表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
失われた自分を求め探して彷徨って  作者: 数波周
第一話「不凍の港町クアルス 剣の少女」
3/51

3. 異変

 スターランテ号の沈没事故から一日が経過した。今日も今日とて、クアルスの朝を行く。普段よりも早めに目が覚めた今日は、折角早起きをしたのだから朝市へ行くのも早めにしようと思い立ったのだ。



 規模の大きな港町であるクアルスであっても、噂話の広がる速度はやはり早い。中でも、現場で救出作業にあたった漁師たちが多数出入りする朝の市場という特殊な場ではそれは顕著だ。普段であれば周囲の人たちが話す内容について気にも留めてはいないけど、今日に限って言えば僕は断片的にだけどその話に耳を傾けていた。沈没船、遭難者、事故と事件。そんな単語たちがそこらを飛び交って噂話を成しているのだ。


 それだけじゃない。今歩いているこの市場に限らず、家を出てからここに来るまでの道すがらも、明らかに街全体がピリピリとしていた。どこか緊張感の漂う雰囲気、それを構成する一番大きな要因は見回りに出ている衛兵たちだろう。普段からクアルスの街のところどころで見回りに出ている衛兵は普通に見かける光景であるけど、今日に関してはその数がいつもの倍ではすまない。それも三人一体の小隊構成で街を巡回する彼らの姿からは、何か大きな事件でも起きたのかと勘繰るのも仕方のない話だ。


 昨日、少女を連行していった衛兵のまとめ役が言っていたことを思い出す。海難事故の容疑者。彼女がその一人であったかどうかはこの際置いておくとして、例の沈没船騒ぎは人為的に引き起こされたという見方をしているのだろう。穏やかな天気で波も荒くなかったという何ら航海に困ることは無い環境の中での沈没事故、それも岸からでもはっきりと視認できるくらいに船全体に火が回っていただなんて、確かにただの事故とするには不自然極まりない。


 きっと事故に巻き込まれた乗組員全てがある意味では事故の容疑者としての疑いをかけられているのだろう。そうでなければあんな木箱に入ってまで事故から逃れたあの少女が犯人扱いされるはずもないし、そして強硬的な手段をもってして連行されるわけも無い。取り調べが済んで容疑も晴れれば、彼女は解放されるに違いない。昨日の一日のなかで、僕はそう思うことにした。


「おはよう、ツカサ。今日は早いじゃないか」

「おはようございます。あまり寝れなくて……サーディンを二尾、それとキュウリウオを四尾下さい」

 

 一端考え事は中断し、市場の出店の前で立ち止まった。普段よりも少し早起きしたため市場に着けた結果、まだ手付かずの丸々とした魚を目の当たりにする。ずらりと並べられた何匹もの魚の姿は壮観で、どれもこれもよく育った上物だ。焼いたり煮込んだり、それに干物にしたって外れはない。


 慣れた手つきでそれらを持参した革袋に詰め合わせていく女将は、フィンの母親であるアンナさんだ。こういう朝の買い出しのときだけではなく、一人で暮らしていくにあたって彼女にはいくらか世話になったものだ。


「うちの馬鹿が言ってたよ。アンタたち、始祖様に喧嘩を売ったそうじゃないか」


 銅貨を用意しているところで目をあげると、彼女はすこし呆れたようでありながらも嗜めるような口調でそう言ってきた。


「……全然違いますよ。ただ、彼らの行動に苦言を呈しただけです」

「それは喧嘩を売ったということさ。本当、始祖様に盾突こうなんて命知らずもいいところだよ。せっかくプリムス様に救って頂いた命なんだからもっと自分を大事になさいな」


 この国の宗教で崇めている太古の聖人の名前を出されてしまっては、僕としてもそれ以上の反論をすることもできない。でも昨日の自分の行動が果たして始祖族の男に対して喧嘩を売るようなものだったかについては、僕は今でも否だと思っている。


