10. 黒色の双剣
「チィッ!! 劣等種共が、何をしやがった!!」
光の奔流の中でアリアスの叫びを聞く。そんなこと、自分にだってわかりはしない。白に染まる視界の向こう側から、彼が投てきした霊剣の軌跡がかすかに見える。一直線に心臓へと突き進むそれは、フィンをやったときと同じく呆気なく僕を殺すだろう。
でも、縮こまるでも身をかわして逃げるでもなく、ただ無意識に突き動かされるようにしてその霊剣に真正面から向かい合う。
投てきされてからのわずかな時間、それが突き刺さる寸前に両手に握り締めた"何か"を横薙ぎに振るう。いつもの護身術の訓練と同じように、ただ投げつけられたものを弾くという行為。段々と光を弱めていくそれが赤橙色の一閃にぶつかり合い、そして呆気ないほどにその軌道を捩じ曲げた。弾き飛ばされて地面へと落ちる霊剣たち。それを見た僕は、自分が何をしたのかも分かってはいなかった。
――そう、それで良いんだよ。私の剣は、あいつよりもずっと強い――
白光が収まり、そしてようやく両方の手に持ったものが明らかとなる。それは、二振りの黒い剣のような物体だった。まるで板か何かのように、刀身は広くそして分厚い。両手が握り締めていた剣の柄は、木でも布でもない不思議な質感だ。非常に重厚な見た目に反して、両手に伝わる重さは想像を裏切るかのように妙な軽さを持っている。
そして、さっきまで僕の目の前にいたはずの少女の姿は忽然と消え去り、しかしその声だけはまるで耳元でささやかれたかのように小さく、しかしはっきりと聞こえる。
――あいつの能力は、発火と製錬。手出しできない距離から投てきによる制圧と、逃げ場を奪う炎。策も無しに戦えば今のあなたは勝てない。でも――
後方へと弾いた霊剣がまたアリアスの手元へと戻る。あの剣は、投てきしても忽然と姿を消して再び彼の元に顕現する、まさに製錬といって過言じゃない。しかし消える間際に見えた炎は、さっき大通りで上空から降ってきたそれらに比べて著しく規模が小さい。そうだ、ここの広場にたどり着いてから彼の扱う陽炎全てが小規模なものにとどまっている。
――この場所はあいつにとってとても不都合な場所。この霧の中ではろくに魔素は燃えず、そして中途半端な広さでは距離をとって剣を製錬し続けるなんて不可能――
アリアスの顔を見る。あれはもう獲物を前にして慢心した顔なんかじゃない。僕をみるその目からは嘲りではなく警戒が、そして低く姿勢を落とすその姿からはこちらを敵として認めたということが伝わってくる。
「オイオイ、冗談は止めてくれよ……なんだ、その剣は!?」
黒い二振りの剣を構える。たった今初めて構えたというのに、護身術の訓練で何度か扱っていた木の双剣よりもずっと手に馴染む。柄の形状、刃の大きさ、そして全体の重さまで、全てがまるで自分のために作られたのかと錯覚するほど。
――今やあいつは追い詰めたんじゃなくて、誘い込まれた。あいつの慢心が、いまやあいつを滅ぼす――
再び陽炎を纏った霊剣が投げつけられ、何本もの赤く煌めく光の筋が迫る。しかし感覚が麻痺でもしたのだろうか、不思議ともう恐怖は感じなかった。黒い剣を光へと打ち合わせ、その度に霊剣に宿っていた炎が身を焦がそうと迫り来る。しかしそれすらも、剣を薙いだ勢いに負けて霧散した。
――ツカサ、行くよ――
「このォ……クソガキがァ!!」
アリアスの叫びと、少女のささやきが重なった。それを切っ掛けにして、黒い剣を振りかざして駆け出す。たかが剣を手にしただけというのに、己の体を硬直させていた強者に抗うことへの抵抗と恐怖が嘘のように消え失せていた。投てきされる霊剣など、もはやただの牽制にすぎない。敵の間合いに入れば、勝機はある。
もはやアリアスとの間に距離はない。彼が霊剣を振るえば、容易にこちらを切り裂ける間合い。しかしその切っ先は、僕を捉えるよりも前に黒剣へ阻まれた。投てきされた霊剣を弾いたときよりも、余程大きな衝撃と陽炎が荒れ狂う。
