第3章 天使のくれた時間
第3章 天使のくれた時間
夏休みに入る少し前に「師匠」と会えることになった。
環の話を聞いた師匠が、町へ飛んで帰ってくると息巻いているのだとか。
待ち合わせは町外れの“妖館”。
何もない町外れに不気味に建つ洋館は、妖怪やら幽霊やらが出るともっぱらの噂で町の人間からは「妖館」と呼ばれていた。
まさかその「師匠」の家だったとは……
環の話ではスピカの事を聞いた師匠は
「わかった。ちょっちこっちの用事済ましたらすぐに帰っから待ってて。そん時全部話すわ」
と、何か知っているような素振りだったのだとか。
ついにスピカのルーツを知ることができるかもしれない。言い知れぬ緊張感が、師匠と会えると決まった日から拭えない。
たとえスピカが超能力者だろうが宇宙人だろうが魔法使いだろうが異世界人だろうが未来人だろうがロボットだろうが何だろうがスピカはスピカだ、何にも変わらない。そんな事は分かってはいるが、どうしても眠れぬ日々が続いていた。
遅れていた美愛が到着した、いよいよ師匠とご対面の時だ。
「しーしょーおー! きーたーよー!」
環の間の抜けた声が響く。そんな遊びに来た小学生みたいな……
ゴゴゴゴゴゴ……
大きく重い扉がひとりでに開いた。
「よし、じゃあ行こっか」
張り切って突撃する環の後をスピカが追いかける。しばし呆然としていた俺と美愛も急いで後を追った。
妖館の中はオカ研に輪をかけて不気味なガラクタに溢れていた。ここを見てしまえばオカ研が可愛く見えてしまう。
前に環が「部室なんてぜーんぜん。世の中にはまだまだ上がいるよー」と言っていたが、ここの事だったのか。
スピカにとってこの不気味な空間が宝の山に見えるらしく、さっきから嬉しそうに辺りをキョロキョロと見回している。そしてふと、どういう仕組みかは分からないが、七色に妖しく光る木彫りの熊を物欲しそうにジッと見つめ出した。
やめろスピカ、そんな物に興味を持つんじゃない。そんな物がお前の人生において何の役に立つというのだ。俺が何回お前のお気に入りの側に近寄るたび「クックドゥルドゥー」とけたたましく鳴き叫ぶダチョウのヌイグルミを捨てようと思ったか分かってるのか? 俺がお前を愛していなければあんな物は直ぐにでも八つ裂きにして燃えるゴミの日を待たずに中の機械すら溶けるほどの炎で燃やしてやるんだぞ。
「ほら〜行くよ〜?」
環の声に名残惜しそうについていくスピカ。そうだ、それでいい。
「師匠〜 開けるよ〜?」
「おーう」
古めかしい木製の扉を開けると、そこは見渡す限り紙、紙、紙。本で作られた塔がいくつもそびえ立ち、巨大な紙束の山が今にも崩れそうに積まれている。壁には見た事もない様な動物(?) の解剖図や、謎の言葉で書かれた地図などが所狭しと貼られていた。そんな混沌とした部屋の真ん中で、「主」はカリカリと物書きに熱中している。
「師匠、来たよ〜」
あいあいという適当な返事と共に師匠が椅子ごと振り返る。
40代ぐらいだろうか? しかし、30代と言われればそうも見えるし50代と言われてもその風格は充分にある。
顔立ちは整った方だが特別目を引く訳でもない。日本人の様だが他のアジア人にも見えるし、日系の欧米人だと言われても納得できる。
師匠は、何人にも見えるし何人にも見えない。会った事がないはずなのにどこかで会ったような気がする、聞いたことがないはずの声なのにどこかで聞いたような気がする。「どこに居てもおかしくない」そんな不思議な人だった。
「環から聞いてると思うけど俺が噂の「師匠」ね。気軽に師匠って呼んでよ」
「は、はぁ……」
「はーい、ししょぉ!初めまして、古鷹スピカです!」
「ん! 元気よくご挨拶できて良い子だ! ご褒美にアメちゃんをあげようね」
「わぁーい」
師匠が懐から取り出したアメちゃんを嬉しそうに受け取るスピカ。
「こらスピカ、怪しい人から怪しい物を貰うんじゃありません」
「怪しい人って……」
「すいませんつい声に出してしまいました」
「ははは、祐介君も素直で良い子だ、はい、アメちゃん。美愛ちゃんも可愛いからはいアメちゃん」
師匠のアメちゃんは嫌に生暖かかった。スピカを見ると嬉しそうにコロコロと口の中で飴玉を転がしている。良くこんなもん食えるなスピカは。
「それより師匠〜」
痺れを切らしたらしい環が話を切り出す。
「おお、そうだそうだ、じゃあそのスピカちゃんの“力”ってやつをみせてみてよ」
口調は相変わらず飄々としているが、ほんの少しだけ目つきが変わった……ような気がする。
師匠がこちらを向いて少しだけ笑った。
この人の底知れなさのほんの片鱗を味わった気がする。
「よ……よし、じゃあスピカ、いつものやってくれ」
「わかった〜」
スピカが両手を胸の前に出して光を放つその瞬間――
「おっけ、もういいよ」
「へ?」
師匠の突然の言葉に思わず間抜けな声をあげてしまった。
「いいの?」
スピカが光を消し、首を傾げて俺を見る。
「あ……あの……」
「うん、もう分かったから大丈夫」
まさか、こんな一瞬で何が分かったというのだ。
「環、お前はどう思う」
師匠の問いに環は珍しく緊張している様だった。
「色々仮説は建ててみたけど、あたしはスピカちゃんが「異世界の魔法使い」ってのが一番有力だと思う」
言ってる事はあまりに非常識だが、環の声は真剣そのものだ。まっすぐ師匠を見つめている。
沈黙が流れる、そして――
「合格だ」
「え? 師匠、それじゃあ……」
「それが正解であり、スピカちゃんがお前にとっての「答え」だよ。良かったな、可愛い答えで」
ニカっと笑顔を見せる師匠を見つめて、環が静かに涙を零す。
よほど嬉しいのだろう、声にならない声が環の口から微かに漏れ出している。
「えっと……師匠さん? それじゃあスピカちゃんは……」
「環が言っただろう? 異世界の魔法使いだよ」
覚悟はしていたので、驚き声をあげてしまうのをこらえる事が出来た。
「なんでそんな事が分かるんですか?」
当然の疑問を投げかける。なんの根拠があってそんな――」
「だって、俺もそうだから」
師匠が立てた人差し指から七色の光の玉が次々に現れ空中で踊り始めた。
光は徐々に1ヶ所に集まり、宙に笑顔のスピカの似顔絵を形作ると、花火のように弾けて消えた。
「な?」
流石にこれは
「「「え、ええ〜〜〜〜!!!!」」」
予想してなかった。
「さて、どこから話そうか」
何とか落ち着きを取り戻した俺たちに師匠が問いかける。
「てか、環は知らなかったのか? 師匠の事」
「知らなかったよ〜! 色々見てきたけど全部奇術のトリックだと思ってたもん〜」
何気に環が一番驚いていた様子だった。
「オカルト大好きなのに?」
「大好きだからこそそう簡単には信じないの!」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんなの!」
プリプリと怒る環、流石に動揺は隠しきれないようだった。
「ははは、環にはわざとトリックがある風に見せてたからな、気にするな」
「むー、なんでもっと早く教えてくれなかったのさー」
楽しそうに笑う師匠に環はまだヘソを曲げている。
「そりゃあ、お前なら自分で「答え」に辿り着くと思ってたからさ。な? 間違ってなかっただろ?」
「む、むー!」
わざとらしく頬を膨らませているが、これは怒っているのではなく照れ隠しだろう。短くも濃い付き合いの中でこいつの事も少しずつ解ってきた気がする。
「さーて閑話休題。じゃあ差し当たって、「異世界」ってやつの説明からしてこうかね。環からなどれくらい聞いてる?」
「えーと……元々は一緒の世界だったけどいつからか科学と魔法の世界に別れちゃった……だよね?」
おずおずと答えた美愛に環は一度だけ頷いた。よく覚えてたな、俺なんて2分で忘れたぞ。
「おーだいたいあってるぞ。だから厳密に言えば「平行世界」だな。そこでは科学の代わりに魔法が一般化してる。俺も、恐らくスピカちゃんも、そっちの世界の住人だ」
「そんな、平行世界なんて……」
「信じられないかい?」
今度は人差し指から小さな炎を出して見せた。その炎はゆっくりと師匠の手を離れ、人魂のように俺の目の前を浮いている。
そうだ、非現実は目の前に確かに存在している。ふと環の言葉を思い出し
た。
「全てのあり得ないは、あり得るに変わった……」
「そゆこと」
炎はゆっくりと消滅した。
