応報
「……アッシュ=グラウンドからの報告はまだなのか?」
「いいえ、王都の噂話では西辺境のドラゴンは倒されたらしいのですが……」
「ならばその内容は? 吟遊新人の語りから真実の一つくらい探して見せろ!」
アンドレイ=フォン=クロムハートは己の臣下に対して、銀製の杯を投げつける。王城とは比べ物にならない程質素だが、それでいて市民の部屋よりも高級な部屋の中。そこに温くなったワインの香りがプンと広がった。
「し、しかし。その……っ!」
「アッシュ=グラウンドは私を裏切らん。同じ目をしていたのだから分かる」
そう嘯いて、しかしアンドレイは杯を投げ捨ててしまったことを思い出したのか。舌打ちしてワインボトルに直接口を付けた。どぼどぼと口の端からこぼれた赤ワインが雑に纏ったシャツを染め上げていく。
「た、大変です! アンドレイ様!」
「どうした! 新しい情報が入るまでは、この部屋に誰も入れるなと……!」
音を立てて、駆け上がり。碌な挨拶もなく扉を開け放って叫ぶ下男を、アンドレイの臣下が叱り飛ばす。普段から平民相手に威張り散らし、無駄に怒鳴る事が多い男ではあるが。それを差し引いても妥当と呼べるほど、下男は礼儀を忘れてうろたえていた。
「久しぶりだな、アンドレイ」
「きさ…… 貴様は!?」
だが下男が状況を話す前に、掃き溜めに華が咲いた。アンドレイによって形作られたどこまでも澱んだ空気が入れ替わる。
宝石を溶かした染料よりも、なお鮮やかな赤色。竜血によって彩られたジャケットとズボンを纏い。平民ではあり得ない金糸の髪をショートに纏め。その下にある顔はどこまでも不敵に笑い、その端からこぼれた八重歯が獰猛に光る。
けれどその碧眼はどこまでも冷ややかに彼を見下している。
かつてアリア=フォン=バーナードを名乗った、彼が婚約を破棄し、貴族籍を奪った少女が目の前に立っていた。
「改めて名乗ろう、我が名はアリア。竜殺しのアリアだ」
「貴様……! くそっ! アッシュ=グラウンドは何を!」
「いや、あいつはしっかりお前からの依頼を果たしたぜ?」
「な……! グレック=アーガイン!?」
アラサーの皮鎧を着込んだ、一見して緩い雰囲気がある冒険者。けれどもアンドレイはその男が持つ迫力に押されて後ずさってしまう。
「いやぁ、普通にな。あいつは俺達の名誉を半分取ってったぜ」
「なん、だと?」
もう一歩、グレックは踏み込む。ある意味アリアよりも楽しそうな、ニコニコとした表情でアンドレイに向けて進んでいく。
「お前さんが依頼した通り、手段を問わず俺達に協力するって形でな。いやぁ名誉って奴も分け合えば減っちまうからなぁ。少なくとも俺達単独での竜殺しって奴は防いだ訳で」
「そ、そんな言いがかりが通る訳が!」
「通るんだなぁ。それが、コイツがギルドからの証明書」
アンドレイはグレックが差し出した封書を奪い取り、蜜蝋を砕いて中身を確認する。そこに刻まれた内容がアッシュの依頼達成を示していると理解し。怒りを爆発させた。
「こんな無法が通じるとでも! 俺は第三王子だぞ!」
「残念ながら通じるし、何よりあんたにはもう王位継承権は無い」
今度こそアンドレイは理解が出来ずに硬直し。グレックが取り出したもう一枚の封書に反応すら示せない。仕方無く臣下が受け取り、その封蝋に刻まれていたのは王家の印璽を確認し、顔を青くした。
「やり過ぎたな、アンドレイ元王子。国王陛下の温情で貴族籍こそ剥奪されないが、もう表舞台には戻ってこれないぜ。それじゃあな」
そう吐き捨ててグレックは踵を返し、チームリーダーであるアリアを立てる為に彼女の一歩後ろに控える。
「ああ最後に言っておこう、アンドレイ元王子」
アリアは凶暴な笑みを浮べたまま、言葉を続ける。
「妾は今回の竜殺しの功績で貴族籍を得た。王位継承権を追放されたお前と同じ最下位の騎士としての地位ではなく、領地は持たないが男爵としての地位となるとの事だ」
ただ堕ちたアンドレイとは違い、自分は上るのだという決意をアリアは示した。ただ地位を振りかざして叩き落とした相手に、立場を超えられた事実にアンドレイは無表情のまま震えだす。
「もう会うことは無いとは思うが、万が一の時は忘れないで頂けると有難いな」
そしてアリアとグレックは、アンドレイが謹慎させられている部屋を出ていった。あとに残されたのは最早どうする事も出来ないアンドレイとその家臣の二人だけ。
既に下男が逃げた事にも気づかずに、ただただ彼らは茫然とし続けるしかなかった。




