一章プロローグ・ロストキルレシオ
死が溢れていた。
その場所には一対の天敵同士だけが存在しており、殺した数も殺された数ももはや知る者はいない。
ただひたすらに死が吹きこぼれていた。
夕日が照らす、とある荒れ果てた廃村。
色の悪い荒壁と藁葺き屋根の、住民たちの貧しさを示すみすぼらしい家屋が立ち並ぶ廃墟。
かつて住んでいた者たちは異形により殺し尽くされ、けれど人を殺した異形を一人の少年が殺害する。
その少年は、中肉中背といった背格好だった。
なんの特徴もない体格に、白の外套を纏っている。
白色の、おびただしい血の汚れに染まった外套だ。
この外套の下には黒革の鎧を着込んでいる。
それから、片方だけ白の長手袋がついた右手には、飾り気のない長剣が握られていた。
真っ赤に染まった刃の先から、点々と血が滴っている。
あとは顔立ちだが、傍から見ればあまり分からないだろう。
なぜなら彼は、外套についたフードを目深にかぶっているからだ。
しかし、もしそれを外したのならば平凡な顔つきを伺えたはずだ。
黒くもなく白くもなく、焼けてもいない………ただの肌色の肌に、黒髪の、何ということもない凡庸な、少しやつれているだけの顔だ。
けれどただ一つ、目だけは月並みではなかった。
フードが落とす影の奥には、異様な眼光を宿す黒の瞳がある。
さらに瞳の下には、くっきりと浮き出た寝不足の隈が見える。
その顔は、殺傷を繰り返しながらも凍りついたような無表情を保っていた。
ただ不吉な瞳で敵を見据え、淡々と廃村の中に死を振りまき続ける。
「…………」
沈黙のままゆらりと視線を動かす少年を、敵が囲む。
敵は三種が入り交じる異形の群れだった。
まず最も多く、全体の半分を占めるのが重罪人のごとく皮を剥がれた大男。
削がれた耳と鼻、それから紅い巨駆が豚のような異形は、古代の神話になぞらえて【オーク】と呼ばれている。
そして残りの二種類はオークほど数は多くない。
それぞれの数は半分の半分程度……二種を合わせてようやくオークに近くなる程度か。
その片方は【ハーピィ】と呼ばれている。
痩せこけた女の上半身に烏の翼と脚をこね合わせた醜悪な異形だ。
もう片方は【ヒュドラ】と呼ばれていた。
四肢をもがれた芋虫じみた死体……その胴体だけの亡骸を幾つも繋げ、蛇にしたような姿をしている。
また蛇の頭の部分は九つに枝分かれし、生白い大蛇の顔が生えている。
少年を取り囲んでいた異形は【魔獣】と総称される人類の天敵であり、個々が並の人間を遥かに凌ぐ力を持っていた。
けれど。
にも関わらず、魔獣はすでにかなりの数が死骸に成り果てていた。
もはや残りは二十体と少しという具合だろうか。
魔獣は心を持たぬものか、数を減らそうが微塵も恐れを表すことはない。
いっそ不気味なまでの無機質で、一体のオークが少年へと斬りかかる。
そのオークの得物はみすぼらしく刃こぼれした剣だった。
しかし振るうのは人外の剛力である。
当たれば死ぬ、風を切る一撃を少年はかわした。
さらにすれ違うように動き、軽い動作の一太刀で太い首をはねる。
そしてその交錯を呼び水に、周囲の魔獣たちが一斉に動き出した。
オークが二体、前後から斬り掛かってくる。
少年は片方の槍を弾き、もう片方の刃を避けて空振らせた。
続けて次の瞬間には凄まじく鋭い二閃で両者を、それぞれ腹と喉をなで斬りにして殺す。
しかし敵はまだ残っている。
臆することなく追撃を重ねてくる。
対して少年は、突き出した刃で牽制しつつ二歩下がる。
それから、腰にまとめていた分銅鎖を取り出して左手へ巻きつけた。
じゃらりと鎖が音を鳴らす。
新たな武器を握った少年は、猛る敵を近づくそばから殺戮し始める。
まず接近してきたオークは、一合すら打ち合わせずに斬り捨てた。
さらに烏の翼で飛行して、奇襲を仕掛けようとしていたハーピィに鎖を投げる。
絡め取って、振り回し、最後は狡猾に這い寄るヒュドラの頭へ向けて叩きつけた。
まだ戦いは続く。
斬り、時に鎖で縛り。
魔獣を凌ぐ肉体と技量で圧倒し、少年は次々と命を刈り取る。
そして殺傷された敵の体からは、彼にだけ見える微かな糸のような煙が音もなく立ち上る。
真偽は定かでないが、これは魂だと言われているものだった。
そして煙は少年の左肩に届くと薄れるように消え、彼が持つ『魂を喰らう力』により取り込まれていく。
「…………」
やがて廃村の魔獣を殲滅したところで、最後に斬った獲物の魂が触れて消える。
彼はそれを気にも留めず、喰い残しがないように、まだ息のある魔獣へととどめを刺し始めた。