第1章 傷だらけの天使?
第1章 傷だらけの天使?
時は2015年、車もハイブリットが増え始め、建物はLEDライトや全面禁煙の物が多くなってきた。
そんな21世紀初頭の春。宿題という呪縛の無い春休みの放課後という非常にウキウキするはずの時間を、俺桜ヶ丘高校2年5組出席番号13番「古鷹祐輔」は暗い表情で星空を見上げていた。
「進路かぁ……」
誰に言うでもなく、強いて言うなら自分に向けて1人呟く。
終業式の後、HRでの担任の話が頭から離れない。
『いいかぁお前たち、お前たちもいよいよ3年生だ。将来を左右する大切な時期だぁ。進学するにせよ就職するにせよ何にせよ、ぜぇったいに悔いの無いように過ごしてほしい。そして、自分に正直に生きてほしいんだぁ。いいかぁお前たち――』
顔もデカけりゃ声もデカい暑苦しくうっとおしい、がしかし、曲がったことが大嫌いで言葉だけではなく行動を持って生徒を信頼し生徒の信頼に応えるこの森崎という担任が俺は嫌いではなかった。
だからだろうか、他愛もないはずのモリセンの言葉が、暗雲のように頭の中を漂っている。
つい昨日まで「明日からは積んでいたゲームを徹夜で崩してやるぜ!」なんて息巻いていたのに、今やまっすぐ家に帰る気になれず、当てもなくふらふらと街を彷徨っていた。
「はぁ……いい加減帰ろ」
またも1人呟いて空を見上げた。
すると、東の空に青く輝く星が1つ。
ぼんやりとその星を見上げていたが……
「星じゃない?」
その光は星じゃなく、確かに空で輝いていた。
ゆっくりと降りてくるその光は、やがて潰れたデパートの上へと着陸したように見えた。
デパートは帰り道の途中にある。潰れて以来管理が甘く誰でも簡単に屋上へと行けてしまうのだ。
しかし、そのため暴走族のような輩のたまり場になっているのもまた事実。おまけに幽霊が出るともっぱらの噂だ。
生きてるにせよ死んでるにせよ、そんなところにいる奴はろくでもないに決まっている。
決まっているのだが……
「なーんで俺は来ちゃったのかねぇ……」
あの青い光が何なのか、どうしてもその好奇心に勝てずこんな所までノコノコとやってきてしまった。
おっかなびっくり屋上まで上った俺は、およそ現実とは思えない光景に出くわした。
「おんなの……子……」
年の頃なら中学生程度だろうか。少女が青く輝き中に浮いている。
美しい銀色の髪はボサボサで、どこか煤けている。
体育座りのような恰好で眠るように目をつむる横顔は日本人とも外国人とも取れるが、苦痛に歪んでいるように見える。初雪のように透き通った白い肌には、所々青あざのようなものが見て取れる。
服と言っていいのか憚られるボロきれを纏った少女はゆっくりと地面へ降りて行った。
「おっと」
地面へ着く前にお姫様抱っこの要領で少女を抱える。
青い光が消え、それまで感じなかった少女の重さが両手に圧し掛かるが、それは人とは思えぬほどに軽かった。
「け……警察に……」
何という? 「親方! 空から女の子が!」とでもいうのか? アニメの見すぎだと笑われるに決まっている。
念のため首元を調べてみるが、青いペンダントは見当たらなかった。
「えーっと、とりあえず……」
「うぅ…」
玻璃のような声がか細く聞こえてきた。少女が顔を歪めている。
いくら春とはいえ夜はまだまだ寒い。こんなぼろきれ1枚では春風が堪えるのだろう。
「とりあえず……」
とりあえず、家に連れて帰ることにした
「はぁやれやれ」
俺はデパートから10分もないところのアパートに1人暮らしをしていた。近いとはいえ、ぼろきれを纏った少女を背負って歩くというのは非常に人目を引いた。こそこそすると更に誤解を招くかとあえて堂々と歩いたのは逆効果だったか……
