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失われた自分を求め探して彷徨って  作者: 数波周
第一話「不凍の港町クアルス 剣の少女」
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2. 目覚め

「け、極軽度の低体温症だって?」

「信じられない話だけど、そう言われたんだ。これから重篤な船員たちを診るんだから軽症の人間の世話までしていられるかっ!! ……と突っ返されたよ」


 信じられないと視線で語るフィン。診療所の先生にお小言を言われた直後の僕は全く持って彼と同じ心境だった。んなアホな、仕事を放棄するのもいい加減にしろよと。



 可及的速やかに街へ戻ってから診療所に駆け込んで最初に掛けられたのは、そこの先生の叱咤だった。海難事故の被害者の一人だと言って見せようとした少女の顔色を見て、嘘は言うなという一喝が浴びせられた。何のことか全く分からないまま立ち往生していた僕に続けて、百歩譲って事故に巻き込まれた人間であるとしてどう見ても軽度の低体温症でしかないという言葉がぶつけられる。これからここの診療所は生死を彷徨うような人間が多数運び込まれてくるという一言で、少女を背負ったままの僕は外へと追い出されてしまったのだ。


 そんな馬鹿なという一言も、ふと診療所の外で立ち止まった時に背中から感じる温かさで喉の奥に引っ込んだ。確かにさっきまで冷水の中で冷え切っていたはずの体なのに、何故こっちに伝わってくるほどの熱い体温があるというのか。まさか本当に先生の言う通り、この子は軽度の低体温症に過ぎないのか。そんなことを悩み考えながら、結局僕は自分の住んでいる小屋に戻ってきてしまった。


 ただいくら彼女が軽症であると言えども、安静に温かくしなければいけないことに変わりはない。古びた暖炉に毛布を備えたベッドという、取りあえず温かい空間で寝かせることが出来るだけの設備はある。


「くそっ、海に漂ってたってのに軽度の訳ねーだろがっ!!」

「いや、見てみなよ。低体温症の人は、こんなに汗はかかない」


 毛布を掛けた少女の寝顔は、まるで何かにうなされるように歪んでいる。頬は僅かに紅潮しており、額には汗までもが浮かんでいる。低体温症から一転して、まるで熱を出しているかのような見た目の変化に思わず唾を飲み込む。額にそっと手を当てて、先ほどまでの冷たさから一転しての熱さに確信へ変わる。こっちは下手に汗をかいたせいかむしろ全身に悪寒が走りつつあるというのに、見事に対照的だ。


 彼の言う通り、長時間冷たい海水に浸っていながらこれほどまでに体温が回復するなんてなかなかある話ではない。しかし実際には、僕らの目の前ではその現象が起きているのだ。僕らの常識がどうであれ、今は目の前の現実を受け入れるしかない。



 しかし、改めて目の前の少女は不思議な雰囲気を感じさせる姿だ。大胆に胸元や肩口、そして太ももまで開けた服装はまるでどこかの踊り子のような扇情的な格好なのに、そこからは情欲を煽り立てるよりもむしろ動きやすさという点で機能的であるとすらも思える。熱にうなされてやや険しい表情を浮かべながらも儚げな美少女然としていて、淡い桃色の髪色と合わせて一度出会ったら中々忘れられなさそうな子だ。


 ただ、どちらかと言えば奇抜な部類に入る見た目の彼女を見ても、何故か僕はその姿を普通のものとして認めているきらいがある。それに普通に考えて彼女のような美少女さんを事情はあれど家に連れ込んだと言うのに、何故僕は変に受かれもしていないのだろうか。まさか失われた記憶の中の僕が過去に彼女のような人間と多数知り合ってたなんてことは無いだろうし、いつの間にか自分の目が肥えたのか――


「――ツカサっ、おいツカサ!! 次はどうすれば良いんだ!?」

「っ……ごめん、考え事をしていた」


 なーにが彼女の存在が普通のものであるだ。確かに彼女のことで変に浮き足だってはいないが、意識を向けていることに違いはないと自覚をする。怪訝そうな視線をむけるフィンに向き直り、小さく謝った。ともかくここまで回復したから一段落だ。


