04.好き
目が覚めて、おれはいつもどおり、学校に行く準備を始めた。
美玲の誕生日プレゼントは無事に準備できたし、日曜日もバスケの試合を見に来てくれることが決まった。
美玲の誕生日は来週だから、まだ心の準備をするには早いけど、そわそわと落ち着かない。
家を出て、美玲の家の前へ行き、呼び鈴を押す。
いつも通り美玲のお姉ちゃんが出る。
「おはよう功一くん。ごめんだけど、美玲は今日体調悪いから学校休むって』
「え、そうなんすか」
夏風邪でも引いたのか。
おれは少し考えて言った。
「じゃあ、帰りに寄ってもいいっすか?」
「いいの?」
「体調悪いなら会いたくないかもしれないっすけど、心配なんで」
「……そうだね。でも、またあとで功一くんから美玲に聞いてみて」
「了解っす」
たしかに、放課後になってみないと会えるような体調かどうかわからないだろう。
帰りにコンビニでプリンでも買っていこう。
おれはそう決めて、学校へ向かった。
「……行ったよ」
お姉ちゃんがリビングに戻ってきて、私に言った。
私はきちんと学校に行く準備までしていた。
でも、足が動かなかった。
家から、出られない。
学校に行くと、また功一と円野万智のことを考えてしまうからだ。
姿を見なくても、想像してしまう。
「功一くん、帰りに顔を見たいって」
「……そう」
彼女がいるのに、そんなことするんだ。
「美玲、お姉ちゃんももう行くけど、大丈夫?」
「うん。ごめんね、朝の授業があったんでしょ?」
「一回遅刻するくらい、なんてことないよ」
お姉ちゃんは笑って言った。
「功一くん、会いたくなかったら会わなくてもいいからね」
「うん、わかってる。でも、大丈夫。本当のことを、本人の口から聞きたい」
「……美玲は強くて、たまにお姉ちゃん心配になるよ。じゃあ、いってきます」
私はお姉ちゃんを見送って、部屋に戻った。
寝不足だったし、何よりもちゃんと回復しておかないと、夕方にちゃんとした会話もできない。
少なくとも、普段の精神状態にまでは戻しておきたい。
部屋着に着替えて、私はベッドで横になった。
昼過ぎにアラームで起きて、いつもの癖でスマホを見る。
すると、功一からのメッセージが入っていた。
『体調悪いって聞いたけど、どうした? 放課後、お見舞いに行きたいんだけど大丈夫?』
『いいよ。放課後ね。待ってる』
それだけ返して、私はスマホの電源を切る。
電話なんかされたくないからだ。
リビングでお昼ごはんを食べたあと、功一が来るまで本を読んで待つことにした。
本は現実のことを忘れさせてくれる。
余計なことは考えなくていいし、時間の流れも早くなる。
あっという間にアブラゼミのけたたましい声から、ヒグラシの鳴く声に代わり始めた。
そして、呼び鈴がなった。
跳ねあがる心臓を押さえつけるように、私は本を閉じてテーブルに置く。
玄関を開けると、コンビニの袋を持った功一が、笑顔で立っていた。
「おう、大丈夫か? 電話しても出なかったから、心配だったよ」
「……電池切れてたから」
「そうか。ああ、これ、プリンだけど、食べられる?」
「うん、ありがと」
なんだか、変な感じだ。
いつにも増して、言葉が出ない。
「あの、中、入る?」
「え、いいのか? 美玲体調悪いんだろ?」
「もうだいぶいいから」
まったくの嘘だし、むしろ悪くなったくらいだ。
私が誘うまま、功一は玄関に入った。
「お茶も出せないけど、いい?」
そう言うと、功一は訝しむような顔をした。
「本当にどうしたんだ? 普段なら絶対言わないし、何ならおれに作らせてるのに……。熱でもあるのか?」
功一が不意に額を触ろうとして、思わず私は手を払った。
「あっ……。ごめん……」
「いや、急に触ろうとしてごめん。おれがいれてくるよ。いつもの紅茶でいいか?」
功一が立ち上がって台所に向かおうとするところを、私はなぜか服を掴んで止めてしまった。
「……美玲?」
「ちが、あの、うぐ……」
なんで、こんなに上手く喋られないんだ。
まるで心と体がちぐはぐだ。
私は息を大きく吸い込んで、言った。
「昨日、円野万智さんと商店街にいたよね?」
