

 深入りはせず、女は完璧なタイミングで離脱した。

 だから怪物の反撃は空を切る。

 さらに、その空振った反撃に女は突きのカウンターを合わせた。

 そんなことが何度も続く。


 ひたすらに怪物の攻撃の終わりを狩るようにして槍を振るう。

 すると怪物は狂乱の叫びを上げ、女の迎撃をものともせずに強引に前進した。


「ぐ……ガァァァァッ!!! アァァァァァァァァァァァッッ!!!」


 呪わしい咆哮が響き渡る。

 怪物の溢れ出す鮮血は、それすら数瞬で燃えて消える。

 そして獣にも似た荒々しさの連撃が放たれる。

 さらに、斬撃と共に黒炎がこぼれる。

 刃の軌跡から迸った炎は、まるで蛇のように荒れ狂って地を舐めた。

 幾度も幾度も、全てを焼き尽くすような勢いで駆け巡る。


 しかし、そのどれもが女を捉えられない。

 剣戟の嵐を完璧に予知し、精緻な挙動でかわしていく。

 のたうち回る蛇の炎を正確に飛び越えていく。

 さらにその上で女が突きを放とうとすると、唐突に怪物が吠えた。

 狂おしい咆哮と共に、纏う黒炎がかつてない勢いで膨張する。

 女が下がると、直後に周囲一帯が消し飛んだ。

 まるで溶岩を抱く山が火を噴いたようだった。

 一拍の間を置いて、上空に噴き上がった膨大な炎が降り注ぎ始める。


「ガァァァァァァァァッッ!!!」


 そして滅びが振りまかれた。

 天に吠える怪物の咆哮が、かき消えて聞こえなくなるほどに破壊で溢れかえっていく。

 地に叩きつけられた黒炎の塊は、その瞬間に爆ぜて地響きの音と共に大地を揺るがす。

 さらに巨大な火柱を上げて、雪を消し飛ばしつつ周囲の全てを灰に変えてしまう。


 しかし女は、この、とてつもない破壊を前にしても怯むことはなかった。

 ただただ冷静に走る。

 怪物に近づく。

 足を乱すことすらせず、淡々と破壊の雨を避けて駆け抜ける。

 怪物の体から迸り、這い寄ってくる蛇の炎を幾筋もかわす。


 彼女は見事に接近し、大剣から放たれる黒い炎の連撃をもくぐり抜けてみせた。

 さらに一瞬の隙を逃さず、槍の穂先を鋭く振るった。

 燻り狂う怪物の胴に深い切れ目が入る。

 黒炎の鎧を突き破った。

 胸から腹にかけてを、槍の一閃が斬り裂いた。



 ―――



 心は捨てた。

 失ったことすら忘れられるよう、殺戮を渇望した。

 薪にしたのだと言い訳をして痛みから逃げた。

 どれだけ望んでももう、過去に戻れないことだけは分かっていたから。



 それはありふれた朝のこと。

 血に濡れて野営地に帰った彼を見る人々の目は冷たかった。

 ひそひそと何かを囁いて、彼を遠巻きにしていた。

 でもそれでよかった。

 何も感じない。一人でいい。一人がいい。

 過去も未来も、なにもかも捨ててしまいたかった。



 ―――



「ガっ、ア、ア、アァァァァァァァァァァァァッッ!!」


 一閃と同時に離脱した女の前で、怪物が血を吐くような声で咆哮した。

 さらに火勢を増す一方の炎が怪物を呑み込む。

 そして炎の奥で紅く揺らめく瞳が、女に強い殺意を告げていた。


 爆ぜるような、踏み込みが来る。

 身体能力は、すでに女を遥かに超えるほどに引き上げられていた。

 そして、まるで小枝のように大剣を振るう。


 この連撃は、先程よりもさらに苛烈になっていた。

 理由は、天井知らずに加速し続ける動きだけではない。

 技術だ。


 跳躍と突進を多用する不退ふたいの獣剣。

 しかし今のそれは、決して向こう見ずな暴走の産物ではなかった。


 あえて激しい動きを繰り返し、視界の外に出ることで女の魔眼に対抗しているのだ。

 傑出けっしゅつした身体能力と長い戦いで磨かれた戦闘センス。

 二つを遺憾なく振るう、不規則にして圧倒的な剣戟に、女はやがて押され始める。



 ―――



 どれだけの命を見殺しにしただろう。

 どれほどの死を見送っただろう。

