第4章 少女は無邪気な魔族の王?
第4章 少女は無邪気な魔族の王?
時は2044年。車もぼちぼち空を飛び始め、心なしか銀色と流線型の造形物が増えたような気もするが、こと一般庶民の暮らしに関しては21世紀に入ってからそこまで大きな変化は見られなかった。
宇宙旅行は未だに夢のまた夢だし、TVもなんだかんだ紆余曲折を経て、結局超薄型の2Dという事で落ち着いた。
そして、桜ケ丘学園1年5組出席番号3番「明日風未来」は宿題という呪縛の無い春休みの終業式放課後という非常にウキウキする今日この頃を、悪友2人と階段掃除に勤しんでいる。
「なぜだ……何故俺はこんな時間にこんな所でこんな事をしているんだ……」
自在ほうきに額を預け、がっくりとうなだれる
「なぜ……はこっちのセリフよ! あたしゃ「最強の輪ゴム鉄砲を作ろう!」とかガキみたいなことほざいてたあんたら2人を止めようとしただけなのよ!」
悪友その1「古鷹春輝」は憤慨した。名前も性格も男っぽいが一応女だ。
「あーもう! こんなもんババッとゴミ吹き飛ばして適当にササッと集めときゃわからんわよ!」
一応女だ。
「なにが「巻き込まれた」だよ。おまえだって「ここを締めれば殺傷力アップ!」とか騒ぎ出して、それが原因でバレたんだろう。“巻き込まれた”のは僕とアスカだ」
悪友その2「友永廻」がやれやれといったようにつぶやく。
ちなみに「アスカ」というのは未来の事。あすかぜの「あすか」を取って「アスカ」。廻が小学生のころに発明して以来、未来のあだ名としてそれなりに浸透していった。
廻はスポーツがあまり得意ではないが、それを補って余りある成績優秀容姿端麗。下縁のない眼鏡が様になるナイスガイ。が、いかんせん女にモテない。
いや、廻のファンはそれなりに居るのかもしれないが……
「僕だって今日は「劇場版我らはラブキュアオールスター~喰らえ!愛の鉄拳80発~」の限定版ディスクが届く日なんだ。知ってるか? 初代ラブキュアから最新作の仁義!ラブキュア5の計80キャラが勢ぞろいするんだ。声優だけでも馬鹿に……」
「はいはいわ・か・り・ま・し・た!私が悪ぅございましたよ」
鼻息荒くまくし立てる廻を慣れた風に春輝が諌める。
頭にドが付くオタクである廻は典型的な「だまってりゃいい男」「残念なイケメン」なのだ。おまけに。
「ふん……これだからリアル女は。やはり女の子は2次元が1番だ。最近はホログラフィックやら拡張現実やらでリアル志向の……」
この始末だ。
3人は小学校からの腐れ縁。小学1年以来クラスが違ったためしがないのだ。
ある者は「運命ね」と笑い、ある者は「偶然だよ」吐き捨て。ある者は「呪いだな」と苦笑いを浮かべた。
2人をぼんやりと見つめ、未来はふと物思いにふける。
(こいつらはいつだって傍にいた、いつだって放っておいてくれやしない。そう、どんな時でも。)
ばれないようにふっと薄く笑い、頭を振って現実へと戻る。
「いいからさっさと終わらせちまおうぜ。このあと倉庫に机も運ばないといけないんだからよー……なんでよりによって“妖館”の掃除なんだよ……」
ここは学園の敷地内に立っている古びた洋館。なんでも歴史的価値があるとかないとかで取り壊されずにいるが。その怪しげな外観と、「幽霊を見た」という噂が後を絶たないことで生徒からは“妖館”と呼ばれていた。
「うわ、そういやそうだったっけ。めんどくさ」
「まったく。春輝がボヤかなきゃもっと早く終わってたぞ」
「なにおー」
「いいから!」
なんだかんだと結局通常の倍以上の時間をかけて階段掃除を完了した3人は、空き部屋から運び出した机やら椅子やらを階段下の倉庫に放り込んだ。