それを聞くと、功一は驚いたあと、バツが悪そうな顔をした。
「あれな、説明が難しいんだけど、隠してるみたいで嫌だし、やっぱり言った方がいいよな……」
「ふたりが、付き合ってるってこと?」
「……は?」
「だって、あんなに仲良く買い物してて、彼女じゃないなんてことある? ないよね? いや、いいの。だって私、別にいいし。功一が誰と付き合ったって、むしろ万智さんみたいな人なら安心だし」
「お、おい、何言ってんだ?」
「気を使わなくたっていいんだよ? 功一とは幼馴染だけど、付き合ってないし。ちゃんとした彼女がいた方が、かっこいいしね。学校じゃ内緒にしてるのは、万智さんが妬まれたりとかしないようにするためかな? ふふ、さすが功一だね」
一度言い始めると、自分でも止められなかった。
せきを切ったように、気持ちの洪水が、とめどなく溢れ出す。
それと同じく、目から涙が止まらなくなった。
「待て、美玲。勘違いだ」
「勘違いなんてことないでしょ。あれが勘違いだったら、何が本当なの? 功一が色んな女の子に手を出してるってこと? でも、そんなことないじゃん。功一は絶対二股とかできない方だし、好きな人に一直線じゃん。おめでとう。お幸せに」
「いや、だから違うって!」
「何が違うのよ!」
「おれが好きなのは、お前だって!」
「……え?」
「あれは、お前の誕生日プレゼントを選んでたんだよ。おれ、女子の好みとかわからないからさ。相談したら手伝ってくれるって言うから、一緒に買い物に行ってたんだよ」
「何って?」
「はあ? だから、万智とおれが付き合ってるっていうのは――――」
「そこじゃなくて」
私が言うと、功一は苦々しい顔で答えた。
「は、あー、っと、おれが好きなのは、美玲だ。……くそ、ここで言うつもりなかったのに」
「それ、本当?」
「本当だよ! ここで嘘つくやついないから!」
それを聞いて、私は間髪入れず、功一にキスをした。
功一の顔が、みるみる赤くなっていく。
「な、なななな」
「お見舞い来てくれたお礼。それと、私も功一のこと好きだよ」
「そんなおまけみたいに!」
功一はうろたえて言う。
ああ、そうだ。
私は功一のそういうところが好きなんだ。
目的のために、手段や経過を見失いがちな彼の危ないところも、好き。
悩んでいたのが馬鹿らしくなって、私はソファに深く座った。
「功一、紅茶いれて」
「は、はあ!? この状況で!?」
「プリン食べたいから」
「くそ、なんなんだよ……!」
コンビニの袋に入っていたのは、私の好きな生クリームの入ったプリンだ。
私の好みをちゃんと覚えているところも、好き。
「はい、紅茶。アールなんとか」
「アールグレイね」
「紅茶の種類なんて覚えられるか」
彼は赤い顔を隠すように、自分のカップに入った紅茶を口にした。
「あのさ、確認だけど、私たち、付き合ってるってことでいいの?」
「ここまでやっておいて、違ったら泣くぞ」
「ふふふ、どうかなー」
大好きな紅茶の湯気の向こうに、大好きな功一が見える。
私は高鳴る心臓を抑えながら、プリンを口に運んだ。
先週末、となりの市にある市民体育館でバスケの試合があった。
私はルールをある程度把握してから行ったけど、結論から言えば、必要なかった。
見ていれば流れはなんとなく理解できるし、勝ち負けもわかる。
自分がやる立場でなければ、それほど詳しくなくても大丈夫なのだろう。
その日、功一のチームは決勝戦で負けた。
相手のチームは県内でも一位二位を争うくらい強いらしい。
「あの時、おれがゴールを決めていれば流れが変わったかもしれないのに!」
「十二点差ついてたのに?」
「うっ、わかんないだろ!」
静かな喫茶店の窓際の席で、私はパンケーキを食べながら、彼の話を聞いていた。
ふわふわとして口当たりのいいパンケーキは、口に入れるとすぐに解けてなくなる。
「美味いか?」
「ここも万智さんに教えてもらったの?」
「……悪かったって。もうやめてくれ」
「おいしかったので許しましょう」
彼からもらった黄金色のブレスレットが、陽の光を反射してキラキラと輝いていた。