「師匠、こっちの世界でも魔法が使えるって事はやっぱりMP的なものを消費して魔法を使ってるの? 寝たら回復するの? 青い薬とか飲むわけ? 踊ったら吸い取れる? ほら、吸い取られてる?」
環は不思議な踊りを踊った。
しかし、効果は今ひとつのようだ。
「アホか。そんなんで吸い取られてたまるか。いいか、魔法ってのはな、体内の魔力と空間にある魔法を伝播する媒体、俺は“魔素”って呼んでるものが互いに干渉しあって起こるものなんだ。例えば「炎を出したい」って想いを込めた魔力を体内で練って外へ放出する。すると魔素がその想いの乗った魔力に呼応して実際に炎を出すって仕組みだ。魔力と魔素、どっちが欠けても魔法は起きない。ちなみにどっちも時間が経てば自動的に回復する」
「想いを形にするって事?」
「有り体に言えばそうだな」
「そんな……それじゃあ何でもありじゃないか……」
「ところがそう簡単にはいかない。まず魔力を練るってのが意外と難しい。火を出すとか光を出すみたいに簡単な物ならいいが、例えば屋敷を覆う様な炎とか昼間みたいに明るい光を出そうってんなら相当の修行が必要だ。次元を歪めるだの生物を錬成するだの隕石を降らせるってなりゃあ世界に何人出来る奴がいるかどうか……」
「でも、出来てしまう人もいるんですね……」
美愛の声に若干の恐怖を感じる。それを払うかのように師匠は明るく答えた。
「理論上はね。ただここで魔力と魔素って問題が出てくる。屋敷を覆う炎レベルでだって途方も無い魔力と魔素が必要になるんだよ。そうだね……秘宝と秘薬と……あと……まぁかなり乱暴な計算だけどざっと3億円は必要になるね、この屋敷を燃やしたきゃ」
「3億円!」
「そ、全然現実的じゃないでしょ? だから心配しなくて大丈夫よ。」
美愛少し安心した様子だった。スピカはどこをどう聞いたのか「このお家燃やしたら3億円くれるの?」と物騒な事を言っている。
「じゃあ呪文とか魔法陣とかは無いんだ〜、残念」
「あるよ」
「え? だって」
「さっきも言ったように体内の魔力を練るってのは難しいんだ。呪文はその練り方のガイドラインみたいなもんかね。複雑な絵でも手本を見ながら複写すれば多少アラはあっても誰でも書けるだろ? ほとんどの人間は自分で練ったりしないで呪文に頼ってるよ。楽だからね。そうやって使う力の事を「魔術」って呼んでる。それと魔法陣はそうだな……その場にしばらく魔力を走らせておける保管場所みたいなもんだ。ほら」
適当な紙に小さな魔法陣を書いて手をかざすと、そこから小さな炎が出現した。
「この炎は3日は燃え続けるよ。魔力量を調整すれば短くも長くも出来る」
「へぇ、便利ですね、俺にも出来るかな?」
「できるよ」
「へ?」
半ば冗談で言ったのであっさりと肯定されてしまった。
「こっちの世界の人間にも魔力は流れてるんだよ、あっちの住人より苦労はするけど君たちって練習すれば十分使えるようになるさ。ちなみに魔素もしっかり存在してるよ。」
「俺たちの体にも魔力が……」
全く実感が湧かない。試しに手をかざしてスピカのように光を出してみようとしたてみた。
「はー! はー! ふぁぁぁぁぁあああ!」
が一向に出る気配がない。
「ははは、そう簡単にはいかないよ。」
「本当に俺たちにもあるんですか〜?」
なんだか担がれたみたいで恥ずかしくなった。
「あるさ。病は気からって言葉があるだろ? この場合の気が魔力ってやつさ。魔力は意外と君達にも影響を及ぼしてるんだよ。あと、パワースポットってのがあるけどあれも結構馬鹿にできないんだぜ?」
「魔素ってやつ?」
「そのとおり。有名なパワースポットに行ってみるとたしかに澄んだ魔素が潤沢に溢れてる所が多いんだ。ま、ブームに乗っただけの何でもない場所も沢山あるけどね」
「へー、でもこれってとんでもないっていうか、世界がひっくり返る話ですよね」
「うん、はっきり言って世界が滅ぶだろうね」
「滅ぶ?」
「環」
「文化の違い、価値観の違い、物の価値の違い、科学と魔法の兵器の違い、エトセトラエトセトラ……同じ世界の人間だって宗教の違いなんかで戦争するんだよ? 違う世界同士の、しかも全く違う文化を持った者同士が出会ったら……そうじゃなくても経済だってめちゃくちゃになるだろうね。とにかく世界は大混乱」
「そんな……」
「だからお互いの世界でお互いの世界の事を知ってる人間はごく限られてるんだ。何かしらの事故なりでもう一方の世界に迷い込んだ人間がいたずらな接触で混乱を招かないように影で暗躍してる奴らがいるのさ。」
「師匠もその1人って訳?」
「いや、うーん……ちょっと違うっていうか……まあ俺はいわゆるフリーランスかな。」
「なんか怪しい感じ……」
「いやいや、俺は決して怪しい物じゃありませんよ。ただ、そいつらに見つかったら多分殺されるけど」
「師匠!?」
「ジョーダンだって、はっはっは」
「拷問ぐらいかな……」
「スピカちゃんにあんまし魔法を使わせなかったのは正解だよ。奴らは魔法が発生する時の魔素の揺らぎを探知してるからね。見つかってたら送り返されてたところだよ」
「でも今まで結構光とか出しちゃったり」
「それぐらいなら大丈夫さ。魔素は常にどこかで小さく揺らいでるんだ、少々の魔法なら引っかからないよ。ただ、あんまり大きな魔法や何回も同じ場所で連続して使ってるとばれちゃうかもね〜」
「はぁ、気をつけます」
「とりあえず師匠の魔法講座はここまで、後はスピカちゃんの向こうでの素性かな」
そうだ、スピカにも向こうの世界での生活があったのだ、帰る方法があるならばこっちの世界にいる理由は……無い。
しかしスピカがこっちに来たばかりの頃のあの怯えよう。もう二度と見たくない、思い出したくない。スピカが家族になった今、その想いは前よりもずっとずっと大きく切実になっていた。もし、スピカをあんな風にした奴が向こうに居るのなら、俺は……
「ほーら、そんな深刻にならない。俺も環から大体の事は聞いてるからさ、慎重に調べるよ」
俺の心を見透かしたように、いや、実際見透かしたのだろう、なだめるように師匠は俺に話した。
「あの……師匠はどうしてそこまで俺たちの事を……」
「そうだね〜愛弟子の為、美人の美愛ちゃんの為、あとは可愛い可愛いスピカちゃんの為ってのじゃ駄目かな?」
「いえ、ありがとうございます」
「ははは、気にしないでよ。実はちょ〜っと君に頼みたい事とかあったりなかったり?」
「へ?」
師匠の頼みごと……怖すぎる、スピカの宝箱ぐらい怖すぎる。
「まーそれはおいおいね。さって、スピカちゃんの調査に当たって少しでも情報が欲しいところなんだけど、なんかない?」
「あっそういえば、スピカちゃんの背中になんだか紋章? みたいのが書いてありますよ。入れ墨って感じじゃないんですけど洗っても落ちなくって、今考えたら魔法で書かれてるんですね」
瞬間、師匠の顔から笑顔が消えた。
「それ、見せて」
今までのどこかわざとらしいようなひょうきんな声色は身を潜め、冷たく暗いようなそんな声に変わり、俺たちの間にも奇妙な緊張が走った。
普段の環なら「ちょと師匠〜そーやってスピカちゃんの玉の肌を拝もうとしてるんでしょ〜10年遅いよ!」ぐらい言いそうなものだが、何も言わずにスピカを師匠の前に後ろ向きに立たせゆっくりとシャツをめくる。
俺も知らなかったスピカの背中、左肩甲骨の下あたりに、確かに紋章のようなものが浮かび上がってる。
「くすぐったいよぅ」と笑うスピカとは裏腹にちらりと伺った師匠の顔は、必死に隠そうとしている風ではあるが明らかに動揺していた。
「美愛ちゃん…スピカちゃんとちょっと外で遊んでてもらえるかな? スピカちゃん、何か欲しい物が選んでおきなよ、大体の物ならスピカちゃんにあげるよ」
「本当に? わーい! 師匠大好き〜! いこっ美愛!」
「あっちょっとスピカちゃん、待って!」
不安げにこちらを伺った美愛は、師匠へ小さく一礼し、スピカを追いかけた。
師匠は椅子に深くもたれかかると、煙草を一本取り出した。
「いいかな?」
環ではなく俺だけに聞くあたり、環の前ではいつも吸ってるのだろう。
「ええ……」
指から出した火で煙草に着火し、一度だけ深く吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「左肩甲骨に刻印される紋章はね……奴隷の証だ」
え? なんて? 今なんて言った? 奴隷? スピカが? 奴隷だった? スピカが…スピカが、ドレイ?