 そうしていつしか誰かを守ろうとすることはやめてしまった。

 救えはしないのだと目を伏せた。


 ……こんな穢れた手など、伸ばしてもきっと何かを汚してしまうだけだ。



 星の明るい夜、彼は死にかけの兵士に寄り添っていた。

 軍はとっくに退いてしまって、彼は殿を務めていた。

 そして追いすがる魔獣を退けて、帰投しようとした所でその兵士を見つけたのだった。


 かあ……さん……。かあ……さん。


 胴が千切れかけた兵士は、弱々しく血を流して最後の息で母を呼んでいた。

 剣を抜く。


 ……ああ。

 いつだって、誰かを救うことなどできなかった。

 彼にできるのはいつも殺すことだけだった。


 それは死にかけの青年を前にしても……同じことだった。











 ■しい。



 ―――



 女は、単純な近接戦闘では不利であると判断した。

 距離を離して槍を回す。

 風切る音を詠唱に変え、周囲に無数の氷の杭を生み出した。


「神の栄光に浸りし」

「天を突く」

「どうか楔たる杭を」

「いと高き月の」

「我ら魔力を捧げ」

「刃を」

「刃を」

「刃を」

「刃を」

「刃を」


 いくつもの神官の声を操って魔術を発動する。

 氷の杭が放たれた。

 だがそれを、怪物は黒炎のつるぎで容易く斬り払ってみせる。

 そして女の目には、眼前に迫り剣を振るう怪物の未来が見えた。

 これは決して回避できない、決定事項であると分かった。


 近接の間合いに踏み込んだ怪物は、軽業じみた動きで次々に立ち位置を変える。

 ある時は右に、またある時は真上に、あるいは背後に。

 圧倒的なフィジカルで女の目を振り切る。

 さらに変幻の太刀筋で苛烈に攻め立ててくる。

 女も時折、なんとか反撃を放つ。

 槍で突き、魔術を使う。

 しかしそれらを回避する瞬間すら前進を続け、絶対の攻勢でもって怪物は女へと迫る。


 そして、女はやがて予知してもどうしようもない程に追い込まれてしまった。

 怪物が目の前に立ち、黒炎を纏う刃を両手で叩きつけた。


「…………ッ!」


 女が鋭い息を漏らす。

 槍で受けた一撃は、余りにも重い。

 腕が軋む。

 いや、それ以前に纏う炎の熱で焼け尽きてしまう。


 だが、その時。


 渾身の力で剣を押し込んでいた怪物が、眩い閃光によって撃ち飛ばされた。


「……サティア、もういい。下がれ」


 傍観に徹していた男が介入したのだ。

 さらに冷たい声で女を下がらせて、抜き身の剣を右手に持ってだらりと下げる。


「…………」


 サティアと呼ばれた女は、何も言わないまま、肩で息をしながら下がる。

 代わりのように前に進み出た男は、無感情な瞳を怪物に向けた。



 ―――



 いつまで生き続けるのだろう。

 いつになったら死ねるのだろう。


 いつしか彼は倒れた誰かを数えるのをやめた。

 いつしか彼は倒した敵を数えるのをやめた。



 それは、いつも通りのことで。

 喰い残しがないように、彼は一人黄昏の戦場で魔獣にとどめを刺し続ける。

 生きている魔獣の息の根を止め、醜くその死をすすり続けた。

 殺す。そしてきっと、明日も殺すのだろう。

 彼の人生にはもうそれだけでよかった。

 死んだ数も殺した数ももうずいぶん前に分からなくなっていた。

 それでも目の前の敵は殺した。

 ずっとずっと、死の中に立ち尽くしていた。


 殺してさえいればきっと、先に死んでいった者たちに少しは報えるはずだから。

 償う方法を、それしか知らなかったから。



 ―――



「頭は冷えたか?」


 怪物に男は問いかける。

 しかし答えは返らない。

 彼は、諦めたように醒めた息を漏らした。


「…………『時流加速アクセル』」


 小さな呟きと同時に、男の姿はかき消えてしまう。

 さらに、消えてもずっと現れることはなかった。

 消えたまま、怪物の周囲にわずかに影のようなものが走る。