とにかく少女をベッドに寝かせ、すでにうっすら埃を被っていた暖房機に火を入れた。
連れて帰ったはいいがどうしたものか……
こんな場面を誰かに見られたら十中八九お縄だ。
しかし、警察に引き渡したところでこの子はどうなってしまうのか。
「うぅ……ん」
考えあぐねていると少女が目を覚ましたようだ。
「ああ、おはよう、ことば、わかる?」
一言一言丁寧に話しかける。
しかし
「~……~~~……~~」
「駄目だ、何言ってるか分からん」
怯えた表情で全く聞いたことの無い言葉を操っている。
そして、よくは分からないがその言葉すらもどこかたどたどしいようだった。
「~~~~~~~」
言葉は分からないが、怯えているという事だけは表情とニュアンスで分かる。
「う~ん、そうだ!」
そそくさと台所からオレンジジュースとコップを持ってくる。
トクトクとコップにジュースを注ぎ少女に手渡す、が、少女は困惑の表情でコップを見つめるばかりで一向に飲もうとする気配がない。
「え~と、ほら! 大丈夫だよ!」
俺はもう1つのコップにもジュースを注ぎ、目の前で飲んで見せた。
すると、少女もまたゆっくりとコップを口元へと運び、恐る恐る口に含んだ。
「!!!!!!!」
少女の目がカッと見開かれる。信じられないといった表情でオレンジジュースをごくごくと飲み始めた。一気に飲み終えると、恍惚といった表情でぼんやりとしている。
果汁30パーセントお勤め品で52円の紙パックジュースでそこまで喜んでくれたなら買った甲斐があるというものだ。
少女はちらちらと俺の手の中のコップを見ている。
「あぁ、欲しいの? あげる」
コップを差し出すと少女の顔は花が咲いたように笑顔になった。
そんな顔に見惚れていると、焦りすぎたのか少女の手が弾いたコップが俺の股間にヒットした。
「うわ!」
息子へのダメージは免れたが、股間がフルーティーな香りになってしまった。
股間がフルーティーな男が少女を自宅に連れ込む事案が発生。
などとアホなことを考えて、ふと少女に目をやる、すると。
「~~!~~!~~!」
頭を両手で抱え、ガタガタと震えながら何かを呟いていた。
聞いたこともない言葉だが、何を言っているのか見当はついた。
「ごめんなさい」だ。
少女は呪文のようにつぶやき続け、怯えた目で俺を見ている。
なんて目だ、いったい何をどうしたらこんな目をさせることができるんだ?
この少女はたかがジュースをこぼしたぐらいで、いったい俺に何をされると思っているのか。考えただけでも虫唾が走る。
少女の目に耐えられない。
こんな目が自分に向けられてるなんて耐えられない、一刻も早くこの子を安心させてやりたかった。
「ごめんごめん声荒げちゃって、全然怒ってなんかないよ」
努めて優しい声で語りかけるが、警戒は解けない。
「う~ん、あっっほら、怒ってない、怒ってないよ~」
言いながら俺は両手を顔の横でひらひらさせてひょうきんなステップを踏んだ。我ながら間抜けな状況だが、例えどんな国でもこんな男が怒っている訳がない。
すると、徐々に少女の瞳から恐怖の色が薄れ、震えがおさまりだした。
「怒ってないよ~あっほら、ジュースもう1杯飲みなさい」
慌ててもう1杯ジュースを差し出してみる。おずおずとコップを受け取ると、またゆっくりとジュースを飲みだした。
「ふぅ……」
怒ってないダンス(仮)やめてどっかりとその場へ座り込む。
美味しそうに安物のジュースを飲む少女を見て考える。
この少女は何者なんだ?
空から降ってきた?
それに光って浮いていたぞ?
