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失われた自分を求め探して彷徨って  作者: 数波周
第二話「要衝の城塞都市ヴァローナ 黒紅色の戦姫」
17/51

17. 血気盛んにして

「なんだよ、その重心のぶれた歩き方は。例え酒を飲み意識が朦朧としようが、十分な訓練を受けた真っ当な兵ならばそんなだらしのない様相は晒さない」


 開いた口が塞がらないとは、まさにことことを言うのだろう。僕を含めて遠巻きに眺めながらもかかわらないようにしていた人たちが、皆揃って怪訝そうな表情を浮かべていた。そりゃあそうだ、普通に考えたらあの場面じゃ食って掛かるなんて選択肢にも上がらない。あんな屈強な男たちを前にしたら、穏便に済ませるのが当然だ。


 声の感じから言って、男たちに詰め寄られて怯むどころかむしろ突っかかっているフード姿の人は、恐らくは若い女の人か。勇ましいというか、愚かしいというか、ともかく自分ならば決してとらないような行動であることに間違いはない。


「女ァ!! こっちが黙っていれば言いたい放題――」

「残念にも砦の傭兵団になってしまった君たちを食わせているのは、この街の住人だ。せっかくだから彼らにも意見を聞いてみたいところだけど……」


 前言撤回。あれはただの馬鹿で世間知らずだろう。酔っ払った傭兵たちという刺激をしない方がいい人種に対して、一度だけならばまだしも二回も喧嘩を売るような発言を浴びせるだなんて、どう考えたって普通じゃない。


 傭兵たちの様子はといえば、大通りの最中という人目につきやすい場所でありながらも、その女性の胸ぐらを掴みかからん勢いで憤っている。だというのに、その怒りを真っ正面から受けている彼女は同調してくれる人を探しているのか悠長に周囲を見回すばかり。


 どう考えたって、何かの切っ掛けがあれば爆発しかねないような危険地帯。一度は立ち止まってしまったけれども、こんなところさっさと去った方がいい。


「ツカサ、行こう?」

「……そうだね。ああいう手前にはわざわざ近付かない方がいいさ」


 あくまで僕にしか届かないような小声で話すナインに同調した。放っておけば私刑もどきの喧嘩が始まりかねない現場に、長居する理由など全くない。足取り早くその場を離れようとした瞬間――まるで品定めをしているつもりのようなその彼女が視線をこちらに向けていることに気が付いてしまった。流し見た瞬間に合う目と目。その直後に、彼女の顔が笑顔へと変わった。


「ちょうど良い。そこの君、彼らのような低練度の連中が、この街を護る状況についてどう思う?」


 思わず舌打ちを鳴らす。僕は彼らとそんなに近い場所は歩いていないというのに、何故こうして都合悪く巻き込まれるんだ。いや、もしかしたら僕たちの周囲にいる別の誰かに呼びかけているのかもしれない。それにたとえ彼女の対象が僕たちであるとして、決して顔を動かさず、淡々と歩き続けて無視すれば火の粉を被ることも無い。


「おいおい、無視をするなよ。実質で言えば君らこそが彼らの雇い主であるといって過言じゃないのだから、意見は言った方が良いし、それに――」


 明らかに無視をしている感を出しているのだというのに、あの人はしつこく食い下がってくる。それもご立腹状態の傭兵を引き連れたまま、こちらに少しばかり歩み寄ろうとしている始末だ。もしかして、こいつらは実はグルで、適当に街を歩いている人間に対して言いがかりをつけるがためにこんな茶番をしているのではなかろうか。その可能性を思えば、決して顔には出さないにせよ憤りの感情が沸き起こる。


「――ボクが領主ならば、彼らじゃなくて君を雇うさ。どう考えても、君の歩き方の方がぶれていないし、その上隙も無い。明後日の場所から奇襲をされても連中よりはまともに対応できるだろう」