 まあ、どちらであっても危険な行動であることに変わりはないのは事実だ。アンナさんの言う通り、昨日の僕は少し軽率だったかもしれない。


「ま、もとはと言えばフィンの馬鹿が言い出したことが切っ掛けだったねぇ。アンタとフィンが見つけた子までも容疑者としてしょっ引抜かれるって、衛兵も随分焦ってるさね」

「……あまり僕はこれに関しちゃ深入りはしないことにします。始祖族に二度もどやされるのは御免ですから」


 苦笑いをしながらも、僕は内心で二度目では命は無いだろうと悪い方向で予想をしていた。市井の一般市民である僕と、人民を導き統率する立場にいる始祖族たちは、良くも悪くも見ている世界が違いすぎる。


 街の治安を維持するためであれば、それを阻害しようとする人間は何の感慨もなく処断される。それがこの世界の日常であり、この国の治世が成り立つ根源でもあるのだ。郷に入れば郷に従え。クアルスに流れ着いてすぐの頃はとてつもなく恐ろしい世界に見えたものだけど、半年も過ごしているうちに段々とこの価値観にも慣れてこれたと思う。




 アンナさんに別れを告げてから、僕は別の店と向かった。イモや豆などの穀物類はクアルス郊外で作られた物の一部がこの市場にも流れてきている。この市場に来れば、少なくとも食糧事情で困ることは無い。偶然に流れ着いた街だけど、この一点はとてつもない幸運だったと言える。


 目当ての店に近づこうとしたところで、あるものを視界に入れて足を止める。人ごみをかき分けて進む、衛兵たちの姿。人の多い市場の中を彼らがこうして警戒しているのは事情が特殊だから不自然なことではないけど、その人物に心当たりがあったから思わず体が強張ってしまったのだ。三人一体の小隊構成のうちの一人、赤色の長髪が印象的な若い男性の衛兵。僕の記憶に間違いがなければ、彼は昨日僕の家に押し入ってきたうちの一人だ。


 しかしその時に一度会ったきりで、あの女の子を保護していた以上に僕とあの衛兵の接点は無いはずだ。ほかの客たちと同様に適度に通路を開けてやり過ごそうとしたが、ふと彼と視線があう。その瞬間、彼は表情を変えてこちらに駆け寄ってきた。ギョッとする間もなく、怪訝そうな顔をしている他の衛兵を引き連れたその男が目の前にまでやってきてしまった。


「ちょ、ちょうどよかった……!! 今、あなたにお話を伺おうと家の方まで行こうとしていたんですっ」

「えっと、昨日来られた方ですよね……?」


 いきなりの事態に身構えようとするよりも先に、ひどく焦ったような様子の衛兵に疑問符が浮かぶ。この感じからいって、僕を何らかの容疑で連行しようとしているわけではなく、本当にただ何かの話を聞こうとしていただけなんだろう。しかしこの人が聞きたがっていることなんて、僕にはかいもく見当もつかない。唯一の接点である昨日連れていかれた女の子についてのことだって、その本人が彼らのもとにいるのだからわざわざ僕が話すことも無いはずだ。


「あ、申し遅れました。私、ロイ・アリアスと言います」

「……ツカサです。それでお話とは?」

「ええ、昨日我々が確保した女性について、伺いたいことがありまして」


 しかし、やはり彼が話そうとしていることはその女の子のことだった。首を傾げていると、彼は少し慎重そうな様子で周囲を見渡す。僕らが居る場所は市場のど真ん中だ。周囲は当然客で溢れていて、それに衛兵の小隊とそれにつかまっている僕という組み合わせを遠巻きに何事だと観察している人もいる。


 やや間を置いた後、「ここでは何なので、市場の出口まで来てください」という彼の言葉に頷いて返す。昨日のいざこざの中で、この人は唯一僕に対する風当たりが強くなかった人物だ。むしろ始祖族の男に殴られた時に、庇ってまでくれたのだ。だから、なんとなく彼には少し協力をしても良いかなという考えが湧いた。


 市場の出入り口にほど近い小さな広場にも、幾つかの小さな出店があるためそれなりに人はいる。しかし流石に内部のごった返した空間に比べれば幾分か混雑度合いはマシだ。そこまで出てきてから、ようやくアリアスさんは口を開いた。