言葉も通じない、服と言っていいのか分からないぼろきれしか持ってないし、それに体には痣みたいのが付いてる。
そしてあの目。この子は一体どんな仕打ちを今まで……
考えたくもない。
考えたくもないが、嫌でも想像してしまう。こんな、こんな幼い少女が。あんなにひまわりみたいに笑う少女に、誰かが……
決めた、俺は、この縁もゆかりもない少女を、この少女の笑顔を……
「必ず、守ってやるからな」
「~~~~~~~!」
空になったコップを差し出して少女が何か言っていた。
無論意味は分からなかったけれど、その声は、今までよりもずっと明るかった。
「ん、朝か……」
日の光を顔に浴びて、俺は目覚める。
昨日はあの後、簡単な食事(やっすいカップラーメン、それでも少女は驚愕してたが)を済ませると、少女はすぐに眠りこけてしまった。
俺は少女にベッドを明け渡し、居間でがちゃがちゃとテレビをザッピングしているうちに眠ってしまったようだ。
ふと見ると少女が食い入るようにTVを見つめていた。
「それじゃ、お友達紹介を……」
「「「「えーーー」」」」
テレビではお約束の白々しいやり取りが――
「今何時だ!」
時計を見るとすでに正午を30分は回っていた。いささか寝すぎてしまったようだ。
「やっべーごめんごめん、お腹すいたろ? 今ご飯作るからな」
言葉が通じないと分かっていてもつい話しかけてしまう
「うん、おなか、すいた!」
「はいはい、ちょっと待って下さいね……えっ!」
驚いて元気なお返事が聞こえた方へと顔を向ける。
少女がキラキラした目でこちらを見つめている。
「え? 今、日本語喋った?」
「うん! にほんご、だいすき! あさは、おはよう!」
つらつらと日本語について講釈してくれる少女。
日本語大好き……そうだ、子供向けの教育テレビにそんな番組がやっていたような。
少女はいつ起きてきたのかは分からないが、ずっと付けっぱなしだったテレビを見て日本語を学んだのだろう。リモコンの使い方も、昨日の俺を見て学んだのか。
(この子、本当はすごく頭が良いのか? いやそれにしたって……)
グゥゥ
とりあえず考える前に腹の虫を退治することにした。
「ごちそうさまでした!」
「はい、お粗末様」
今は朝飯なのか昼飯なのか散々迷った結果、オムライスに味噌汁という朝昼折衷? に落ち着いた。
少女は慣れないスプーンで必死になって美味しそうに食べてくれた。しかもいただきます、ご馳走様もきちんと付けて。
「さて……」
少女は今だぼろきれ1枚で暮らしている。俺のTシャツやズボンを貸したかったが、恐らく彼女は着方が判らないだろう。そうなると俺が着せてあげることになるのだが、やはりお年頃の女性の一糸まとわぬ姿を男が見てしまうというのは非常にマズいだろう。
少女はそんな事気にしないだろう、それでも、いや、だからこそそういう事はきちんとしなければ。
だからと言って着たきり雀という訳にもいくまい。信頼できる女性の助けが必要だ。
こんな異常事態でも俺を、見知らぬ少女を助けてくれる女性。
心当たりは、1人だけあった。
俺は携帯を取り出し、履歴の1番上にあったその人物へ電話を掛ける。
とぅるるるるるる とぅるるるるるる
「何?」
ぶっきらぼうな第一声が飛び出す。
「よう美愛、今ちょっといいか?」
電話の相手は俺の幼馴染の永久守美愛。幼稚園からの腐れ縁で何かと世話を焼いてくるお節介だ。
「別にいいけど、何よ?」
「そのな……ちょっと大事な話があるから家に来てほしいんだ」