「"決して油断をするな"。まったくもって、その通りだ!! 何故テメェのような劣等種が――」
重厚な黒い双剣はギリギリと音をたてて押し込まれる赤銀色の霊剣を完全に抑え切り、その上剣の表面には傷一つも着きはしない。アリアスの表情が間近に見える。あれは、あり得ないものを目の前にした疑問と焦りの顔だ。しのぎの削り合いも長くは続かず、彼はすぐに素早く後方に飛び下がり距離を空けた。そして姿勢を低く下げて、再度霊剣を構えてこちらへと飛び出した。
「――霊剣、そんなものを持っている。それは、始祖族の魂の象徴、人間族には扱うことはおろか保有することも無理な代物だ!!」
斜め上から目で見るのも困難なほどの速度で振り下ろされる霊剣を、再び黒剣で打ち据える。鋼をも切り裂く霊剣の一撃を防ぎきるなどという芸当は、普通の剣なんかでは到底出来はしない。しかし現に黒剣はその衝撃を受けても健在なままで、刀身が僅かにゆらめいた。
双振りの刃物が真正面からぶつかり合う甲高い音が廃墟の中に響き渡り、渾身の力で振り下ろされた霊剣は勢いを完全に逸らされて僕の顔のすぐ横を通過していく。
「テメェ、なんとか言ったら――」
「黙れよ、殺し屋にまで堕ちた始祖族が!!」
まるで熱にうなされたように、僕の思考は普段とは全く異なる様相だった。本来の自分が逃げなくちゃと警笛を鳴らそうにも、体はアリアスの剣戟に真正面から向き合い、それどころか二振りの黒剣を彼に向けて突き出していた。護身術の訓練の時にいつも言われていた、防戦一方で攻撃に転じれば素人にも劣るという特徴。それの原因は今までさっぱり分からなかったが、今になってその一端が見えた。恐ろしく手と体に合致する黒剣を手にして、まるで嘘のように攻め手が頭の中に思い浮かぶ。
再び距離を取ろうとするアリアスの動きよりも早く、彼の霊剣に目掛けて黒剣を突き立てる。アリアスの霊剣から溢れ出た陽炎も、剣同士の衝突によって水をかけられたかの如く霧散し、その代わりに橙色の火花が飛び散った。苦し紛れに振るわれるもう片方の霊剣も、横薙ぎに弾いて彼の手から飛ばす。
「消えろ、この街から、目の前から!!」
再び彼の手に霊剣が顕現するが、その上から更に黒剣を打ち付ける。二振りの霊剣が、黒の双剣を辛うじて押しとどめていた。ギリギリというしのぎを削る音、その度に赤橙色の火花が剣と剣の間から周囲へと飛び散り、アリアスが苦悶の声を上げる。もう後ろは廃墟の壁際で、どこに逃がすことも無い。
ピシリという音が僅かに聞こえた。青銅の棒を紙のように寸断したほどの堅強さを持っていたアリアスの赤銀色の霊剣に小さなヒビが走り、黒剣に力を入れるたびに刀身を這うようにしてその筋が拡大していく。火花の中に赤銀色の粉末が混じり、それらは霧の中で赤橙色の炎に包まれて消えていく。
「き――さまっ――こんな、ところでっ――」
「消えて、無くなれ!!」
そして、ガラスが砕け散るような音が鳴り響いた。辛うじて形を保つ霊剣の全身に走ったヒビから、紅い光と炎が漏れ出す。指向性のないそれは黒剣やアリアス本人さえをも瞬間的に包み込み、そして瞬時に強烈な熱波として破裂した。声帯がひっくり返るほどの声量でアリアスが叫び声をあげ、それに呼応したかのように襲い来る熱波から身を護るために後方へと飛びのく。
姿勢を直して再び黒剣を構えて前を見据える。急激な紅炎は再び急速に立ち消えた。自身の炎に体を焼かれたアリアスは、ヒビまみれの霊剣を両手に、こちらを見据えている。しかしその瞳に生気は無く、彼の霊剣からは既に光も消えて無くなった。
まるで砂のように、あれほど脅威に満ちていたはずの霊剣の姿が崩れていく。再び暗闇が支配する空間の中で、微塵に砕かれた赤銀色の刀身が淡い紅炎として消えていき、そして糸が切れたかのようにアリアスが地面に膝をついた。