「さて、どこから話したものか……まず端的に、何故私がお話を伺いに来たのか、事情を説明します」

「おいッ、まだその話は伏せていろって言われてるだろ!!」

「良いんですよ。こんなの黙っていてもすぐに広がるような話ですし、それにそこから話さなきゃ彼も納得しません」


 アリアスさんに対して、彼に同行している衛兵の一人が険しい様子で待ったをかけた。街中を歩く衛兵たちの数と言い、こうしてわざわざ僕に事情を聞こうとしているアリアスさんたちと言い、確実に何か変なことが起きているのは明らかだ。そしておそらく、その何かとはあまり市井の人間が聞いてはいけない部類の物であるということも何となく予想できる。


 下手に巻き込まれたくないという思いと、それでも何が起きているのか興味があるという感情がせめぎあう名か、向こうも決着がついたようだ。同行している衛兵が「他言無用だ」と釘を刺してきて、アリアスさんも同調するように頷く。


「……例の女性が、本日未明に失踪しました」


 それを聞いて最初に感じたのは、最後にみた時点ではようやく目を開けて意識不明から復帰したようなぐったりした様子の女の子のどこに、衛兵の警備をかいくぐって脱走するほどの元気があったのかという驚きだった。昨日のあの感じから言って、衛兵の見張りはかなり厳重だったはずだ。それこそアリアスさんたちのような一般の衛兵だけじゃなくて指揮官クラスの始祖族まで出てくるほどだったのだから、その厳重さについては想像するに容易い。


「それで昨日件の人物を救護していたあなたの家に戻ってきていないかと思ったのですが、その様子では違うようですね」

「……ええ、確かにうちには来てません。念のため見ていきますか?」

「いえ、私はあなたを信じます。とすると、まだ奴は街のどこかに潜伏をしているのかもしれませんね……」


 果たしてどこまで意識が回復していたかも怪しいあの感じでは、僕の家から衛兵の詰め所までの道のりについては覚えているかは怪しいだろう。何たって僕の家はこの市場からも結構離れたところにあり、衛兵の詰め所がある領主の館を囲む城壁とは方向が真逆だ。ただ何で衛兵の詰め所を脱走したのかや、どうやって抜け出したのはやはり気にはなるところだ。


「もし奴を見かけましたら、必ず我々にご連絡下さい。それと決してご自分で立ち向かったり、よもや匿おうなどとは思わないことです」

「えっと……わかりました。しかし随分と物々しいですね」


 僕から見た彼女の印象とは、おそらく同年代くらいと思われる不思議な恰好をしたはかなげな雰囲気の少女だ。アリアスさんがまるで凶悪犯を話題にするような発言には正直首を傾げるところだ。確かに衛兵の詰め所を脱出したという曰く付きではあるのだろうけど、だからといって彼女の姿と如何にも危険だといった表現はどうしても重ならない。


 話としては彼女を見かけたら報告せよということだけだったのだろう、アリアスさんと一緒に来た衛兵たちは来た道を引き返していく。アリアスさんも最後に会釈を一つ残して彼らの後に続こうとしたけど、その去り際に他の衛兵たちには聞こえないような小さな声でこう言った。


「……奴は、既に何人か殺しています。うちの衛兵数名と、始祖族の将官殿までやられました。くれぐれもご注意下さい」


 その言葉を最後に、彼の姿も人ごみの向こうへと消えていく。去り行く衛兵たちの姿を呆然と見つめながら、アリアスさんに言い渡されたその言葉を頭の中で反芻する。彼女が人を殺した。それも一般人にはとても相手にすることも敵わないという始祖族までもが、犠牲になった。


 背中をうすら寒いものが伝う。僕は、つい一日前にそんな人間を背中に背負って家まで歩いていたのだ。何の警戒心も、それどころか欠片もそんな危険な人物とは思わないでいた。その事実を思い出すと、この賑やかな市場の前にもかかわらず、何の音も耳には入ってこないほどに体が震えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