「え? な、なによ、だだ大事な話って」
「それは家に来てから……それとな」
「な、何?」
「あのな――」
ここからが大事だ、一呼吸置いて切り出す。
「お前の小学校高学年か中学の頃の服を持ってきて欲しいんだ」
「……はぁ?」
「頼む、何も聞かず持ってきて欲しい」
「い、いやいやいや、一体どういう了見よいきなり! しかも訳も聞かずって!」
当然そうなるだろう。幼馴染の男子高校生がいきなり訳も言わず昔の洋服を要求してきたのだ、何をどう考えても「変態」の二文字は避けて通れない。
だが、それでも、美愛ならきっと――
「頼む、大事な事なんだ」
「……ロクなことじゃなかったら承知しないわよ」
――信じてくれた
「ありがとな、じゃあ待ってるよ」
「ふぅぅ~」
俺は安堵のため息をつき、その場に座り込んで美愛を待った。美愛の家は歩いて10分の場所にある、服を選ぶ時間を考えても2~30分で到着するだろう。
少女は不思議そうに携帯を見つめている
「ああ、これは電話って言ってな……」
ピンポーン
どうやら美愛が来たようだ、俺はそそくさと玄関へ向かう。
「はいはーい」
「ちょっと、納得のいく説明をしてくれるんでしょうね!」
ぷんぷんと怒りながらもしっかりと服を持ってきてくれている。
「ああ、とりあえず入ってくれ」
玄関と居間を仕切る扉を開ける。
そこには、一生懸命スマホをいじくる少女が横たわっていた。
「え? 何? 誘? 変? ロリ?」
「おいおいおいおい! 物騒な単語は引っ込めてくれ!」
「いや、だって、じゃあこの子は何なのよ! 親戚ってわけじゃないでしょ! どこで拾ってきたのよ! こんなぼろ着せて! だから服持って来させた訳! 一体――」
怒涛のようにまくし立てていた美愛の口が不意に止まる。見てはいけないものを見てしまった、そんな動揺した表情をしている。
ハッとして俺は振り返る。さっきまで楽しそうに俺のスマホをいじっていた少女が昨日のように頭を抱えてガタガタ震えている。しかも今回はしっかりと「ごめんなさい」と日本語で呟いている。さっきまで明るい表情を見せており、しかも言葉を理解できるようになった分昨日よりも幾分かショックが大きかった。
「あ……私……」
美愛もまたショックを受けているようだった。
無理もない、あどけない笑顔を見せていた少女が自分に向けて恐怖と絶望の眼差しを向けているのだ、まるで自分が最低の屑になったような感情が湧き上がってくる。まともな人間ならば到底耐えられないだろう。
俺は美愛に助け舟を出すべく、耳元で「やるべきこと」を教える。
「え……なにそれ、恥ずかしい」
「いいのか? 彼女を安心させてやらなくて」
「うぅ……」
そう言われてはやるしかないと美愛も観念したようだ。
「ほ……ほ~ら、怒ってないよ~怒ってないよ~」
俺直伝の怒ってないダンスを笑顔で舞う美愛、長い黒髪と男にはない2つの「モノ」がある分美愛のダンスはなかなかに迫力がある。
「ちょっとどこ見てるのよ!」
「胸」
「少しは誤魔化せ!」
俺に怒りながらも決して笑顔は絶やさない、こいつ、俺以上の踊り手になるな……
すると、少女の震えも治まり、少し不安そうな目で俺を見つめてきた。
「大丈夫大丈夫、ちょっとおっかないけどこいつはいい奴だよ」
「ちょっとおっかないは余計よ」
学習したのか声を荒げずに抗議する。
「ほら、テレビでも観てなさい」
テレビを点けてあげると少女は食い入るように黄色いライオンの着ぐるみを見つめだした。