 馬鹿を通り越して、この人は思考がなにか致命的におかしいに違いない。歩いている姿を見ただけでそんなことが分かるなんて、それこそ歴戦の武人でもない限り不可能だ。そもそもその対象がこの自分だなんて妄言も甚だしい。


「この坊主が俺らよりも兵として優れているだと? この見るからに貧弱で、戦なんぞ経験したこともないような餓鬼がか!?」


 そして面倒なことに、彼女にあてられた傭兵たちまでもが僕を認識してしまった。遠慮など欠片も感じられない強さで肩を捕まれて、無理矢理に彼らの方へと向かされる。


 見るからに憤怒にそまった粗暴そうな男の顔から漂う、すえた酒のにおい。こりゃあ、そうとうな面倒ごとに巻き込まれたと腹をくくる。浮かんでくる冷や汗に唾がかかる勢いで捲し立てるその男から視線を外し、後ろに控えたままのナインに小声で話しかける。


「先にここから逃げて。後から絶対に追い付くから」

「……ツカサ、私がどうにか――」


 己の腰元に目を這わせたナインを、強い視線で押し止める。あれは、護身用として忍ばせている短剣でどうにかしようとしている口だ。あのアリアスに対して青銅の棒一本で奇襲をかけて成功するような彼女のことだ、そこらの街娘が威嚇がてらに小さなナイフを持つのとは根本的に訳が違う。


 あれを出したら、本当に収集がつかなくなる。下手すれば即日手配になるかもしれない。それよりかは、彼女をとっとと先に逃がして、適度に僕がこの連中を相手しつついなすのがよっぽど良い。手にもったままのイモ焼きを小さな鞄に放り込み、僕の肩を掴んだままの傭兵の男に目を向けた。


「……その人は少し変な人ですよ。どう考えたって、僕なんかよりも貴方の方が強くて勇猛です」


 ナインが気配もなく立ち去る中で、彼をともかく褒める言葉を投げつける。重要なのは、彼らに敵だと思われないこと。そのためにはこのフードの女の人こそがおかしいと同意をするのが一番だ。それにもし仮に彼らとフードの女性がグルであるならば、隙をついて逃げ出せばいいだけのこと。幸いこの近辺には飛んだり跳ねたりする分には十分すぎるほど煩雑に建物が立ち並んでいるし、傭兵たちが酒に酔っていることから考えてもただ単に逃げるだけならば不可能じゃない。


「そらみろ。この坊主自身が弁えているんだ。気狂い女、顔を明かして謝ってみたらどう――」


「――まったく、その返答は面白くないね。それにこの連中も煩すぎる。少しは黙れよ」


 背筋がゾクリとするほどに冷たい声色が、フードの奥から見える小さな口から漏れ出た。真紅にぎらつく瞳が僕の顔を捉え、そしてはっきりと聞こえるほどの舌打ち。そこに至ってようやく思い立つ。


 この女の人は、ただのおかしい人じゃない。ひょっとしたら五人もの屈強な傭兵の男たちに囲まれたところでむしろそれを返り討ちにしうるほどの強さをもった、その上頭の作りが常人とはかけ離れた、本当の意味で危ない人物なのではなかろうか。


 明らかに雰囲気の変わったその女の人の変化に未だ気が付けていないのだろうか、傭兵の男たちは僕の肩から手を離して、再度彼女に食って掛かろうとする。しかし真正面からの罵声を心底うるさそうに顔を顰めて、それどころかとうとう拳を振り上げた男たちに対しても、彼女は全く動揺するそぶりも見せない。


「煩いってのが――分からないかな」


 フードの奥の顔面に目掛けて繰り出された拳が、いつの間にか空を切る。それと共に、先陣を切って殴りかかった傭兵の男の姿が僕の視界から消え失せ――何かをなぎ倒すような凄まじい音によって思わず後ろを振り向いて絶句する。ついさっきにお世話になったイモ焼きの屋台脇に置かれた沢山の箱を、男の巨体がはっ倒していた。一瞬遅れた後に聞こえる、さっき話していた店主の罵声。そのほとんどが頭に入ってくることすらも無い。