あの時のスピカがフラッシュバックする。ボロボロで何かに怯え、少し大きな声を上げただけでガタガタと震え呪詛のように謝罪の言葉を呟くあの姿が。
それはすべて、スピカが奴隷だったから?
あんな風になってしまう程の事を奴隷としてされていた?
いやだ。考えたくない。想像したくない。
それでも俺の脳みそは心とは裏腹に、最悪の想像を浮かばせる。
スピカが、俺のスピカが、俺たちのスピカが……
怒りで頭が狂いそうになっていくのを必死に堪えた。
師匠が沈痛な面持ちで「気ぃ使いながら喋るってのは得意じゃないんだ。もし配慮の無い発言で不愉快にさせたら謝るよ、言いたい事も沢山あると思う、でもとりあえず俺の話を最後まで聞いて欲しい。」と前置きしてから低い声で話し始めた。
「俺も、ただの奴隷の刻印だったらこんな事君らには教えないさ。記憶が無いのならそんな事知らずにこっちの世界で暮らせばいいんだ。いや、環にだけはこっそりと伝えたかもしれない。奴隷の刻印ってのはな、「所有者の特定」と「枷」として付けられるんだ。勝手に逃げたりしたら呪印が奴隷を殺すようになってる。心臓を止めるか、炎で焼く尽くすか、魔力の流れを……悪い、蛇足だった。呪印は決して解除できないって代物でもないから、スピカちゃんのが解除されてたのは気にはなるけど大した問題じゃない。ああ、スピカちゃんのは解除されてたから心配しなくて大丈夫だよ。そして、「所有者の特定」だけど、向こうの世界では多くの国で奴隷は合法なんだ。非人道的な扱いは禁止しているところがほとんどだけどね。刻印の形で個人の特定と大まかな国や地域、位や家柄が分かるんだけど、スピカちゃんのは、その法則から全く外れた形だったんだ。そして、その形が噂で聞いた事があるとある刻印とそっくりなんだ。ある国に富、名誉、権力、全てを手に入れた貴族がいる。そんな人間が次に行き着く先が――」
「不老不死」
環がぼそりと呟いた。
真っ青な顔で震えを必死に抑えてる。
俺は怒りを、環は悲しみを必死になって押さえ込もうとしているんだ。
「正解。どの時代どの世界でも、結局人間の欲望ってなそこに行き着くのさ。古来、多くの科学者や魔法使い、両世界の錬金術士と呼ばれる人間たちが不老不死の研究を重ねてきた。向こうではね、いくつか方法は考えられてるんだよ、だけどだーれも実験した事がないんだ。それはね、全ての方法において圧倒的に魔力が足りないからさ。不老不死という命の法則を歪める魔法には途方も無い、それこそ無限と言ってもいいほどの魔力が必要になる。だから結局は机上の空論でしか無かったんだ。俺に言わせりゃたとえ条件が揃ったって成功するとは思えんがね、空飛ぶ絨毯で飛んでったってスペースシャトルに乗ったって、死からは逃れられないさ。だけど、その貴族は不老不死の野望の手始めとして無限の魔力を得るために……」
つらつらと話していた師匠が急に口ごもる。
なんなのだろうか? いつもの自分なら予想できたかもしれなかった。でも、今の俺には考える力がほとんど残されてなかった。だから、師匠がくれた猶予で覚悟を決める事ができずにその一言を聞いてしまった。
「人体実験をしているらしい」
俺の中の何かが切れる音がした。
「どうだい? 落ち着いたかい?」
ゆっくりと目を開けた俺は、何が何だか理解できなかった。
「あれ……俺……」
「俺が魔法で眠らせたんだ、あまりにも興奮していたんでね」
興奮?
……そうだ、俺は、師匠のあの一言を聞いたとき、自分では抑えきれない程の怒りと絶望を覚えて……
「いてっ」
手のひらに痛みを覚え目をやると、両手に包帯が巻かれていた。
「ああ、君が拳を握りすぎて出血したんだ。すこし強引かとも思ったが、さっきの君は明らかに正気を失ってた、だから眠りの魔法と、俺特製の心が落ち着くお薬を飲ませておいたよ。あんな顔、スピカちゃんや美愛ちゃんには見せられないぞ」
そうだ、あの時の俺は顔も名前も知らない異世界の貴族とやらを殺す事しか考えてなかった。何をどうしたって殺す。必ず殺す。その思いにのみ支配されていた。
自分では分からないが、その時の俺は余程酷い顔をしていたのだと思う。
そして、今も……
「それでだ……君が眠ってた間にスピカちゃんを調べてみたんだけど……」
師匠がまた口ごもる。
「師匠、大丈夫です、お願いします」
正直大丈夫じゃない。今でも心の中は静かだが激しい怒りと憎しみに満ちている。次から次へと貴族を殺す方法を想像している。しかし、俺が今取るべきは憎しみに身を任せる事ではない。
今、俺がすべき事は……
「スピカの為にできる事、俺は何よりもそれを優先します」
「わかった」
多分師匠は全部分かった上で言ってくれているんだ。何となくそう感じた。
「実験は成功していた」
「え?」
今度は色々な事を覚悟していたが、それは予想外であった。
「成功……したって……まさか……」
「そう、スピカちゃんは「無限の魔力」を産み出す事ができる恐らく唯一の人間だ」
「無限の……魔力……じゃあスピカは不老不死って事ですか!」
「いや、違う違う、不老不死はあくまで無限の魔力があったら可能かも知れない事だ。無限の魔力だけあっても駄目さ」
それを聞いて俺はなんだか少し安心した。
不老不死、俺はそんなものあってはならない、スピカを不幸にするだけだと思っていた。
「これは魔法学会を揺るがす一大事だけど、そんな事は問題じゃない。無限の魔力なんて物は、人の身にはあまりに過ぎた代物なんだ」
「過ぎた代物……」
「風船がスピカちゃん、空気が魔力。そう考えてくれ」
「そん……な……それじゃあ……」
「今まではこちらの魔素との相性と誰かが施した魔力の増幅を防ぐ施術のお陰で何ともなかった様だけど、今その二つの効果は薄れつつあってスピカちゃんの中の魔力の量は恐らく加速度的に増加していると思う。あの年代の魔力の平均のそれを大きく上回ってた。これから徐々にスピカちゃんの体調が優れない日が出てくると思う、その時は安静にさせてやってくれ」
「あ……あ……」
聞きたい事は沢山あるのに言葉が出ない。スピカの為にできる事はなんて言っておいて、いざという時に絶望に押し潰されている自分が情けなくて涙がこぼれそうだった。
「魔力を抑制した人って誰なんでしょう? 何か手はないんですか? あと……スピカちゃんはあとどれくらい……」
俺の聞きたい事を環が全部代弁してくれた。
環は、泣いていた。
「施術を施した人間については分からんが恐らくスピカちゃんの呪印を解いてこっちの世界に送り込んだ人間ではないかと思う。魔力の抑制も呪印の解除も異世界への転送もかなり高度な魔術だ、同じ人物がスピカちゃんを助けたんじゃないかと思う。それで、スピカちゃんの魔力だけど……多分、夏休みの終わり頃にはもう……」
今度は怒りや憎しみより絶望が俺を支配した。
目の前が暗くなっていく。少しでも気を抜くと気絶してしまいそうだ。
「祐介君」
手放しそうな意識を必死に繋ぎとめる俺に、師匠は今までで一番生気に満ちた瞳で、別人かと見まごうほどに真剣な顔で、力強く口を開いた。
「俺はこれから向こうに世界に行ってその人物を探そうと思う。 もしそんな人物が居なかったとしても、なんとしてでもスピカちゃんを助ける事ができる方法を探し出す、必ずだ!!」
漆黒の闇で覆われた空にほんの少しだけ小さな星の光が見えたような気がした。
その小さな光だけが、俺を俺に繋ぎとめている。
もし、その小さな星さえ消えた夜が訪れた時、俺は俺でなくなるだろう。