「ふむ、いかんな、このままでは怒ってないダンスをする人間は全員害がないと思ってしまう。怒ってないダンスをする悪人もいるという事を教えなくては」
「あんなアホみたいなダンス思いつくのはあんただけだから安心なさい。それより説明しなさいよね」
「ああ、実は……」
「そんな、空から光ってって……じゃあこの子は天使だっていうの?」
なるほど天使か、その発想は無かったが言われてみれば確かに少女は天使のようだ。
ただ、もし彼女が本当に天使だとしたら、天国というのは思ったよりいい所ではなさそうだ。
「で、この子名前は聞いてないの?」
「ああ、昨日は全く言葉が通じなかったからな、そういえば聞いてなかった」
「1日で話せるようになったってのも信じられないけど……とにかく聞いてみましょ」
「そうだな」
俺は少女を呼ぶ。少女はとてとてと俺たちの前にやってきた。
「ねえ、あなた名前はなんていうの?」
「なまえ?」
「そう、名前。私は美愛、み・あ」
胸に手を当てて自己紹介をする美愛。
「み、あ?」
「そう! 美愛! こいつは祐輔、ゆ・う・す・け!」
俺を指さす美愛。こいつって……。
「ゆ・す・け? ゆすけ!」
「いやいや、祐輔だよゆ・う・す・け!」
「ゆすけ!ゆすけ!」
うれしそうに俺を指さしてぴょんぴょんと飛び跳ねている、
「はぁ……じゃあいいよ、ゆすけで……」
俺は諦めた。
「そう、それが名前。あなたの名前はなあに?」
美愛は少女の胸に手を当てて尋ねる。
「なまえ? ん! ある! なまえ! ある!」
嬉しそうに声を上げる少女。自分の名前という概念を発見してよほど嬉しいのだろう。
「なまえ! にじゅうごばん! 25ばん! なまえ!」
美愛の表情が凍りつく。25番? それが名前?
「25ばん! 25ばんのなまえは25ばん!」
「違う!」
思わず声を荒げてしまう。少女はピタリと止まり、不安げに俺を見ている。
「あ……ごめん、怒ってるわけじゃないんだ、でもね25番は名前じゃないんだよ」
「なまえじゃ……ないの?」
「うん、そうだよ、それはなまえじゃない」
少女は今まで25番と呼ばれていたのだろう。でもそれは名前なんかじゃない。彼女を「管理」するために付けられた「番号」だ。決して名前なんかじゃない。
「じゃあ……なまえ、ないの?」
「……よし! じゃあ俺が名前を付けてやろう!」
「ゆすけ、なまえくれるの?」
満面の笑みで俺をみつめてくる、よほど名前を貰えるのが嬉しいのだろう、これは下手な名前を付けられなくなった。
「う~ん、それじゃあ……」
無い知恵を絞りだして彼女にぴったりの名前を考える。
う~んう~ん
何がいい?
彼女にぴったりの名前。
春の夜、青い光を放ちながら舞い降りた少女――
「スピカ……」
「スピカ? おとめ座の?」
「そう、そのスピカ。春の夜空の青く輝くんだ、ぴったりだろ?」
「すぴか?」
「そうだ、お前の名前は今日からスピカだ!」
「すぴか……スピカ! スピカのなまえはスピカ!」
出来立てほやほやの自分の名前を呪文のように何度も唱えながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「そうだ! お前はスピカだ! ハッハッハッ!」
気に入ってくれたようで俺も嬉しい。
「ちょっと、何勝手に決めてんのよ!」
せっかくいい気分なのに水を差す奴だ。
「じゃあお前は25番って呼ぶのか?」
「それは……」
「よし、スピカ! お前の力を見せてやれ!」
なんだろう、自分でもよく分からないスイッチが入っている。