 大の男一人をかなりの距離蹴り飛ばしたにも関わらず、顔色一つ変えずにつまらなさそうな顔を浮かべる彼女は、やはりとんでもなく危ない人物だ。いきなりの事態に僕だけじゃなくて傭兵たちも動けないままでいる。その最中、彼女の顔がふと笑顔に変わる。こんな状況で笑うだなんて、とてもじゃないが普通じゃない。そしてその顔を向けられる身としては、もはや冷や汗すらも沸いては来ない。


「ボク、良いことを思いついた。そぅら、ついて来いよこのウスノロども――」


 仲間一人が一瞬でノックアウトされて絶句する彼らを、彼女は心底馬鹿にしたような声色で煽る。まるで何をやっていいのかの判断もつかないような悪ガキのような言葉、それが途切れるよりも前に再び彼女の姿が視界から掻き消え――気が付けば勢いよく腕を引っ張られていた。


「ボク"たち"を捕まえてみろ。もし仮に追いつければ、君たちがギリギリまともな人員だと認めてやろう」


 何が起きたのか気が付くよりも早く、咄嗟に脚を動かしていた。僕の腕を掴んだまま、彼女は容赦のない速さで人の間を縫って往来を駆け抜ける。少しでも油断すれば途端に足が縺れてとてつもないけがを負うような、とてもなじゃいが人々の行く大通りでやるようじゃない走り方。


 人ごみの間を抜け、時に手をつなぐその下を潜り抜け、その最中で捕まれた腕を振りほどこうと抵抗をする。しかしローブのすその中から見え隠れする細い腕のどこにそんな力があるのか疑問に思うほどがっちりと掴まれて、振りほどくことはおろかその速度を緩めることすらも出来ない。そして最悪なことに、背後からは置き去りにしてきたはずの傭兵たちの罵声が聞こえてきた。


「ほぅら、追ってきた!!」

「追ってきたじゃないだろっ!! くそっ、離――!?」


 心底楽しそうに言い放つ彼女の手は全く解けず、急激に方向を変えたかと思えば小さな抜け道に向けて更に走る速度を上げた。もはやこの段階まで来たら、彼女についていくしかない。たとえ彼女の腕を振りほどいたところで、僕もあの傭兵たちに追われる身になってしまったのだから。並みいる通行人をなぎ倒しながら僕らを追うあの粗暴の塊に、ただ巻き込まれましただなんて説明が到底通るわけが無いのだ。


 絶対に入ることなんてしないと数分前に心の中で豪語していたはずの路地裏に、あろうことか全速力で飛び込む。それも、後方から激昂した傭兵の男たちを連れているというとんでもない状況で。


 恐らく貧困街の一画なのだろう、路地の両側を複雑に組み上がった建物が軒を連ね、不十分な舗装は気を付けないと足を取られて転びかねないほどの荒廃ぶり。しかし僕の手を引く彼女は全く速度を緩めやしないし、それどころか振り向いたその顔に見えた口は愉しげに歪んでいる始末。


「連中、まだ追ってくるんだ。案外見どころがある傭兵じゃないか。それに君も、ボクに着いてこれないと――殺されちゃうよ?」


 腹立たしいことに、それは全く間違ってはいないだろう。ここは人目に付くような場所じゃなく、理性が半分飛んでいる彼らに追いつかれたらそのまま殴り殺されたってなにも不思議ではない。しかし後方からついてくる彼らの叫び声を、むしろ彼女はスリルを高めるスパイス程度にしか思っちゃいないのだ。


 僕らの逃亡を阻害するようにして、目の前に建物が立ちふさがる。両脇に抜け道は無く、だからと言って引き返せばそのまま傭兵集団に直面する。そんな袋小路であるはずの状況でも、走る速度は全く緩むことは無い。