「師匠……あたしも……」
環が震える声を振り絞る。
「駄目だ」
「でも!」
「環、俺に言わせないでくれ……」
環がうつむく。
『足手まとい』
1分1秒を争う今、向こうの世界について何の知識もない環は足手まといでしかない、環もそれは理解している、理解しているが、それでも言わずにはいられなかったのだろう。
だがすまない、今の俺にはお前を弁護できない。
「ごめんなさい……」
「いや、お前の分まで俺が必ずなんとかするから、信じて待っていてくれ」
「師匠」
俺は今から最低な事を口にする。後から自己嫌悪に苛まれるかも知れない。でも俺は、スピカの為ならどんな事だってする。そう決めたんだ。
「師匠、スピカの命を貴方に預ける事ができるという証拠が欲しいです」
「古鷹くん!」
環が声を荒げる。この後に及んでまだ師匠を信用できないのかという風だ。
「いいんだ環、それだけスピカちゃんの事を大切に思ってるってことだ。証拠か……じゃあこれを持っててくれないか?」
そういって渡されたのは古ぼけたロケットだった。
「中を?」
「どうぞ」
中には古ぼけた少女の写真が大切にしまわれていた。
「死んだ娘の写真だ。それ1枚しかない。ちなみにロケットも娘の形見だ」
「えっ?」
驚いて環を見るとゆっくりと頷いた。
「それの母親はこっちの世界の人間にでさ、娘は科学世界と魔法世界のハーフって訳だ。まー珍しいわな。けど、ハーフだからって特別な事は何もなかった。多少魔力が特殊だったけど、それは髪の色や目の色、肌の色や人種が違うようなもんだった、まったく大した問題じゃない。さんざモルモットにされた挙句に死んじまってわかった事がたったそれだけの事さ。」
「モルモット……」
ほんの少しだけ、師匠の瞳が揺れた。
「そ、だからさ、祐介くんほどじゃあないけど俺も結構ムカついてんだよね。自分の欲望の為に罪もない人間を、少女を苦しめるような腐れ外道にさ」
幾重にも重なった師匠の仮面の1つを今また、少しだけ垣間見た。
ほんの一瞬だったが、師匠の中の“鬼”を見た。
「わかりました、失礼な事を本当に申し訳ありませんでした。これはお返しします」
深々と頭を下げて師匠のロケットを返す。
「いや、それは君が持っててくれないか」
「え?」
「俺の誓いの証みたいなもんだ。今度は必ず助けるってな」
深くは聞かなかった。今はまだ聞くべきではないと思ったから。
「わかりました。よろしくお願いします」
もう1度深く深く頭を下げた。
「お〜そ〜い〜よ〜!」
待ちくたびれたスピカが不満げに声をあげる。後ろには不安そうな表情を浮かべこちらを伺う美愛がいる。
ほんの少し離れただけなのに、まるでずっとずっと会ってなかったかのような感覚を覚えた。まるでスピカが遠くに行ってしまったような話ばかりを聞いたからだろうか。でも、スピカはここにいる。魔法世界の住人だろうが元奴隷だろうが無限の魔力を秘めていようが、スピカはスピカだ。俺の大切なスピカだ。
抱きしめたい衝動を必死に抑える。スピカには何も知らずにいて欲しい。抱きしめたりしたら妙に鋭い所があるスピカに感づかれてしまうかもしれない。悲しい事は知らなくていい。これからは幸福と笑顔だけに満ちた人生を歩むんだ。そのお膳立てはすべて俺がやってやる。だからお前はなんの心配もせず、前だけ向いていてくれ。
「ゆすけ?」
「え? ああ、悪い悪いってお前それ……」
スピカは大事そうにあの7色に輝く木彫り?の熊を抱えていた。
「あ……ししょお!スピカこれ貰ってもいい?」
お前がそれを大切にするというなら俺は専用の台座を買って日に3回磨いてやろう。
「ああ、いいよ、持ってきな」
「わぁ〜い! ありがとうししょお! はい、これお返し」
お気に入りのポシェットから取り出したのは手作りのビーズのブレスレットだった。
「スピカ、それお気に入りだったんじゃないのか?」
「うん、だからあげるんだよ?」
師匠はブレスレットを受け取るとすぐに左手にはめて見せた。
「ありがとうスピカちゃん、大事にするよ」
師匠は嬉しそうだった。本当に嬉しそうだった。
「うん! でもね、壊れやすいから壊れたら言ってね? 新しいの作るから」
「壊さないよ、命に代えてもね」
師匠は別れるまで、愛おしそうに何度も何度もブレスレットとスピカを見ていた。
日も傾ききった師匠の屋敷からの帰り道、スピカを環に任せて俺と美愛は近所の公園へ足を運んだ。
そこで美愛にすべてを話した。
包み隠さずすべてを。
美愛は静かに、それでいて激しく涙を流した。
俺は黙って美愛の頭を胸に抱き寄せた。小さな嗚咽が俺の鼓膜を震わせるたびに涙が溢れそうになるのを必死に堪える。今は美愛の、みんなの涙を受け止める事が俺の仕事だ。俺が泣くのは、すべてが終わってからにしよう。
1時間か2時間か、あるいは10分か20分だったのかもしれない。止めどなく湧き続ける涙をようやく抑える事ができるようになった美愛は、ひと言
「スピカちゃんに会いたい」
と小さく呟いた。
「帰るか、家に」
力なく頷く美愛の手を引いて、俺たちは俺たちの家へ帰った。
「ただいまぁー」
美愛が精一杯の空元気を振り絞って叫んだ。
「しぃー」
足早に迎えてくれた環が静かにのジェスチャーを取る。
居間では遊び疲れたスピカが気持ちよさそうに眠っていた。
「師匠の家で結構はしゃいでたからね、疲れちゃったんだね」
美愛が愛おしそうにスピカの髪を撫でる。
「じゃああたしはもう帰るね」
そそくさと帰宅の準備を始める環。
「もう暗いから駅まで送るよ」
「いいよいいよ男の子に送ってもらうなんてそんな柄じゃないしさ、スピカちゃんの側に居てあげな〜」
ひらひらと手を振って笑う環。
「いや、送るよ」
「いいってば〜」
環は多分1人になりたいんだと思う。でも俺は、今、環を1人にしてはいけない気がした。
「環、頼むよ」
「……わかったよ、したらお願いしましょうかね」
家を出てから、環はずっと無言だった。
駅までの道程も半分を切ろうかというところで、環はポツリと。
「悔しい」
そう呟いて、涙を流した。
「わかってる、あたしがついてったところで……足手まといにしかならない事は。でも、それでもあたしは何かしたかった。スピカちゃんの為に何かを。オカルトはあたしの領分なのに。師匠に憧れてオカルトの知識いっぱい仕入れてさ、あたしも結構なもんだって自負してたけど、全然ダメダメだ……大切な友達1人救えないんだもん……悔しいよ……情けないよぉ!」
環は、大声をあげて泣き喚いた。自分の情けなさを、自分の不甲斐なさを呪って。
「違う!」
そんな事する必要は無い。環の悲しみに負けない声で喝を入れる。
「そんな事ない! お前が居なきゃ師匠に会えず、俺たちはスピカを助ける事ができなかったんだ!」
「でも、あたしが師匠と美愛とたまたま知り合いだっただけで……」
「そうじゃないだろ! お前が真剣にオカルトに取り組んでて、その情熱があったから美愛も大切なスピカの事をお前に相談しようと思ったんだ! その信念があったから、師匠はお前がいつか世界の仕組みに辿り着くと思って弟子にしたんだよ!」
「でも……」
まだ言うか、俺も腹が立ってきた。じゃあ言ってやろう、ずっと言ってなかった事を。
「それに! お前はスピカの友達だ! 大切な親友なんだ! 知ってるか? スピカはな、お前にしか見せない笑顔があるんだ。親代わりの俺や美愛と居る時には見せない、親友、いや、姉妹のようなお前にだけ見せる笑顔が!