「ちから?」
「そう、力だ、ピカーっと光ってやれ!」
「ひかり……」
「ほら、こんな感じで、ピカー!」
スピカに向けてスマホのライトを明滅させる。
「ひかり、ぴかー!」
水を掬うように両手を前に出したスピカが気の抜けた掛け声をかけたかと思うと、両の掌からまばゆい光がほとばしった。あの時とは違う、強く白い光だった。
「うお!」
「きゃ!」
俺たちはとっさに眼を庇う。
しばらくするとまばゆい光は緩やかに収束していった。
「おお! すごいぞスピカ!」
「スピカすごい? スピカすごい!」
もう一度掌を前に出したスピカを俺は慌てて静止する。
「ああ、もういいもういい」
スピカは残念そうに口を尖らせる。
見ると美愛は放心状態になっていた。
「ちょ……何、今の?」
「さぁ?超能力か、さもなきゃ魔法かな?」
あんまり呑気そうに俺が言うもんだから美愛も拍子抜けしたようだ。あんぐりと口を開けている。
「だから言ったろ? 光ってたって。実際俺もよく分からん」
「いやいやいや、こんなの、でも、だって……とにかく警察に――」
「なんて言うんだ? 空から降ってきましたってか?」
「それは……」
思わず美愛の言葉を遮ってしまう。警察。俺だってそれを考えた。
「とりあえずスピカを風呂に入れて着替えさせてやってくれないか? お湯は張ってあるからよ、このままじゃあ……」
「そ、そうね。話はその後にしましょう。さあスピカちゃん、お風呂に入りましょうね」
「おふろ?」
「そう、とーっても気持ちいわよ」
美愛はスピカの手を引いて風呂場へ消えていった。
美愛はいい奴だ。俺は美愛と協力して何とかスピカを幸せにしてやりたい。もちろん非常に身勝手な事を考えているのは百も承知だ、それでも……
すると突然、美愛が風呂場から飛び出してきた。ほんのりと湿り気を帯びたTシャツは美愛の身体にまとわりつきそのボディーラインを際立たせていたが、そんなことは今どうでもいい。
美愛は、泣いていた。
「おい、どうしたんだ?」
「ス……スピカちゃんの身体……アザ、とか手術の後みたいのとか……いっぱい……」
美愛は顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっている。その涙は、自分のためではなく、であったばかりの少女が受けたであろう理不尽に対して流されている。そんな美愛だから俺は。
「なんで……なんであの子が、どうして? それにあの時の目、誰が? 何でそんな事できるの?」
俺は美愛の頭に手をやり自分の胸へと導いた。怒りで歪んだ俺の顔を、美愛に見せたくなかったから。
「ああ……そうだな、俺も許せないよ。どうにかしてやりたいんだ」
「みあー? どこー?」
風呂場から声が聞こえる。
「は、はーい、今いくよー」
震えそうな声を必死に抑え、努めて陽気な声を出そうとする美愛。グシグシと目を擦り、風呂場へと踵を返す。が、2~3歩歩いた後、美愛は振り返らずにこう言った
「わかった、私も手伝う。スピカちゃんを、幸せにしてあげたい。」
美愛は多分、涙を流していたと思う。
「ありがとう」
たった一言。でも、俺の想いは伝わったはずだ。
「みーあー?」
「はーい、ごめんねスピカちゃん、私はここにいるよ、どこにも行ったりなんかしないからね」
高校生2人が、見ず知らずの国籍すら分からない少女を幸せにする。具体的なプランなんて1つもない。ただ、あるのは、あの子を守りたい、あの子を幸せにしてあげたいと想う心だけ。
それで、充分だろ?