「アンナさんには話を通してくれた?」

「おふくろなら多分もう女ものの着替えを用意してくれてると思う。海岸線の死体についても親父に話は通したぜ。こっちは大丈夫だ」

「ありがとう。じゃあ、僕はこれから衛兵の所に被害者一人を保護してるって伝えてくるよ。フィンは、アンナさんを呼んできてもらえるかな。僕や君じゃ、彼女を着替えさせるのは無理だ」


 僕らは男衆で、目の前でうなされた様子で眠る人物はうら若い乙女。ぐっしょりと濡れた彼女の薄手の身だしなみは、まったくノータッチだ。当然だ、別に彼女は一切の猶予もないような危篤ではないのだから、僕やフィンのような男性陣が無理やりこの少女の服を着替えさせるよりも、フィンの母親に代行してもらった方が後腐れもないだろう。




 意識を戻さない少女を一人残して、フィンと共に小屋の外へ出ようとした時だった。扉を押そうとするよりも先に、それはひとりでにバタンという大きな音と共に開け放たれた。目の前でいきなり起きた事態に驚く暇もないままに、意外な光景が目に飛び込んでくる。


「え、衛兵さん……? そうだ、今あなた達のところに――」

「この小屋に海難事故の容疑者が匿われているという証言を取った。入るぞ」


 革製の軽鎧に白い胸章。この街の衛兵の正装に身を包んだ数人の男たちが、有無を言わさない様子で家に乗り込んできた。突然のことに驚き、そして止める暇もないまま、彼らの内の一人に背後から取り押さえられる。全く取れない身動き、その間に彼らはずんずんと部屋の奥へと足を進めていく。


 最後に立ち入ってきた一際目立つ白い鎧を身につけた男が指図をするやいなや、衛兵たちは容赦なく家のなかを荒し始めた。机や椅子を倒し、上に乗ったままだったコップが派手な音をたてて割れる。子供たちに読み書きを教えるための小さな教室も、全てをひっくり返す勢いで無惨な光景に変えられていく。


「ちょっ、いったい何ごとですか!? は、離せっ」

「動かないで下さい……大人しくしていないと、下手すれば衛兵への妨害行為になりますよ」


 形だけでも保っていた敬語が思わず崩れた。いくら衛兵だといって、流石に自分の仕事場兼家が荒らされていく様を黙って見過ごすことは出来ない。何とか拘束を振りほどこうとしたところで、背後から小声でそう伝えられる。僕を取り押さえているのは若い男のようだ。向かいを見れば、フィンも僕と同じように衛兵の一人に拘束されており、罵詈雑言を叫びながら手足をジタバタとしている。


「奴はここにいるはずだ、探せ」


 なぎ倒された机を踏みつけて周囲を見回す隊長格の男は、こんなに人様の家を荒らしておきながらろくな説明もせず、そしてさも当然の行為かのように佇んでいる。その傍若無人な横暴さに、無性に腹が立った。


「いったい何を探しにきたんで――」


 そう言い終えるよりも前に、腕を組ながら衛兵たちに指事を飛ばすその男の耳を目にして言葉を飲み込んだ。彼の耳は、僕らとは違って"長く尖って"いる。ただのそれだけで、下手に抵抗すれば身の安全は保証されないと言うことを嫌と言うほど理解をさせられた。



 僅かな特徴だけで、彼がただの人間族の衛兵ではないことを思い知る。僕やフィンのような人間が逆立ちしたって敵わない存在の、始祖族と言われる種族。この国の支配階級にいる彼らに下手な手出しをしてはいけない。それは、僕がクアルスで目覚めてから最初に頭へ叩き込まれた知識だ。


 始祖族とは、本来であれば衛兵たちの長官レベルに就いているような立場のはずなのに、なんでこんな僕のような一般市民の家を踏み荒らしに来たのか。それがまったく理解を出来ないまま、始祖族の男がベッドに掛けられた毛布を手に取った。そこには、僕とフィンが救出した少女がいるだけで、彼らが捜すものなんてあるはずが――


「コイツが……やはりここにいたか。お前たち、連れていけ」


 いや、彼女こそが彼らの探し物だったのだ。始祖族の男にはぎ取られた毛布の下に、未だ意識が戻らない少女の姿が露わになる。その男が何かを考えるように動きをとめたのも一瞬だけで、後ろに続く衛兵たちに指図をする。


