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失われた自分を求め探して彷徨って  作者: 数波周
第二話「要衝の城塞都市ヴァローナ 黒紅色の戦姫」
16/51

16. 城塞に囲まれた都市

「それでは依頼内容を確認致します。港町クアルス行きの交易、護衛の傭兵五名――」


 クライアントの行商人から言い渡された依頼の内容を読み上げる。ごわごわとした紙に記したその文面に当然間違いは無かったようで、目の前に立つ依頼人は満足げに頷いた。内容の詳細、人数、報酬金に依頼の時期。全ての項目の確認を終えたところで、ようやく受領印を押した。


「よろしく頼むよ。今の時期はクアルスで良い魚がたくさん上がるんだ。これを逃がす手は無いさ。それに明日は休みだろうから、何とかして今日中に依頼しときたいからね」


 流石に内陸のこの街では加工のされていない魚を口にすることはあり得ない。しかし干物などの乾物はそれなりに取引がされている。あの港で水揚げされた魚の多くは、外部への交易のためにそのような加工が施される。僕自身、単純に保存して食べるためにそのようなものを作ったこともあったっけか。


「……特にサーディンが良いですよ。今がたぶん旬です。それと小さい魚の干物は腹が閉じているものがおすすめです。水揚げされて間もない時期に加工された証拠ですから」

「ほう、こんな山間の街の若者なのに詳しいね。ぜひとも参考にさせて貰おう」


 行商人のその言葉に、曖昧に笑いながら会釈を返した。これもすべては、実際に魚の漁や加工で生計を立てていた人たちの知識を分けてもらった故のものだ。フィンやアンナさん、そういった漁師の人たちの助けによって、クアルスの海辺に打ち上げられていた僕はここまで生きながらえている。そしてもう、僕はその街に足を踏み入れることも無いだろう。


 手を振りながら商工会の受付所を出ていく彼を見送りながら、今しがた完成した依頼書をボードに張り付けた。この手の依頼は、その多くが腕っぷしに自信のあるフリーの傭兵稼業に向けたものだ。他にはどのような依頼があるのかを知ろうと商工会のボードを流し見ると、同じような護衛の依頼の他に、オオカミたちの討伐依頼やヴァローナの警邏隊の募集なんてものもある。


 特に後者の募集人員は他の依頼とは比較にならないほど多く、そして依頼主もただの個人ではなくヴァローナの領主直々のサインが入れてあるという特別仕様。報酬金についてはそこまで多くは無いものの、雇用の期間が長く安定した収入が売りの依頼というものなのだろう。他とは一線を画するこれは、一体どのようなものなのか――


「傭兵団の整備ね。この街じゃ毎年春から秋にかけて、正規軍の他に傭兵団の増強もするのよ。一応は砦も兼ねているのだから、備えあれば患いなし!!」


 その依頼文書に目をやっていた背後から、重く低い声がそう話した。慌てて振り返ると、そこには大柄な色黒の男性が僕と同じくボードを眺めていた。


「すっ、すいません!! すぐに仕事へ戻ります!!」

「良いのよツカサちゃん。もう日も暮れたのだから、依頼人もさっきの彼で打ち止めよ。まあせっかくそこにいるんだから、こいつらに誤記が無いかどうか確認して頂戴」


 渋い声色で女性のような口調で話すこの男の人が、ヴァローナに流れ着いた僕の今の雇用主だ。彼の言うとおりにボードに張り付けてある依頼の告知書に目を通し、そのすべてに明らかな誤字が無いことを確認した僕は、再び元の窓口へと急いだ。受付業務がおしまいならば、次は帳簿の確認だ。決して少なくない金額が動くこの窓口では、小さな記入の漏れも許されない。



 商工会受付の中でも、特に依頼の斡旋を行う窓口の対応が、この僕の新しい仕事だ。普段は主に対応の補佐を行い、そして今みたいに時折単独で手続きの業務を行うこともある。


 ヴァローナに着いてから僅かに10日しか経過していないが、こうして低い賃金ながら安定した収入が得られる立場にいるのは、クアルスにいた頃から武器にしていた識字能力のおかげだ。読み書きが行える人間が少ないと言うのはやはり追い風であり、特に書き言葉でしか使わない難解な文字列も難なく書けるというのは大きかったようだ。