ほこりとカビの匂いが充満する倉庫内は、1時間もいれば何かしらの病気が発症しそうな不健康空間だ、一刻も早く脱出したい。
「ちょっとまって」
そそくさとその場を立ち去ろうとする2人を、春輝が呼び止める。
「んだよ、こんなとこ一刻も早く出てこうぜ」
「どうした、便所コオロギでも見つけたか?」
「そんなんじゃないわよ。ねぇ……なんかここおかしくない?」
「なにが?」
「なんか、妙に綺麗というか……それに、風? 風が吹いてる」
「風ぇ?」
春輝が手をかざしている場所に未来がいぶかしげに近づく。
「言われてみれば、風を感じるような……おっと」
何かにつまずき、とっさに壁に手を伸ばす。
すると、ギィィという音と共に、何も無いはずの壁が開いた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
支えを失った未来は香港のアクションスターよろしく壁の向こうの下り階段を転げ落ちていった。
「春輝!」「アスカ!」
2人の声が遠くに聞こえてくる。
「うぅ……」
不幸中の幸いか、どこも折れている様子はない。かなりの痛みと少々の出血はあるものの、大事には至っていないようだ。地面に手を付いてゆっくりと体を起こし、周りを見渡してみる。
目の前に広がるのは、およそ現実の物とは思えぬ光景だった。
教室ほどの広さの洞窟は、青い薄光に照らされている。光源は床に描かれた“魔法陣”。
ファンタジー物のアニメやゲームでお目にかかるような立派な魔方陣が薄く、それでいて力強く光を放っている。それだけでも大いに幻想的であるが、この部屋において最も目を引き、最も幻想的なものが、その魔法陣の上に浮いている。
それは……
「おんなの……こ?」
未来は少女を見つめ思案する。
年のころでいえば中学生程度だろうか。
流水の様な銀色の長い髪がゆっくりと揺らめいている。体育座りのような恰好で眠るように目をつむる横顔は日本人とも外国人とも取れるが、非常に整っている。初雪のように透き通った白い肌は、触れれば溶けて無くなってしまいそうな危うさを思わせる。
一糸まとわぬ姿に、魔法にかけられたように目を奪われているが、決してやましい気持ちは無い。
ただただ美しいものに、純粋に感動している。
「ちょっと、大丈夫なの……って、何……これ?」
「おいおいおい、こりゃぁ一体……」
どたどたと駆けつけた二人も、その光景に目を奪われていた。
いったいどれだけの時間が経ったのか。恐らく1分も無かっただろうが、その時間は未来達にとって、まるで永遠のように流れていた。
「と……とにかく、一旦上に戻りましょう」
一番初めに魔法が解けた春輝が、ようやく口を開いた。
「あ……ああ。そうだな。」
とは言ったものの、未来の意識は未だ謎の少女に奪われたままであり、ゆっくりと後ずさりを始めるので精一杯だった。
「ん……おい、何か魔法陣の様子が変だぞ。」
言われて地面に目を落とす、すると、青い光が徐々に赤く変化していく。その発生源は……
「俺の血か?」
こぶしから滴る未来の血が、魔法陣を赤く濁らせていた。
足元からゆっくりと魔法陣が赤に浸食されていく。加速度的に赤の領域は増えていき半分をその手中に収めた時、異変は起こった。
「きゃあ、何よこの風!」
珍しく女の子らしい叫び声を上げた春輝が、急に吹き荒れた暴風に必死にスカートを押さえる。
「うぉぉぉ! アスカ! お前、何かしらの封印を解いてしまったんじゃないのか!」
「何かしらって何だよ!」
「僕が知るか! 地獄の悪魔とか、恐怖の大魔王とか!」
漫画の読みすぎだと一笑に付す事ができればどんなに良かったか。
目の前で起こる不可思議の前では、どんな与太話にだって笑うことができない。