 低体温症による命の危機は去ったものの、まだ安静にしていなければ今度は悪性の風邪でそのまま重症になりかねない。まだ海水に濡れて着替えてすらも居ない彼女の体を、衛兵の一人がまるでものを扱うかのような乱雑な様子で肩に担ぐ。それを見て、たとえ相手の首領が立ち向かってはいけない始祖族の人間であっても、思わず僕は男たちに大きな声を浴びせていた。


「そ、その子はまだ意識が戻っていない!! それに漂流時のままだから服も海水で濡れてます!! せめて着替えをさせてからでも――ッ」


 その言葉を言い終わるよりも前に、頬に伝わる鈍く激しい痛みを感じ、そのまま小屋の地面へと体が打ち付けられた。頭が衝撃で白黒とする中で、衛兵の拘束を無理やり解いたフィンが駆け寄ってくる姿が目に入る。その後ろでは、始祖族の男が握りこぶしを作っており、そこに来てようやく僕は彼に頬を殴られたのだと理解をした。せめてもの抵抗として睨め付けるが、彼はむしろ罪の意識があるどころか当然の行為だとばかりに鼻を鳴らす。


 そしていつの間にか、彼の手に握られていた"霊剣"の切っ先が目の前に突き出される。彼の"霊剣"は、陽炎のように刀身の表面を揺らす白銀色の宝剣。それと共に、顔面にまで伝わる不自然なほどの強い冷気。霊剣とは、始祖族を僕ら力を持たない一般人が立ち向かってはいけない存在たらしめる、彼らの持つ大いなる魂を具現化した特殊兵器だ。


 始祖族はそれぞれが強靭な鋼の剣にも打ち負けない剣を顕現させることができ、それだけに留まらずに自然を超越した能力をも振るう。この男は、小ぶりな宝剣と万物を凍らせる冷気を操るのだ。


 丸腰の僕はおろか、多少の剣の心得があるような人間でもまず太刀打ちできない。いつの間にか湧き出ていた冷や汗が首元を伝う。この男が気まぐれに腕を振るだけで、切り裂かれるか凍り付くかで僕は呆気なく死ぬ。ついさっきまで確かにあったはずの怒りという感情が、ただのそれだけでまるで最初から無かったかのように消え失せた。


「貴様が何を言おうがコイツを連行するのは決定事項だ。むしろ容疑者を匿った罪に問わないことを感謝したらどうだ」

「……将官殿、いくら何でもやりすぎです!!」

「アリアス、新入りの人族に過ぎん貴様にとやかく言われる筋合いはない。とっとと奴を連れていけ」


 始祖族の男がひとたび手を奮えば、霊剣と冷気は霞のように消え失せた。解ける緊張、外される視線。その瞬間、なんとか地面についていた腕がまるで赤子のようにブルブルと震えだす。具現化した死というものが無くなっただけで、僕は悲しいぐらいに安堵をしていた。


 その頭上では、ついさっきまで僕を取り押さえていた若い衛兵が彼に詰め寄るが、果たして効果のほども見えやしない。アリアスと呼んだ耳をすっぽりと覆い隠すほどの赤い長髪の衛兵を半ば強引に部屋の外へ押し出した始祖族の男は、最後にこっちを一瞥してきた。しかしそこには嘲笑も憤怒も無く、ただ僕とフィンが追いかけようとしていないことを確認しただけだったようだ。すぐ様にバタンと再び扉は閉められ、この小屋には僕とフィンの二人だけが取り残された。


「おいツカサっ、大丈夫か!?」


 口の中が鉄くさい。殴られた時に少し口の中を切ってしまったのかもしれない。受け身もろくに取れなかったため痛む尻を抑えながら、窓から小屋の外を眺める。年端も行かない少女を肩に担いだ集団なんて、衛兵の証をつけていなかったらただの誘拐現場にしか見えないだろう。


 横暴な対応に全くの説明不足、それに文句のひとつでも言おうとしたら暴力をふるい、その上霊剣までもを具現化させる。今更になって、無性に腹が立ってきた。土足で踏み込んできた連中にも、それに対して無力であった僕自身にも。