それから、俺とスピカと美愛の奇妙な春休みが始まった
美愛はほとんど毎日家に来てスピカの世話をしてくれた。スピカも女の子、俺には分からないことが沢山あるのだ。
スピカはというとテレビにかじりついて離れない時間が多く、目が悪くなってしまうのではと心配していたが、スピカはスピカでテレビから言葉や日本の文化を学んでいるらしく、毎日ボキャブラリーが増えている。
もともと頭がいい子なんだろう、恐ろしく吸収が早いのだ。
試しに上から降ってくるぶよぶよしたものを4つ繋げると爆散する「ぶよぶよ」という落ち物ゲームで対戦してみると、30分も経たぬうちに俺が勝てなくなってしまった。
そうそう、言葉といえば、スピカが最初に少しだけ喋っていた言葉をもう1度話して貰おうと思ったら。
「ん~スピカ日本語しかわっかりませーん」
と胡散臭い外国人のような事を言われてしまった。どうやら本当に自分が最初に話していた言葉は分からないようだ。
外に出すかどうかは大いに悩んだ。外には危険が多い。俺の知っている危険も、俺の知らない危険も。だが、いつまでも家の中だけに閉じ込めておくことはできない。この子には色んな意味で自由になって欲しかった。美愛と話し合いを重ね、いよいよスピカを外に出す日が決まった。
「スピカ、明日外に出かけようか?」
「お外?︎ いくぅ! 美愛も? 美愛も?」
「うん、一緒にお出かけしようね」
「わぁぁぁぁい!」
かつてない喜びようだ、こちらまで嬉しくなってくる。
「どっか行きたいところあるか?」
無いだろうが一応聞いてみる。動物園、水族館、遊園地、いくつか候補はもう決めてあるのだ。
「ジョスコ!」
「へ?」
「ジョスコに行きたい!」
俺も美愛もぽかんとする。
「ジョスコってあのジョスコか?」
「ジョスコ!」
スピカは美愛が買って与えた自由帳の1ページを見せる。
そこには、大きな建物と紫の看板に刻まれたJOSCOの文字が。
「お前、絵に描くほどジョスコに行きたいのか」
「ジョスコ! ジョスコ!」
そういえばちょっと前にバラエティー番組でジョスコ特集をしていたな。あの時スピカ、 偉く真剣に観てたっけ。
「そっかぁ、じゃあジョスコ行こうか」
「ちょちょちょと待てスピカ、動物園って知ってるか? 動物が一杯いるんだ。水族館は お魚さんが沢山泳いでるぞ、遊園地はな……
「んー! ジョスコがいいの!」
プイっと口を尖らせるスピカ。
別にジョスコでも良いんだが一応当初の予定を提案してみた。するとスピカは、それでもジョスコがいいと言った。俺の言うことを聞かず、自分の我を通したのだ。自分に反抗するスピカ対して俺は、軽い感動を覚えていた。
俺が少し大きな声を出しただけでガタガタ震えていたのに、今や俺に意見するようになったのだ。それは、スピカを怯えさせていた誰かと俺は違う、安心して自分の意見を言うことができる相手として信頼されたような気がして妙な嬉しさがこみ上げてきた。
「動物園、行きたかったの? スピカ、動物園でもいいよ?」
不安そうな顔で俺の顔を覗いてきた。
なんてこった! 俺が動物園に行きたかったのだと勘違いして、気を使って動物園でもいいなんて言ってきた! 本当はジョスコに行きたいはずなのに!