「そうだ! 魔王だ! 魔王様だ! あぁ…今日が世界の命日なんだ…死ぬ前にラブキュアが観たかった…」
「何諦めてんのよ! あの子が魔王だっての? ありえないでしょ! 女の子よ!」
「馬鹿者! あんな可憐な子が魔王様だっていうギャップがそそるんだろうが!」
「馬鹿はあんたよ! 大馬鹿者!」
「あぁ……魔王様! この不届き物をどうかお許しください」
ギャーギャーとコントを繰り広げる2人を無視して、目の前の異変はさらに加速していく。
少女の周りを白い光の玉が取り囲みはじめた。少女にまとわりつく光は、やがて1つの大きな光となってゆく。
「魔王様が降臨召されるぞ! 図が高い! お前ら平伏しろ! 殺されるぞ!」
この異常事態に廻は多少錯乱気味のようだ。多少ね。
「おい、ここで何をしてるんだ! うわっ!」
この混沌とした場に、役者がもう1人
「校長先生!」
そう、この学校の校長であり……
「パパ!」
春輝の父親である古鷹祐輔が、騒ぎに気付いたのかこの大混乱のさなかに飛び込んできた。
47という若さで校長という地位に就く優秀な人間であるらしいが、よく言えば豪放磊落、悪く言えば大ざっぱなその性格と、少々よれたスーツをワイルドに着こなす様が相まっておよそエリートとは思えぬ風体を醸し出している。
「いったい何が起こってるんだ! おい、春輝!」
「話せば長いというか……話してもわからないというか……」
するとその時、光が急激にその強さを増した。
「うわっ!」
未来はとっさに腕で眼を庇ったが、あまりの光に目が眩む。
吹き荒ぶ暴風は落ち着き、ようやく見えはじめた視界の中にぼんやりと佇む影が一つ。
「ま……お……う……?」
あまりにも魔王降臨を推してくる廻に釣られて、そう口に出してしまった。
「まおう?」
玻璃のような透き通った声が、鼓膜を貫く。
「まおう……魔王か。」
その美しい声に似合わぬクックッという邪悪な笑いが、ニヤリと口角の上がった口から洩れる。
いつの間にか尻餅をついていた未来は、ただ少女を見上げることしかできなかった。
春輝と廻も、その場で事の成り行きを見つめることしかできない。校長も、驚愕の表情で見つめてはいるが、何か言いたそうに口をパクパクと開いていた。
「ん?」
目が合う。
「そうか、お前がか。」
そうつぶやいたかと思うと、少女はペタペタと裸足の足音を立てて未来に詰め寄り、グイッと顔を近づけてきた。
そして、少女は、次の瞬間。
「んっ……」
未来のファーストキスをかっさらっていった。
「んん……」
あまりに突然の衝撃に、未来はただただ瞳を見開き、されるがままに唇を奪われることしかできなかったが、それでも柔らかい唇の感触は未来の脳内を激しく揺らし始めた。
(いや、比喩じゃなくなんだか本当に脳が揺れているような気がする。)
数秒ののち、ゆっくりと離れてゆく唇が名残惜しそうに見えるのは軽い眩暈を覚えるが故の幻想か。
ぼんやりとそんなことを考える未来の意識は、稲妻のような高笑いで覚醒する。
「馴染む……良く馴染むぞ!」
嬉しそうに高笑いを上げる少女の身体が淡く光始めたと思えば、あっという間に全裸だった少女は上から下まで完全装備となった。
緑色のブレザーのような上着と、チェックのスカートはどことなく制服を思わせるが、所々に付いているドクロやら奇妙な化け物やらの意匠やアクセサリーはおよそ制服のそれとはかけ離れていた。
「へ……変身シーンは……光らなくちゃあね……」
やっと絞り出したセリフがそれなのかと春輝は廻に対して半ば尊敬の念すら抱きつつあった。
変身? を終えた少女は、ぐるりと4人を見渡すと、右手を前に突き出して高々と宣言した。