「チクショウ……あの子が海難事故の容疑者だって? んなわけねえだろぉが!! ツカサッ、あいつらを追い掛けなきゃ――ツカサ?」


 今にも扉を蹴破って彼らを追い掛けまんと意気込んでいるフィンの肩を強くつかむ。怒りも冷めやらないという様相の彼が、怪訝そうにこちらを見る。彼の怒りは当然だ。あんな満身創痍の少女をまるで物のように扱い、そして何の説明もないままに僕たちから奪い去られたんだ。当事者でなくとも義憤に駆られるような事態。でも、それを僕は押しとどめた。


「フィン。彼らがあの子のことを容疑者だと言ったんだ。もう、僕らの範疇を超えている」

「おいツカサッ!! テメェまさかあの子のことを見捨てるっていうのかよ!?」


 彼が僕に向ける表情が怒りに染まる。そして未だに腰を抜かしたままの僕の襟をつかみ上げてきた彼の手の上から、そっと手を添える。


「……この件には始祖族の人間まで関わっている。少なくとも僕らは彼に敵わない。さっきは脅されるだけで済んだけど、次はそれだけじゃ絶対に済まない」


 あの白銀の宝剣を思い出す。小ぶりでありながらもとてつもない威圧感を放つ姿。あれはただの見た目通りの小剣なんかじゃない。


 霊剣とは、彼ら始祖族の魂と魔力が形を取った存在だ。始祖族を相手取るということはただの剣戟だけではなく、それを起点とした嵐のような魔術までもを身に受けるということだ。卓越した剣術を持つ騎士相手ならばまだしも、僕たち一般人にとってみればまさに歩く災害としか言いようがない。


「……わりぃ、頭に血が上がってた。ツカサ、立てるか?」

「ああ……ありがとう」


 ようやく落ち着いた感のあるフィンの手を取って立ち上がる。彼だってわかっているのだ。始祖族に立ち向かうことがどういうことなのか。つい今朝方保護をしただけの名前も知らぬ少女一人を取り戻すために対峙するなんて、いくら何でも割が合わない。とてもではないけど、僕たちの命とは引き換えることは出来ない。


 そうだ、僕は自分の命を優先したんだ。いくら治安が良い街であるとは言えども、衛兵に睨まれれば途端に生活は危うくなるのは間違いない。それも彼らを取りまとめる始祖族に目を付けられれば命の保証すらも危うい。自分の命と生活を優先して何が悪い。


 だから、僕は自分の本心を見てみぬふりをする。本当は土足で踏み込んできた衛兵たちや、それに対して何もできずに無力であった自分自身にも怒りを抱いている。そして、連れていかれる彼女の最後の姿を目に焼き付けながらも、その時に起きたことを見なかったことにしている自分に対して一番の腹立たしさを感じていた。


 あの時衛兵の肩に抱えられた彼女は、確かに小屋の中で無様に倒れたままの僕と目が合っていたのだ。僅かに薄く瞼を開き、金色の瞳で確かに窓の奥にいる僕の姿を捉えていた。何故か、自惚れでも何でもなく、僕と彼女は目が合っていたという根拠のない確信があった。



 彼女が僕に何を伝えようとしたのか、そもそも何かを伝えたかったのか、そんなことは今や分かる術もない。でも例えそのどちらでも、僕が彼女の視線から目を背けて、衛兵たちの後を追うと息巻いていたフィンを止めた――つまり彼女を見捨てたことに変わりはない。



* * *



 衛兵の詰め所の一画、薄暗い中にろうそくの炎が灯る牢獄区画。処刑を待つ罪人たちを収容する牢屋の一つに、その少女は入れられていた。


 最低限身を包める程度に敷かれた腐りかけの藁の上に身を横たえ、そして僅かに差し込む日の光をうつろな視線で見つめる。金色の瞳はどこに焦点を合わせているのかも分からないほどただ開かれているだけで、時折伸ばす細長い腕は何かを掴むことも無く空を切るばかり。


「……ツカサ」


 見張りの衛兵にすらも聞き逃すほどの小さな声で、まだ言葉も交わしていないはずの青年の名前を呟く。少し間をおいてはもう一度、まるで絶対に忘れることが無いようにと自分に言い聞かせるかの如く、少女はひたすらに青年の名前を呼び続けた。

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