」
「あたしにだけ……?」
「ああそうさ! お前が帰った後、スピカはお前と遊んだ事、次は何をして遊びたいかをずっと話してるぞ! 俺はそれが悔しいんだよ! 悔しくて悔しくて、そして……感謝してるんだ! スピカの友達になってくれた事を、スピカの姉になってくれた事を! お前と居る時のスピカは本当に楽しそうなんだ!」
「スピカちゃんが……」
1度収まった環の涙がまた流れ出す。
今度のは悲しみじゃない。
「駄目か? スピカと親友で、姉で、一緒にいるとスピカが笑うって、それじゃ駄目か? お前がいる意味は!」
「ううん、そんなことない……ごめん……ごめん、古鷹くん、スピカちゃん……」
「謝られるような事はひとつも無いぞ」
「うん……ありがとう……ありがとう」
そう言って環は、精一杯の笑顔を作った。
それからの日々は、地獄だった。
夏休みにスピカとしようって約束していた事が沢山あった。
海水浴、キャンプ、釣り、サイクリングetc……
そのすべてがキャンセルになった。
スピカには
「師匠に聞いただろう? お前は異世界の人間なんだ。それでな、ちょーっとこっちの世界に来る時に軽い、軽ーい病気になっちゃったみたいなんだよ。ああ、大丈夫大丈夫、師匠が今お薬を取ってきてくれてるから。それを飲んだらすーぐ良くなるからな。でも一応安静にって事で師匠が帰って来るまでは、あんまり外に出歩かないようにしないといけないんだ」
と言ってある。
無論スピカはごねた。
「えー! スピカ大丈夫だよぅ」
最初は、スピカのやりたい事を全部させてあげようかとも思った。
でも、すぐに思い直す。だって……
「今は大丈夫でももしもって事があるから駄目だ。だから今年の夏にできなかった事は来年ぜーんぶしような。来年があるんだから」
そう、来年があるんだ。
来年も再来年も、これから夏は何度だって来るんだ。
だから今、焦る必要なんてひとつもないんだ……
スピカは渋々納得してくれた。
「来年はぜぇーんぶやるからね! 約束だよ!」
美愛も環も毎日家に来てスピカと遊んでいる。
お気に入りのアステカマンだかなんだかのDVDを見たりごっこ遊びをしたり。近所の雑貨屋で趣味の悪いアイテムを購入したり。毎日楽しく過ごしている。
しかし、いつ、どこで、何をしていても、俺たちは常に押し潰されそうなほどの恐怖に襲われていた。
「スピカが、死ぬ」
この目の前の愛する人が死ぬ。
2度と笑ってくれなくなる。
2度と名前を呼んでくれなくなる。
2度と頭を撫でられなくなる。
もう2度と、スピカに会えなくなる。
少しでも考えると頭がおかしくなりそうになる。
美愛も環も、こっそりトイレで泣いている事が多くなった。
「このまま時が止まって欲しい」
月並みで陳腐な言葉だ。
だけど、何よりもそれを望んでやまない。
「人を殺せば願いを叶えよう」と悪魔が囁けば、俺は聖人だろうがクズだろうが迷わず殺すだろう。
けれど、スピカの前でそんな苦しみはおくびにも出さない。
出してはいけない。
スピカには、ただ幸せであって欲しいから。
ある日の昼下がり。
「スピカね……欲しいものがあるの……」
俺は嬉しかった。スピカが喜ぶことはなんだってしてやりたい。
「ん? なんだ?」
「あのね……スピカね……」
「うん、なんでも言ってみ?」
「……中華鍋がほしいの」
「ちゅ中華鍋ぇ?」
思わぬおねだりに度肝を抜かれた。これだからスピカとの生活はやめられねえ。
確かにスピカは最近中華料理にハマっていた。 検索履歴に「周富徳」が残っていた。しかし……
「中華鍋を振ってみたいのね。それならいい考えがあるんだけど」
「いい考え?」
翌日俺たちは、クラスメートの谷村の家がやってる中華料理屋へと足を運んだ。
「悪いね急に厨房貸してくれなんてさ」
急なお願いに快く答えてくれた谷村に感謝する。
「いいって、定休日だしさ。親父に話したら「若い子が中華料理に関心を持ってくれるのは非常に喜ばしい事だ、じゃんじゃん使ってくれ」ってさ」
厨房だけでなく食材や調味料まで提供してくれる事になり、本当に頭があがらない。
「そうは見えないかもしれないけどさ、俺本当に感謝してるんだぜ。本当にありがとう」
スピカの為にここまでしてくれた事が、たまらなく嬉しかった。
「だーらいいってば。で、その子がスピカちゃんね」
厨房に入るなり目をキラキラさせて調理器具やら調味料やらを眺めるスピカ。
師匠の屋敷に行った時と一緒だ。
話を振られてあわてて谷村に向き直るスピカ。
「初めまして! 古鷹スピカです! きょうはほんとーにありがとうございます!」
深々と頭を下げるスピカ。俺の教育の賜物だ。あとN○K。
「ご丁寧にどうも。谷村直哉と申します。……あれ? 「古鷹」? 遠い外国の親戚じゃ?」
しまった。
「いやーなんの因果か回り回って同じ名字でさぁ……あは……あはは」
苦しいか?
「ふーん、まあいいや、そんじゃあスピカちゃん、好きに使っていいからね」
「わぁーい!」
重ね重ねありがとう、谷村くん。
「できたぁ!」
念願の中華鍋も存分に振ったスピカは、見事なチャーハンをこしらえた。
「美味しそー!」
香ばしく食欲をそそる香りが辺りを包んでいる。
「おっできたのかい?」
谷村の親父さんも匂いにつられてやってきたようだ。
恰幅がよく、人の良さそうな顔をしている。どことなく某配管工を思い出す。
「あっ親父さん、今日は本当にありがとうございます。ほら、スピカも」
「おやじさん、ありがとうございます!」
2人で頭を下げる。
「ははは、いいって。おじさんも嬉しいんだから、こーんな若い子が中華料理に興味もってくれてさ。おじさんにもひと皿くれるかい?」
「勿論です、どうぞ」
全員に皿が行き渡ると
「いただきまーす!」
「「「「「いただきまーす!」」」」」
スピカの音頭で一斉に食べ始めた。
「うん! 美味いよスピカ!」
「ほんと、美味しい!」
「いやーあたしもこれほどのものはなかなか……」
「うん、凄いねスピカちゃん」
口々に感想を述べるが、スピカは何故か黙ったままだった。
「どうしたの、スピカちゃん? 具合悪いの?」
俺たちに緊張が走る。まさか……
しかし、沈黙を破ったのはスピカではなく親父さんだった。
「もっとご飯がパラパラしてると思ったし、味のバランスも整えられてる。そう思ったんだろ?」
親父さんの指摘にスピカは小さく頷いた。
「そうだね、とっても美味しいけどこのチャーハンはまだまだ改善の余地がある。でもね、君ぐらいの年でここまでのものを作った上に問題点まで理解してるなんて本当に大したもんだよ、十分に誇っていい」
親父さんにここまで太鼓判を押されるなんてスピカの腕はやはり天賦の才だ、などと1人親バカに浮かれてたがスピカはまだ浮かない顔だった。
「ふむ……スピカちゃん、おじさんがチャーハン作ってるところを見てみるかい?」
スピカの目がまた輝きを取り戻す。
「うん! 見たい!」
「ははは、じゃあ作ろうか」
「うん!」
そして2は厨房へと消えていった。
そしてそこから8間、2人はチャーハンを作り続けた。
親父さんのチャーハンに感銘を受けたスピカが親父さん監修の元チャーハンを作った。
すると親父さんが
「新しいスピカちゃんだけのチャーハンができるかもしれない」
と中華魂に火が着き、2人のチャーハン研究が始まった。
「ちがぁーう! この味じゃなぁーい!」
「おやじさん! このスパイスが足りないのかもしれない!」
「待てよ、この味ならあれが……」
「スピカたちは、とんでもない勘違いをしていたのかもしれないよ……」
次々と量産される試作品のチャーハンは、商魂逞しい谷村のおばさんがパックに詰めて店の前で販売し始めた。口コミで噂が広がり、あっという間に黒山の人だかり。俺たちも駆り出されて、非常に割りのいいバイトと相成った。
「おやじさん……やっぱり原点に戻ろう……」
「そうだ……俺たちは大切なものを忘れていた……」
厨房では白熱の中華バトルが繰り広げられていた。
「「ちょっと出てくる!」」
そう言って飛び出したふたりとあわてて後を追いかけた美愛は、1時間後山ほどの調味料やら香辛料やらを抱えて帰ってきた。
「スピカちゃん、ゴールは目の前だ……行くぞ!」
「はい!」
ぶっ続けでチャーハンばかり作ってるというのに、なぜ2人はあんなにもテカテカしてるのだろう。
油か?