「わが名はアーク=トゥルス! 貴様ら人間を支配する魔王である! さぁ、ひれ伏せ! 人間どもよ!」
少女が差し出したその手は、まるで未来を掴もうとしているように見えた。
「さぁて、どこから話そうかね」
未来達4人は保健室にいた。応接用のソファーに座り、校長がゆっくりと口を開き始めた。
少女は高らかに世界征服を宣言したのち、すぐに気を失ってしまったのだ。
「彼女……アークちゃんだっけ? 様子はどう?」
春輝は不安げな瞳を、少女の眠るベッドへと向ける。
「呼吸も脈拍も安定しているわ。今は眠っているだけよ」
優しげな声が、春輝に応える。
声の主は保険医の古鷹美愛。名字からお分かりだろうが、彼女は校長の妻にして春輝の母である。
美しく長い黒髪に均整のとれたスタイル。40代とは思えぬ若々しさに「特殊な呼吸法を習得している」だの「処女の血を浴びている」だの根も葉もない噂が飛び交っている。
「彼女、本当に魔王なんでしょうか?」
ベッドに目を向けたまま、未来は校長へと問いかける。
「そう、なんだろうな」
「ずいぶんあっさりと認めてしまうんですね」
「そうよ、そもそもあの魔法陣は何? パパは知ってたの?」
「ん……まあな」
歯切れの悪い返事と共に、ばつが悪そうに頭をかく。
「その……春輝にはいずれ言うつもりだったんだがな、俺たちの一族にはあの魔法陣を管理するという義務が代々課されているんだよ」
「へ?」
春輝が素っ頓狂な声を上げた。
「管理っつってもよ、俺もなんだかよく分からんのだわ。魔王的なものが封印されてるってのは聞いてたけどさ、人目に付かないように隠すのとたまーに掃除するぐらいよ。まさか封印が解けちゃうなんてなー」
まるで他人事のようにけらけらと笑い始める。
「笑い事じゃないわよ! てことは本当に魔王なの? てか魔王ってなに!」
「まぁまぁまぁ、とにかく世界の命運は我々に掛かっているわけだ」
「え? 我々って、俺たちも入ってるんですか?」
今度は未来が素っ頓狂な声を上げた
「当然じゃないか、そもそも封印を解いたのは君なんだろう?」
「いや、そりゃ、まあ、そうなんですけど……」
「いいじゃないかアスカ、あんなかわいい子が魔王様なんだぞ? 何が不満なんだ」
「そういう問題じゃ……というかお前は2次元専門だったんじゃないのか?」
「ふん……人というものは日々進歩するのだよ。1時間前の僕と今の僕を同じ僕だと思うなよ?」
「ハッハッハッ、面白いなぁ友永君は。ともかく我々がこれから取るべきは――」
「ワシを殺す算段か?」
はっと全員が振り向く。いつの間にか覚醒していた少女が、ベッドの横でにやりと笑いながらこちらを見据えていた。
「いやいやまさか! とんでもございません、私たちは――」
一呼吸ののち、校長はとんでもないことを口走った。
「私たちはあなたへ忠誠を誓いますよ、魔王様」
「「「えっ」」」
今度は3人が揃って素っ頓狂な声を上げた。アークは満足そうに1人で頷いている。
未来はそっと校長に顔を近づけ、ひそひそと話し始めた。
「ちょっと、忠誠ってどういう事ですか?」
「今はそう言っとくしかないだろ。俺はなんとか彼女を再封印なりなんなりする方法を見つけ出すからよ、お前たちで世界の寿命を延ばしといてくれ」
校長はどこか演劇じみた身振りを交え、大仰に話し出した。
「あぁ魔王様、我々は今よりあなたの僕となります、どうか何なりとお申し付け下さい」
「うむ、苦しゅうない苦しゅうない」
ニコニコと上機嫌なアークは、恐怖の魔王というよりは新しいおもちゃを買ってもらって上機嫌な子供にしか見えない。
「ああ、ところで、おぬし、おぬしは……」