 街に到着したその日の内に、この窓口で頭を下げに下げまくったおかげで受付を取り仕切るマネージャーである彼の目に留まることができた。ちょうど最近に一人居なくなった受付対応の枠に収まり、僕ともう一人ぶんの生活費を賄うことはなんとかできている。ならばもう一人はというと……


「ツカサちゃん、今日は閉めるからもうあがって良いわよ。妹ちゃんも一緒に行きなさいな」


 彼の言葉にわかりましたと答えたのは僕だけではなかった。長めのスカートにシャツを組み合わせた落ち着いた服装の少女が、書類の束を片手に小さく頷く。淡い桃色の髪の毛をひと房に括り上げ、この受付所の雑用を一挙に引き受けていたナインは、これまで浮かべていた無表情をようやく崩して僕に笑顔を向けてきた。



 彼女の存在は僕の妹ということにしている。たった一人の家族も働かせてくれと彼に頼み込み、結果ナインは僕と同じくこの商工組合の受付所で勤めている。僕たちが二人とも荒くれ事とは無縁そうで、この街にたどり着いたその時にはそこまで身だしなみが汚い見た目でなかったことが幸いした。


 元々ナインが仕事の時に僕と離れることに難色を示した上に、僕自身もまたナインをつけ狙う人間が現れた時に最低限すぐに対処できるように目の届くところにいたいという思惑もあった。彼女は、現状において自分の過去を探すための唯一の手がかりだ。そう簡単に失うわけにはいかない。


「これが二人の今日のお給金。また明日もよろしくね」

「……本当、僕たちを雇って頂いてありがとうございます。お先に失礼します!!」


 日々の終わりで日当を渡される瞬間は、いつも彼に頭が上がらない。あくまで見習いの身だから金額自体はそれほど多くは無い。それでも安定した給金があるかないかでは大きな違いがあるし、半年程度この生活を続けることが出来ればまた都市を跨いで移動をするだけの蓄えは出来るだろう。何度も彼に頭を下げながら、海辺よりも冷たい空気に満ちた受付所の外へと足を進めた。




 城塞都市ヴァローナでの生活はまだまだ始まったばかり。現状におけるこの街の第一印象は、クアルスよりかはやや荒っぽいというものである。国の要所を守護する城塞都市という性質上、平和な港町と比べて傭兵の数は間違いなく多く、そして働かせてもらっている場所でもその面々と顔を合わせることが多々ある。だからどうしてもヴァローナのイメージは傭兵の多い街となるのだ。


 ただ生活していくには必須となる地理的な話になるとまだまださっぱりだ。街のどこに何があるのかなんてほとんど頭の中には入ってはいないし、ここに来てからたったの十日しか経っていないのだから街の雰囲気を掴むのもまだ手探りといったところだ。


 しかし街の名物については流石に到着したその日の内に目にしている。ヴァローナの中央部を南北に縦断する大通りと、その北端に聳えるこの地域の防衛の要である砦。あれが領主の館を兼ねた、城塞都市ヴァローナの中枢である。多量の兵士たちや傭兵が北に向けて睨みを利かせているそうだ。


「ええと……イモの薄焼きを二枚下さい」


 その大通りの一画にある屋台街に並んで夕食を買うことが、これからのこの街における日常になりそうだ。山間の街であるという立地上、どうしたって港町のクアルスと比べれば食べ物の物価は上昇するし、そもそも味のレベルは大きく落ちる。特段美味しいわけでもないイモの薄焼きと野菜のスープを毎日食べていくのだと思うと、やはり憂鬱な気分になる。


「はいお待ち。兄ちゃん、最近よくウチに来るがこの街に来てまだ日は浅いんだろう?」

「そうですね……まだ十日といったところです」


 客足がいったん途切れたためか、屋台の店主が話しかけてきた。連日夕飯はここでお世話になっていたから、向こうも僕の顔を覚えていてくれたのだろう。鮮やかな手つきで次に焼くための生地を捏ねながら、彼は人の良い笑顔を向けてきた。


「……見た感じじゃ傭兵稼業じゃ無さそうだな。それに最近じゃ北部訛りの連中が良く来るが、お前さんは南部の喋り方だな。お客さんは南方からの旅の途中かい?」

「まあ、そんなところです。こっちで得た仕事の方が明日お休みなので、ようやく街を見て回れそうです」


 彼にはそう言ったものの、ヴァローナに関しては街のことをよく勉強する前にはあまり出歩かないでおこうと考えている。何せ傭兵が多く、クアルスよりもずっと血気盛んな気風の場所だ。同じ感覚で路地裏に迷い込めば、まあただじゃすまないだろう。まずはこの街の空気を読んでから、自分の過去に関して何か見つかるものは無いのかをゆっくりと探していければ良い。