なんて優しい娘なんだろう。こんないい娘を、こんな優しい娘を一体どこの誰が……いや、今はそんな事を考えるのはよそう、それより――
「ああいや、ごめんごめん、いいんだよ、ジョスコ行こうか?」
「ジョスコでいいの?」
「ああ、俺もジョスコに行きたかったんだ」
スピカがぱぁっと咲いたように笑顔になった。
「わーい! ジョスコだー!」
その日スピカは、いつもより2時間遅く眠りについた。
「本物のジョスコだぁ」
ジョスコに本物も偽物もあんのか聞きたかったが、水を差すのはよそう。しかし――
「なあスピカ、手なら美愛とだけ繋げばいいんじゃないか?」
「やだやだ、2人と繋ぎたいの!」
右手で俺、左手で美愛の手をしっかりと握っている。いわゆる親子繋ぎだ。
確かに出かける前に
「いいかスピカ、俺か美愛の手を絶対に離すなよ? 迷子になったら2度と俺たちに会えなくなっちゃうかもしれないからな。」
「わかった、絶対離さない」
というやり取りはあったのだが。
「いいじゃないの、ねースピカちゃん」
「ねー」
美愛、お前まで……
非常に恥ずかしいのだが、まあスピカが嬉しそうだし我慢するか。
「いい子にしてたら好きなもの買ってあげるからね?」
「うん! いい子にしてる!」
そして俺たちは、ふらふらとジョスコの中を散策した。
本屋、洋服屋、雑貨屋を観終わった頃、事件は起きた。
「あー! ジョス公だ!」
指さす先に居たのは、犬なのか猿なのか、はたまた猫なのか全くわからない謎の着ぐるみだった。
「なんだありゃ?」
「知らないの? ジョス公。ジョスコのゆるキャラ」
「ゆる……かぁ? どっちかっつうとキモキャラだろ」
「でも子供に大人気なのよ? ねぇスピカちゃん……スピカちゃん?」
気が付くと、俺たちはスピカを見失っていた。
5分間、たったの5分が50分にも5時間にも感じた。
次から次へと頭をよぎる嫌な想像。どこかで泣いているのか、人さらいにあったのか、それとも、スピカを脅かしていた誰かが奪い返しに来たのか。
押し寄せる人ごみをかき分けて、力の限りスピカの名前を叫ぶ。絶望から来る眩暈と吐き気をねじ伏せるように。
美愛は殆ど半泣きだった。正直俺も泣きそうだった。
すると
『スピカちゃんのお父様、お母様、迷子センターにてスピカちゃんをお預かりしております。繰り返ご連絡……』
1も2もなく飛び出して、迷子センターへと向かった。
するとそこには、目を真っ赤にはらしながらもペロペロキャンディーを舐めるスピカがいた。
「スピカ!」
「あ、ゆすけ! うわぁーーん! ゆすけぇ!」
泣きながら俺に飛びついてきたスピカを力いっぱい抱きしめる。小さな暖かさを感じて、ようやく俺の心は落ち着きを取り戻し始めた。
「絶対離れえるなって言ったろ!」
「ごめんなさぁい!」
怒ってはいないが多少語気を強める。2度と手を離さないように。スピカも、俺も。
「スピカちゃん!」
「美愛ぁ!」
「ごめんね、スピカちゃん、ごめんねぇ」
美愛は泣きながらスピカを抱きしめた。
「お父様とお母様、では無さそうねぇ」
ニコニコしながら優しそうな迷子センターのおばさんが呟いた。
「ご迷惑おかけしました,飴のお金を――」
「いいんですよ、こういう時のためのあめちゃんですから」
「すみません、本当にありがとうございました。ほら、美愛、スピカ、行くぞ」
なんとか落ち着きを取り戻しつつある2人を連れて、迷子センターを後にした。
「何ではぐれちゃったんだ?」
「あのねあのね、スピカ、どうしてもジョス公に会いたかったの。それでね、ジョス公の所に行ったらもうゆすけと美愛が見えなくなっちゃったの、それでね、もう2人に会えないと思ったら泣いちゃったの、そしたら……」
「OK、大体分かったよ」
まあ大体予想通りだった。初めて外に遊びに出たスピカに興奮するなというのが無理な話、俺たちがもっとスピカに気を配らなければと反省した。
「ねえ、ゆすけ?」
スピカがまた少し涙目になって話しかけてき。
「スピカ、悪い子だからお買いもの無し?」
あーそういえばそんな事言ってたっけ……
「なぁスピカ、こういう所で勝手に離れちゃ駄目ってわかったか?」
「うん」
「反省してる?」
「うん」
「よーし、ちゃんと反省できる子はいい子だ! もうしないって約束できるなら、お買いものしようか」
「やくそくするぅ!」
スピカは大きな大きなジョス公人形を嬉しそうに抱きしめながら家路についた。