 そしてその、わずかに影が走った軌道からいくつもの閃光が放たれた。


 閃光の魔術は、全てが正確無比に怪物を撃ち抜いていく。

 まず一撃目が炎の鎧に相殺された。

 しかし続く二撃目が粉砕してみせる。

 そして、三撃目に至ると炎の鎧は消えていた。

 直撃して、四、五と続く度に怪物は苦痛の叫びを上げる。


 だが、一瞬の空白を経て炎は再び燃え上がる。

 黒炎の鎧を取り戻した怪物は、よろめきながらも敵を探した。

 けれど見つからない。

 かすかな影を目で追うが、振り向いた頃には男は消えている。

 そうしてなすすべなく翻弄されていると、怪物の横を一筋の光が駆け抜けた。


「…………ッ!」


 怪物は息を詰まらせた。

 脇腹が深く斬り裂かれている。

 何が起こったのか理解すらできていない。

 見えていないのだ。

 今、腹を裂いた男の動きが。


「…………」


 無言のまま、男は光り輝く剣を振るう。

 おとぎ話の勇者のような光を、何度も何度も怪物に叩きつけた。


「ガァァァァァァァァァァァァッッッ!!!」


 全身から血を流しながら、怪物は大剣を無軌道に振り回す。

 しかしそんなものは妨げにもならない。

 絶影ぜつえいの速さを前に、なすすべもなく斬り刻まれるしかなかった。


 そうしてやがて、怪物は数え切れないほどに傷を刻まれる。

 立っていることさえできずに膝をつく。


「…………」


 見えぬ速さで動いていた男が、足を止めて怪物の前に立った。

 見定めるようにして視線を投げる。

 だが、見返す狂気に無駄を悟った。

 光り輝く剣をまっすぐに構える。


「――――――――――」


 聞き取れない圧縮された高音が、男の口から紡がれる。

 早口などという次元ではない。

 まるで時間の流れが捻じ曲げられて、声を早送りにしたような聞こえ方だった。



四重詠唱クアドラプルキャスト。固有聖剣術式――――『加算聖剣カラドボルグ』」


 そんな言葉と共に、聖剣の光が爆発的に増大する。

 あくまで細く鋭く。

 地平をなぞるように伸びた長大な光の剣を構えた。

 その男を前に、怪物は震える膝で立ち上がろうとする。


 そして最後の黒を燃え上がらせ、ひび割れた大剣に全てを纏わせた。



 ―――



 本当はずっと終わらせてほしかった。

 償えるはずのない罪を裁いてほしかった。



 そして今。

 ……彼が焦がれた光は目の前にあった。



 ―――



 怪物は、燃え上がる剣を地面に突き立てる。

 すると墓標のようにして、いくつもの剣が、同じように燃える刃が現れる。

 黒い炎を握りしめた大剣に集め、怪物は地を蹴った。


「が、ぁぁ……ガァァッ……!」


 かすれる声。

 見る影もなく落ちた速度。

 よろめく足。

 すでに体からはほとんど炎が消え、おびただしく血を流し続けている。

 しかし、それでも怪物は刃を振りかざした。


 そして炎を解き放った先で、男はまたもかき消えた。


「……正面から受ける馬鹿がいるか」


 避けたのだ。

 当然のことだ。

 すでに死にかけた敵の、最後の一撃に付き合う意味はない。


 怪物は刃を捻り、炎を放つ方向を変えた。

 だがもはやそれは残り火に過ぎない。

 現れた男の光の剣が、残り火の波を容易く斬り裂いていく。

 さらに炎の先に立つ怪物の、大剣を根本から斬り飛ばした。


「…………」


 男は無言で剣を引き戻す。

 続けて、返す刃で怪物の首を斬り落とそうとした。


 だが。

 その時、横から飛び出した女が聖剣を奪った。

 一閃する。

 すると怪物の胴が深く斬り裂かれ、ついに炎を失って倒れる。



 ―――



 ……敗れるのか。


 聖剣を前にして、ほんの少し理性を取り戻したアッシュは自覚した。


 なにもできず、こんなところで見当違いな逆恨みをして死ぬとは。

 継いだ命を、無益に終わらせてしまったとしか言えないだろう。