「そりゃ丁度いい。明日は戦姫様の演説だ。噂話の中でしか聞いたことことのないようなモンを生で見られるんだから、お客さんもいい時に来たよ」

「……センキ、さま?」


 はて、なんのこったと思わずひょうきんな顔を浮かべてしまったのだろう。彼は僕の内心に納得したように頷き、苦笑いを浮かべていた。


「すまんな、傭兵連中ばかり相手にしてるとそっちに常識が染まっちまう。戦姫様っていうのは、アストランテ王家の第三王女カタリナ様のことさ。数年前の南部戦乱で鬼神の如き戦果を上げた、まさに戦う姫様だ。傭兵や正規軍の中にも未だに英雄視してる連中は結構いる、そうとうな偉人だよ」


 それを聞いて、またもや曖昧に頷いた。生憎ながら僕の記憶は半年分しか存在しない。ただでさえ傭兵の絶対数が少ないクアルスに住んでいた上に、そもそもの切っ掛けが数年前の紛争ならば、この僕が知るわけもなかった。姫で王族というのだから恐らくは始祖族の女性なのだろう。僕に推測できるのは、精々そんなところまででしかない。


 そんな有名な人だが、彼の話をまとめると昨日に王都サンクト・ストルツからわざわざ王国の北辺までやって来たのだとか。城塞都市の守りをいっそう固めるために違いないと店主は力説していたが、結局のところ確固たる理由は分からないということらしい。



「ツカサ、野菜のスープ、買ってきたよ」


 背後から聞こえてきたその声を区切りに、店主との雑談は切り上げた。両手にスープの入った木のお椀を持ったナインの姿を眼にした店主が冷やかすような視線を向けてくるが、特に何かを返すこともせずに会釈をして離れた。彼女は僕の協力者だからそれはある意味で特別な絆ではあるが、だからと言って恐らく彼が内心で揶揄するような質のものではない。


「こっちも買ったよ。じゃあ、早めに帰ろうか」

「……うんっ」


 一瞬の間をおいて、ナインが駆け足で僕のすぐ横にぴったりとついた。器用なことに一滴もスープを溢すこともなくどことなく楽しげに笑うナインに小恥ずかしさを感じ、思わず頬を掻く。この少女は、僕を前にすると笑顔の割合が多くなる。彼女が商工会受付で雑用係として働きはじめてからそれは顕著となった。


 果たしてそれは僕に向けてなのか、それとも記憶から失せた何時かの自分に向けてなのか、その謎はいつか明らかになるだろうと思って心の中にしまう。つまらない物事を忘れるために、一応は休みである明日の予定について話そうと口を開き――それを遮るようにして僕たちの前から大きな声が聞こえてきた


「おい、テメェ!! 今なんつった!?」


 決して顔そのものは向けず、視線だけでその声の聞こえた方を向いてみると、大柄な男たち数人に詰め寄られている一人の小柄な人影が目に入った。恐らくは酔っ払った傭兵稼業のグループが、不幸な通行人に理不尽な言いがかりをつけて絡んでいるのだろう。


 ナイン共々、特に何かをするわけでもなくその一団を無視して家路を急ぐ。誰かが絡まれていたとしても助けに入って火の粉を被るのは避けて、仮に自分たちが巻き込まれたらひたすらに平身低頭を保ち嵐が過ぎ去るのを待つ。それに今の時間帯よりも遅くには、決して出歩かないようにすればリスクは減らせる。荒くれものが多いと聞いていたために、ヴァローナに入る前からこの手のいざこざには極力関与をしないように心掛けようと決めていた。


 触らぬ神に祟りなし。絡まれている人には悪いが、その人も馬鹿じゃないならば穏便に事をすませて何とか事なきを得るだろう。そう心の片隅で考えながら通り過ぎようとして――


「何度でも言ってやるさ。君たちのような練度の低い傭兵じゃあ、警邏団もただの有象無象の集まりだ」


 はっきりとした声量で聞こえてきた穏便とは程遠いと言わざるを得ないその一言は、思わず僕を振り返させるには十分すぎる代物であった。

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