「「ででででで出来たぁ!」」
店頭販売も終え、ひと息ついていた俺たちの元へ、黄金色に輝くチャーハンを持った2人が現れた。
「できたよ! スピカのチャーハンが!」
うんざりするほどチャーハンの匂いを嗅いでいた1日だったのに、そのチャーハンの香りは俺の食欲をビンビン刺激した。
「いただきまーす!」
「「「「「いただきまーす!」」」」」
またスピカの音頭で、結局全員完成したチャーハンを食べることになった。
「……う、うまい!」
「ほんと……凄く美味しい!」
「駄目、言葉がでないわ……」
「親父、こりゃうちのよか美味いぞ!」
スピカも親父さんも満足そうに笑っている。
「スピカちゃん……ありがとう」
親父さんがコック帽を脱ぎ、深々と礼をする。
「なんで? お礼を言うのはスピカの方だよ?」
スピカはキョトンとしている。俺たちも同じだった。
「いいや、おじさんはスピカちゃんのおかげで忘れかけていた中華への情熱を思い出したよ。現状で満足して歩みを止めていた。スピカちゃん、君のおかげでまた歩き出せそうだ。これからはこのチャーハンに負けないもっともっと美味しいチャーハンを研究するよ」
「おやじさん……うん! スピカ、楽しみにしてるね!」
とびきりの笑顔で答えるスピカを見つめる親父さん。ピシャリと思い切り膝を叩き一言。
「直哉、おめぇスピカちゃんを嫁にもらえ」
「ぶっ!!」
盛大に吹き出した俺のチャーハンを対面の環がモロに食らってしまった。
「ぎゃぁぁぁああぁぁぁあ!!」
悲痛な叫びをあげて床を転げ回る環をよそに話は進んでゆく。
「スピカちゃんがうちの嫁になってくれりゃあ「谷村飯店」安泰だ! いや、天下だって取れる! 直哉、それにおめぇあれだろ、ちっちゃくて可愛い子が好きだろ、じゃあいいじゃねぇか」
「ぶほっ!!」
やっとこ席に戻った環に今度は俺の烏龍茶が襲いかかる。
「イヤァァァァアアアァァァァァアァ!!」
哀れ環、死して屍拾う者無し。
「親父おめ……何言ってやがんだ!誤解を招くような事を……」
「何が誤解だ馬鹿野郎! 親舐めんじゃねぇ! それにスピカちゃんがいれば5階も6階も建て放題よ!」
親父さんは最後までスピカを諦めなかった。
いや、多分今も諦めてないだろう。
谷村飯店からの帰り道、月を見上げてスピカが呟いた。
「スピカね、将来はコックさんになりたいな。スピカが作った料理を美味しい美味しいって食べてくれるのがすっごく嬉しいの。それにね、新しい美味しいものを作るのもすっごく楽しかった。だからスピカはコックさんになってゆすけと美愛と環に美味しいものいーっぱい作ってあげたいの!」
スピカが初めて「夢」を見つけた。
笑顔で夢を語るスピカに、俺たちはなかなか返事をしてやれない。声を出すと、泣き出してしまいそうだったから。
「なれるよ、スピカなら絶対」
必死に涙を堪え、ようやく絞り出した言葉に嘘偽りはない。
スピカならなれる、絶対なれる、心からそう信じている。
「うん!」
夢見るスピカの希望に満ちた笑顔が、月明かりに照らされていた。
その夜、スピカが倒れた。
風呂上がりに床に座ってテレビを見ていたスピカの上体がコテンと倒れた。
最初は疲れて眠ってしまったのだと思い、ベッドへ運んでやろうとした。しかし、スピカは苦しそうに唸って胸を押さえていた。
すぐに美愛と環に連絡。2人には、いつどんな時だろうとスピカに異変が起きたら必ず連絡すると約束してあった。
そして、苦しみ出した時に飲ませるようにと師匠から貰った薬をスピカに飲ませた。
しばらくすると落ち着きを取り戻し、2人が到着する頃には安らかな表情で眠り始めた。
「スピカちゃんは!?」
「しっ……今眠った」
「師匠の薬効いたの?」
「そうみたい、今は落ち着いてるよ」
ほっと胸をなで下ろす2人。ここに着くまで、どんなに不安で苦しかっただろうかは想像に難くない。
師匠から貰った薬は体内の魔力を放出し、更に生成も抑えるというものだ。しかし加速度的に魔力量が増加するスピカにはあくまで対症療法としかなり得ず、いずれ薬も意味を成さなくなってしまうとの事だ。
「やっぱり今日、ちょっと無理させちゃったのかな?」
「かもな……」
1日中厨房に立ってたのだから疲れないはずがない。しかし……
「でも、スピカは今日夢を見つけたんだ。やらせなきゃ良かったなんて、思いたくない」
そうだ、スピカは夢を見つけたんだ。だから今日という日がなければ良かったなんてそんなのはスピカに失礼だ。
スピカに夢がある。なのに、なんでこんな事で苦しまなきゃならないんだ。燻っていた怒りがまたふつふつと沸き立つのを感じた。
「うん、そうだね……」
「ああ、そうさ……」
スピカの身を案じた2人は泊まっていく事になった。
結局、朝スピカが起きるまで誰も眠る事ができなかった訳だが。
「ん……んん……」
「おっスピカ、起きたか?」
「ん……あれ? なんで美愛と環がいるのぉ?」
心配そうに顔を覗き込む俺たちをよそに呑気そうな声をあげるスピカ。
「2人とも忘れ物があってさ、もう夜遅いからそのまま泊まってったんだよ」
「えー! じゃあスピカも起こして欲しかったよ〜!」
口を尖らせてヘソを曲げるスピカがなんだか可笑しかった。
「ははは、別に遊んでた訳じゃないよ」
「むー、それでも! それでも起こして欲しかったの!」
「悪い悪い、それよりスピカ、体はどこかおかしくないか?」
見た所大丈夫そうだが、油断はできない、できるわけがない。
「からだ? ん……んー?……ん? あれ? あれれ?」
「な……なんだ? どうしたんだ? どこかおかしなところがあるのか?」
スピカが胸を押さえて神妙な顔をしている。固唾を飲んで見守る俺たちにスピカはとんでも無いことを言い放った。
「スピカ……ちょっと胸が大きくなったような気がするなぁ」
「はぁ?」
「うん……こりゃ確実に大きくなってるね。 この事? ゆすけなんかしたの?」
「するかボケぇ!」
良かった。本当に良かった……
しかし……本当に大きくなったかぁ?
その日を境に、スピカは少しづつ弱っていった。
体力食欲が徐々になくなり、夜中もたまに苦しそうな声をあげるようになった。
スピカには「夏バテって奴だ、夏が終われば治るよ」と言ってある。
しかし、日に日に弱っていくスピカを間近で見せられながら何もできないというのは拷問に等しい苦痛であった。
そして、俺たちの心が限界を迎える少し前に師匠が帰ってきた。
「遅くなって申し訳ない」
師匠の集まった俺たちに、師匠はまず頭を下げた。
今回は美愛も参加している。スピカは隣の部屋にいるが師匠の魔法で様子が見えるようになっている。
「そんな、やめてください」
師匠は必死になってスピカを助ける方法を探し回ってくれたんだ、謝るだなんてそんな……
「本当はもっと早く帰って来たかったんだが……とにかく、順を追って話すよ」
そして、師匠のこれまで旅の邂逅が始まった。
「まず俺は、向こうの世界にいる情報屋を方々に飛ばしてあの紋章を探してもらった。紋章の出処は直ぐにわかったよ、やっぱり噂の貴族が秘密裏に使っていた物だった。そして、その貴族はこんなおふれを出していたんだ。「この娘を捕えたものに望むだけの褒美を取らせる。ただし、必ず生きて捕えるように。殺害したものは、その報いを受けることとなる」とさ。表向きは一族の家宝を盗んだ泥棒って事になってたけど、その紙にあった絵と特徴は紛れもなくスピカちゃんだったよ」
「それじゃあやっぱり……」
「ああ……更に調べたら、そいつは身寄りの無い子供やホームレスを騙して……人体実験を行っていた……奴らは捕らえた人々に、ありとあらゆる実験を施していた。拷問じみた事もね。恐らく君達が今想像するすべての事を、そして、想像すらできないような事もね 」
握りしめた拳がまた肉を貫く。必死に冷静を保とうとする俺にとってこの痛みはむしろ心地よかった。
「気休めになるかはわからないけど、スピカちゃんが実験に使われ……ごめん、言葉が思いつかない。実験はかなり後期の段階なんだ、だから無駄な実験は施されずに、あまり酷い拷問のような事はされてなかったみたいだよ。……それでも、少女が受けるには十分過ぎる仕打ちだ……」
部屋の鏡には、師匠の魔法でスピカの様子が映し出されている。俺は、それを見ることができない。もし今スピカの姿を見てしまったら、俺はどうなってしまうのか自分でもわからない。
「そんな囚われのスピカちゃんを助けてくれた人がいたんだ。それは、スピカちゃんのお父さんだよ」