「俺ですか? 未来、明日風未来です」
「ふむ未来か、よし未来、今日からおぬしはワシの物だ」
「はい?」
今日は一体何回こんな声を上げればいいのだろうか? 半ばうんざりしつつも、声は自分の意思に反して飛び出してしまった。
「え? なになに? プロポーズってやつ? キャー!」
「友人代表スピーチは俺に任せろよ?」
二人の能天気なやり取りに反応すら出来ず、未来は固まっている。
「どうも目覚めてからあまり調子が良くなくてな。封印の副作用かワシの中で魔力が上手く供給されていないようなのじゃ。どうも記憶もあやふやでな、地に足がつかん。そこで、ワシの中の魔力供給が安定するまでは未来から魔力を吸わせてもらうでな。そこんとこよろしくじゃ」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! 俺に魔力なんてないですよ!」
慌てて否定する未来に、アークは諭すように答える。
「おぬし、魔力が何なのか解っておるのか?」
「いや、解んないです……」
「じゃろう? だったら何故、自分の中に魔力が無いだなんてわかるのじゃ?」
「じゃあ、俺の中に」
「ああ、魔力は流れておる。何も不思議なことではない」
「おぬしも」廻を見る。
「おぬしも」春輝を見る。
「おぬしも」校長を見る。
「おぬしも」美愛を見る。
「人間にはみーんな魔力は流れておるのじゃよ」
言われて春輝と廻はぺたぺたと自分の身体を触りだした。
校長と美愛は真剣な眼差しでアークを見るばかりだ。
「じゃ、じゃあ別に俺じゃなくても……」
「ワシの封印を解いたのはおぬしなのじゃろう? そのせいかのう、どうもおぬしの魔力以外は受け付けんようじゃ」
「ふむ、封印が解けたきっかけはやはりアスカの「血」だったのか」
「そんなぁ、じゃあ俺はこれからずっとその、魔力? を吸われ続けなきゃいけないんですか?」
自分の中の魔力というものが何なのかは解らないが、とりあえずこれから永遠に吸われ続けるというのは何か危険な予感がし、とりあえず哀願するように問いかける。
「いや、しばらくすれば自分で魔力を供給できるようになるじゃろう。世界征服についてもワシの回復に合わせてぼちぼち始めていくのでな、それまでは派手に動きはせんよ。急いては事を仕損じるじゃ。その間ちとおぬしの魔力を頂くだけじゃ。なに、死にゃあせんから安心せい、加減するでな」
「は、はぁ……」
この状況で安心せいと言われて安心できる奴がどれだけいるものか。少なくとも未来は一切安心などできなかった。
「あ、あの、魔力を吸うって、さっきみたいに、その、キス……するのよね?」
何やら恥ずかしそうに春輝が問いかける。
「そうじゃな、あれが一番っ手っ取り早い。朝昼晩一日三回いただくぞ」
「飯替わりですか……」
「飯は飯で食うがな、それはそれこれはこれじゃ」
「そうなんすか……」
「あ、それとな」
今まで年相応? のあどけない表情を見せていたアークの顔が、にやりとほんの少し「悪」のようなものを覗かせた。
「本調子ではないとはいえ、例えばこの学校を一瞬で跡形もなく消し炭に変えるぐらい訳ないのでな、妙な下心は抱くでないぞ?」
すっと手をかざしたその先にある人体模型が、音もなく青い炎に包まれ消えた。
そう、彼女は「魔王」それを決して忘れてはいけない。
「あの、魔王様、少しよろしいでしょうか?」
右手を挙げた廻を見て、未来はまた妙なことを口走るのではないかと気が気で無かったが、意外にもそれは杞憂に終わった。
「魔王様は随分日本がお上手のようですね。それに「学校」など人間の文化にも通じておられるようで、それと、魔王様の軍勢は他にどの程度の戦力がいるのでしょうか? 魔王様だけが敵地に単身で――」