 ……いや、あるいは逆恨みでさえなかったのかもしれない。


 胸の内で、そんな苦い独白を漏らす。

 恐らくだが、もうアッシュはもう耐えることができなかったのだ。


 一人遺されて戦い続けることは苦しかった。

 無駄ではないと自分に言い聞かせて、どうにか耐え続けてきたのだ。

 なのに本物の勇者を目の当たりにして、張り詰めていた糸が切れてしまったのだろう。


 もちろん、だからといってこうして死ぬことを許してほしいとは思えない。

 背負った使命を遂行できず、その上で情けを乞うことなど決して認められないからだ。


 けれど。


「……ごめんなさい」


 誰へともなくそう呟く。

 重責に負けた己を情けないと思った。

 だがもしかするとずっと、こうして誰かに殺してほしかったのかもしれないとも思う。

 罪を背負った日から、ずっと願っていたのかもしれない。


 願わくばきっと、眼前に輝く光のような……未来を委ねられる存在に討たれて死にたかったのだ。

 今ならそのことが分かる。

 だから、半分は怒りですらなかったのだ。


 その時、光が体を深々と斬り裂いていった。

 体が軽くなってまどろみが訪れる。

 眠りに落ちる前に、火が消えた右手を暗闇の中に伸ばした。

 しかし指は虚しく空を切る。

 やがて、久しく忘れていた眠りに落ちるようにして意識を失った。


 もう夢は見なくてもいいのかと、最後にアッシュはそんなことを思った。



 ―――



 地に倒れ、今度こそ動かなくなった怪物……いや、黒髪の少年だろうか。

 灰と散る鎧から本来の姿があらわになっていた。

 そして満身創痍の女、サティアが彼に歩み寄る。


「……弱いけど……息がある。すごい」


 少年の鼻のあたりに手をかざし、弱々しいながらも息があることを確認する。

 そして手で脈を測ると、いそいそと彼を背負って歩き始めた。


 男がそれを無感情な目で見つめる。


「なんのつもりで庇った? なぜそこまで肩入れする」


 歩き出したサティアの背に、黒衣の男が煩わしげに声をかけた。

 この言葉は当然、先ほどの斬首を邪魔したことへの言及だろう。


「…………」


 するとサティアは無言で振り返った。

 さらに、むしろ不可解だと言うように首を傾げる。


「……言ったでしょ。この人は……ガルムのお友達」


 声を返す口は、先程までとは違い動いていた。

 口を動かす必要がないとはいえ、普段の会話では動きを合わせるようにしているのかもしれない。


 それはともかく、男は会話を続ける。


「それがお前になんの関係が?」

「……? 知らないの?」

「知らない?」


 再三問いを放つ男に、サティアはじっと灰色の視線を向ける。

 そしてわずかに頬を緩め、なんとも脳天気な言葉を言い放った。


「友達の友達は……当然にお友達」

「…………」


 呆れを通り越し、男は白けたような視線を向ける。

 だが彼女は全く構うことはしない。

 平坦な表情に戻って雪の中を歩き始めた。

 すると彼女に男も続く。


「ねぇ……やっぱり、聖教国にしよう」

「……最初からその予定だ」

「そう。それなら、いい」


 ぽつりぽつりと言葉を交わして、二人は進む。

 しかし不意にサティアは立ち止まった。

 後に続く男へと振り返る。


「道案内は……あなたの役目でしょ、プラノ」


 どうやら道に迷ったらしい。

 この雪原では仕方のないことではあるが、何故先ほどまで確信に満ちた様子で歩いていたのだろうか。

 さらに何故、男が道案内を怠ったとでも言いたげな目を向けてくるのか。


「…………」


 ともかく、プラノと呼ばれた男は皮肉げに鼻を鳴らす。

 そして懐から方位磁針を取り出すと、目印のない雪原の中でいずこかへと歩み始めた。





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