「スピカの……父親!」
思わぬ人物の登場に俺も俯いて泣いていた2人もハッと師匠を見やる。
「ああ……スピカちゃんのお父さんはね、とある魔法研究家だったんだ。魔法研究家ってのはそれで食っていけるのはほんの一握りでね、スピカちゃんのお父さんも若い頃は奥さんと食っていくのがやっとだったんだ。そんな中産まれたスピカちゃんを、2人は育てる事ができないと判断し、孤児院に預けたんだ。向こうには生活保護なんて制度はないからさ、ホームレスか餓死するぐらいなら孤児院にと思ったんだよ。そして、お父さんはそれから10数年後に魔法研究家として大成するんだ。奥さんを病気で亡くしたお父さんは、自分にそんな資格は無いと分かりながらも一目スピカちゃんに会おうとした。そして知ってしまったんだ、自分の娘がおぞましい実験に利用されている事を。お父さんは施設を襲撃、確かに奥さんの面影と魔力を残す自分の娘を奪還した。しかし、娘は度重なる実験の影響で……心を壊していた。すぐ迫る追っ手。そしてお父さんは一か八かの賭けに出る。忌まわしい娘の記憶を消し、お父さんが研究していた「異世界への扉」を開いてそこに娘を送ったんだ。今度こそ自分が迎えに行く、そう決心してね」
「それが……スピカちゃんがこっちに来た理由……」
「でも師匠はなんでそこまでわかったの?」
「そりゃな、あったからだよ、お父さんに」
「えぇ!」
「スピカちゃんのお父さんはスピカちゃんをこっちに送った後すぐに貴族に捕まったんだ。それからずっと、激しい拷問を受け続けていた。貴族の奴らもこっちの世界の存在までは掴んでいなかったんだ。魔法で口を割らせるのはお父さんには効かなかったからね、肉体的、精神的に徹底的にいたぶられていた。死ぬ事も許されずにね。俺が助けた時には虫の息だった。それでも彼は決して口を割らなかった。それどころか彼は、娘にかかった呪い、「無限の魔力」への対抗策をずっと練っていたんだ」
「そん……な……」
良かったな、スピカ。お前には、お前を愛する家族が向こうにも確かにいたんだ。
「俺は彼からその対抗策を受け取った。そして彼に、娘さんは向こうの世界で彼女を心から愛する人に囲まれて生きている事を伝えた。環にもらった君達との写真を見せると、彼は涙を流して……息絶えたよ……。彼から君達に伝言だ、「本当にありがとう」と」
スピカのお父さん……こちらこそ、命をかけてスピカを助けてくれてありがとう、こちらの世界に送って俺たちを出会わせてくれて、本当にありがとうございます。
「それで、スピカちゃんだけど……さっき調べたらやっぱり魔力は前と比べて段違いに増えている。このままだと、もって1週間だと思う」
「い……1週間……それで、対策……対策は!」
「うん……落ち着いて聞いて欲しい。現状、スピカちゃんを治療する方法は……無い」
「え?」
そんな……スピカは…それじゃあ…スピカは……
「待った!」
師匠の言葉に意識を取り戻す。
「だからと言って絶望的な訳じゃあない、魔力治療はできないが、魔力を止めることはできる」
「ど……どういうことですか?」
「スピカちゃんの時を止める」
「時を……止める……?」
「そうだ、スピカちゃんの魔力は心臓に刻まれた何重もの刻印から発生している。その刻印を全て解除できればスピカちゃんの心臓は元に戻り普通の生活を送れるようになるんだ。けど、その刻印が一朝一夕で解けるようなものじゃないんだ。そこで、スピカちゃんを結界の中に封印する。その結界はスピカちゃんの時を止め、心臓が正常に戻った時に初めて解くことができるようになるんだ。そして、スピカちゃんを治療する方法を改めて探す。それが、スピカちゃんのお父さんから受け取った対抗策だ」
「コールドスリープ……みたいなものですか……」
「その通りだ」
コールドスリープ、現在の医学では治せない病気にかかった人が人工的に冬眠状態になり、その病気を治す方法が発見された後、目覚めるというものだ。冬眠中は病気の進行も止まり年も取らないらしい。
「すまない……今はこれが……精一杯なんだ……本当にすまないっ……」
師匠は悔しそうに唇を噛み締め、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、師匠」
俺の言葉を聞いて師匠はゆっくりと頭を上げた。
「ありがとうございます、俺たちに希望をくれて。スピカとは少しのお別れになってしまうかもしれない。でも、永遠の別れじゃない。絶望じゃない。またスピカと暮らすことができる、そんな希望をくれたんだ」
「古鷹君……」
「今度は、今度こそ俺たちがスピカを助けるんだ。師匠、その方法、必ず俺たちが見つけてみせます! だから、手を貸して下さい、お願いします!」
師匠に頭を下げる。そうだ、今度は待っているだけじゃない、俺たちの手で見つけ出すんだ!
「私も、お願いします! スピカちゃんの為に、戦いたい!」
「今度は足手まといなんて言わせない……師匠! あたし達を連れてって! もう一つの世界に!」
2人も俺に続いて頭を下げる。
「君達……君達は俺なんかよりずっと強い人間なんだな……すまない古鷹くん、ロケットをくれないか?」
懐にしまったロケットを師匠に渡す。
左手に持ったロケットとビーズのブレスレットを見つめて師匠は小さく呟いた。
「陽……お父さんに力を貸してくれ……」
こちらに向き直った師匠は、何かを吹っ切ったような笑顔だった。
「行こう、もう一つの世界へ、スピカちゃんを救いに!」
漆黒に覆われた空に、小さな4つの星が輝く。どんなに長い夜だったとしてもこの星が輝き続ける限り、俺は上を向いて歩けるんだ。
師匠の屋敷の1室、スピカはそこで1人遊んでいた。可愛らしい内装や家具を見るに、師匠の娘さんの部屋だったんだろう。
「スピカ、聞いて欲しい」
スピカにも話さねばなるまい、これからの事を。この事については、俺1人で話す事になった。スピカを過度に不安にさせない為、そして、俺がやらねばならない事だから……
ただならぬ雰囲気を感じたスピカは不安げな表情になる。
「あのな、実はスピカはご病気なんだ、薬が見つからなくてな、それでスピカは少しの間病気を治すためにお寝んねしなきゃならなくなったんだ」
「お寝んね? どのくらい?」
「わからない……でもな、俺たちが必ずスピカを治すお薬を探してくる、絶対にだ! だから、信じて欲しい……」
詳しい事は話さずにただ「眠ってもらう」「薬を探す」だなんて、不安になるに決まってる。
それに鋭いスピカの事だ、これがただの「おねんね」ではない事も感づいてるはずだ……
それでも……
「うん、わかった! スピカ、信じてるよ!」
スピカは信じてくれる。俺のことを。俺たちの事を。
安心してくれスピカは、俺は命に代えても、たとえどんな事をしても、お前を助けてみせるからな。
「ありがとう、スピカ。それでな……明後日おねんねする事になったんだ、だから明日1日なんでもスピカのお願いを聞いてあげるぞ。俺も美愛も環も、お前のためになんでもしてやる。何かあるか? 急に言われても出てこないか?」
「じゃあね……スピカお祭りに行きたい!」
「お祭り……ああ、神社でやるやつか。そんなんでいいのか?」
「うん、スピカみんなでお祭りに行きたい!」
「お安い御用だ、じゃあ明日はみんなでお祭りに行こうか」
「わぁーい!」
後で聞いたが、遠出は無しの約束とここ最近の体調不良でお祭りを諦めていたのだとか。
「じゃあ俺はまだちょっと師匠とお話があるからもう少し待っててな」
「うん!」
はしゃぐスピカを見ていると心が引き裂かれそうになり、逃げるように部屋を後にした。
翌日、早朝から家に集まった俺たちはスピカの作った朝食を食べた後、みんなで祭りに来ていく浴衣を買いに行った。
「わーいジョスコだジョスコだ! あっジョス公だ!」
今度はきちんと手を繋いでジョス公の元へと駆け出す。
「写真! 写真撮ろうよ!」
「え〜 ジョス公とぉ〜?」
「うん! みんなで写真!」
スピカにせがまれちゃ嫌とは言えない。俺たちはみんなでジョス公を囲んで写真を撮った。
「わぁーい!」
スピカが嬉しいと俺も嬉しいよ。
その後スピカは相変わらずのセンスでジョス公をふんだんにあしらった浴衣をチョイスしたが、俺たちの必死の説得で金魚柄の可愛らしい浴衣を購入した。
お祭りは夕方から。それまで俺たちは何をする訳でもなく家でいつもように暮らした。
それが1番、幸せだったから。