「さあ、ボクに着いてきな!!」


 全力で走る勢いを全く殺すことなく、行き止まりの壁に到達する間際に地面を蹴り出した彼女が空を舞う。前後後方に逃げる場所が無くならば上に逃げれば良いだなんて、普通に考えれば思いつきもしない。しかし今は、出来るかどうかじゃなくて、もはややるしかないのだ。


 強引な解決法をさも自然に選択した彼女に連れられて、僕も曲芸師のように壁を蹴り上げた。つかの間の浮遊感を挟み、石造りの壁にあいた僅かなくぼみを手でつかんで更に自身の体を上へと持ち上げる。そして再び伸ばした手は、とてつもない障害物に見えていたはずの建物の屋根へといとも簡単に到達した。


 ここにきて息切れが訪れて、到達した屋根へと腰を下ろす。そのすぐ下からは追いついた傭兵たちの大声が聞こえるが、彼らは多分ここには来れないだろう。彼らは確かに屈強だけど身軽じゃない。それに酔った状態で壁の僅かなくぼみに手をやったところで、彼ら自身の体を支えられるわけも無い。結局、思いつく限りの罵声を置き土産に、彼らの姿は再び大通りの方に向けて消えていった。



「――――っ!! 君、気に入ったよ!!」


 日は既に城壁の下に落ち、辺りは夜の暗さで包まれている。本来であれば暗闇に似つかわしく静かなはずの星空の下に上品さからはかけ離れた笑い声が響き渡り、相も変わらず息切れたまま腰を下ろした僕の前に細い腕が差し出された。あれだけ走ったというのにそのフードは一切捲り上がることなく、僅かに赤っぽい髪の毛が見えるだけ。しかしその奥から、真紅に染まる瞳が僕を捉えたまま離さない。


「ねぇ、ボクは今優秀な副官を探しているんだ。忠実なだけのつまらん奴や、あいつらみたいな愚図はいらない。君みたいに、ボクの動きに着いてこれる奴こそが相応しい!!」


 深呼吸を繰り返す中で、彼女の手を取ることなく自力で立ち上がった。謝罪か何かでも言い出すかと思えばフクカンの募集だなんて、やはりこの女の人は相当に戦いの能力を持ちながらも頭の中身は異常にすぎる。果たして彼女が傭兵かそれともこの街の正規兵なのかは知らないが、これ以上関わっていたらこっちの思考まで汚染されかねない。


「……フクカンが何なのか知りませんし、興味もありません。ここまで巻き込んできたことを咎めはしませんが、その代わりもう勘弁してください」


 何か変に遠回しな発言で否定をしても、この女の人はそれを曲解しかねない。ならば失礼を覚悟の上で直接もう関わるなと言った方が良いだろう。しかし彼女は僕の言葉に怒るどころか、むしろその笑みを深くした。


「そうだよ、その懐疑的な目。やはり人間族は遊び甲斐がある――ああ、ずっとこんなものを被っていたら失礼だよね」


 ふと何かを思い出したのだろうか、ずっと被ったままのフードに手をかける。今更素顔が晒されたところで、彼女の評価が何か特別に変化をするわけも無いだろう。なんとかして逃げる隙は無いだろうかと目を細めたその最中――


「改めまして。人間族の青年君。君の名前を教えて……いや、こう見えても勧誘中なんだからボクから名乗るのが筋か」


 ――猛烈な吐き気、それに鳥肌。ぞわりとした寒気が全身を走り、その上痙攣したのかと錯覚するほどに震える手足。夜空に晒された彼女の顔を見たその一瞬に、異様なほどの拒絶感が明確な形となって表層化した。


「ボクの名前はカタリナ・フォン・アストランテ。もしかしたら戦姫の通り名の方が有名かな。こっちは名乗ったんだ、次は君の番だよ」


 赤黒い長髪、その両脇から見える長くとがった耳。闇夜の中でも爛々と輝く真紅の双眼をこちらに向けて、その始祖族は艶めかしく微笑んだ。

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