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失われた自分を求め探して彷徨って  作者: 数波周
第一話「不凍の港町クアルス 剣の少女」
11/51

11. 崩壊の末

「あ、ああ――俺の、霊剣――」


 アリアスが辛うじて握り締めた霊剣が、煌く破片を散らしながらその形を崩していく。うわごとのように霊剣と繰り返し口にしながら、淡い炎として暗闇の中に消えていく欠片に手を伸ばし、アリアスはまるで芋虫のように地面を這う。赤銀色の刀身はとうに消え去り、そして彼が手に握り締める柄さえもが弱弱しい光と共に姿を消していく。


 恥も何も全てを投げ捨てたかのように、地面を這いつくばって焼き尽くされた残り滓を集めようとアリアスは呻き続けていた。その光景がひどく無様で、そしてとても哀れで――傲慢で人間を自然に見下して暴威をふるっていた始祖族とはとても思えない、情けのない姿だ。


「どこだ、どこ――俺の、剣はっ――」


 痙攣する彼の指先は廃墟の埃をただ無意味に集めるだけで、もはやどこにも霊剣の気配など存在しない。アリアスの表情は蒼白に染まり、赤い長髪が滅茶苦茶に掻きむしられる。


 霊剣とは、始祖族の大いなる魂を具現化した特殊兵器だ。彼らにしか扱えない自分自身の化身とも言えるそれは、人間が振るう鋼鉄の業物とは比較にならない堅強さを持つ。しかし、その霊剣が打ち砕かれればどうなるのか。アリアスの霊剣は、今や塵も残さずに世界から消え失せた。それは彼の顕現させた魂が破壊されたということだ。つまり――


「――ツカサ、あなたはあいつに打ち勝った。核を砕かれたら、彼らに待っているのは自己の崩壊という結末だけ」


 隣に、あのナインと名乗った少女が立っていた。手にしていたはずの黒剣はいつの間にか無くなっており、それに置き換わるようにして右手が少女に握り締められている。彼女は、地面に這いつくばり無意味に砂ぼこりを集めるアリアスへと歩み寄った。


 目の前に来てナインの足音にようやく気が付いたのだろうか、アリアスが顔を上げる。嘲るような笑いも敵を前にした警戒心も、そんなものは何一つ浮かんでいない。否、先ほどまでそのような表情が浮かんでいたことを疑問に思うほどに、アリアスの顔からは絶望しか感じ取ることは出来なかった。


「……俺の、霊け――」


 藁をも掴むということなのだろうか、彼がナインに伸ばした手が、彼女によって無残に蹴り飛ばされた。人体を殴打するようなくぐもった音ではなく、硬いものが割れるような音が鳴った。それと共に彼の腕が体から吹き飛び、廃墟の壁に叩きつけられる。いや、それはもはや切り離された腕とは到底言えないようなものだ。赤みがかった透明の水晶のようなもので構成された腕の形をしたものが、壁にぶつかり呆気なく粉微塵に砕けた。


 肩から先が無くなった光景を目の当たりにしたアリアスが、掠れた悲鳴を上げる。残ったもう一本の腕で地面を引っ掻いてずるずると体を引きずり、砂のように砕け散った己の腕の破片へと手を伸ばす。しかし彼の足ももはや形を保ってはおらず、ローブのすそから煌く結晶の欠片が多量に零れ落ちる。


「……一体、何が」

「あれが彼らの最期の姿。全身の魔素が崩壊を始めたら、自身の身体の形状すらも保つことは出来ない」


 全身から砂のようなものを散らせるアリアスの姿を呆然と見つめる僕に、ナインが語り掛ける。始祖族の霊剣が持つ意味から考えて、それが仮に破損するようなことがあれば彼らもただでは済まないだろうとは思っていた。でも、彼のように全身の崩壊に悶える無残な姿など想像すらもしていない。こちらへと振り向いた彼は顔の半分までもが赤い水晶の断面へと変化しており、残った片方の瞳で僕を見据えた。


「き、さま――ゆるさ、ない」


 ゴロリ、と大きな音が響く。片腕で地面を這うアリアスという始祖族の成れの果て。彼の下半身全てが結晶に変わり、残った上半身だけが呪詛を呟きながら僅かに動き続ける。


「お前はもう助からない。吐け、お前の目的は何だ」


 僕の前に立ちふさがったナインが、アリアスに残された右手を踏みつぶして問う。既に結晶と化していた手は砕け散り、残った赤い色の髪の毛が掴み上げられた。その瞳も水晶の球と変化しており、恐らくアリアスには視覚すらも残されてはいないのだろう。


「アスト、ランテに――呪いあ――」


 最期の言葉を言い終えるよりも早く、アリアスの頭が赤い結晶に変貌した。ナインの掴んでいた髪の毛が砂のように崩れ落ち、それと共に彼の頭部だった大きな結晶体が地面へと落下する。甲高い結晶が砕け散る音と共に、彼という存在はとうとう消滅をした。血も肉体も残らず、ただ彼が身にまとっていたローブと、その体を成していた多量の結晶塵のみが物言わず廃墟の地面に広がっていた。




 今、一人の始祖族が死んだ。スターランテ号を沈めて船員や衛兵、そしてフィンを殺した男を、僕はこの手で殺した。手を赤く染め上げる返り血も目を背けたくなるような凄惨な光景もそこには無く、それでも一人の男が呪詛を吐きながら世界から消滅したという結果だけが存在している。震える手を握り締めた。