「よし、それじゃあそろそろ行くか?」
「うん!」
小高い山の上にある神社の麓で毎年行われる夏祭り。毎年代わり映えしない内容なのでいつからか足を運ばなくなっていた。
「へぇ、懐かしいな」
「裕介中学ぐらいから行かなくなったもんね」
「えー勿体無い! あたしは毎年欠かさず行ってるよ」
「だってそんなする事ないだろ?」
「風情がないなぁ風情が、ねぇスピカちゃん?」
「そーだよ! ふぜいが無いなぁゆすけは!」
「はいはいごめんなさいねっと」
「はいはいっかい!」
「はーい」
「のばさない!」
「はい!」
他愛のない会話。
今だけ、今だけは楽しもう、スピカの為にも。
それから、綿菓子、焼きそば、りんご飴、射的、ヨーヨー釣り、お面屋さん、謎のくじなど夏祭りのフルコースを思う存分楽しんだ。
「こんな所の焼きそばなんかスピカの足元にも及ばないだろ?」
「んーん、何だかね、すっごく美味しいよ!」
「スピカちゃんも風情がわかってきたみたいね、裕介とは違って」
「へいへいそりゃどーも」
一通り祭りを楽しんだ後、俺たちが神社の境内へやってきた。
「ここら辺でいいかな」
一際目を引く大木の根元に穴を掘り、そこに煎餅のカンカンを埋めた。
そう、タイムカプセルだ。
きっかけは昨夜のこと。
「ゆすけ、スピカ、タイムカプセルやってみたい」
「タイムカプセル? 色んなもの埋めて何年後かに取り出すってあれか?」
「そう! 明日埋めよ? で、スピカの目が覚めたら掘り出すの!」
「いいけど、掘り出すのは1週間とじゃすぐになるかもしれないぞ〜」
「いいの!」
スピカには悪いができればそうあって欲しい。
「じゃあ埋めるか、タイムカプセル」
「うん!」
という事でそれぞれお互いに内緒でこっそり品を入れ、カンカンを木の根元に埋めた。
「掘り返すのが楽しみだね」
「うん! ジョス公との写真、すっごくよく撮れてるよ!」
「え? スピカちゃん今朝の写真入れたの? てか言っちゃった」
「あ……」
「ははは、でも楽しみだな、ジョス公との写真」
「もー! みんな忘れて!」
本当に楽しみだ、もう一度スピカとここに来てタイムカプセルを掘り起こす日が……
その日はみんなで家に泊まった。
スピカが「今日はみんなでお風呂に入ろうよ」と提案したが、それは却下した。
いや、実は女性陣は承諾した。彼女達はスピカのお願いならなんだって聞く覚悟でいるのだ。しかし、流石に俺が断った。こういう時の女性の強さにはまったく頭が上がらない。
そして夜は俺、スピカ、美愛の川の字の上に環という、全員がスピカの隣になれる陣形で床についた。
「あのね、スピカね、お目覚めしたらやりたい事がいっぱいあるんだ」
「ん? なあに?」
「今年の夏にできなかった海水浴とかプールとかキャンプとか」
「うん、全部やろうね」
「あとね……スピカね……」
「ん?」
「恋……してみたいな……」
「こ……恋ぃ?」
「「「しぃー!」」」
思わず大声をあげてしまった。しかし2人は一切動じてない
「そうだね、スピカちゃんも恋、したいね」
スピカの恋人か……
駄目だ、どんな奴を想像しても腹が立って仕方がない。
「ゆすけの初恋はいつ?」
「え……え〜……」
「あっ、私も聞きたいな」
死ぬほど恥ずかしい、恥ずかしいがスピカに聞かれちゃ答えないわけにはいかない。
「小4の時かな」
「相手は?」
「そりゃあ……その……」
「ん?」
「み………美愛だよ……」
「あ……あーそう! あーそうなんだぁ」
「うるせぇぞ美愛!」
「ふーん、きっかけは?」
ぐいぐい来るなスピカ、やっぱりお年頃なのか? その割にリアクション薄いが。
「無い……かな。いつの間にか、女の子として好きになってた」
「あーそうなんだぁそうなんだぁ」
「だからうるせぇって!」
「ふーん」
「何だかスピカちゃんリアクション薄くない? 俺結構恥ずかしかったんだけど」
「ごめんね、でも予想どおりだったから」
「あたしも予想通りだった」
「あ…そう……」
「美愛は?」
「私? 私も裕介だよ?」
おおぅ……ずいぶんあっさり言ってくれるな……
「いつから? きっかけは?」
「どっちも忘れちゃった」
「おいおい、そりゃねぇよ、俺だって言ったんだからよ~」
「だって、あんまり昔過ぎてもう忘れちゃったんだもん。強いて言うなら、出会った時、一目惚れかな」
「お……おう……」
「わーすごーい!」
「キャー! ご馳走様!」
俺と反応ずいぶん違くね?
その後しばらく、女子3人のかしましい恋愛トークに花が咲いた。
ちなみに環の初恋の人はXファイルのモルダー捜査官だそうだ。
恋愛トークも落ち着き、あたりに沈黙が流れれた時、スピカが誰にともなく話し出した。
「スピカね、今すっごく幸せだよ。ゆすけがいて美愛がいて環がいて……みんなで大好きなスピカの家族。ゆすけは面白くて頼りになるお父さん。美愛は優しくて綺麗なお母さん。環は一緒にいるとすっごく楽しい……妹」
「え? 妹?」
思わず環が声を上げた。
「うん、環はたまにおっちょこちょいで危ないからね! スピカがお姉ちゃんだよ!」
「あっはっは! そりゃいいや! そうだな、環は妹でスピカはお姉ちゃんだ!」
「む、むー!」
「スピカの事お姉ちゃんって呼んで」
「え 、え〜……あー……おねえ……ちゃん……」
「わーい! なーに? 環?」
「あーっはっはっは!」
「わ…わらうなぁ!」
「ねぇ、みんな、スピカと出会ってくれてありがとう。幸せをくれてありがとう。家族になってくれて、ありがとう」
「な……なーに改まって言ってんだよ! ほら、もう寝るぞ!」
「うん、おやすみなさい」
スピカの寝息が聞こえた頃、小さく鼻をすする音が2ついつまでも聞こえてきた。
運命の日、4人で師匠の館に向かう。
途中何度もスピカの手を引いて逃げようかと考えた。
走って走って、神や悪魔、星さえ追いつけないほど走っていけばスピカと幸せに……
わかってる、無駄だって。
俺たちにできることは、例えいばらの道だろうと、星を見ながら前に進むだけなんだ。
屋敷の地下では、師匠が既に準備を整えて俺たちを待っていた。
「やぁ来たね、みんな」
「ししょー! おはよー!」
「うん、おはようスピカちゃん」
「あのね、スピカね師匠にプレゼントがあるの!」
「へぇ、なんだい?」
「はい、これ!」
それは色とりどりのビーズの服飾品だった。
「ししょースピカのブレスレット喜んでくれたからいっぱい作ってきたよ! お目覚めするまでこれを付けててね? お目覚めしたらまた新しいのいっぱい作ってあげるからね?」
「スピカちゃん……ありがとう……楽しみにしてるよ……」
師匠はそのひとつひとつを大切に受け取り、大事に宝石箱へと仕舞い込んだ。
「それじゃあ……そろそろ始めようか……」
「待って! やっぱり……」
「美愛!」
美愛の気持ちは痛い程わかる。が、駄目なんだ。それじゃあ、駄目なんだ。
環がゆっくりとスピカへ歩み寄り、優しく抱きしめる。
「スピカちゃん……ちょっとだけ待っててね。すぐにまた遊ぼうねぇ……」
「うん……アステリズムマンごっこ、したいな」
次に美愛が、スピカを抱きしめる。
「スピカちゃん……スピカちゃん!」
「美愛……あったかい……お母さんみたい……」
最後に俺が強く、強く抱きしめた。
「スピカ……必ず助ける……お前は俺の、宝物なんだ!」
「うん……スピカもゆすけのこと、大好き!」
離したくない。どうしようもなく離したくない。
でも、もう一度抱きしめる為に、手を離す。
「じゃあ、始めるよ」
スピカが着ていた服を脱ぎ始める。
その肌には、実験の悲惨さを物語る傷が刻まれていた。
「そうだ……はっ!」
師匠が手をかざすと、生々しい傷はみるみるうちに消え去り、美しい白い肌だけが輝いていた。
「これくらいは……ね……」
「師匠……ありがとうございます」
これが、スピカを取り戻す第一歩のような気がして、スピカの過去を洗い流せるような気がして、嬉しかった。
青く光る魔法陣の中央に立つスピカ。その光に照らされたスピカは神々しい美しさで、まるで天使のようだった。
魔法陣の光が激しくなる。
いよいよ、術が発動する。してしまう。
「スピカちゃん!」
「スピカちゃん!……お姉ちゃん!」
2人が叫ぶ。涙を流し、唾を飛ばし、声が枯れんばかりに叫び続ける。
俺は、一言だけ、力の限り叫んだ。
「スピカ! またな!」
「うん!」
とびきりの笑顔で答えてくれたスピカは、長い、長い眠りについた。