密室
部屋の中には誰もいない。ただ部屋の奥にある突き上げ戸の格子は外され、人が一人出入りできる程のスペースが保たれていた。
太都は現場を荒らさぬようにゆっくりと部屋の中へ踏み入った。
荒らされた形跡はない。ここの宿泊者の荷物と思われる物は畳の上に綺麗にまとめられ、すぐにでも此処を立てるようになっていた。
出入りは、破壊された扉と部屋の奥にある突き上げ戸の綺麗に切りとられた格子でしか出来そうにない。
しかし、この扉は内側から閂で固定され、出入りするとしたら突き上げ戸なのだが、戸の下は崖で出ることはできても入ることは不可能そうだ。
剣と魔法のファンタジーといえど、空を飛ぶ魔法は存在しない。ここから安全に出ることなど不可能だろう。
「誰もいねぇな。やはり気が狂って飛び降りたのか」
竹千代は頭を掻いた、彼にはすでに諦めの雰囲気が漂っている。水鏡も残念そうに首を横に振った。
太都が突き上げ戸から崖を見下ろすも、複雑に入り組んでいるため真下を確認することが出来ない。
状況から考えてこの部屋の客が自ら落ちたと考えるのが自然だろう。
しかし、太都はその結論に納得出来なかった。
気が狂ったとしたら部屋が整いすぎている。ならば何かに絶望した結果の静かな自殺だということか。
しかし、何故このタイミングで?
吊り橋が落ちた事と何か因果関係があるのだろうか。
例えば吊り橋が落ち、先へ進めないことによって死ななければならない理由ができたなどだ。
考え込んでしまった太都の横に竹千代がきて、彼も突き上げ戸から落下地点を見下ろした。
少し凝視した後に、下の方を指差し大声を上げた。
「お、おい! あれじゃねぇか!? 赤い着物みたいなのがあそこに見えないか!?」
「えっ、どこですか?」
太都が崖下を覗き見るも何も発見できない。水鏡も突き上げ戸の方へやって来て下方を見るも何も発見できないのか首を傾げた。
「どこら辺ですか?」と、太都が竹千代へと尋ねた。
「えーっと、どこら辺だったかな?」
竹千代は目を細め、左右に首をゆっくりと振った。
「すまん見間違いだったかもしれない」
罰が悪そうに頭を掻きながら竹千代は部屋の中心へと向かった離れた。あれだけ大袈裟に叫んでしまったのに見間違いだったのだ、羞恥心が湧いてくるのも仕方のないことだろう。
太都は空気を変えるように隣の水鏡へと話し掛けた。
「水鏡さん、もし無理でなければなのですが、この部屋は吊り橋が戻るまでこの状態にしておいてもらえないでしょうか?」
「別に構いませんよ。どうせ新しいお客様も来ないですし、大工が来るまで戸も直せませんから……」
「ありがとうございます。どうしてもこの部屋について引っかかることがあるのですが、まだわからなくて……」
「気になるのですか?」
「はい。少しだけ」
少しだなんて嘘だ。太都は見過ごしてはならない“何か”があると深く感じ取っていた。
ただ、それを正直に伝えたところで、考え過ぎだと笑われるだけである。だから、太都はなぞなぞの答えが気になる程度の態度で通した。
「水鏡さん。この部屋に泊まっていたのはどんな方でしたか?」
「この部屋は人間のお客様が利用されていました。まだ若い男性でしたね」
「他に特徴は……?」
「どうでしょう。変わった行動も見られませんでしたし、とても自害するようには見えませんでしたね。こういう宿を経営していると心中目的のお客様もいらっしゃるので、『あぁこのお客様はそういうつもりだな』という雰囲気と言いますか、そういう空気を感じ取ることができるのです。しかし、そのお客様からは一切そういったものは感じ取れませんでした」
水鏡が、困ったように眉を顰めた。この世界でも宿で自殺があると縁起が悪いと倦厭されるのだろう。
「水鏡さん。この部屋を調べさせてください」
「はぁ……」
「何を言っているんだ?」竹千代が顔の前で右手を左右に振った。「やめて置け。呪われるぞ」
「大丈夫です。本当に少し見て回るだけです」
「なら、俺も付いていよう。お前まで呪いで死んだら大変だ」
「ありがとうございます」
竹千代は呪いか何かの仕業だと思っているらしい。日本で育った太都には実感できない感覚だが、魔法の存在するこの世界で“呪い”という存在は無視できないものなのだろう。
この部屋が呪われていると言われていうようなものだが、水鏡はさして気にも止めていないようだ。
「私は先に下へ行きます。他のお客様へ事情を説明しなければなりませんし」
水鏡は、足音を立てずにそそとした仕草で立ち去っていった。
太都は竹千代に見守られながら部屋の中を調べていった。和室内にある襖や戸の奥などを念入りに触れ、様子を確認していった。
誰も隠れていないし、隠し扉もなさそうだ。
という事は誰かが、この部屋の客を突き落として殺したという事はなさそうだ。
ならば、やはり自殺なのだろうか。
太都は部屋の片隅に置いてある客の荷物に目を向けた。
身体の上半身はありそうな大きさの麻袋だが、実際に荷物が入っているのは少量のようで麻袋はくたっと倒れるように床へ頭を付けていた。
さすがに中身を開けるのはプライバシーの侵害になるため気が引けた。
気が済んだ太都は、竹千代と目を合わせた。
「もう、いいのか?」
「はい。十分です。竹千代さん、ありがとうございます」
「気にするな」
引っかかりの原因は調べても何もわからなかった。
二人揃って部屋を出ると竹千代が破壊した戸の欠片が廊下の外に飛び出しているのを見つけた。
進行方向とは逆に飛んでおり、偶々視界に入らなければ気が付かなかっただろう。
太都は誰かが踏んでしまっては危険だと、それを拾い上げ腰袋へとしまった。