「……終わったね。ツカサ、行こう」


 少女に手を引かれて陸風が吹き込む方へと歩き続ける。旧市街の深層部には、僕たちの足音を除けば時おり吹き抜ける風の音しか聞こえない。脚を動かす最中、頭はずっと同じことを考えていた。


 とどめを指したのは、僕だ。自分自身が生き残るために、そしてこの街から脅威を取り除くために、この僕が殺した。アリアスが最期に呟いたこの国への呪いは、その実この身へと向けられていたのだろう。


 殺す気が無かっただなんて言い訳はしない。彼の霊剣を砕いたことによって意図せずアリアスの体を崩壊させるという結果にはなったが、そもそもあの時駆け出していた僕は彼を全力で排除しようとしていた。どうにかして剣戟を防ぎ、そして黒剣を彼の体へと叩きつける心づもりでいた。つい数分前まで人殺しとは無縁の生活を送っていたのに、ひとたび剣を手に取ればこの有様だ。僕自身の変貌というものが、今はとても恐ろしく感じる。せめて両手が彼の血で塗れていたらまだ放心も出来ただろうに、殺したという実感すらも薄いことが恐怖を助長していた。



 意識も覚束ないなかでただナインに連れられて、いつの間にか再び靴の底から感じるのは石畳に覆われた道へと戻り、そして頭の上には辛うじて星空が見え始めていた。陸風が頬を撫でる夜の入り口。絶対の死を突きつけられたクアルスの最深部から、ある程度は戻ってくることが出来たのだ。未だに表通りのようなにぎやかさは無いが、それでも視界が遮られるほどの霧がないだけでも環境は大きく違っている。


 そして、再びフィンが倒れたままの路地裏の広場に足を踏み入れる。枝分かれした道の端に、まだ彼の小さな体が横たわっていた。僕よりも頭二つぶんよりも小さい、まだ子供であるはずの遺骸。アリアスに追いたてられて逃げ出したときと寸分違わず、手足は投げ出され、虚ろな目は何も写すことなく廃墟の上の空を見上げている。


 再度触れた彼の体は、嘘のように冷たかった。手が再び血に濡れることもいとわずにそっと抱き起こし、その瞼に手をやって閉じる。ついさっきまで彼と並んで歩き、そして一緒に話していたことがまるで幻のようだ。呼び掛けても頬に触れても、もう彼はピクリとも動くことはない。


「仇はとったよ。がらにも合わないだろうさ。でも、これで君を連れて帰ることが出来る」


 返事なんて返ってくるはずもないのに、意味もなくそう彼に話しかける。その間、ナインはずっと黙ったまま後ろに立っていた。こうして一度立ち止まり、フィンの遺体と向き合って自分自身の心を整理していると、呆然としていた頭がようやく平静さを取り戻していく。


「……改めて聞くよ。君は一体何者だ?」


 しゃがんだまま振り返り、彼女に問いかける。ナインという人物の存在は、不気味に過ぎた。僕の名前を知っている程度ならばまだ良い。だけどそれに留まらず、始祖族の能力や弱点、そしてあの黒剣について、彼女は僕の理解の及ばないことをたくさん知っているのだろう。


「ただの市井の人間ならば知り得ないことを、君は平然と知っている。そんな君が、何故僕と関わりを持とうとする?」


 傭兵か、それとも何処かの正規軍か。少なくとも、僕のような一般市民は始祖族の倒しかたや死に際など細かく知っているわけもない。そんな荒れ事に関わる人間と直接的な接点を持ったことなど、少なくともクアルスに住みはじめてからの半年ではあるわけがない。


「……あの黒い剣は、君なのか」


 そして、核心を口にする。普段の自分であればまず思い浮かぶわけもない疑問だ。黒い武骨な双剣をさして、それが目の前の儚げな少女の化身であったのかだなんて、おとぎ話の中ですら陳腐なものだろう。しかし自分はある種の確信を持っていた。少女と入れ替わるように姿を現し、そして黒剣を手にしていたときに自分の頭の中だけに聞こえた少女の声。そんなものがただの変哲のない剣でしかないというのは、いささか不可解だ。


「私はあなたの剣。あなたの意志によってのみ、私は剣へとなる。あなたを除いて誰にも扱えず、それは私自身も例外じゃない、ツカサだけの剣だよ」


 彼女は僕をまっすぐに見つめながら、淀みなくそう答えた。それは自身があの剣であることを認めるということか。己から剣を錬成するだなんて、まるで始祖族の霊剣にも通じるような話だ。一見すれば突飛で正気ではない。ただの人間の少女にしか見えない彼女がそのような特異に過ぎる能力を持っているだなんて、実際にこの目で見なければ信じられるような話ではないのだ。


「……よしんば君が剣へ変身することが本当だとして、何故僕なんだ。難破船事故で巡りあった人間同士が偶然そうだったなんて、そんな話が――」

「――ちがう。偶然なんかじゃないよ」


 ナインは、初めて強い口調で否定をした。偶然ではなくて必然、そう強く訴える。


「ツカサには失われた記憶がある。こうして再び巡り会えたのは偶然かもしれないけど、私は最初からあなただけにしか扱えない」


 確かに僕には失われた記憶というものがある。クアルスに流れ着いた半年よりも前に自分が何をやっていたかなんて、頭のなかには全く存在しない。しかしそれは今の自分ではない。


「確かにそうだ。もしかしたら、そのときの自分は今とは全く違って傭兵か何かでもやっていたのかもしれない。でも今の僕ではない別の記憶だ。もし君が過去の僕に用があるのだとしたら――」


 それは意味がない無駄な行為だ。そう続けようとした言葉が、背後から響いた声によって唐突に遮られた。

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