腕を組んで聞いていたアークはめんどくさそうに答える。
「あー待て待て! そう畳み掛けるでない。そうじゃな、貴様らとてアリの生態や犬の習性ぐらい多少なりとも知っておろう? そういう事じゃ。言葉に関しても、ワシは魔王じゃぞ、貴様ら下等なニンゲンの言葉程度操れて当然じゃろう。その他については「とっぷしーくれっと」じゃ! あまり詮索するでない」
納得できるようなできないような微妙な持論を展開するアーク。
未来と春輝はあまり腑に落ちて無いようだが、廻は「わかりました」と一言放ち、おとなしく引き下がった。
しばらく真剣な面持ちでアークを見つめるばかりであった校長が、いつ終わるともわからない喫茶店での一服を切り上げる時のように口を開いた。
「えーっと、じゃあとりあえず魔王様は明日風君の所に行くってことでいいのかな?」
「えっ? 何でそうなるんですか?」
「そりゃそうでしょう。だって魔力は君から吸うんだろ? 朝昼晩。だったら君の所に行くってのが自然な流れだろう?」
「それは……」
確かに筋が通っている。通ってはいるが、それでも「魔王」という得体の知れない生き物との同棲生活は、考えただけでもうすでに頭が痛くなってくる厄介な案件であり、未来は何とかしてこの危機的状況を回避する術が無いものかと頭をフル回転させた。
「ふむ、では未来の所で厄介になるとしようか。なに、ワシが完全復活した暁には城の1つや2つすぐに調達してやるわ。それまでの潜伏先としてならば、つつましやかな掘立小屋でもまあ我慢してやろう。魔王は懐も深いのじゃ!」
(嗚呼……俺ん家に住む方向で話が進んでいく。しかも勝手に掘立小屋にされてるし)
「あの……魔王様……」
先ほどから何やら俯きがちだった春輝が、おずおずとアークに話しかける。
「ん? どうした? あー……」
「春輝です、古鷹春輝。魔王様、実は私、魔王様にお願いがあるのですが」
「ほう……申してみよ」
一同は謎の緊張感に包まれる。あの春輝が魔王にお願いごと?
一体、魔王に何を願う気なのか。古来より人が魔王なんかに願う事などろくなことであるはずがない。それを春輝が? アークだけは悪友がどんな悪戯を提案してくるのかと楽しみにしているような邪悪な笑みを浮かべている。
「あの……」
「んん?」
「あの、私……魔王様を抱っこしてもよろしいでしょうか?」
「……はぁ?」
アークの自信に満ち溢れていた顔が初めて崩れる。目の前の生き物が、何を言っているのか分からないといったようだ。
「もう我慢できないんです! あぁ、なんてかわいい子なの! ほら、お姉ちゃんにギュってさせて! お姉ちゃんって言って! ほら、リピートアフタミ―! お姉ちゃん!」
もう辛抱たまらんという風に春輝がアークに飛びつき頬ずりをしながらキスを迫る。
みんなが忘れていた、春輝はとにかくかわいいものが好きで好きでたまらないのだ。
「な……馬鹿者、や、やめんか、この――」
必死の抵抗を見せるがどうやら腕力はあまり強くないようだ。
「やめんかぁ!」
言うが早いか、目に見えない衝撃波のようなものがアークから放たれ、春輝がまるでハリウッドのVFXのように吹き飛んだ。そして春輝は、ボフリとソファーに着地する。
「きゅう……」
怪我はないようだが、どうやら目を回しているようだ。
「くっくっく……あーっはっはっは! いやぁ、わが娘ながらやってくれるねぇ」
右手で眼を覆い、大口を開けて校長が大笑いしている。笑いすぎたらしく、手の隙間から涙が零れてきた。
これから先の事を思い、未来は目の前が暗くなってきた。
こうして未来は、何の因果か魔王の下僕となってしまいました。